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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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エピローグ 闇に蠢く

2019.4/27 更新分 1/1

 クリスフィアとジェイ=シンは、暗がりの中で死闘を繰り広げていた。

 敵は、蜘蛛の妖魅の大群である。白い粘つく糸を吐き、鋭い牙と爪で襲いかかってくるその妖魅どもは、脅威そのものであった。


 しかしクリスフィアは、ここまで何とか魂を返さずに済んでいた。

 もちろんそれは、クリスフィアの背中を守ってくれているジェイ=シンのおかげであっただろう。クリスフィアの死角から、妖魅が悪さを仕掛けようとすると、そのたびにジェイ=シンが救いの手をのばしてくれたのだ。これだけの難敵を前にして、クリスフィアを守る余力のあるジェイ=シンは、やはり人間離れした力量を持つ剣士であった。


「しかし、これではキリがないな。ホドゥレイル=スドラのやつめ、何をグズグズしているのだ」


 手近な妖魅を斬り払った後、ジェイ=シンがそのように言い捨てた。

 暗闇の向こうでは、まだ黄色い眼光が無数に瞬いている。この妖魅どもはそれぞれ八つずつの目を備えていたので、いっそうその数は計り知れなかった。


「もしかしたら、ホドゥレイル=スドラも妖魅に襲われているのやもしれんぞ。あるいは、ディラーム老が兵を配置するのに手間取っているのか……何にせよ、我々の命運もずいぶん危うくなってしまったものだ」


「何を言っている。このていどのことで弱音をもらすな。故郷では、家族たちがお前の帰りを待っているのだろうが?」


 背中でジェイ=シンの頼もしい声を聞きながら、クリスフィアはふっと微笑をもらした。


「危ういとは述べてみせたが、決してあきらめるつもりはない。これでわたしが魂を返してしまったら、ジェイ=シンが危険をかえりみず助けに来てくれたことが、無駄になってしまうからな」


「ふん。まだ減らず口を叩ける余力があるなら、幸いだ」


 言いざまに、ジェイ=シンが横合いに刀を振りかざした。

 上の方から飛来してきた蜘蛛の妖魅が、それで頭を断ち割られる。


「脆いな。図体こそでかいが、こやつらは下っ端の妖魅であるのだろう。あの、地下通路に巣食っていた小蛇のようなものだ」


「では、邪神の眷族たる大蜘蛛も、どこかに潜んでいるのであろうか? できうれば、そのようなものが姿を現す前に、この場を切り抜けたいところだな」


「ふん。そのようなものが現れたら、大蛇と同じく火責めにしてくれる。幸い、油の袋は残されているし――」


 そこまで言いかけてから、ジェイ=シンがいきなりクリスフィアの腕をつかんできた。


「クリスフィア、こちらに寄れ。どうやら……本当に、妖魅の首魁が近づいてきているようだ」


「何? どこからだ?」


 クリスフィアは周囲の妖魅どもを剣先で威嚇しながら、ジェイ=シンに身を寄せた。

 ジェイ=シンは、クリスフィアとさほど変わらぬていどの背丈しかない。しかし、そのしなやかなる体躯からは、燃えさかる炎のごとき生命力が感じられた。


「お前から見て、右手の側だ。あの場所に……何かが生まれようとしている」


「生まれようとしている? 意味がわからんぞ、ジェイ=シンよ」


「しかし、そうとしか言いようがないのだ。あの場所には、岩の壁が立ちはだかっているはずであるのに……その向こう側から、凄まじい力を持った何かが近づいてきている」


 クリスフィアは、闇の中で目を凝らすことになった。

 右手の側にも妖魅どもは蠢いているが、十歩ほど先は闇に閉ざされている。足もとに転がされた灯篭の火も届いてはいなかったが、ジェイ=シンの言う通り、岩の壁でも立ちはだかっているのだろう。


 妖魅どもは、のきなみ動きを止めていた。

 まるで、主人を迎える従者か何かのようなたたずまいだ。

 いまのうちに、逆側の壁をよじのぼって、もとの部屋を目指すべきではないのか――クリスフィアがそのように考えたとき、ジェイ=シンにつかまれた腕を強く引かれた。


「あれは、駄目だ。……逃げるぞ、クリスフィア!」


 ジェイ=シンは、すでに駆け出していた。腕を引かれたクリスフィアは、危ういところで灯篭をすくいあげて、何とかジェイ=シンについていく。

 目の前に立ちふさがる妖魅どもは、ジェイ=シンが怒涛の勢いで斬り伏せていた。その先は鍾乳洞が長く続いているらしく、遥かな先にまで黄色い鬼火のごとき眼光が灯されている。


「妖魅の群れに、突っ込むつもりか? 如何にお前が優れた剣士でも、それはあまりに無謀であるぞ!」


「あのような化け物と向かい合うよりは、マシだ! いいから、黙って走れ!」


 言われずとも、ジェイ=シンに腕を引かれているので、クリスフィアも走らざるを得ない。足もとは平坦ならぬ岩場であったので、うかうかとしていればぶざまに転倒してしまいそうだった。


(いったい、何だというのだ。邪神の眷族をも斬り伏せたジェイ=シンが、まさか敵に背中を見せるなどとは……)


 走りながら、クリスフィアは後方を振り向いた。

 その瞬間、冷水をあびせかけられたような悪寒が全身を走り抜けた。


 闇の中に、何かが生まれ出ようとしている。

 闇よりもなお黒い、巨大でおぞましい怪物の影が、びくびくと蠕動していたのだ。


 それはまるで、闇そのものが呪われた赤子を産み落とそうとしているかのようだった。

 どのような形をしているかも判然としないのに、凄まじい恐怖がクリスフィアの心臓をわしづかみにする。ジェイ=シンの力強い指先に腕を握られていなければ、あられもなく悲鳴をあげていたかもしれなかった。


 そしてその場所に、新たな眼光が燃えあがる。

 すでにかなりの距離が空いているというのに、その眼光はとてつもない巨大さを持っていた。

 この世を呪い、憎悪し、すべてを喰らい尽くそうとする邪悪な意志――その巨大な黄金色の眼光に宿っているのは、ただそれだけだった。


(父なる西方神よ……あれは、何なのだ! どうしてこの世に、あのような存在が……)


 さしものクリスフィアも我を失い、足もとがおろそかになってしまった。

 岩の窪みに足を取られて、転倒する。ジェイ=シンは、クリスフィアの身体が引きずられる前に、足を止めてくれた。


「立て! 立って走るのだ! さもなくば……二度と家族にまみえることもかなわんぞ!」


「わ、わかっている……」


 クリスフィアはようよう立ち上がったが、両方の膝ががたがたと震えてしまっていた。

 このような屈辱は、生まれて初めてのことである。しかしクリスフィアは、それを恥じる気力をひねり出すこともできなかった。


「くそ、囲まれたか……」


 ジェイ=シンがクリスフィアの腕を離して、刀をかまえなおした。

 いったいどこから湧いて出たのか、四方を黄色い眼光に囲まれている。それでも、さきほどの眼光の主と相対するよりは、よほど幸福であるように思えてならなかった。


「刀を取れ、クリスフィア! こやつらを蹴散らして、道を切り開くのだ!」


 ジェイ=シンが、獅子のように吠えた。

 その端正な横顔には、決死の気迫がみなぎっている。青い瞳は妖魅よりも強く激しく燃えさかり、そのしなやかな体躯からは野獣のごとき生命力が炎のようにたちのぼっているかのようだった。


(こやつは、まだ……生きることを、あきらめていないのだ)


 クリスフィアは灯篭を置き、自分も刀をかまえてみせた。

 心臓を握り潰そうとする恐怖に耐えながら、唇を噛む。


(わたしの生命がここまでであるならば……剣士として、誇り高く魂を返してみせよう!)


 そのとき――その声が響きわたった。


『やれやれ。おぬしたちの蛮勇も、ここまでか。できうれば、これ以上は星図を乱したくなかったのだがのう』


 ジェイ=シンが、弾かれたような勢いで左手の側を振り返る。


「何者だ! もしや……貴様が、《まつろわぬ民》か!?」


『言うに事欠いて、儂を《まつろわぬ民》じゃと? まったく、短慮な若衆じゃな』


 同じ方向を向いたクリスフィアは、このような際であるのに呆然としてしまった。

 闇の中に、ぼんやりと青白く光っているものがある。それは、小さなギーズの鼠であったのだった。


『そら、生命が惜しくば、ついてくるのじゃ。蜘蛛神ダッバハにその身を捧げたいというのなら、好きにするがよろしいがの』


 そんな言葉を言い残して、青白く光る鼠は闇の向こうに消え去った。

 呆然と立ち尽くすふたりの背後からは、絶対的な破滅そのものが、じわじわと音もなく迫り寄ってきていた。

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