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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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Ⅳ-Ⅵ 出立

2019.4/13 更新分 1/1

 ダリアスとラナとリッサの三名は、闇の中で息を殺していた。

 ダーム公爵邸の、中庭である。三名は建物の壁にぴたりと身を寄せて、虫が這うようにじりじりと前進していた。


 闇の向こうでは、松明の火がひっきなりなしに行き交っているのが伺える。屋敷を守る守衛たちであろう。この数日、守衛の数は日を追うごとに増員されていたのだった。


「こんな厳重な警備の目をすりぬけるなんて、無理に決まっていますよ。とっとと自分たちの部屋に戻って、休みませんか?」


 リッサが不平たらしく囁きかけてきたので、ダリアスは「シッ!」とたしなめてみせる。


「あれは皆、外からの襲撃に備えた守衛たちであるのだ。屋敷の内部から外に向かおうとする人間に対しては、注意が行き届かぬこともあろう」


「でも、公爵様は力ずくでもあなたを逃がしはしないと豪語していたじゃないですか。そういったお触れを回されていたら、おもいきり警戒してしまうのではないですかね」


「……だから晩餐の間は、俺も大人しくしていたではないか。トライアス殿とは明日の朝に話し合いの場を持つと告げたのだから、まさかこの夜に逃げ出そうとするとは考えまい」


 ダリアスはそのような策略を立てて、こうして屋敷を忍び出てみせたのである。

 屋敷から抜け出すこと自体は、それほど難しいことでもなかった。守衛たちは侵入者を警戒し、おおよそは屋敷を取り囲む石塀に沿って巡回していたので、中庭に面した窓からあっけなく抜け出すことがかなったのだ。


 しかし、厄介なのはここからであった。

 石塀の上には等間隔にかがり火が焚かれて、その下を守衛たちが松明を手に巡回している。もちろん門などは固く閉ざされているし、そこには長槍を携えた守衛が四名も控えていた。


「だいたいですね、あの高い石塀をどうやって乗り越えようというおつもりなんです? 運よく守衛の目をまぬがれたとしても、僕やこの娘さんにそんな芸当ができるわけはないでしょう?」


「俺とて、石塀を乗り越えようというつもりはなかった。そのような真似をしても、徒歩で王都を目指すのは難儀であるからな。何とかして、トトスと荷車を手に入れるしかあるまい」


「トトスと荷車を使うなら、門を抜けるしかないじゃないですか。あの守衛たちは、どうするのです?」


「……それは何とか、口先三寸で丸め込むしかあるまいな」


 暗がりの中で、リッサは深々と溜め息をついたようだった。


「あなたは大層な剣士であるようですが、頭を使うことは不得手であるようですね。頭蓋の中身まで筋肉でできているんですか?」


「……いちおう十二獅子将の端くれである俺に、ずいぶんな言い様だな、リッサよ」


「それは皮肉のひとつでも叩きたくなりますよ。相手はあなたを敬愛する騎士団の人間ではなく、ダーム公爵に雇われた私兵であるのですよ? そんな相手をどうやって丸めこもうというのです? 買収ですか? 色仕掛けですか? 僕なんて自分が女であることを忘れているような身の上ですし、こちらの娘さんにそんな真似をさせようというのは感心しませんね」


「誰がそのような真似をさせるものか。あまり馬鹿げたことを口にするな」


「馬鹿げたことをやろうとしているのはそっちじゃないですか。いっそのこと、その聖剣で石塀を叩き壊してくださいよ。あなたが下手な策略を練るよりは、そのほうはまだしも成功の確率は高いことでしょう」


 ダリアスは足を止めて、ななめ後方に控えているリッサの姿をうかがかった。

 青白い月明かりの下、リッサは子供のように口をとがらせている。目もとをおかしな器具で覆っているためにそれ以外の表情は判然としなかったが、普段以上に不機嫌であることは明白であった。


「どうしてお前はそのように、へそを曲げてしまっているのだ? まるで俺を王都に向かわせたくないかのようではないか」


「僕はただ、こんな暗がりの中で身を潜めていることを馬鹿らしく感じているだけですよ。それで守衛にでも見つかったら、どのような目にあわされるかもわからないのですからね。そりゃあ、へそだって曲がろうというものです」


 闇の中に、くすくすとつつましやかな音色が響く。ダリアスのかたわらのラナが忍び笑いをもらしたのだ。


「あ、申し訳ありません。リッサの言い様が、ちょっと可笑しかったものですから……リッサはきっと、ダリアス様をお引き留めしたいのではなく、自分がダームを離れ難く思っているのではないでしょうか?」


「なに? こやつがダームに留まりたいなどと願う理由はあるまい」


「リッサはこのダームで、トゥリハラ様と出会いました。この地に留まれば、またその機会が巡ってくるかもしれない……と考えているのではないでしょうか?」


 ダリアスが目をやると、リッサはさきほど以上に口をとがらせているようだった。


「ラナの言った通りであるのか? ずいぶんと執念深いことだな、リッサよ」


「……やかましいですよ。僕にとっては、あの御方の弟子になることが何よりの望みであるんです」


「だからそれは、すべての騒動が収まったのち、二十年の歳月が過ぎてから、という話に落ち着いたではないか。いまトゥリハラと再会したところで、弟子入りが認められるわけでもあるまい?」


「それでもあの御方と言葉を交わしているだけで、僕は無上の喜びを得ることができるんです」


 リッサはすっかり不貞腐れた様子で、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 ダリアスはひとつ溜め息をついてから、その不機嫌そうな横顔に呼びかける。


「しかしトゥリハラは、お前がその知恵で《まつろわぬ民》の陰謀を退けることを願っているのだ。お前がそれほどにトゥリハラを敬愛しているのであれば、そのために尽力するべきではないか?」


「…………」


「それに、ダームに留まったところで、トゥリハラに巡りあえるとは限るまい。トゥリハラはこの世ならぬ何処かに身を潜ませており、そこに至る道をあの部屋の暖炉に繋げただけのことなのだろうからな。お前がダームに留まろうと王都に出向こうと、トゥリハラが姿を現すかどうかはあちらの心持ち次第ではないか?」


「やかましいと言っているんですよ。僕だって、それぐらいのことはわかっています」


「わかっているのなら、力を貸してくれ。俺たちは、どのようにしてここから抜け出すべきであろうか?」


 そっぽを向いたまま、リッサはしばらく無言であった。

 やがてその口から、ことさら不機嫌そうな声が絞り出される。


「……これだけ警戒されているのですから、騒ぎを起こさずに済ませることはできないでしょう。だったら、自分から騒ぎを起こして、それに紛れるほうがまだしも利口であるように思います」


「ふむ。屋敷に火でも放つのか?」


「馬鹿ですか、あなたは? それで人死にでも出たら、あなたは火つけの大罪人ですよ」


「冗談だ。うまい手立てがあるならば、教えてくれ」


「……またどこかで妖魅が出たとでも言いたてて、強引に押し通ればいいじゃないですか。そうすれば、守衛たちだって無理に引き留めようとはしないでしょうよ」


「ふむ」と、ダリアスは思案した。


「しかし俺たちは屋敷の中に留まっており、日が暮れる前から門は閉ざされていた。守衛たちの目をすりぬけて、そのような報告が俺たちに届くことはありえまい?」


「伝書鴉でそれが伝えられたとでも言い張ればいいじゃないですか。少しは自分の頭も使ってください」


 言われた通り、ダリアスは想像を巡らせてみた。

 ダリアスが必死な形相で、妖魅が出たのでそれを討伐するために出陣する、と言いたてれば、確かに守衛たちもトライアスに確認を取る前に門を開くかもしれない。日中、港町で千名を超える死者が出たということは、すでに知らぬ人間もいないはずであるのだ。


「そうなると……まずはトトスと荷車を確保しなければならんな」


「そうじゃなくったって、まずはトトスと荷車を確保するべきでしょうよ。それなのに、あなたは守衛の様子ばかりを伺っているから、いったいどういうつもりなんだろうと呆れていたんです」


「動きを起こす前に、警備のほどを確認しておきたかったのだ。……では、トトス小屋に向かうとするか」


 トトスや荷車は、西の側の厩舎と倉庫に保管されている。ダリアスたちは屋敷の外壁を半周する格好で、そちらに向かうことになった。

 そうしていざ到着してみると、やはり厩舎の前にも守衛が立っている。有事の際にはトトスの機動力が生命線となるのだから、それも当然のことであろう。入り口のあたりにはかがり火が焚かれて、二名の衛兵が彫像のように立ち尽くしていた。


「……あの守衛たちは、どうするべきであろうかな?」


「知りませんよ。殺さないていどに痛めつけるしかないんじゃないですか?」


 それはあまりに気が進まなかったものの、荒事を抜きにしてこの屋敷を脱出できるとも思えなかった。


「しかし、罪もない者たちに刀を向ける気にはなれんな。お前の知略で、どうにかすることはできぬか?」


「僕は一介の学士に過ぎないんですよ。トゥリハラ殿から授かったのは、妖魅に対する知識のみです。人間をだまくらかす方法なんて知りはしません」


 ならば、ダリアスがどうにかするしかないだろう。

 いっそこの場でも、妖魅が出たので出陣するとでも言いたてるべきであろうか。それで話が通らなければ、いよいよ武力に訴えて――と、ダリアスはそっと聖剣の柄をまさぐる。

 闇の向こうから女の声が響きわたったのは、まさにそのときであった。


「やっぱり現れたわねえ。こんなことじゃないかと思ってたわよ」


 ダリアスは、ラナとリッサをかばいながら、後方に向きなおる。

 闇の中に立ち尽くしていたのは、灯篭を掲げたレィミアであった。


「……俺たちを待ち伏せしていたのか、レィミアよ」


「ええ。晩餐の間も、あなたはずいぶん大人しくしていたからねえ。こっちを油断させておいて、この夜のうちに何かやらかすんじゃないかと用心していたのよ」


 レィミアは、面白くもなさそうに口もとを歪めていた。

 聖剣の柄に手をかけながら、ダリアスはその妖艶なる姿をにらみすえる。


「やはり俺には、腹芸など向いていないようだな。しかし……お前と争うつもりはない。何とかこの場を見逃してもらうことはできぬか?」


「ふん。あなたみたいな化け物と争ったら、こっちのほうがたまらないわよ」


 レィミアは空いているほうの手を腰にやると、とげのある視線でダリアスたちを見回してきた。


「あら……あの老人は置き去りにしてきたの? ずいぶん薄情な真似をするじゃない」


「フゥライ殿は、あえてダームに居残ろうと、自分から申し出てくれたのだ。万が一にもダームが再び災厄に見舞われた際は、自分が力添えをしたいと思うと言ってな」


「ふうん。それで、あなたがたはダームを見捨てて、王都に舞い戻ろうというつもりであるのね?」


 レィミアは探るような目つきになっていたが、殺気の類いは感じられなかった。その皮肉っぽい笑みを浮かべた面にも、激情の予兆は見られない。


「ねえ、将軍様……あなたは短慮で考えなしなところもあるけれど、決して薄情な人間ではないはずよねえ? そんなあなたが、どうしてダームを見捨てようとするのかしら?」


「決して、ダームを見捨てるつもりではない。ダームよりも王都のほうが危険であると考えてのことだ。敵の首魁は、王都に潜んでいるのだろうからな」


「そう……少なくとも、あなたはそのように信じているようね」


 レィミアは、腰から離した手の先で、黒い髪をかきあげた。


「わかったわ。それじゃあ、王都でもどこでも、好きなところに行ってしまいなさい」


「何? それでかまわぬのか?」


「この場を見逃せと言いたてたのは、あなたじゃない。何の不満があると言うの?」


「いや、しかし……お前にとっては、トライアス殿の命令こそが絶対であるのだろう?」


「違うわね。わたしにとっての絶対は、主様を守り抜くことよ」


 レィミアの黒瞳に、強い光がたたえられる。


「主様は、ダームを守るためにあなたが必要だと考えている。でも……主様を守るためには、あなたの存在が邪魔であるように思えてきたのよ」


「言葉の意味がわからんぞ。俺がトライアス殿と相争うことを懸念しているのか?」


「違うわね。わたしにはやっぱり、あなたの存在こそが災厄そのものであるように思えてきてしまったのよ」


 レィミアは、唇を吊り上げて微笑んだ。

 しかし、それほど性悪な笑みには見えない。むしろレィミアは、自分のことを嘲っているようにすら感じられた。


「もちろん、あなたが疫神ムスィクヮなんていうとんでもないものを召喚したわけじゃあないでしょう。でも、あなたがこの地にいなかったら、あんなものは現出しなかったのかもしれない……わたしには、そのように思えてきたということね」


「それは、つまり……《まつろわぬ民》が俺を始末するために、ダームに災厄を招き寄せたように感じられる、ということか?」


「そうじゃない、と言いきれる? あなたが姿を現すまで、ダームは平和そのものだったのよ? そりゃあ騎士団の団長様はあやしげな動きを見せていたし、そいつには使い魔までひっついていたけどさ。疫神ムスィクヮとその眷族なんかに比べたら、使い魔なんて可愛いものでしょう? あなたが目の前の敵を倒したら、今度はより強大な敵が襲いかかってくる。そんなおぞましい運命が、あなたに纏わりついているように思えてならないのよ」


 ダリアスはしばし思案してから、「そうか」とうなずいてみせた。


「それは確かに、お前の言う通りであるのかもしれん。どうやら《まつろわぬ民》にとっても、俺は目障りでならぬようだからな」


「だったら、とっととダームから消え失せてちょうだい。主様の身を守るには、それが一番手っ取り早いのよ」


 ダリアスは、思わず苦笑をもらすことになった。


「このような形で、気持ちが重なることもあるのだな。お前が俺をダームから追い出したがっているというのなら、俺にとっては喜ばしい限りだ」


「ふん。それなら、さっさと追い出されなさい。道筋は、わたしが作ってあげるわよ」


 レィミアが、右手の灯篭を頭上に掲げた。

 すると、暗がりの向こうから一人の兵士が現れる。守衛の革鎧に身を包んだ、若い男だ。


「これはルブスといって、わたしの下僕よ。あとはこいつが、いいようにしてくれるわ」


 男は薄笑いをたたえながら、敬礼をしてきた。兜のひさしの下に覗くのは、色が白くて鼻筋も通った、優男と呼んでもいいような面立ちである。


「こいつが主様の命令だと偽ってトトスと荷車の準備をするから、人目のつかないところで荷台に乗り込みなさい。……命令書は、きちんとこしらえてきたでしょうね?」


「もちろんです、レィミア様」


「それじゃあ、行きなさい。いずれ主様に気づかれたら、追っ手がかけられてしまうでしょうから、くれぐれも捕まるんじゃないわよ?」


「もちろんです、レィミア様」


 そのように繰り返してから、ルブスなる若者はすがるようにレィミアを見つめた。


「ですが……これで俺は公爵様にとっての裏切り者となり、二度とダームの地を踏めぬ身の上になってしまうのですよね?」


「当たり前じゃない。いまさら何を言っているのかしら?」


「それでは、レィミア様ともここが今生の別れとなります。最後にレィミア様を偲ぶよすがを授けてはもらえませんでしょうか……?」


 レィミアは小馬鹿にしきった様子で目を細めると、ルブスの首裏に荒っぽく手をかけた。

 そうしてルブスの身体を引き寄せると、噛みつくような勢いで咽喉もとに接吻をする。


 ルブスは「ああ……」と恍惚たる声をあげた。

 ラナは顔を真っ赤にしながら、ダリアスの腕に取りすがってくる。それから十を数えるほどの間、レィミアはルブスの咽喉もとに唇を這わせていた。


「さ、これで満足でしょう? 王都では、せいぜい悪い女に誑かされないことね」


「それは、無理です……俺は誑かされる喜びを、骨の髄まで教え込まれてしまったのですから……」


 レィミアが唇を離しても、ルブスは悪い酒に酔っているような顔をさらしていた。

 レィミアは毒蛇のように微笑みながら、ルブスの鼻先を指で弾く。


「さ、とっとと目を覚まして、自分の役割を果たすのよ。失敗したら、その舌をひっこぬいてやるからね」


「おまかせください、レィミア様。また次の生でレィミア様のお情けをいただけることを西方神に祈ります」


 そのような言葉を残して、ルブスは厩舎のほうに駆け出していった。

 レィミアはひとつ肩をすくめてから、ダリアスたちに向きなおる。


「門を出て、守衛の目の届かない場所まで進んだら、荷車を捨ててトトスに乗り換えなさい。一頭のトトスに二人ずつがまたがることになってしまうけど、それで追っ手から逃げきることはできるでしょうよ」


「うむ……本当にあやつは、信用できる人間であるのか?」


「ふん。あの馬鹿は魂の根っこまでわたしに握られているから、裏切る心配はいらないわよ」


 レィミアは、血のように赤い舌で妖艶なる唇を舐めた。


「それに、人から命令を下されることに無上の喜びを感じるように調教されているからね。王都に着いた後も、あいつが役に立ちそうだったら、思うぞんぶん従えてやるといいわ。邪魔になったら斬り捨ててもいいし、あなたの好きにしてちょうだい」


「つくづくお前は、恐ろしい女であるのだな。最後まで敵にならずに済んだことを、西方神に感謝するとしよう」


 ダリアスが苦笑まじりに言いたてると、レィミアの表情がわずかに変化した。形のいい眉を下げて、上目づかいにダリアスを見つめてくる。


「わたしだって、あなたのことは恐ろしく感じていたし……敵に回さずに済んだことを感謝しているわよ。べつだん、あなたが憎くてダームから追い出そうとしているわけじゃないのだしね」


「うむ? まあ、お前は戦友のようなものだからな。肩を並べて戦うには、きわめて心強い存在であったぞ」


 レィミアは、右手の先を自分の口もとに持ち上げた。

 それで何をするのかと思ったら、子供のように親指の爪を噛み始める。


「だったら……あなたはいずれ、主様とも和解してくれるのかしら?」


「俺はトライアス殿と諍いを起こしたつもりはない。ただ、自分の為すべき使命を果たそうとしているだけだ」


「でも、あなたはいずれ十二獅子将に返り咲くのでしょう? 十二獅子将と五大公爵家の間に遺恨が残るのはまずいのじゃないかしら?」


 レィミアが何を思ってそのようなことを述べたてているのか、ダリアスにはいまひとつ理解しきれなかった。

 しかし、答えるべき言葉は決まっている。


「俺もトライアス殿も、王国に安寧の日々をもたらしたいという思いに変わりはないはずだ。このたびの災厄を退けたのちは、手を取り合って王国の再建に臨みたいと願っている。そのために、この夜の非礼を詫びる必要があれば、いくらでも頭を下げてくれよう」


「そう……だったら、その日を楽しみにしているわ」


 そう言って、レィミアは口もとをほころばせた。

 さきほどの毒蛇めいた微笑とは似ても似つかない、ちょっとあどけなささえ感じさせる笑顔である。


「それまでせいぜい、くたばらないことね。あなたが魂を返さないように、せいぜい祈っておいてあげるわ」


「うむ。お前も息災にな、レィミアよ。フゥライ殿を、よろしく頼む」


「ふん。あんな老いぼれの面倒を見る筋合いはないけれどね」


 そんな人の悪い言葉を残して、レィミアはふわりときびすを返した。

 その面は最後まで、妙齢の娘らしい無邪気な笑みをたたえているように感じられた。


「では、俺たちも行くか。門の手前で、うまい具合に荷台に乗り込まなければな」


「……そうですね」と、ラナが小さな声で応じてくる。

 その声の響きにいぶかしいものを感じたダリアスが目をやると、ラナはさきほどのレィミアのように、眉尻を下げてこちらを見上げていた。


「どうしたのだ? 何だか……子供がすねているような顔になっているぞ?」


「べつに、なんでもありません」


 ラナはラナらしからぬことを言って、そっぽを向いてしまった。

 しかしその間も、ダリアスの腕をぎゅっと抱きすくめている。さきほどレィミアたちの痴態を見せつけられてから、ラナはずっとダリアスに身を寄せていたのだった。


(何だかよくわからんが……ともあれ、これで王都に戻ることができるぞ)


 ダリアスは気持ちを引き締めなおしながら、闇の中に足を踏み出すことにした。

 ダリアスが王都を離れてから、すでに二十日が過ぎている。その間に状況は転々と移ろって、いよいよ事態は切迫しているように思えてならなかった。


(けっきょく王都から、伝書の返事はなかったな。大聖堂は無事だったのだろうか)


 それも明日の夜か明後日の朝には、自分の目で確かめることができる。今度こそ、クリスフィアやレイフォンたちと手を携えて、《まつろわぬ民》との決着をつけるのだ。

 行く手には濃密なる闇が立ちはだかっていたが、ダリアスの心に迷いや恐れは存在しなかった。

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