Ⅴ-Ⅴ 虚言
2019.3/16 更新分 1/1
「さあ、どうした? そのように黙りこくっているということは……やはり貴様は、俺を裏切るつもりであったのか、エルヴィルよ?」
兜のひさしの下で毒々しい笑みを浮かべながら、ラギスはそのように述べたてた。
ラギスは荷車の出口をふさぐ格好で立ちはだかっており、その背後にはゼラドの兵士たちの姿も見える。エルヴィルは火のように燃える双眸で、それらの姿をにらみ返していた。
メナ=ファムはシルファの身をかばいつつ、どのような事態にも対処できるように息を詰めていた。それは、ギリル=ザザとドンティにしてみても同じことだろう。よりにもよって、大隊長という身分にあるラギスに密会の場を押さえられてしまったのだ。また、両名はあずかり知らぬことであったが、エルヴィルにとってはこのラギスこそがゼラド内における秘密の同志であったのだ。
(話の内容までは聞かれちゃいないはずだけど、こいつは厄介だ。それに、もしもエルヴィルがドンティたちを信用しきれていなかったら……ドンティたちが王都の回し者だってことをラギスにバラしちまうかもしれないね)
そうなったとき、自分はどのように振る舞うべきであるのか。
ギリル=ザザたちを救うために、刀を取るのか。それとも、あくまでラギスとの絆を重んじて、ギリル=ザザたちを敵と見なすのか――
(そんなのは、どっちも御免だね。早まった真似をするんじゃないよ、エルヴィル)
メナ=ファムがこっそりそのように念じたとき、「あのぅ」というすっとぼけた声がふいにあがった。
「俺たちを王子殿下に近づけぬように、とはどういうお話で……? エルヴィル隊長は、ゼラドの方々からそんな風なご命令を受けていたんでやすかい?」
声の主は、ドンティであった。
何かちょっと困惑しているような面持ちで、にまにまと笑っている。エルヴィルの姿をにらみすえていたラギスは、うるさそうにそちらを振り返った。
「やかましいぞ。俺はいま、エルヴィルに問い質しているのだ。貴様は引っ込んでいろ」
「へえ、そいつはすいやせん。ですがまあ、俺たちが王子殿下から遠ざけられていたなんていう話は、寝耳に水だったもんで……そりゃあもちろん、俺たちみたいな下賤な傭兵風情が、そうそう王子殿下にお目通り願えるとは考えてもいなかったですがねえ」
その場に立ちこめた緊迫感に水を差すような、とぼけた口調であった。
それでメナ=ファムも、思い至る。きっとドンティは、何も後ろ暗いところのない人間として振る舞おうとしているのだ。この、ちょっと困惑しているような表情も、おそらくは演技であるのだろう。ラギスがどうして憤慨しているのか、自分にはさっぱりわからない――という体で、ドンティはこの場を切り抜けようとしているのである。
(まあ実際、ドンティたちはラギスの命令なんて知らなかったはずだしねえ。あとはエルヴィルが適当な言い訳をひねりだしてくれりゃあ、丸く収まるかもしれないけど……あんたはどうするんだい、エルヴィル?)
エルヴィルは壁にもたれかかったまま、無言で双眸を燃やしている。
ラギスは、なおも言葉を重ねようとするドンティを制して、エルヴィルのほうに向きなおった。
「さあ、答えよ、エルヴィルよ。貴様はどうして俺の命令を無視して、こやつらを王子殿下に近づけたのだ? やはりこやつらは王都からの回し者であり、貴様はゼラドを裏切ろうと画策しているのか?」
「いや……」と、エルヴィルがかすれた声を振りしぼった。
「そんなつもりは、毛頭なかった。……結果的に、ラギス殿のお言葉をないがしろにすることになってしまい、非常に申し訳なく思っている」
「ふん、ようやく声をあげたか。では、どうして貴様はこやつらを王子殿下に近づけたのだ? 貴様とて、こやつらの素性は怪しんでいたはずであろうが?」
「それは……」と言いかけて、エルヴィルは口をつぐんだ。
それから、熾火のように燃える目をメナ=ファムのほうに向けてくる。
「すまぬが、メナ=ファムよ、そこの水筒を取ってくれ。熱のせいか、咽喉がひりついてたまらんのだ」
メナ=ファムは虚を突かれたが、黙ってその言葉に従うことにした。
エルヴィルは水筒を受け取ると、覚束ない手つきでその中身を口に含む。その姿を、ラギスは焦れた様子で見守っていた。
「時間かせぎは、そこまでにしてもらおう。俺はあまり気の長いほうではないのだぞ、エルヴィルよ」
「申し訳ない。痛み止めの薬のせいで、頭がうまく働かぬのだ。……しかし、決して大恩あるゼラドに叛心あっての行いではない」
エルヴィルは、意を決した様子で語り始めた。
「実は、昨晩……そこのギリルなる者が、メナ=ファムに悪さを仕掛けたという話であったのだ」
「……メナ=ファムに悪さ、だと?」
「うむ……メナ=ファムは昨晩、俺のために薬を調達しようと、この車をしばし離れることがあったのだが……その際に、悪さを仕掛けられたらしい」
ラギスは疑り深そうに目を細めながら、メナ=ファムを振り返った。
「メナ=ファムよ、それは真実であるのか?」
「ああ、まあね」と答えてから、メナ=ファムはすぐさま考えを巡らした。
エルヴィルは、口から出まかせでラギスの気をそらそうとしているのだ。ならばメナ=ファムも、その企みを全力で後押しするしかなかった。
「外に出てみたら、そのギリルってお人の姿がなくってね。どこかで悪さでもしてるんじゃないかって、そこらへんを探していたら、トトスを繋いでおいた雑木林で出くわしたのさ。そこで、その……まあちょっと、おかしな真似をされちまってね」
「…………」
「ああ、もちろん、あたしもぴしゃりとはねつけてやったけどさ。いちおうは王子殿下の侍女であるあたしにちょっかいをかけるなんて、許される話じゃないだろう? だから頭に来て、エルヴィルに言いつけてやったってわけさ」
「うむ……しかし俺も、まだ自由に動き回れる身体ではなかったので、王子殿下のおわすこの場所に、こやつらをうかうかと呼びつけてしまった。……しかし、誓って言うが、危険なことはまったくなかった。こやつらに悪心があったとしても、メナ=ファムと黒豹めが王子殿下の御身をお守りしていたのだからな」
そのように述べてから、エルヴィルはまた水筒の水を口に含んだ。
「ラギス殿の言う通り、俺もこやつらの素性を怪しんでいた。だからこそ、一度自分でもしっかり言葉を交わしておきたかったのだ。たとえこやつらが王子殿下の御身を狙う暗殺者であったとしても、逃げ場のない場所で本性を現わしたりはしまいと踏んでいたからな……」
「俺たちが暗殺者だなんて、滅相もありやせん。俺たちは、王子殿下の御身を救うためにこそ、この場に駆けつけたんでございやすよ」
ドンティは、まだにまにまと笑っている。
いっぽうギリル=ザザは、仏頂面でそっぽを向いていた。あらぬ罪をかぶせられて気分を害しているのか、それともこちらの虚言に合わせた演技をしているのか、メナ=ファムには判別がつけられない。
「ともあれ、ラギス殿の言いつけに背いてしまったことは、申し訳なく思っている。頭がいくぶん鈍っているので、判断を誤ってしまったかもしれん。重ねて、詫びさせてもらいたい」
ラギスは、底光りする目でメナ=ファムたちを見回してきた。
その口もとに、またゆっくりと歪んだ笑みが浮かべられていく。
「貴様の言い分は、そこまでか。……よかろう。その言葉が真実であるかどうかは、これからじっくり探らせてもらう」
そのように述べてから、ラギスはギリル=ザザとドンティをねめつけた。
「貴様たちは、とっとと出ていけ。そして、次にこの場に足を踏み入れた際は、俺がじきじきに処分を下す」
「へえ、承知しやした。ほら、行くぞ、ギリル」
ドンティがギリル=ザザの腕を引っ張って、車の外に出ていった。
その姿が兵士たちの向こうに消えてから、ラギスはメナ=ファムに向きなおってくる。
「貴様も、外に出ろ。もう少し詳しく話を聞かせてもらう」
メナ=ファムは無言で立ち上がり、ラギスの言葉に従った。
車の外は、小休止のさなかである。旗本隊の面々は水筒の水で咽喉を潤しながら、ゼラドの兵に取り囲まれたこちらの様子をうろんげに見守っていた。
ラギスがずかずかと歩を進めていくと、兵士たちも追従してくる。旗本隊の陣から離れて、ゼラド軍の陣に入っても、ラギスはなかなか足を止めようとしなかった。
進めど進めど、目に入るのは兵士たちとトトスたちの姿ばかりだ。数万の兵士が密集したこの場所で、ドンティはどうやってシルファを連れて逃げようというのか。メナ=ファムには、皆目見当もつかなかった。
そうして辿りついたのは、やたらと巨大なトトス車の前である。
その荷台の入り口を見張っていた兵士たちが、ラギスの姿に気づいて敬礼をする。
「中に入るぞ。誰も近づけるな」
その兵士たちを押しのけるようにして、ラギスは荷台の扉を開いた。
その内部には、木箱がぎっしりと詰め込まれている。おそらくは食料などを運ぶための車であるのだろう。数万人分の食料となると、それだけで膨大な量になるはずだった。
ラギスは迷う素振りもなく、その木箱の隙間に入り込んでいく。
メナ=ファムがその後を追うと、背後で扉がぴたりと閉められた。
「なるほどね。こんな狭苦しい場所まで来ないと、内緒話のひとつもできないってわけかい」
軽口を叩くメナ=ファムの胸ぐらを、ラギスがいきなりひっつかんできた。
重そうな兜をむしり取り、あらわになった顔をメナ=ファムに近づけてくる。その黒い瞳は、さきほどまでよりもいっそう激しく爛々と燃えていた。
「おい、俺を舐めるなよ、メナ=ファム。貴様たちは、どうしてうかうかとあやつらを王子殿下のそばに近づけたのだ?」
「だから、理由は説明したろう? 確かにあのギリルってやつは大した剣士なんだろうけど、プルートゥさえいれば、王子殿下に危ないことはないさ」
「しかし、そもそもは貴様こそが、あやつらを怪しんでいたはずだ。それなのに、どうして貴様があやつらを招き寄せた? 貴様にとっては、王子殿下の御身こそが、何よりも大切なものであるのだろうが?」
「だから、そいつをすっきりさせたかったんだよ。あたしもエルヴィルも、あいつらが敵なのか味方なのか、しっかり見極めておきたかったのさ」
メナ=ファムは、せいぜいふてぶてしい顔をこしらえながら、そのように答えてみせた。
「何せ、あいつらを旗本隊に置いておくのは、公子様だか何だかの命令だってんだろ? あんたが頼りにならないから、あたしとエルヴィルがじきじきに検分してやったんじゃないか。文句があるなら、あいつらをとっとと追い出しておくれよ」
「……あいつらを追い出すのは、首と胴体を切り離してからだ。敵方の間者である可能性のある人間を、野放しにはできんからな」
「威勢がいいね。だったら、そうすればいいじゃないか?」
それができないからこそ、ラギスはこのように猛り狂っているのだろう。まだ若い、それなりに端正で貴公子らしさも備えている顔が、いまは野の獣のように引き歪んでしまっている。
「……では、さきほどの戯れ言が真実であると言い張るつもりであるのだな?」
「ああ。疑うんだったら、旗本隊の連中に聞いてみな。ギリルの居場所を教えてくれたのは、そいつらなんだからさ。あたしらが雑木林からしばらく戻ってこなかったことも、きっちり証言してくれるはずだよ」
メナ=ファムの胸ぐらをつかんだラギスの手に、いっそうの力が込められた。
「……貴様はあの蛮人めに、身体を許したのか?」
「ええ? 何を言ってるんだい。きちんとはねつけたって説明したろ?」
「……しかしあやつは、化け物じみた力を持つ剣士だ。貴様の力で、あやつをはねのけることができるのか?」
「あのねえ……あいつもそこまで、無法な輩ではなかったよ。あたしが頬を引っぱたいてやったら、すごすごと引き下がってくれたさ」
ギリル=ザザに申し訳なく思いながら、メナ=ファムはそのように述べたててみせた。
「それにさ、あいつが王都からの回し者だったりしたら、あたしなんかにちょっかいを出したりはしないだろ? それもあって、ちょっとは疑う気持ちも晴れたんだよ。そうじゃなかったら、大事な王子殿下のおそばに近づけるもんかい」
「どうだかな……王子に近づくためにこそ、侍女の貴様に近づこうとしたのかもしれんぞ」
そんな風に言い捨ててから、ラギスはさらに顔を近づけてきた。
「いいか、貴様も二度と、あやつらに近づくな。もしもこの言いつけを破ったら……誓って、俺があやつの首を刎ね飛ばしてやる」
「何だい、まるで恋の鞘当てでもしてるみたいな言い草だね」
メナ=ファムの軽口に、ラギスは口の端を吊りあげて笑った。
「何とでも言え。……俺が玉座を手にしたあかつきには、貴様を寝所に侍らせてやるぞ、メナ=ファムよ」
「何を言ってるのさ。そのときは、シルファがあんたの伴侶なんだろ?」
「だったら、まとめて可愛がってやる。あの美しい偽王子を慕う貴様には、本望であろうが?」
その言い草には、メナ=ファムもさすがに眉をひそめることになった。
「笑えない冗談だね。シャーリの女は身持ちが固いって教えてやったはずだよ?」
「俺はこの手に、すべてをつかむのだ。セルヴァの玉座も、愚かなる父たちの首級も、美しい伴侶も、そして猛々しい女狩人もな」
ラギスの瞳は、ぎらぎらと輝いている。
さまざまな情念の渦巻く、凄まじい眼光である。同じぐらい強く輝きながら、清廉で澄みわたったギリル=ザザの瞳と比べたら、なんと我執にまみれた瞳であろう――と、メナ=ファムは悲哀にも似た気持ちを抱くことになった。
(悪いね、ラギス。やっぱりあんたと、運命をともにすることはできそうにない。シルファのためなら、どんな罪でも背負ってやろうと決めたけど……あんたの存在は、シルファを救ってくれそうにないんだよ)
メナ=ファムは、胸の内でそのようにつぶやいていた。