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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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Ⅳ-Ⅴ 不和

2019.3/9 更新分 1/1

「王都まで出向くのは、取りやめようと思う」


 トライアスは、ごく何気ない口調でそのように述べたてた。

 あまりに意想外の言葉を聞かされて、ダリアスは思わず「なに?」と反問してしまう。


「あ、いや、失礼。……いま、王都まで出向くのは取りやめる、と聞こえた気がするのですが……」


「その通りだ。妖魅の討伐でくたびれ果てていようとも、耳のほうは確かなようだな」


 そんな風に述べながら、トライアスはレィミアに注がせたニャッタの蒸留酒を口に運んだ。

 ダームの公爵邸の、応接の間である。ダリアスは、長椅子に座したトライアスと向かい合う格好で立っている。ダリアスの一歩後ろに控えたラナとフゥライとリッサは、無言でこのやりとりを見守っていた。


「いったい何を仰っているのですか、トライアス殿? ダームの港町を襲った妖魅どもは始末することがかなったのです。これ以上、ダームに留まる理由はありません」


「妖魅どもは消え去っても、港町の被害は甚大だ。いったいどれだけの領民と行商人たちが魂を返すことになったのか、考えただけで目が眩みそうなほどであろうが? こうまで痛めつけられた領地を捨て置いて、領主たる俺がダームを離れるわけにはいかんのだ」


「いや、しかし……疫病に冒された人間たちは、妖魅の消失とともに病魔から解放されたと聞いています。あとは死者を弔うのみなのですから、トライアス殿がこの地に留まらなくとも――」


「その死者の数が、途方もないものであるのだ。うかうかしていれば、その遺骸から新たな疫病が生まれないとも限らん。軽く千名は超えようかという死者をセルヴァの炎で弔うには、数日がかりになるのであろうからな」


 そんな風に述べてから、トライアスはまた南の酒で口を示した。


「それにな、俺たちが急いで王都に向かう理由もなくなったのだ。レィミアよ、例のあれをダリアス殿に渡してやれ」


 妖艶なる侍女が、腰の隠しから小さな筒を取り出した。伝書鴉に運ばせるために、小さく丸められた書簡である。


「おぬしが妖魅を相手に奮闘していた頃、そいつが王都から届けられたのだ。その内容は……十二獅子将ジョルアンが、審問のさなかに毒殺された、というものであった」


「ジョルアンが、毒殺!?」


 ダリアスの背後からも、鋭く息を呑む気配がした。おそらくは、ラナとフゥライであろう。王都の事情などあまりわきまえていなそうなラナでも、十二獅子将の身にあった人間が毒殺されるなどという話は聞き流せるはずがなかった。


「ジョルアンは、すべての罪は神官長バウファの命令で犯したものであったと言い残して、魂を返してしまったそうだな。神官長めは何だかんだと弁明していたようだが、けっきょくは大罪人として投獄されたらしい。これでもう、ジョルアンの配下たる騎士どもを王都に送りつける理由もなくなったろう?」


「そ、そのようなことはありません。それならば、今度はバウファ神官長の罪を問うための審問が開かれるのでしょうから……やはり、ジョルアンの命令で悪事を働いていたあやつらは、貴重な証人であるはずです」


「だったら、王都から護衛の騎士団を呼びつけて、証人どもを受け渡せばよかろう。俺たちがわざわざ王都まで出向く理由はない」


 ダリアスは断固として、「いえ」と言い張った。


「それでもやはり、俺やトライアス殿の証言は必要であるはずです。そして、このたびの陰謀の首謀者は、王都に潜んでいる可能性が高いのです。俺たちは、一刻も早く王都に向かわなければなりません」


「大神アムスホルンを復活させて、四大王国を滅さんとする邪教徒、か。……そんな馬鹿げた妄念に取り憑かれた人間など、本当に存在するのであろうかな?」


 トライアスは、ことさら無関心な顔をこしらえて、肉厚の肩をすくめた。

 ダリアスは、その飄然とした姿をおもいきりにらみつけてみせる。


「何にせよ、妖魅を操って人心を騒がせる輩が存在することは事実です。ダームの領地を蹂躙されたトライアス殿にとっても、その輩は許されざる仇敵でありましょう? そやつを斬り伏せるためにも、我らは王都に出向かなくてはならないのです」


「俺に妖魅や妖術師を斬り伏せる力などはない。俺が王都などに出向いても、何かの力になれるとは思えんな」


「……承知しました。どうあっても肯んじてくださらないのでしたら、それでけっこうです。トライアス殿は、どうぞ領主としてのおつとめをお果たしください。俺たちは、王都に向かいます」


「それは、ならん」と、トライアスは酒杯を卓に置いた。

「どういう意味でしょう?」と、ダリアスはいっそう目に力を込める。


「妖魅なんぞの相手をできるのは、この地においておぬしだけなのだ、ダリアス殿。おぬしが王都に向かってしまったら、誰がダームを守ってくれるのだ?」


「……ダームに災厄をもたらした疫神ムスィクヮは滅しました。もうこの地に危険は訪れないことでしょう」


「疫神ムスィクヮなあ。そのようなものは、まるきりおとぎ話の存在ではないか」


 と、トライアスはまたひとつ肩をすくめて、かたわらのレィミアを振り返った。


「いつだったか、お前が寝物語で語ってくれたことがあったな。たしか、四大神に仕えることを拒んだ邪神というのは、七神も存在したのではなかったか?」


「はい……かつてこの地には十四の神があり、大神アムスホルンが長きの眠りに落ちたその後は、七つの神が四大神の子となり、七つの神が闇に堕ちた……わたくしの知るおとぎ話では、そのように語られておりましたわ」


 妖艶なる微笑みとともに、レィミアはそのように答えていた。

 トライアスは「なるほどな」と、ダリアスに向きなおる。


「では、疫神ムスィクヮを退けたとしても、まだ地の底には六神もの邪神が眠っているということだ。そやつらがまたぞろダームに牙を剥いてきたら、何とするつもりだ?」


「それらの邪神が、ダームではなく王都を襲う危険があるのです。だからこそ、俺たちは――」


「王都には、おぬしの信頼する心強い猛者どもが顔をそろえているのであろう? しかし、この地にいるのは、おぬしひとりだ。おぬしは、ダームの領民を見殺しにしようというのか?」


「目の前に妖魅が現れれば、いくらでも斬り伏せましょう! しかし、いま危急を迎えているのは、ダームではなく王都であるのです!」


 ダリアスは、公爵家の当主である相手を、おもいきり怒鳴りつけてしまった。

 しかしトライアスは、動じた様子もなく鼻の頭をかいている。


「それだって、妖術師だか何だかが、適当な言葉を並べたてただけかもしれんではないか? そうやって、おぬしをダームから遠ざけるのが目的であったら、何とするのだ? 実際に妖魅に襲われたのは、王都ではなくダームであるのだからな」


「何と言われようとも、俺は王都に向かいます。トライアス殿は、好きになされるがいい」


 そのように言い捨てて、ダリアスはきびすを返そうとした。

 そこに、「待て」と呼びかけられる。


「おぬしはダーム騎士団を蹴散らしてまで、俺の言葉に逆らおうというのか? 数千の兵を敵に回すのは、あまりに無謀な行いであろうよ」


「……あなたこそ、力ずくでも俺を止めようというお考えなのですか、トライアス殿?」


 ダリアスが腰の聖剣に手をのばすと、レィミアははだけた装束の胸もとに手を差し入れた。

 すると今度は、フゥライが「待たれよ」と声をあげる。


「どちらもこちらも、血の多いことだな。王国の存亡をかけたこのときに、身内同士で争っている場合ではあるまいに」


「俺は何も激してなどおらんぞ。ただ、ダームの領主として為すべき仕事を果たしているだけだ」


 トライアスはにやりと笑って、卓の酒杯に手をのばした。

 思わずダリアスが詰め寄ろうとすると、フゥライが進み出て腕をつかんでくる。


「ダリアス殿。ダームから王都に向かうのは一日がかりだ。今からダームを出ても、境の宿に辿り着く前に日が暮れてしまおう。それはあまりに、危険な行いではないだろうかな」


「いや、しかし……」


「それよりも、ダームの窮状を王都に伝えるのが先決であろう。トライアス殿、伝書の返事はすでに飛ばしておるのであろうかな?」


「いや。ダリアス殿が無事に戻るまでは、返事のしようもなかったのでな」


「では、まずは書面をしたためるべきであろう。そして、ダリアス殿が王都に出向くか、あるいはダームに留まるか、それはひと晩じっくり語らった後に決めては如何かな」


「是非もない。まあどうあれ、ダリアス殿にはダームに居残ってもらうつもりだがな」


 いきりたつダリアス殿の腕を、フゥライが意外に強い力で引いてくる。


「ダリアス殿も、頭を冷まされよ。まずは、書面の返信だ」


 フゥライの穏やかで落ち着いた声が、ダリアスの熱した心をわずかなりとも冷ましてくれたようだった。

 ダリアスは最後にトライアスとレィミアの姿をにらみつけてから、無言のままにきびすを返す。ラナはおろおろと両手をもみしぼっており、リッサは退屈そうにあくびを噛み殺していた。


「では、またあの客間をお借りするぞ、トライアス殿。そちらももう一度、何がもっとも正しき道であるのかを思案していただきたい」


 そうしてフゥライにうながされる格好で、ダリアスたちは応接の間を後にした。

 部屋の外で見張りをしていた護衛の武官が、すかさず敬礼をしてくる。その武官の案内で、ダリアスたちは客間へと舞い戻った。


「まったく、あの御仁は何を考えておられるのだ! 王都が滅ぼされてしまったら、ダームとて無事では済むまいに!」


 部屋に入るなり、ダリアスはそのようにわめき散らしてみせた。

 フゥライは、「しかたあるまいよ」と苦笑している。


「もとよりトライアス殿は、己が富をもっとも重んずるお人柄であられるからな。ダリアス殿のように心強い存在を、そう簡単に手放す気にはなれぬのであろうよ」


「しかし、そうだからと言って――!」


「頭を冷やされよ、ダリアス殿。まずは王都に返信を、と言うたは本心だ。王都に危険が迫っているというのなら、それは一刻も早く伝えるべきであろう?」


 フゥライは、ゆったりとした動作で長椅子に腰を下ろした。


「ダームが疫神ムスィクヮに襲われたこと――《まつろわぬ民》が王都に潜伏していると述べたてていたこと――その他に、伝えるべき言葉はあろうかな?」


「うむ。レイフォンたちには取り急ぎ、王都の大聖堂に異常がないかを確認してもらいたい。聖堂が穢されれば、西方神の加護も失われてしまうのであろう?」


「うむ、まさしくな。では、儂が書面の下書きをこしらえよう。その前に、まずは王都からの伝書を拝見したい」


 ダリアスは、その手につかんだままであった書簡をフゥライに手渡した。

 そうして自分もフゥライの向かいに腰を下ろしてから、ラナを振り返る。


「ああ、さっきは悪かったな、ラナよ。俺の気の短い部分を目の当たりにして、呆れてしまったか?」


「い、いえ、とんでもない! ダリアス様は、ただ果敢であられるだけです!」


 そんな風に言ってから、ラナは頬を赤らめた。

 ダリアスは、ささくれだった気持ちが癒されていくのを感じながら、自分のかたわらを指し示す。


「ラナも、身を休めるがいい。さきほどは、邪神と相対するなどという恐ろしい目にあってしまったのだからな」


「い、いえ、わたしなどは、何もできずに震えていただけですので……そ、それでは、失礼します」


 ラナは赤くなった頬をおさえながら、長椅子の端にそっと腰かけた。

 そちらに微笑みかけてから、ダリアスは視線を巡らせる。


「おい、リッサよ。お前はそのような場所で、何をやっているのだ?」


 リッサは部屋の奥で膝をつき、火のついていない暖炉の中に頭を突っ込んでいた。


「見れば、わかるでしょう? トゥリハラ殿が様子を見にこられていないかどうか、確認していたんです」


「トゥリハラとは、別れの言葉を交わしたばかりでないか。あやつはこれ以上、俗世の騒ぎに関わることはできないのであろうさ」


 ダリアスはそのように述べてみせたが、リッサは執念深く暖炉の内側をまさぐっているようだった。

 そこに、フゥライの声が響く。


「トライアス殿が言っていた通りの内容であるようだな。ジョルアン将軍は、すべてがバウファ神官長の命令であったと言い残して、審問のさなかに毒殺された……そしてその後、神官長はロネック将軍に生命乞いをしていたそうだ」


「ロネックに? では、ジョルアンを暗殺したのは、あやつであるのか?」


「それはまだ不明とある。この書面を飛ばした後、ロネック将軍とバウファ神官長のもとにおもむくとのことだ。……あと、ティート殿にウォッツなる人間の素性を質してもらいたい、とあるな」


「ウォッツ? それは、何者であろうか?」


「祓魔官のゼラなる者が神官長ともども投獄されたので、それに代わって伝書鴉の扱いを任された者であるらしい」


 ダリアスは、思わず身を乗り出すことになった。


「ちょっと待て。ゼラが投獄されたとは、どういうことだ? 主人が大罪人であっても、従者のあやつまで投獄される筋合いはあるまい」


「うむ。どうやらそのゼラなる者も、罪の告白をしたらしい。エイラの神殿の鍵をアイリア姫に手渡したのは自分であり、それは神官長の命令であったのだと……そのように告白したようだな」


 ダリアスは、言葉にならないほどの驚きに見舞われてしまった。


「何だ、それは。けっきょくあやつも、神官長の手先であったのか? しかし……しかし、俺を救ったのは、あやつであるのだぞ?」


「詳細までは記されておらん。ただ、それで自責の念にとらわれて、罪の告白をしたようである、と記されておるよ」


 では――そういった自責の念に衝き動かされて、ゼラはダリアスに救いの手をのばした、ということなのだろうか。

 アイリア姫というのは、たしかヴァルダヌスの許嫁であった姫君であり、災厄の夜に前王ともども魂を返している。ゼラの手からアイリア姫に、アイリア姫の手からヴァルダヌスに寝所の鍵が渡り、それで第四王子は解放され――その末に、銀獅子宮が炎に包まれることになった、という顛末であるのだろう。


(そうか。ゼラのやつは、カノン王子を不憫に思うあまり、このたびの陰謀を暴きたてたいと願った、と言っていた。王子の美しさに魅了されたというだけで、どうしてそこまで懸命になれるのかと、俺もいささか不思議には思っていたのだが……自分も知らず内、陰謀に加担してしまっていた、ということなのか)


 苦い味が、ダリアスの口の中に広がっていた。

 それならゼラは、最初からバウファが陰謀に関わっていたことを知っていたことになる。それを隠して、ダリアスたちと行動をともにしていたのだ。


(まあ、ゼラはバウファに大恩があるなどと言っていたからな。証もないうちに、恩人を裏切る気持ちにはなれなかったが……ジョルアンがすべてバウファの命令だったと告白したことで、あやつも我慢がならなくなってしまったのか)


 ダリアスは何だか、ゼラのほうこそが不憫であるように思えてならなかった。

 そんなダリアスを見やりながら、フゥライは優しげに目を細めている。


「ともあれ、ティート殿にウォッツなる者の素性を確かめてから、書状をしたためることとしよう。……それで、その後はどうするつもであるのかな?」


「むろん、王都に向かう。明日の朝一番で出立すれば、夜の遅くには到着できるはずだ」


「しかしそれでは、トライアス殿が黙ってはおるまい。王都に向かうのであれば、夜のうちにこの屋敷を忍び出たほうが、確実であろうな」


 ダリアスは「なに?」と目を見開いた。


「しかしさきほど、夜は危険であると言っていたではないか。妖魅というものは、夜の闇こそを好んでいるのであろうからな」


「疫神ムスィクワァをも退けたダリアス殿に、不安はあるまい? あれはトライアス殿を油断させるための、詭弁であるよ」


「なんとまあ……そのように柔和なお人柄でありながら、ずいぶんと人が悪いのだな、フゥライ殿は」


「人間というものは、年を取れば取るほど狷介になるものであるのだ」


 そうしてフゥライは、にこりとやわらかく微笑んだ。


「しかし、儂のような老体は足手まといであろうからな。儂は、この場に居残ることにしようと思う」


「なに? しかし俺には、フゥライ殿のお知恵も必要であるのだ」


「儂とリッサは、トゥリハラ殿から同じ知恵を得ておる。リッサさえおれば、不都合はあるまい。また、ダリアス殿にしてみても、守る人間は少ないに越したことはなかろう? 儂はこのあたりが引き際であろうよ」


 フゥライの笑顔は、あくまでも穏やかであった。

 ラナは、「フゥライ様……」と目を潤ませている。


「もしもダームが再び災厄に見舞われたときは、儂の知恵を振り絞ることとしよう。同じ知恵を持つ儂とリッサが同じ場所にいるよりも、そうしたほうがより大きな力になるはずだ。これもまた、王国を守るための行いであるのだよ、ダリアス殿」


「……そうか。相分かった。俺は俺の仕事を果たしてみせよう」


 ダリアスは身を乗り出し、フゥライの痩せた手の先を握りしめてみせた。


「決して危険な真似はしないでくれ、フゥライ殿。必ず生きのびて、再会の祝杯をあげるのだ」


「うむ。王都は頼んだぞ、ダリアス殿。『賢者の塔』に眠る蔵書を荒らされては、儂も生きる甲斐を失ってしまうでな」


 そうしてフゥライは、最後まで温かく笑い続けていた。

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