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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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Ⅰ-Ⅴ 王子の怒り

2019.2/16 更新分 1/1

 部屋を出て、回廊を連れ回されたナーニャの一行は、やがて外界へと通ずる城門にまで案内された。

 城門の前には、数十名もの兵士たちがひしめいている。それらの魁偉なる姿を見回しながら、チチアが文句の声をあげた。


「何だい。もしかしたら、あたしらはこの城の外に連れ出されるのかい?」


「そりゃあそうさ。僕とメフィラ=ネロがぶつかりあったら、周囲の建物も無事では済まないからね。この城が崩落したらグワラムはもうおしまいなんだから、ここでメフィラ=ネロを迎え撃つことはできないんだよ」


 兵士の先導で歩を進めながら、ナーニャは笑いを含んだ声で言った。その火のように熱い指先は、リヴェルの手をしっかりと握りしめてくれている。


「僕たちがメフィラ=ネロを迎え撃つのは、この城の西側に築かれている物見の塔だ。さあ、ヤハウ=フェムたちが妖魅どもを食い止めてくれている間に、僕らはさっさと移動するとしよう」


 ナーニャの声には、不安も迷いも感じられなかった。

 真正面からぶつかったら、《神の器》として覚醒しているメフィラ=ネロのほうに分がある、という話であったのに――いったいどのような勝算があるのだろうか? リヴェルの心臓などは、さきほどから暴れトトスのように騒いで、痛いぐらいに胸郭を叩いていた。


 ともあれ、もはや自分たちの進むべき道は定められてしまっている。

 ナーニャ、リヴェル、チチア、ゼッド、タウロ=ヨシュ、イフィウス――ひょんなことから運命をともにすることになった六名の同志は、大きなトトス車の荷台に詰め込まれて、グワラムの城を出立することになった。


 グワラムは、二重の石塀で守られている。内側の石塀は城塞を囲み、外側の石塀は城下の町を囲んでいるのだ。メフィラ=ネロの率いる妖魅の群れは、すでに外側の石塀を突破して、城下の町を蹂躙しているはずであった。


「ナ、ナーニャ、マヒュドラの軍は、作戦通りに応戦できているのでしょうか?」


 重苦しい沈黙に耐えきれずに、リヴェルは言わずもがなのことを問うてしまった。リヴェルの手をしっかりと握ったまま、ナーニャは「うん」と気安くうなずく。


「メフィラ=ネロが期日の約定を守るという証はなかったからね。妖魅どもを迎え撃つための布陣が決定された日からは、もうその場所では交代で兵士たちが待機していたはずだよ」


「そ、そうですか……ま、魔術を使えない兵士たちに、あらがうすべはあるのでしょうか……?」


「色々と、策は授けておいたからね。炎の罠と鋼の武器を駆使すれば、彼らでも氷雪の巨人ぐらいは退治できるはずだ。だから問題は、やっぱりメフィラ=ネロただひとりなんだよ」


 そのように述べながら、ナーニャは慈愛にあふれた笑みをリヴェルに向けてきた。


「大丈夫。たとえどのような事態になっても、この僕がリヴェルたちを守るからね。リヴェルはどうか、自分の神に祈っておいておくれ」


「は、はい。わかりました。……ナーニャ、絶対に死なないでください」


 ナーニャは子供のように無邪気な笑顔になりながら、「うん」とうなずいた。

 そこで、トトス車が急停止する。


「ついたぞ! おりろ!」


 兵士の手で、乱暴に扉が開かれる。

 荷台の外は、昼間のように明るかった。あちらこちらに、かがり火が焚かれていたのだ。そして、リヴェルたちの目の前に立ちはだかる巨大な塔も、すべての窓から黄金色の光をこぼしており、闇の中に燦然と浮かびあがっていた。


「すごいね。まるで神話に出てくる光の塔だ」


 皮肉っぽく笑うナーニャを先頭に、塔の入り口まで案内される。両開きの扉はすでに大きく開け放たれており、その内に居並んだ兵士たちの姿をうかがうことができた。


「ずいぶん大勢の兵士を集めたんだね。ここの守りは最低限の人数でいいと言っておいたのに……やっぱり、僕たちが逃げ出すことを警戒しているのかな」


 案内役の兵士はナーニャのつぶやきを黙殺して、「すすめ!」とがなりたてた。

 塔の内にも、めいっぱいの明かりが灯されている。一同は、前後を兵士たちにはさまれながら、石造りの階段をのぼらされることになった。


 階段は螺旋状になっており、どこまでも続いている。一階分の高さをのぼるたびに扉が現れたが、それらをすべて素通りして、兵士たちは塔の天辺を目指しているようだった。


「こんなところで、化け物どもを迎え撃つのかい。これじゃあ、逃げ場もないじゃないか」


 ぜいぜいと息をつきながら、チチアがまた文句を言っている。それを耳にしたナーニャは、軽い足取りで階段をのぼりながら、チチアのほうを振り返った。


「これぐらい頑丈な建物だったら、そうそう崩落することもないだろうしね。それに、メフィラ=ネロが操る氷雪の妖魅に、翼を持つやつはいないはずだ。メフィラ=ネロは巨人の頭に鎮座ましましているから、こちらも高い場所に陣取ったほうが、何かと有利なんだよ」


「ああもう、好きにしておくれよ。化け物退治は、あんたの専門なんだからね!」


 そんなやりとりをしている間に、ついに最上階へと到達した。

 先頭の兵士が扉を開けると、強い夜風が吹き込んでくる。かき乱される髪をおさえながら、リヴェルたちが扉をくぐると――そこからは、グワラムの城下が一望できた。


「うん。ヤハウ=フェムたちも、善戦しているようだね」


 すでに夜も深くなっているので、世界は闇に閉ざされている。

 その中で、あちこちに赤い火が灯されていた。


 あまりに高い場所にいるために、それはごく小さな明かりに見えてしまう。しかし、地上に下りたならば、それは目も眩むほどの業火であるのだろう。ひときわ激しく燃えさかっている場所では、いままさに妖魅との死闘が繰り広げられているのかもしれない。そのように考えると、リヴェルは空恐ろしい気持ちになった。


 そして、それらの火の円舞は、赤い火の輪に囲まれている。

 グワラムの外壁に灯されたかがり火が、世界を丸く切り取っているのだ。

 その輪の外は、完全なる闇である。それはまるで、世界がすべて滅んだ後に、グワラムだけが最後の抵抗を試みているような光景にも思えてしまった。


「……きさまはこのばで、メフィラ=ネロをむかえうつのだ」


 兵士の声に、ナーニャが振り返った。


「それは僕がヤハウ=フェムに提案したことだからね。もちろん、すべてわきまえているよ。……それで、君たちもこの場に居残るのかな?」


「……おれたちは、きさまのたたかいをみとどけさせてもらう」


 その場には、十名ていどの兵士たちが居並んでいた。いずれも途方もない巨躯を持つ、屈強の戦士たちである。しかし、兜の陰から覗くその面には、多かれ少なかれ畏怖の感情がたたえられているようだった。


 あらためて、リヴェルは視線を巡らせていく。

 とてつもない大きさをした、塔の屋上である。形は円状で、家の二、三軒は建てられそうなほど広々としており、周囲はぐるりと胸壁に囲まれている。その胸壁に沿って、かがり火の台座と大きな樽が、等間隔にずらりと並べられていた。


「あの樽のすべてに、油が詰められているわけだね。これならしばらくは、火種の心配もいらないだろう」


 そのようにつぶやいてから、ナーニャは手近な兵士に笑いかけた。


「メフィラ=ネロが現れたら、決して僕より前に出ないようにね。僕の炎は、味方を避けてはくれないからさ。なるべく僕からは距離を取って、かがり火や樽にも近づかないように心がけておくれよ」


 兵士は無言のまま、うなずいた。

 ナーニャもうなずき、今度はゼッドたちを振り返る。


「それじゃあ後は、メフィラ=ネロが現れるのを待つばかりだ。リヴェルとチチアをよろしく頼んだよ、ゼッド。それに、タウロ=ヨシュとイフィウスもね」


 寡黙なる戦士たちは、それぞれ目顔で応じていた。

 リヴェルにぴったりと寄り添ったチチアは、「ふん!」と鼻を鳴らしている。


「で、あの化け物女を、どうやっておびきよせるつもり? あんたのあやしい手妻で、盛大に火花でもあげるのかい?」


「僕の炎は、目の前に敵がいないと発現できないんだよ。まあ、同じ《神の器》同士、気配を辿ることぐらいはできるはずさ。この前だって、彼女は真っ直ぐ僕のところに向かってきたようだしね」


「それじゃあ、あんたにもあいつの居場所がわかるっての?」


「それが、いまはあんまり感じられないんだよね。彼女はたぶん……まだ外壁の内側には踏み入っていないんじゃないのかな」


 そこでナーニャは、いくぶん物思わしげに首を傾げた。


「それがちょっと、僕としては解せないところなんだよね。氷雪の巨人や妖魅だけじゃあ、マヒュドラ軍を一掃することはできない。それぐらいのことは、彼女にもわかってるはずなんだけど……いったい何を考えているのかな」


「ふん。あんたにわからなきゃ、誰にもわからないだろうさ」


 そのとき、重々しい音色が夜気を震わせた。

 カロンの咆哮を思わせる、低くて重い音色である。チチアは「ひっ」と咽喉を鳴らして、リヴェルの腕に取りすがってきた。


「な、何さ、いまのは? 化け物が現れたの!?」


「いまのは、マヒュドラ軍の角笛だね。いったい何を伝える合図だったのかな?」


 ナーニャが目をやると、兵士のひとりが緊迫した面持ちで、刀の柄に手をかけていた。


「てきしゅうの、あいずだ。とうのしたにまで、てきがちかづいてきたらしい」


「塔の下にまで?」とつぶやいて、ナーニャが視線を巡らせる。

 眼下に広がる光景に、変わりはない。外の側に近づくほど、炎のゆらめきは盛んであり、この塔の周囲などは小さなかがり火の明かりぐらいしか見て取ることはできなかった。


「おかしいな。小ぶりな妖魅が夜闇にまぎれて、こちらの陣を突破したんだろうか。それぐらいなら、塔の下にいる兵士たちで退治できるだろうけど……」


 しかし、角笛とやらの音色は、断続的に続いている。その音色を初めて耳にするリヴェルにも、それは危急を伝える切迫した響きであるように感じられた。


「いちおう、用心しておくといい。これは何だか……やっぱり、妙だ。メフィラ=ネロが、おかしな術でも使ったのかもしれない」


 兵士たちは色めきだって、周囲に視線を走らせ始めた。

 ナーニャはいくぶん名残り惜しげに、リヴェルの手から指先を離す。


「リヴェルたちも、気をつけて。ゼッド、くれぐれもよろしくね」


 ゼッドはうなずき、リヴェルを差し招いた。リヴェルは最後にナーニャの手を握ってから、ゼッドのそばに身を移す。リヴェルの腕を抱きすくめているチチアも自動的についてきて、タウロ=ヨシュとイフィウスがその左右をはさみこんでくれた。


 何か、嵐の前の静けさのように、あたりは静まりかえっている。

 リヴェルはそれが長くは続かないことを、直感で理解していた。ナーニャが宣言した通り、何か異変が近づいてきているのだ。この静寂が破れたとき、この場には恐ろしい凶運が到来する――それはもう、確定された事実であるようにしか思えなかった。


 そうして、のろのろと時間は過ぎていき――

 静寂は、ふいに破られた。

 何者かの発した断末魔の絶叫が、塔の上に響きわたったのだ。


 ひとかたまりになっていたマヒュドラの兵士たちが、狂乱している。それらの巨体が壁となって、何が起きているのかもわからない。ナーニャは深紅の瞳を炎のように燃やしながら、そちらを振り返った。


「そこをどくんだ! 妖魅が現れたのなら、僕が焼き尽くす!」


 マヒュドラの兵士たちは、蜘蛛の子を散らすように散開する。

 そうして、リヴェルたちの前にも、そのおぞましい光景がさらされた。


 兵士のひとりが、石造りの床に倒れ伏している。

 咽喉を引き裂かれたのか、その巨体の下には赤い血の池ができていた。


 うつ伏せに倒れたその背中に、何か奇怪なものがうずくまっている。

 その姿を目にした瞬間、リヴェルはたまらず悲鳴をあげてしまっていた。


 最初は、獣か何かかと思った。

 それは、そいつが灰褐色の毛皮の外套を纏っているためであった。

 身体は、小さい。小柄なリヴェルよりも、さらにひと回りは小さいだろう。人間の、幼子ていどの大きさである。

 そいつは、ぼうぼうと髪をのばしていた。その髪の隙間から、爛々と燃える青い瞳が覗いている。手足も胴体も細い造りで、ただ、右手に武器を握りしめている。真っ直ぐの木の棒の先端に石の穂先をくくりつけた、それは石槍であるようだった。


 そいつは毛皮の外套を纏い、原始的ながらも武器を携えていたのだ。

 それはつまり、そいつが何らかの知性を有しているということだった。

 外見上も、人間としか思えない。毛が生えているのは頭だけで、顔も手の先もつるりとしている。頬や手の甲に奇妙な紋様が見え隠れしているのは、刺青か何かだろうか。


 しかしリヴェルには、それが人間であるなどとは信じることができなかった。

 何故なら、そいつは――髪も肌も、くすんだ青色をしていたのである。

 そして、幼子のように小さなその面は、飢餓に狂った野獣のように引き歪められており、人間らしい知性などは微塵も感じられなかった。


「なんてことを……メフィラ=ネロは、大神の民を目覚めさせてしまったのか」


 ナーニャが、囁くようにつぶやいた。

 半ば無意識にそちらを振り返ったリヴェルは、鋭く息を呑む。ナーニャの深紅の瞳には、かつてなかったほどの瞋恚の炎が燃えていた。


「大神はいまだ目覚めていないのに、その子たる大神の民を目覚めさせてしまうなんて……どうしてそんな、惨いことができるんだ。《まつろわぬ民》は、自分の穢れた望みを成就させるために、大神の民をも犠牲にするつもりなのか」


 そのとき、小さき人獣が咆哮をあげた。

 その顔はますます醜悪に引き歪み、白い歯を剥き出しにしている。犬歯が異様に発達しており、まるで牙のようだった。


「やめるんだ。僕は、君たちとは争いたくない。君たちは、まだ眠っているべきなんだ」


 ナーニャの声が、怒りとは異なる響きを帯びる。

 それは頑是ない、悲哀に満ちみちた声であるように思えてならなかった。


 青き人獣は再び咆哮をあげ、兵士の背中の上で身を屈める。

 次の瞬間、人獣はナーニャに襲いかかっていた。


 まさしく獣のごとき俊敏さである。

 空中で、人獣が石槍を振りかざした。

 その穂先が、ナーニャの頭上に振りおろされようとした瞬間――横合いから飛来した炎の竜が、人獣の矮躯を呑み込んだ。


 炎の濁流に巻き込まれた人獣は、断末魔の尾を引きながら、塔の下に落ちていく。

 ナーニャは白い咽喉をのけぞらして、天空に向かって叫んだ。


「僕は今度こそ、確信した! やっぱり、君たちは間違っている! 聖域の中で平和に暮らしていた大神の民を、こんな益体もない陰謀に巻き込もうだなんて……そんなこと、絶対に許されないんだ!」


 ナーニャの声に、誰かの悲鳴がかぶさった。

 そちらに目をやったリヴェルは、もはや悲鳴をあげることもかなわず、立ち尽くす。


 闇の中に、青い眼光がいくつも浮かびあがっていた。

 石槍の柄を口にくわえた人獣たちが、次から次へと胸壁を乗り越えてきたのである。

 そうして石造りの床に降り立った人獣たちは、石槍を手に移しかえて、獣のように雄叫びをあげる。彼らは虚空から生まれ出たのではなく、塔の外壁をよじのぼってこの場に現れたのだ。


「……君たちは、聖域を離れてしまった。大神アムスホルンが目覚めるまで、決して聖域を離れないと約定を交わしたのに……《まつろわぬ民》に、騙されてしまったのだね」


 ナーニャの声からは、すべての感情が欠落してしまっていた。


「本当に、心の底から気の毒に思うよ。僕やメフィラ=ネロのせいで、四大神の加護がほころびて、君たちを中途半端に目覚めさせてしまったのだろう。いまはまだ、君たちが目覚めるべき時代じゃないんだ」


 人獣たちは、金切り声のような咆哮で、それに応じている。

 ナーニャは深紅の瞳を激情に燃やしながら、彼らを差し招くかのように両腕を大きく広げた。


「君たちから幸福な行く末を奪った《まつろわぬ民》は、僕が必ず叩きのめしてみせよう。それが……僕にできる、せめてもの罪ほろぼしだ」


 十体以上にも及ぶ人獣たちが、いっせいに石槍を振りかざした。

 そうして、殺戮の幕が切って落とされたのだった。

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