Ⅱ-Ⅳ 宮廷の茶番劇
2017.12/28 更新分 1/1
レイフォンが再び新王の御前に招かれたのは、月が変わって最初の日のことであった。
朱の月の一日。王都に召集されてからは、すでに十日以上が経過している。
新王から託された仕事も順調に片付いていき、ついに昨日からは銀獅子宮の再建工事が開始されることになった。が、ひとつの仕事に目処がつくとまた新たな仕事が持ち込まれて、執務の卓に分厚い書面が重ねられていく。ティムトがこれほど優秀でなければ三日で頭が破裂してしまったのではないか、というぐらいの酷使っぷりであった。
そんな激務の合間をぬって小休止にお茶を楽しんでいたところで、謁見の間に呼びつけられてしまったのだ。
しかし、ティムトを置いて王との謁見を果たす気持ちにはなれなかったので、もちろんこの際も同行を頼んでいる。「これ以上、仕事が増えることはないでしょうね?」とティムトはたいそう不機嫌そうであったが、そのようなものはすべて王の心持ちひとつであった。
「ご苦労であるな、レイフォンよ。何も不自由はしておらぬか?」
「もちろんでございます、陛下」
本日も、新王ベイギルス二世のそばには三名の腹心の姿があった。
すなわち、十二獅子将のジョルアンとロネック、および神官長バウファである。
こちらはティムトのみをかたわらに従えて、レイフォンは恭しく頭を下げてみせる。
「其方のおかげで、無事に銀獅子宮の再建工事を開始することがかなった。作業の完了にはどれほどの時間がかかるのであろうかな?」
「はい、予定では黒の月となっております、陛下」
「なんと! 黒の月といえば……まだ六月も残されているではないか?」
「はい。セルヴァ王家の象徴たる銀獅子宮の再建ともなれば、使う石材のひとつひとつにも入念な吟味が必要となりますゆえ、どうしてもこれほどの時間が必要とされてしまうのです」
なおかつ、マヒュドラやゼラドに攻め込まれれば、再建作業どころの話ではないですけどね、とティムトは執務室でこっそりぼやいていた。
グワラムでの戦が終わったばかりのマヒュドラはともかく、もう一年ばかりも動きを潜めているゼラド大公国があと半年も大人しくしていようなどとは、レイフォンにもとうてい思えなかった。
「なんとも待ち遠しい限りであるな。……そして、戴冠の祝宴については、いまだ日取りを決められぬとのことであったか?」
「はい。先日ようやくジェノスからの使者が戻ったので、あとはアブーフからの使者が戻るのを待ち、それで貴賓の到着に合わせて日取りを決定したく思います」
が、ジェノスやアブーフから荷車で王都を目指すには、最低でもひと月ぐらいはかかってしまう。現にジェノスから戻った使者からも、貴賓の到着は来月の半ばと聞いていた。祝宴など、来月の内に開催できれば上等、といったところだろう。
(土台、セルヴァは領土を広げすぎたんだよ。トトスの荷車でひと月ということは、徒歩ならその倍もかかるということじゃないか。それなら南の王国ジャガルのほうが、よほど近いぐらいだ)
それだけ遠いジェノスやアブーフは、もはや配下ではなく友国のようなものである。もしもその領地を支配する城主たちがゼラド大公のように野心を抱けば、独立国家を僭称することも容易であるはずだった。
(しかしまあ、アブーフは王都の助力なくしてマヒュドラを退けることもかなわないし、ジェノスは現状でも優雅な暮らしを満喫していると聞く。同じ西方神の子として、そうそう独立など目指すことはないだろう。……この新王陛下が、何か無茶な真似を仕掛けなければだが)
どうにも御前では言いたいことも言えぬため、内心での独り言が多くなってしまうレイフォンであった。
そんなレイフォンに、ベイギルス二世はまた笑いを含んだ声を投げかけてくる。
「時に、レイフォンよ、ついにディラームが武官として復帰する気持ちを固めたそうだな」
「……はい」とレイフォンはうなずいてみせる。
やはり、その件で召集されたのだ。
こっそりうかがってみると、神官長は満足そうに微笑んでおり、二名の元帥はそれぞれ渋い面持ちをしていた。
「其方はここ数日、毎日のように寝所を訪れて、ディラームの弱り果てた心を励ましていたと聞く。セルヴァきっての知略家であるに留まらず、其方は情にも厚い人間であったのだな」
「恐れ多きことながら、ディラーム老とは浅からぬ縁もありますゆえ、このまま朽ちさせるにはあまりに心惜しく思った次第でございます」
「うむ。六名もの十二獅子将を失った現在、ディラームの復帰はまたとなき力をアルグラッドにもたらすであろう。其方の尽力には、余も強い感銘を受けている」
バウファが述べていた通り、ディラーム老の復帰に関しては新王も文句はないらしい。
では、若き元帥たちの心境は如何なものなのか――と、レイフォンが考えたところで、その片方が「陛下」と声をあげた。
「ぶしつけながら、発言を許していただきたく存じます。……ディラーム老の復帰はまことに喜ばしいことながら、その、今後の処遇に関してはどのようなお考えであられるのでしょう?」
生白い顔色をした痩身の男、ジョルアンである。
対照的にでっぷりと肥えた王は、にやにやと笑いながらその姿を見返している。
「今後の処遇とは? ディラームが復帰することにより、何か不都合でも生じるのか?」
「不都合というわけではございませんが……十二獅子将の欠員に関しましては、すでにわたしとロネック殿で案を巡らせているさなかでありました。それは他ならぬ陛下からのご命令で取り組んでいた儀なのですが……」
「むろん、いったん退いたディラームをただちに十二獅子将として扱う法はない。……ディラームよりも十二獅子将に相応しい人間がそろっているならば、であるがな」
焦燥の色を隠せないジョルアンに対して、新王は余裕の表情である。
何というか、ジョルアンの焦る様子を楽しんでいるかのようにも見える。
「アルグラッド軍の再編成に関しては、レイフォンにも力を尽くしてもらっているはずであったな。其方はどのように考えているのだ、レイフォンよ?」
「は……」とレイフォンはティムトの姿をちらりと盗み見る。
もちろんティムトは、お行儀のよい表情で目を伏せているばかりであった。
「ジョルアン殿とロネック殿の推挙される方々のお名前は拝見いたしました。私はそこに、三名の名前をつけ加えさせていただきたく思っているのですが」
「ほう、三名。かまわぬから、この場でその名を告げてみよ」
「恐れいります。私が新しき十二獅子将に相応しいと思うのは、ダリアスの副官ルイド殿、アローン殿のご子息イリテウス殿、そしてこのたび武官に復帰されたディラーム老の三名でございます」
「ほう」と新王は肘掛けにもたれて、肥えた身体を傾けた。
その脂ぎった眼差しが、ねっとりとレイフォンにからみついてくる。
「ディラームに関しては聞くまでもないが、残りの二名に関してはどのような理由から十二獅子将に相応しいと考えたのであろうかな?」
「はい。ルイド殿はダリアスがヴェヘイム公爵領に派遣される前からの副官であり、数多くの戦いでセルヴァの安寧を守って参りました。私も何度かご挨拶をさせていただいたことがありますが、王家に対する忠義の心も厚く、武人としての力量にも申し分はありません」
「ふむ。それでは、イリテウスは? あの者は十二獅子将たるアローンの子息でありながら、いまだ百獅子長の身に甘んじていたはずであるな」
「ええ、ですがそれは、アローン殿があえて我が子を危険な百獅子長の座に置き、戦の苛烈さを芯から叩き込むための処遇であったと聞き及んでおります。そうであるからこそ、アローン殿もご自身が団長をつとめる防衛兵団ではなく、遠征兵団の将たるディザット殿にご子息の身柄をお預けになられたのでしょう」
そこで、ジョルアンがせわしなく口をはさんできた。
「しかし、ルイドなる者は王命に逆らって行方をくらませたダリアスの配下であった人間でありますし、イリテウスなどはまだ二十にも満たぬ若輩に過ぎません。どちらも十二獅子将には相応しからぬお立場ではないでしょうか?」
「そうでしょうか? ダリアスに関しては失踪の理由も判明はしておりませんし、副官たるルイド殿には何ら罪はないように思いますが。……そういえば、ルイド殿はヴェヘイムから召還されて、いまだこのアルグラッドに身を置かれておられるのでしたね」
そしてその後任は、他ならぬジョルアンの副官が務めているのである。
「王命に逆らってとジョルアン殿は仰られましたが、ダリアスは城下町に出かけると言い残して、そのまま姿を隠してしまわれたのです。これがもし、王都に向かう途上で賊にでも襲われて生命を落とされることになった、というような話であれば、ダリアスにもルイド殿にも罪はありませんでしょう?」
「……自分の都合で任地を離れたあげく、賊に襲われて生命を落とすなどというのは、十二獅子将にあるまじき失態ですな」
「はあ。それでその失態の責は副官のルイド殿にまで及んでしまうものなのでしょうか?」
これはティムトに教え込まれた言葉ではなく、レイフォン自身の素朴な疑念であった。
余計な口は叩かないほうがよかったかな、とも思ったが、ジョルアンはそれで口惜しげに黙り込んでしまった。
「其方の弁はわかった。しかし、それらの者はジョルアンらの挙げた者たちよりも十二獅子将に相応しいのであろうかな?」
すると今度は、ベイギルスが声をあげてくる。
記憶違いを起こさぬよう頭の中を整理しながら、レイフォンは「はい」とうなずいた。
「ジョルアン殿とロネック殿は、七名の御方の名前を挙げておられましたね。まず両元帥の副官に、このたびの災厄で身罷られたアローン殿の副官、病死されたウェンダ殿の副官、あとは千獅子長から三名で、合計七名です。ルデン元帥、ディラーム老、ディザット将軍の副官はそれぞれ生命を落とされてしまいましたし、叛逆者たるヴァルダヌスの副官を十二獅子将に昇格させることなど望むべくもないでしょうから、そこに千獅子長をあてがおうというのは至極もっともな話だと思われます」
ただし、まだ健在である他の十二獅子将の副官を差し置いて千獅子長などを推挙するのは、いささか筋が通っていないのではないか――という言葉は、あえて口にせずにおく。言っても無駄な反感を買うだけだとティムトにたしなめられていたのだ。
「ですが、ダリアスの副官たるルイド殿はご存命ですし、イリテウス殿は若輩ながらも強き力と高潔な魂を持つ武人です。さらにディラーム老までもが復帰された今、あえて千獅子長に大役を担わせる必要はないのではないでしょうか?」
「では、三名の千獅子長をそっくりその三名に入れ替えようという心づもりなのか!」
そのように叫んだのは、ジョルアンであった。
御前ということも失念して、すっかり取り乱してしまっている。
そこに、野太い笑い声が響きわたった。
ずっと黙していたもう一人の元帥、ロネックである。
「なるほどな。言われてみれば、王都を一歩も出たことのない名ばかりの千獅子長よりは、ダリアスの副官やアローン殿の子息のほうが、まだしも将の名に値するやもしれん。たしかアローン殿の子息などは、剣闘の大会でもそれなりの結果を残していたのではなかったか?」
「はい。昨年の剣技会においては、第四位の勲を賜っておりましたね。第一位の勲を賜ったヴァルダヌスに敗北されたようです」
「ふん。あやつが消し炭になっていなければ、今年こそ俺が討ち倒してくれたがな」
ロネックは憎々しげに口もとをねじ曲げながら、そのように言い捨てた。
その闘技会で第二位の勲を賜ったのは、他ならぬこのロネックであったのだ。
彼はジョルアンとは正反対で、剣士としても一流の部類であった。ただし、あまりに粗暴であるため、前王からはひどく疎まれていた。また、敵軍に対しての非道な行いから、《アルグラッドの毒爪》などという不名誉な二つ名まで与えられてしまっている。
外見は、天をつくような大男である。年齢はまだ三十に届かぬ若さであるはずだが、鼻面の潰れたムントのような面立ちで、顎にはごわごわとした髭をたくわえている。蛮族たる北の民にも力負けしないという評判の、彼は歴戦の勇士であった。
「ともあれ、俺とて伊達や酔狂で千獅子長の名を挙げたわけではない。きゃつらを退けてその三名を十二獅子将に任じたいというのなら、それ相応の手並みを見せてもらいたいところだな。……もっとも、そやつら以上に勲のない防衛兵団の連中とすげ変えたい、という話であるならば、俺が口を出す筋合いもないが」
「な、何を仰っておられるのですか! かの者たちの人選には、ロネック殿も同意していただけたでしょう?」
慌てふためいたジョルアンの声に、ロネックは「はん」とせせら笑う。
「それはお主がどうしてもと言い張っていたからに過ぎん。この王都でふんぞり返っているばかりであった防衛兵団の腰抜けどもが、戦場でまともに戦えるのか? 相手は野盗やかっぱらいではなく、マヒュドラの蛮族やゼラドの兵士たちなのだぞ?」
「いや、しかし――!」
「いっそのこと、お主の副官も引っ込めてやればどうだ? さすれば千獅子長と合わせて二つの席が空く。ヴェヘイムの若君も誰か一人をあきらめてくれれば、それで八方丸く収まるではないか」
「な、何故にロネック殿の配下たる千獅子長を残したまま、わたしの副官までをも退けなければならないのですか!? ただでさえロネック殿は二名もの千獅子長をねじ込んでいるというのに――!」
「ねじ込むとはまた人聞きが悪い。俺は俺の配下から十二獅子将に相応しい人間を推挙しただけだ」
とうてい御前とも思えぬ、浅ましい言い争いであった。
しかし、新王は愉快げに笑っているばかりであるし、神官長は素知らぬ顔でそのやりとりを見守っている。
要するに、彼らは十二獅子将の欠員に自分の部下をあてがおうと躍起になっているのである。
レイフォンとしては、溜息をこらえるのに相応の努力を強いられることになった。
「其方たちの言い分はよくわかった。レイフォンも含めて、それぞれ一理のある申し出なのだろうと思う」
やがて新王は、悠揚せまらず元帥の言い争いを両断した。
「しかし、どうであろうかな……まず、ルイドなる者であるが、やはり事情も判然とせぬ内に十二獅子将の勲を与えるわけにもいくまい。もしもダリアスがヴァルダヌスと共謀していたならば、その副官も何らかの形で力を貸していたのかもしれんのだからな。その疑いが完全に晴れるまでは、自重するべきであろう」
「は……」
「そしてアローンの子息たるイリテウスもな。たとえ父親から武人の魂と力量を受け継いでいたとしても、百獅子長の身分であったという事実は動かせん。まずは千獅子長か、あるいは十二獅子将の副官にでも任じて、さらなる成長を求めるべきであろう」
新王は、逆の側に身体を傾けながら、ゆったりとした口調で言葉を重ねた。
「よって、レイフォンの挙げた三名の中では、ディラームのみが十二獅子将の座に相応しいように思える。老いたりとはいえ百戦錬磨のディラームならば、少なくとも千獅子長よりは将としての力を期待できよう。……どうかな、レイフォンよ?」
「陛下のご慧眼には感服するばかりであります。また、自分の至らなさに身の縮む思いでございます」
「よい。武官ならぬ其方に軍の再編成を任じたのは余であるのだからな。其方は期待以上の働きを見せてくれているのだから、何も恥じる必要はない」
新王は満足そうに口もとをゆるめながら、粘ついた視線を元帥たちのほうに差し向けた。
「それでは、ディラームの代わりに千獅子長をひとり退けねばならぬところであるが……いったいどうしたものであろうな?」
さすがに王が相手では、元帥たちも迂闊に口を開くことはできなかった。
それをまた満足そうに確かめてから、王はレイフォンに視線を戻してくる。
「ここは公正なる立場から、レイフォンの言葉を聞いてみるか。三名の千獅子長の内、退けるに相応しいのは誰であろうかな?」
「は……私はロネック殿の配下たる千獅子長を一名、退けるべきと愚考いたします」
「ほう」とロネックが底光りのする目でレイフォンをねめつけてくる。
まさしく毒の爪の異名に相応しい、禍々しい眼光である。
何て嫌な役回りだろう、とレイフォンはまた溜息を噛み殺すことになった。
「俺の下で育った千獅子長は、いずれも遠征兵団で腕を磨いてきた自慢の猛者どもだ。実戦の何たるかも知らん防衛兵団の千獅子長と並べて、いったいどこに劣る面があるというのか、明確な理由があるならば聞かせてもらいたいものだな。……よもや、俺とジョルアンから一名ずつの千獅子長を出したほうが公平である、などという世迷いごとは抜かすまいな?」
「無論です。私がそのように考えたのは、その勇猛なるロネック殿の部下たちに相応しい働きを求めているゆえですよ」
少しでもロネックの怒気をそらせないものかと、レイフォンは穏やかに微笑んでみせた。
が、どうやら逆効果であったようで、ロネックはいっそう物騒な感じに両目を光らせてしまう。
「また、それは十二獅子将の役割を吟味した結果でもあります。今さら確認するまでもありませんが、十二獅子将に与えられているのは、全軍を率いる元帥の座が二席、遠征兵団の将の座が三席、防衛兵団の将の座が二席、そして五大公爵騎士団の将の座が五席という内容になっておりますね?」
「ふん、本当に今さらの話だな」
「はい。それで空席となった座をそれぞれの副官で埋めたとすると、後に残るのは遠征兵団の将の座が二席と、ルアドラ騎士団の将の席のみ――ああ、現在そちらはジョルアン殿の副官が統括されているというお話でありましたが、便宜上、副官殿は第二防衛兵団長の座をジョルアン殿から引き継ぐ、という風に仮定させてください。のちのち、副官と千獅子長のどちらをルアドラ騎士団の将に任命するかはジョルアン殿の自由ですので」
「う、うむ」とジョルアンは鼻白んだ様子でうなずいている。
いったいどのような方向に話が転んでいくのかが予想できなくて、警戒しているのだろう。レイフォン自身、そこまでしっかりティムトの論法を理解しきれているわけではなかった。
「それらの三つの空席に対して、誰をどのように配置するか、という話になるわけですが――ディラーム老が復帰されるとなると、これはもう遠征兵団の将としてしか考えられないでしょう。若き頃はヴェヘイム騎士団を統括されていたディラーム老でありますが、その勇将としての力量は遠征兵団を率いてこそ十全に発揮されるものであると思われます」
「うむ……」
「すると残るは、遠征兵団の最後の将と、ルアドラ騎士団の将の席のみ。そうして五大公爵騎士団というのは、原則として専守防衛――外敵を迎え撃つために領土を離れることはあっても、国境付近まで兵を進めることはありえません。防衛兵団が王都アルグラッドを守るために存在するのと同じように、五大公爵騎士団は公爵領を守るために存在するのです」
「だからそれが何だというのだ? そのていどのことは、どんな新兵の小僧でもわかりきっているだろうさ」
「はい。ですから、ルアドラ騎士団の将に相応しいのは誰か、というお話です。遠征兵団の将であられたロネック殿と、防衛兵団の将であられたジョルアン殿と、いったいどちらの配下たる千獅子長がその役割に相応しいか――」
「ふん。俺の下にある千獅子長ならば、どのような仕事でもこなしてみせるだろうさ」
「ですがそれでは、元帥となられたロネック殿の下で働くこともかなわなくなってしまいます」
それでようやく、ロネックの表情に変化が生じた。
レイフォンの――つまりはティムトの書いた筋書きが理解できてきたのだろう。
「これまでロネック殿が率いてきた部隊は、きっと副官の御方にゆだねられるのでしょう。なおかつ、千獅子長の一名は、ディザット殿かヴァルダヌスの率いていた部隊を率いることになるのだと思われます。その両名は新しき十二獅子将として、また、ロネック殿ご自身も新しき元帥として、それぞれの副官や参謀を育成せねばなりません。その中で、もう一名の千獅子長を十二獅子将に昇格させてしまったら、ロネック殿の育ててきた部隊もさすがに力を失うことにはならないでしょうか? 私はそれを危惧しているのです」
「…………」
「また、最後に残された十二獅子将の席は、ルアドラ騎士団の長です。遠征兵団にて輝かしい武勲を誇ってきたロネック殿の配下に与えるには、いささか不相応な座ではないでしょうか? ルアドラの地を守るために遠征兵団の戦力を犠牲にするというのは、あまりに惜しいように思えてしまうのです」
「……確かにな。ゼラドの恥知らずどもが攻め込んでくるまで出番がないとあっては、どの千獅子長を選んでも無聊をかこつこととなろう」
そのように述べて、ロネックはにやりと野獣のように笑った。
自分が育てた千獅子長に十二獅子将としての誉れを与えてルアドラの地に置くか、あるいは千獅子長のまま自分の下に置いておくか、損得勘定を巡らせた結果であろう。
「了承した。ルアドラの門番役など、防衛兵団あがりの千獅子長にでも任せておけばいい。それぐらいの役ならば、どのような柔弱者でもつとまるだろうさ」
この言葉を受けて、ジョルアンは「ははは」と乾いた笑い声をあげた。
しかし、自分の部下が首尾よく十二獅子将の勲を賜れそうなので、ほっとしているようにも見受けられる。こちらはこちらで、武勲などよりも役職の高さを重んじているのだろう。
(なるほどね。両元帥の気性を吟味した上での筋書きであったというわけだ)
胸中で感心しつつ、レイフォンはまたティムトの横顔を盗み見た。
しかしやっぱり、聡明なる少年は何の感情も見せずに目を伏せている。何もかもが自分の思惑通りに進んでいるというのに、ちっとも喜んでいる感じはしない。
最初にルイドやイリテウスといった者たちの名前を挙げたのも、もちろんティムトの指示である。
そしてまた、その提案が退けられるというところまで、ティムトの筋書き通りであった。
ディラーム老ただひとりを十二獅子将に推挙したのでは、両元帥から激しい抵抗を受けるかもしれない。その矛先をそらすために、ティムトはそのような計略を巡らせたのだ。
「いちどきに三名もの人間を推挙して、その内の二名をすみやかに引っ込めれば、残りの一名に関しては提案が通りやすくなるでしょう? 向こうは向こうで三名中の二名を退けてやったという勝利感を得られますから、大きな不満を抱くことなくディラーム老の復帰を認めてくれるだろう、ということです」
レイフォンがしつこく詳細を尋ねると、ティムトはたいそう面倒くさげな面持ちでそのように説明してくれたものであった。
ちなみに、ルイドとイリテウスの両名は、のちのちディラーム老の率いる部隊に招き入れようという算段まで立てているらしい。かえすがえすも、レイフォンには計り知れない裁量であった。
ともあれ、話はまとまった。
盤上遊戯でも見物しているような様子であった新王も、満足そうにうなずいている。
「では、その形で再編成を進めるがよい。いつゼラドの叛逆者どもが軍を進めてくるかもわからぬのだから、ゆめゆめ油断なきようにな」
二名の元帥たちとともに、レイフォンは拝命の礼を取った。
これでようやく解放か、とレイフォンはこっそり肩の力を抜く。
そこに、王のさらなる言葉が響いた。
「ところで、レイフォンよ。実はこのたび、不穏な噂が王都にまで届いてきたのだが」
「は、不穏な噂でございますか?」
「うむ。かの災厄をもたらした廃王子が実は生きていて、ひそかに兵を募っているという噂だ」
それはまた、後頭部をしたたかに殴られるような内容であった。
思わず言葉を失うレイフォンに、王はねっとりと笑いかけてくる。
「まったく真偽は定かではないのだがな。しかし少なくとも、セルヴァの第四王子を名乗る者が王国の版図を闊歩していることに間違いはないようだ。……お主はどのように思うのであろうかな?」
「それはまた……あまりに突拍子もない話でありますね。そのような噂が、いったいどこから?」
「王国の中央部、シャーリ河の南方あたりという話だ。そちらの区域に出向いていた使者が、道すがらで耳にしたとのことであったな」
それはずいぶん遠方の話である。王国の中央部であれば、徒歩でひと月、荷車で半月、トトスの単騎で十日ばかりもかかる計算だ。
しかしまた、災厄の日からはすでに二十日ほどが経過している。徒歩でなければ、王都を脱出した廃王子が辿り着けぬ距離ではない。
(だけど、そんなことがありうるのだろうか?)
銀獅子宮は炎に包まれ、崩落の寸前までカノン王子の笑い声は高らかに響いていたという話であるのだ。そこから脱出することなど、ティムトの言う通りあやしげな魔術でも駆使しなければ可能とは思えない。
「その不埒者が本物であれ偽物であれ、王家の名を名乗っている以上、捨ててはおけまい。……しかし、我が軍はグワラムでの戦いを終えたばかりで深く傷ついてもいる。このような時期に兵を割くのが正しいのかどうか、いささかならず余も判じかねているのだ」
そのように述べながら、王はたるんだ頬を撫でさすっている。
その小さな瞳は、いよいよ脂っこくてらてらと照り輝いていた。
「賢明なる其方であれば、どのような判断を下すのであろうかな。真偽を確かめるために兵を差し向けるべきか、あるいは軍の再編成がしかと終わるまで静観するべきか……意見を聞かせてもらいたい」
レイフォンは窮地に立たされてしまった。
このような場では、ティムトに意見を聞くこともできない。かといって、返事を先のばしにすることも許されないだろう。
考えに考えたすえ、レイフォンは決断した。
「私であれば――そのような不埒の輩は、すぐさま討伐するべきだと考えます」
「ほう。四千もの兵と六名もの十二獅子将を失ったばかりのこの時期に、軍を動かすべきであると?」
「はい。そのような輩を捕らえるのに、それほど大がかりな討伐隊は必要ないでしょう。大罪人たる廃王子の名を騙って兵を募ったところで、それに応じるような人間はそうそう存在しないでしょうから」
「うむ。使者の持ち帰った話によると、せいぜい大規模な野盗の群れに等しい集まりであるようだな。人数は、およそ百名といったところか」
「ならば、数個の中隊で十分なのではないでしょうか。万が一にもそれが討ち破られたときは、それこそ数千の軍勢を動かす必要も出てくるやもしれませんが」
「うむ……」とベイギルス二世は満足そうにうなずいた。
そして、ロネックのほうに視線を差し向ける。
「それではその任はロネックに託すこととする。元帥がみずから出陣する必要はあるまいから、千獅子長に命じて半個大隊の討伐部隊を編成するがよい」
「勅命、賜りましてございます」
半個大隊といえば、五百名の軍勢だ。
王都の軍としては小規模なものであるが、相手が野盗の群れに過ぎないのであれば、十分に使命を果たすことがかなうだろう。
「では、レイフォンは下がるがよい。引き続き執務に励んでもらいたい」
「はい、失礼いたします」
それで今度こそ、レイフォンとティムトは解放されることになった。
小姓は部屋に置いてきたので、帰り道は二人きりだ。白牛宮に向かって歩を進めながら、レイフォンは我慢に我慢を重ねていた溜息をつくことができた。
「やれやれ、すっかり肩が凝ってしまったよ。……ねえ、ティムト、私はとんでもない間違いを犯してしまったりはしなかったかな?」
「とんでもない間違い?」
「うん、最後の質問だよ。兵を出すか出さざるかって、あんな重大な質問をいきなり投げかけてくるなんて、まったくひどい話じゃないか」
ティムトはまったく共感してくれた様子もなく、ほっそりとした肩をすくめていた。
「べつだん、どうということもないでしょう。でも、レイフォン様はどうしてあのような返事をされたのですか? 僕はちょっと意外でした」
「うん? それはまあ、私だったら兵など出すべきではない、と思えたからさ。その逆の言葉を口にすれば、ティムトに叱られることはないのかなと考えたんだ」
ティムトは呆れ返った様子で、まじまじとレイフォンの顔を見つめ返してきた。
「すごいですね……レイフォン様は、ついにそこまで主体性というものをなくしてしまわれたのですか」
「そりゃあまあ、ティムトの考えた筋書きを乱したくはなかったからね。それじゃあ私はティムトに叱られずに済むのかな?」
「叱るも何もありませんよ。どうせ王は最初から心を決めていて、ただレイフォン様の考えを探ろうとしただけなのでしょうから」
「私の考え? 私は何も考えちゃいないけど」
「そうでしょうかね。レイフォン様は、兵を出すべきではないと考えたのでしょう? そうしてレイフォン様がカノン王子に与するような発言をしないかどうか、王はそれを確認したかったのですよ、きっと」
「なるほど」とうなずきかけてから、レイフォンは「え?」と目を丸くする。
「ちょ、ちょっと待っておくれよ。それじゃあもし私が兵を出すべきじゃないと答えていたら、新王陛下に叛意ありと見なされていた、ということかい?」
「そのように思われずに済んで幸いでしたね」
歩きながら、レイフォンはもう一度溜息をもらした。
「そんな風に家臣の忠義心を試すのはよくないことだよ。陛下はいったい何を考えておられるのだろうね?」
「さあ? とりあえずは玉座の座り心地を満喫しているのではないでしょうかね。レイフォン様のみならず、ジョルアン将軍やロネック将軍の心情を弄んで悦に入っておられる様子でしたし」
「ああ、あれも何だかおかしな構図だったね。いったい誰と誰が仲間であり敵であるのか、私はだんだん混乱してきてしまったよ」
「情報が出そろわない内に答えを求めても意味はありませんよ。時が満ちるまでは、ひたすら堪え忍ぶのみです」
「時が満ちるまではねえ。……しかし、もしもカノン王子が生きていたとしても、五百の兵を差し向けられたら危ういだろうね?」
ティムトはちょっと考え深げな面持ちになり、それから言った。
「あれはたぶん、偽物ですよ」
「偽物? 誰かが王子の名を騙っているというのかい? どうしてまた?」
「僕に問われても知りませんよ。でも、兵を募るぐらいなら、真っ直ぐゼラド大公国にでも逃げ込んだほうがまだましでしょう。王子が叛逆行為に及んだという話はセルヴァ全土に通達されているのですから、ゼラド以外の場所で満足な兵力を集められるとは思えません」
「うーん、だけど、前王を弑したのがカノン王子でないならば、ありえない話ではないんじゃないかな? 自分は陰謀に巻き込まれただけなのだと主張して、正当なる立場を求めることもできそうじゃないか」
「そうだとしても、偽物ですよ。僕はそう思います」
そのように述べて、ティムトは物思わしげに目を伏せた。
「僕が王子の立場であったら、きっと兵を募ったりはせず……そうですね、おそらくは西の王国を出ようとするでしょう。生まれた瞬間から王位継承権を剥奪されて、神殿に幽閉されて、あげくの果てに陰謀に利用されてしまうだなんて、そんなのあまりに馬鹿馬鹿しすぎて、西方神の子であることに嫌気がさしてしまいますよ」
「それはまた、ティムトにしてはずいぶんと感情的な物言いだね。理論立っているようで、ちっとも理屈が通っていないし」
怒った顔で、ティムトがにらみつけてくる。
それに向かって、レイフォンは笑いかけてみせた。
「でも、私も同じ意見かな。だからこそ、ティムトらしくないと感じてしまうんだけど。……それじゃあロネック将軍の配下に討伐されるのは哀れな王子の偽物と信じて、私たちは私たちの仕事を果たそうか」
「レイフォン様は、何の仕事も果たしてはいないではないですか」
「美味しいお茶をいれるぐらいならできるよ。今日はアロウとチャッチのどちらにしようかな」
そうしてレイフォンとティムトは、この王都で与えられた日常へと回帰していった。
その間にも、運命の歯車はゆっくりと動き続けている。しかし、占星師でも魔術師でもない彼らには、その音色を聞き取ることなどかなうはずもなかったのだった。