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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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Ⅰ-Ⅳ 前夜

2019.1/12 更新分 1/1

 四日の日が過ぎ去って、黄の月の十二日である。

 それは、メフィラ=ネロが再訪すると告げた日の、前日であった。


 すでにとっぷりと日は暮れて、室内には燭台の火が燃やされている。

 その場で卓を囲んでいるのは、六名――ナーニャ、ゼッド、チチア、タウロ=ヨシュ、イフィウス、そしてリヴェルという顔ぶれであった。


「明日からは、この六名でずっと行動をともにすることになる。どのような騒ぎになろうとも、決してはぐれないように心がけてほしい」


 とても静かな笑みをたたえたナーニャが、一同の姿を見回しながら、そのように述べたてた。


「メフィラ=ネロが間近にまで迫ったら、僕がひとりで応戦することになるけれど……それまでは、ずっと一緒だ。特にリヴェルとチチアは身を守るすべも持たないんだから、くれぐれも気をつけてね」


「ふん。言われなくたって、こんな馬鹿げた騒ぎで魂を返すのは御免だよ」


 リヴェルの隣に座したチチアが、べーっと舌を出す。その瞳にはわずかに不安げな光が瞬いていたものの、しっかりと覚悟は固まっているらしい。リヴェルとて、いよいよ明日にメフィラ=ネロが再来するのかと思うと、背筋が寒くなる心地であった。


「僕の役割は、言ってみれば囮役だ。メフィラ=ネロは、まず僕の存在をどうにかしてから、グワラムを滅ぼそうとするだろう。僕に向かってくるメフィラ=ネロや妖魅に対して、横合いからヤハウ=フェムの軍が攻撃を仕掛けるという算段だ。……セルヴァの軍が間に合っていたら、いっそう効果的だったのだけれども、こればかりは明日を待つしかないね」


 セルヴァの各領地には事情を伝えて、援軍の要請をしていたが、返答があったのは最も近在であるタンティのみであった。他の領地は距離がありすぎて、使者が往復することもかなわなかったのだろう。

 そしてタンティの領主からも、援軍を確約されたわけではない。「当日に、真実を見極めさせてもらう」という一文が、書面で届けられたのみなのである。


「まあ、敵対国であるマヒュドラからの援軍要請なんて、そう簡単には了承できないのだろうね。しかも相手が妖魅の集団だなんて聞かされたら、なおさらさ」


 しかしそれでも、使者として派遣された西の民たちは、その目でメフィラ=ネロや妖魅どもの姿を見届けている。彼らはもともとグワラムで虜囚の憂き目にあっており、ベルタの先導で逃亡をはかっていた最中に、メフィラ=ネロの襲撃を受けることになったのだ。

 そんな彼らの恐怖心が伝われば、領主たちの心を動かすこともできるかもしれない。それがナーニャの算段であったが、いまのところはどのような結果に転ぶのかも判然としなかった。


「きっとこの十日間で、メフィラ=ネロはこれまで以上の力を身につけているだろうからね。グワラムに駐屯するマヒュドラ軍だけでは手に負えないだろうから、何とか援軍を期待したいところなのだけれど……こればっかりは、四大神の加護を期待するしかないのかな」


 ゼッドやタウロ=ヨシュやイフィウスたちは、真剣な面持ちでナーニャの言葉に聞き入っている。その中で、声をあげたのはタウロ=ヨシュだった。


「ナーニャよ、ひとつだけきいておきたい。……このたたかいに、かちめはあるのか?」


 ナーニャは「あるよ」と微笑んだ。


「少なくとも、僕たちが負けることはないだろうね。最悪の場合でも、引き分けぐらいには持ち込めるはずさ」


「ひきわけ……?」


「うん。僕がこの魂を大神に捧げれば、メフィラ=ネロと同等の力を持つことができる。そうすれば、メフィラ=ネロを道連れにすることは容易だろうからね」


 リヴェルは、思わず声をあげようとした。

 しかし、それよりも早く、チチアが「はん!」と鼻を鳴らす。


「あんたは人間として生きていきたいとか言い張ってたじゃないか。あんたが魂を売り渡して化け物に成り果てちまったら、そんなのは引き分けじゃなくって大惨敗だよ!」


「うん。だけど、それでメフィラ=ネロの脅威を永遠に取り除くことはできるだろうから――」


「ナーニャよ。ふほんいながら、おれもそのむすめとおなじきもちだ」


 タウロ=ヨシュが、怒った顔つきでナーニャの声をさえぎった。

 ナーニャは一瞬きょとんとしてから、口もとをほころばせる。


「ごめんね。どうにも屈折してるもんだから、ついつい皮肉の言葉をこぼしてしまうんだよ。……うん。僕は人間としての心を保ったまま、メフィラ=ネロを退けたいと願っている。この魂を大神に捧げるのは、あくまで最後の手段だよ」


「本当ですね?」と、リヴェルも身を乗り出してしまう。

「本当だよ」と、ナーニャは微笑んだ。


「そのためにも、君たちは自分の身を死守しておくれよ。君たちを失うぐらいなら、僕は大神に魂を捧げるほうがマシだと考えてしまっているんだからね」


 リヴェルは精一杯の思いを込めて、ナーニャにうなずき返してみせた。

 ナーニャたちとともに、生きていきたい。リヴェルにとっては、それが最後に残された希望であった。ナーニャのいない世界で生きていくぐらいなら、ナーニャとともに魂を返したい――リヴェルは、そのように考えているのだ。

 ナーニャは、とても優しげな眼差しでリヴェルを見つめてくれている。


「今日は黄の月の十二日だそうだけど……リヴェルと出会って、どれぐらいの日が過ぎたんだろうね?」


「え……わ、わたしが故郷を出たのは、朱の月の二日だったと思います」


「朱の月の二日……それじゃあ、まだひと月と十日しか経っていないのか。もう何年も一緒に過ごしているような心地だよ」


 ナーニャの真紅の瞳が、その場に居並んだ人々を順番に見回していく。


「僕は故郷を捨ててから、ようやく本当の自分を取り戻せたような気がする。故郷には、大事に思える人間なんてゼッドしかいなかったから……その後で出会った君たちだけが、僕にとってはかけがえのない存在であるんだ」


 ナーニャの目が、最後でイフィウスの姿をとらえた。


「君とはまだ、十日ていどのつきあいだよね。さすがにそれで、リヴェルたちに並べることはできないけれど……せめて、盟友や戦友といったものにでもなれれば幸いだ」


「わがっでいる」と答えるや、イフィウスは両手を頭の後ろに回した。

 そうして、顔の中央部分を隠していた仮面が外されると――世にも恐ろしいイフィウスの素顔があらわとなった。


 チチアは悲鳴をあげて、リヴェルに取りすがってくる。

 リヴェルは心臓をわしづかみにされたような心地で、身動きすることもできなかった。


 イフィウスの顔には、鼻と上顎が存在しなかった。

 顔の中央が無残にえぐられて、赤い肉を剥き出しにしているのだ。

 鼻は三角の黒い穴に過ぎず、上顎が存在しないために、口腔や舌もさらけ出されてしまっている。まなじりの切れ上がった目もとなどは、いかにも貴族らしい秀麗さを備えているだけに、その傷跡はあまりに惨たらしく見えた。


「わだじはわがぎごろ、マビュドラどのだだがいでごのぎずをおっだ。わだじはごごろがら、マビュドラをにぐんでいる」


 咽喉の奥の黒い穴から、濁った声音が絞り出される。仮面をつけているときよりも、その声はいっそう聞き取りづらかった。


「じがじ、わだじはあなだのごどばをじんじで、がだなをどるごどにじだ。あなだがわだじをあざむいでいだのなら……わだじがあなだのだまじいをがえずごどになるだろう」


「僕は決して君のことを欺いたりはしていないよ、イフィウス。この場に集ったかけがえのない人々の存在にかけて、それは本当だ」


 ナーニャは心を乱した様子もなく、穏やかに微笑んでいた。

 その姿を月光のごとき眼差しでじっと見つめてから、イフィウスは再び仮面を装着する。


「……わだじはいっごぐもばやぐ、おうどにもどらなげればならない。おうごぐをうらぎっだばんぎゃぐじゃを、ごのででじょだんじなげればならないのだ」


「ああ、君の部隊は卑劣な裏切り者のせいで、全滅の憂き目にあったそうだね。ええと……その裏切り者は、なんていう名前だったかな?」


「ロネッグ」と、イフィウスは重々しく言い捨てた。

 その双眸には、氷のように冷たい眼光が宿されている。


「ロネックというのは、たしか十二獅子将のひとりだったよね。グワラム戦役の顛末については、僕も噂で聞いていたけれど……たしか、三名もの十二獅子将が大軍を率いながら、グワラムのマヒュドラ軍に大敗を喫してしまったのだよね?」


 その問いかけは、ゼッドに向けられたものだった。ゼッドがうなずくのを見て、ナーニャは「なるほど」と目を細める。


「それで、二名の十二獅子将が魂を返して、最後に残されたロネックという将軍が敗残の将として王都に戻ったそうだけれど……そのロネック自身が裏切り者であったというわけか」


「ぞうだ。あやづのぶだいはマビュドラのぐんをよぞおっで、ルデンげんずいどデザッドじょうぐんをあやめだ。あやづは、ゆるざれざるばんぎゃくじゃだ」


「王と王太子ばかりでなく、二名の十二獅子将……いや、ヴァルダヌスも含めれば、三名の十二獅子将か。これだけの人間をいちどきに失って、王都はてんやわんやの騒ぎだったのだろうね」


 ナーニャの瞳に、物憂げな光がたたえられる。


「しかも、西の王都でだって、《まつろわぬ民》は暗躍しているはずだ。もしかしたら、魂を返した十二獅子将たちは、とりわけ前王に忠実な将軍たちだったのかな?」


 イフィウスは、いぶかしげに首を傾げた。


「われらはぜんいんが、おうごぐにぢゅうぜいをぢがっでいる。あなだのじづもんは、いみがわがらない」


「でも、そのロネックという将軍は、卑劣な裏切り者だったんだろう? もしかしたら、前王らと十二獅子将たちの死には何か関わりがあるのかもな、と考えただけさ」


「……ぜんおうらのじにも、ロネッグがががわっでいる、ど……?」


「あくまで、可能性の話だよ。十二獅子将という身分にある人間が同胞を裏切るなんて、よほどのたくらみがあるのだろうからね」


 そのように述べてから、ナーニャは悪戯っぽく微笑んだ。


「まあ、このような場所で王都の心配をしたって始まらないさ。まずは、メフィラ=ネロをどうにかしないとならない。君が卑劣な裏切り者を処断するのは、その後だ」


 イフィウスは鋭く双眸を瞬かせながら、さらに言葉を重ねようとした。

 そのとき、何の前触れもなく、扉が開かれた。


「ぜんいん、おもてにでよ! ようみが……ひょうせつのきょじんどもが、しゅつげんした!」


 それは、部屋の見張りをしていたマヒュドラの兵士であった。

 その顔は、緊迫と恐怖でやや引きつっている。言葉を失う一同の中で、ナーニャはふわりと立ち上がった。


「あと数刻で日が変わるというのに、気が早いことだね。まあ、妖魅を動かすには夜のほうが都合がいいから、夜明け前には姿を現すだろうと考えていたけどさ」


「メ……メフィラ=ネロが、やってきたのですね?」


 震える声でリヴェルが尋ねると、ナーニャは「だろうね」と微笑んだ。


「きっと向こうは、十分に戦力を整えることができたのだろう。ちょっとばっかり、後手を踏むことになってしまったけれど……それでも僕たちは、力を尽くすしかないさ」


 ついに、メフィラ=ネロとの戦いが始まるのだ。

 恐怖に身をすくめるリヴェルの前に、ナーニャの白い指先が差しのべられてきた。


「さあ、行こう。リヴェルたちの身は、この僕が生命にかえても守ってみせるからね」


 リヴェルは、ナーニャの手を取った。

 その指先は、炎のように熱い温もりを有していた。

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