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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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Ⅳ-Ⅲ 虚空の声

2018.12/29 更新分 1/1

 ダリアスは裂帛の気合をあげながら、巨大なる妖魅に斬りかかった。

 しかし妖魅はふわりと浮かびあがって、その斬撃をかわしてしまう。


 巨大な、蝙蝠の妖魅である。

 身の丈はダリアスよりも大きく、その巨体に相応しい大きな翼を有している。その禍々しい翼をはためかせて、妖魅は中空に舞い上がったのだった。


「おのれ、卑怯だぞ!」


 怒号をあげるダリアスの頭上で、妖魅がくわっと口を開く。

 こまかい牙がぞろりと生えそろった口の中から、どす黒い紫色をした毒霧が噴出された。


 ダリアスは四大神の祝福を受けた刀で、それを斬り払う。

 毒霧はダリアスの目の前で真っ二つに分かれると、そのまま幻のように消滅した。


(この刀さえあれば、そうそう危ういことにはならないようだが……しかし、空を飛ばれては手が出せんぞ)


 妖魅はあやしく翼をはためかせながら、鬼火のような目でダリアスを見下ろしている。

 遠くのほうからは、人々の悲鳴や絶叫が聞こえてきていた。おそらくは、このおぞましい妖魅の姿を目の当たりにしてしまったのだろう。王都の城下町にも劣らぬ繁栄を見せるダームの港町にこのような妖魅が出現するなど、本来はありえない話であるのだった。


(こやつとて、疫神の眷族に過ぎんのだ。いつまでも、こやつにばかりかまってはおられん)


 ダリアスがそのように考えたとき、妖魅が何の前触れもなく、急降下してきた。

 その短い足に生えのびた爪が、ダリアスの頭に差し向けられる。ダリアスはとっさに身をひねり、刀をふるって、その足に斬撃を叩き込んでみせた。


 ねっとりとした泥の塊でも斬りつけたような感触が返ってくる。

 妖魅は声ならぬ絶叫を響かせて、再び中空へと舞い上がった。


 妖魅の右足が、消滅している。

 妖魅は青い双眸を爛々と燃やしながら、何もない空間に毒煙を撒き散らしていた。


(くそ、これでは埓が明かん! フゥライ殿やリッサなら、こやつを討ち倒すための知恵を授かっているだろうか?)


 そのとき、不可思議な感覚がダリアスの両手に走り抜けた。

 手にした刀が、わずかに震えているような――なおかつ、これまでにはなかった温もりが生じているような――そんな感覚に見舞われたのだ。


 それはまるで、刀が怒っているかのような感覚であった。

 どうしてあんなちっぽけな存在に遅れを取っているのかと、ダリアスを叱咤しているかのようである。それは何だか、暴れるトトスに手綱を引っ張られているかのような心地でもあった。


(……お前には、そこまでたいそうな力が秘められているというのか?)


 びりびりと震える刀の柄を握りなおして、ダリアスは頭上の妖魅へと目を向けた。

 妖魅はいまだに狂乱の様相で、毒煙を撒き散らしている。


 ダリアスは得体の知れない感覚に従って、おもいきり刀を振りおろした。

 その瞬間、凄まじい波動が全身の隅々にまで行き渡るのを知覚した。


 そして、ありうべからざることが起きた。

 遥か上空に羽ばたく妖魅の顔の右半分が、投石でも食らったかのように吹き飛んだのである。

 妖魅の声なき絶叫が、再び空気を震わせた。


(何だ、これは……これも、この刀の力なのか?)


 半ば呆然としながら、ダリアスは刀身に目を走らせる。

 鍛冶屋のギムが打った白銀の刀身は、その内側に黒き炎のごとき輝きを宿している。まるで、硝子でできた刀身の内側で、黒い炎が燃えているかのようだった。


(黒……黒は、東方神シムを象徴する色……そして、東方神は風の神……)


 他人のもののように覚束無い思念が、頭の中に渦巻いている。

 ダリアスはほとんど我を失ったまま、再び刀を振りかざした。


 黒き風が斬撃と化して、妖魅の左の翼を半分がた消滅させる。

 やはりこれは、この刀の力であったのだ。

 翼を傷つけられた妖魅は、何かに引っ張られるような勢いで、左手の方向に飛来していった。


「ま、待て! 逃がさぬぞ!」


 ダリアスは地を蹴って、妖魅を追いかけた。

 妖魅は噴水の上を飛び越えて、広場の奥へと飛来していく。

 その最果てに待ち受けるのは、赤みがった煉瓦で建造された、巨大な建物――西方神セルヴァの聖堂であった。


 聖堂の扉は、ぴったりと閉ざされている。

 その頑丈そうな木造りの扉を木っ端微塵に吹き飛ばして、妖魅は聖堂の内へと身を隠してしまった。


「馬鹿な。どうして妖魅が、聖堂などに……」


 ダリアスは、粉砕された扉の前で足を止めた。

 あたりには黄昏めいた薄闇が落ちているが、聖堂の内部はさらに暗い。どうやら窓をふさぐための帳が下ろされてしまっているようだった。


 ダリアスが慎重に、その暗がりの中を覗いてみると――あちこちに、鬼火のごとき眼光が燃えている。神聖なる西方神の聖堂は、いまや妖魅の巣窟と化してしまっていたのだ。


 そして、ダリアスの手の刀が、またびりびりと震えているように感じられた。

 巨大な敵を前にして、闘志をたぎらせているかのようである。その強烈なる波動が、ダリアスにひとつの真実を告げていた。


「そうか。敵の首魁は、ここに潜んでいるのだな……」


 ダリアスがそのようにつぶやきかけたとき、ふいにとてつもない脱力感が襲いかかってきた。

 ダリアスは、思わずその場に膝をついてしまう。すると、背後から「ダリアス様!」という悲鳴まじりの声が近づいてきた。


「どうなさったのですか、ダリアス様? どこか、お怪我でも……」


「ラナか。こちらに近づいてはならん」


 ダリアスは力を振り絞って、なんとか立ち上がってみせた。

 その胸もとに、ラナの小さな身体が飛び込んでくる。

 ラナはダリアスに取りすがり、潤んだ瞳で見上げてきた。


「申し訳ありません。でも、どうしてもじっとしていられなくて……」


「そうですよ。だいたい、あなたは僕たちを守ってくれるというお話ではありませんでしたか?」


 そのように言葉をかぶせてきたのは、もちろんリッサであった。見ると、ラナたちの乗ったトトス車と、そこから降りたリッサとフゥライがひとかたまりとなって、こちらに近づいてきている。


「ダリアス閣下から離れすぎるのは危険であると、こちらのフゥライ殿が申し立ててきたため、やむなくお連れいたしました。我々は、後方で待機しているべきであったでしょうか?」


 御者台の兵士が、青ざめた面持ちでそのように問うてくる。ダリアスが答えあぐねていると、フゥライが発言した。


「儂たちはともかく、ラナをそばから離すのは危険ではないかと考えたのだ。以前にも、敵方の連中はラナをさらおうと目論んでおったのであろう?」


「うむ、そうだな。しかし、あれほどの妖魅であれば、護符で退けることもできまい。だから、近づけるわけにはいかなかったのだ」


「だが、これもおぬしとラナを引き離すための策謀かもしれんぞ。おぬしは、ラナから離れるべきではないのだ」


 そう言って、フゥライはふっと口もとをほころばせた。


「そういえば、トゥリハラ殿がこのように言っておったのを思い出した。……ラナというのは、おぬしにとっての鞘であるそうだ」


「鞘? それはいったい、どういう意味であるのだ?」


「儂にもよくはわからんが、おぬしは凶運を斬り伏せるための刀であるのであろう。刀には、鞘が必要であるということなのではないかな」


 ダリアスは眉をひそめつつ、胸もとのラナへと視線を転じた。

 ラナは嗚咽をこらえるように唇を引き結び、必死な眼差しでダリアスを見つめている。


 ダリアスは鎧を纏っているために、ラナの温もりまでは伝わってこない。

 しかし――そうであるにも拘わらず、ラナの触れている箇所から温かな力が流れ込んできているかのようだった。


 そういえば、さきほどまで全身を包んでいた虚脱感が、いつのまにか消え失せている。

 先日に蝙蝠の妖魅を退治したときは、しばらく手足に力が入らなかったぐらいであるのに、もう最前までの力が蘇っているのだ。


「しかし、俺は……この聖堂にたてこもっている妖魅どもを一掃せねばならん。おそらく妖魅の首魁も、この内にあるのだ」


「ほう。それは、確かであるのか?」


「ああ。刀が、そのように告げている」


 ダリアスがそのように答えると、御者台の兵士がいっそう顔色を失った。


「セルヴァの聖堂に、妖魅の首魁が……? そのように穢らわしいことは、絶対に許されません!」


「しかし、さもありなんといったところであるな。西方神の加護を打ち破らない限り、妖魅がこの世に現出することはかなわぬはずだ。妖魅どもはまず、ダームを守る西方神の加護を無力化するために、この聖堂を支配したのであろうよ」


 フゥライは、深遠なる叡智をたたえた眼差しで、西方神の聖堂を見上げた。


「この場所に潜んだ妖魅の首魁を滅さぬ限り、ダームを包んだ凶運を払うことはできまい。そして、その役を果たすことができるのは、聖剣を手にしたおぬしだけということだな」


「うむ。疫神そのものが現れたとしても、俺がこの手で斬り伏せてみせよう」


「相分かった。儂らはこの場で待っておるので、ラナだけを連れていくがよい」


 ダリアスは「しかし」と言いかけたが、フゥライはさらに言葉を重ねてきた。


「おぬしはそれだけ立派な身体をしておるのだから、娘御のひとりぐらいは守ってみせよ。それに……勇者がまたとない力を発揮するのは、愛する者を守るときだと相場は決まっておるではないか」


「お、俺は勇者などではないぞ」


 このような際であるのに、ダリアスは頬が熱くなるのを感じた。

 フゥライの眼差しが、ふっとやわらかい光をたたえる。


「おぬしはトゥリハラ殿の手によって、まぎれもなく救国の勇者に仕立てあげられてしまったのだ。王国の行く末を守るためにも、その苛烈なる運命に従う他あるまい。さあ、己の使命を果たしてくるがいい」


「……何だかあなたは人が変わってしまったように感じられるぞ、フゥライ殿」


「うむ。儂も自らの運命を受け入れる覚悟を決めたのだよ。……儂たちは、勇者に力を添えるための従士として振る舞うしかないのだ」


 フゥライの瞳の奥に宿った光に気づいて、ダリアスは息を呑むことになった。

 そこに灯されているのは、深い怒りと悲しみの光であった。

 こうしてダリアスたちが語らっている間にも、町では大勢の人々が凶運に見舞われている。これを止めるには、妖魅の首魁を仕留める他ないのだ。


「わかった。迷っている時間などない、ということだな。……ラナ、俺を信じて、ついてくるか?」


「はい。わたしなど、何の力にもなれはしませんが……ダリアス様と運命をともにできるのでしたら、それにまさる喜びはありません」


 ラナは瞳に涙をたたえたまま、ひっそりと微笑んでいた。

 ダリアスは、左の手でラナの指先をつかみ取る。


「俺の生命にかえても、お前のことは守ってみせよう。……では、行くぞ」


「はい」


 ダリアスは、ラナとともに暗がりの中に足を踏み入れた。

 闇の向こうに灯った鬼火のごとき眼光は、ぴくりとも動かない。まるで、ダリアスたちの存在にも気づいていないかのようだった。


(そうか。こいつらが下級の妖魅なら、護符で守られた俺たちの姿は見えないのか)


 青白い眼光は、ちょうど人間の頭の高さぐらいの位置に灯っている。おそらく、これらのものどもは――もともと聖堂に身を置いていた人間たちの、成れの果てであるのだ。

 聖堂の管理をする司祭長も、その下で働く神官たちも、西方神に祈りを捧げようと訪れていた敬虔なるダームの領民たちも、のきなみ妖魅の毒牙にかかってしまったのかもしれない。そのように考えると、ダリアスの胸にも憤激と悲哀の激情が吹き荒れた。


(しかし少なくとも、さきほどの蝙蝠の妖魅めは、どこかに潜んでいるはずだ。こう暗くては、それを判別することもかなわんな)


 しばらく歩を進めていくと、だんだん目が闇に慣れてくる。しかし判別ができるのは、人間と同じ形状をした妖魅の輪郭ぐらいであった。

 疫神の毒で妖魅と化してしまったのであろう人々は、闇の中で棒立ちになったまま、置き物のように不動である。右手に刀をかまえて、左手でラナをかばうようにして歩を進めながら、ダリアスの胸には不審の念だけがつのっていった。


「あ……」と、ラナがふいに立ち止まってしまう。

 ダリアスは、すかさず周囲に視線を走らせた。


「どうしたのだ? 何か見つけたか?」


「ダ、ダリアス様、あれを……」


 闇の中に、ラナの白い指先が浮かびあがる。

 その指は、頭上を指し示していた。


 ダリアスは奥歯を噛みしめながら、ゆっくりと視線を持ち上げていく。

 そこに待ち受けていたのは――下界の妖魅どもとは比較にならぬほどの巨大さを持つ、鬼火の群れであった。


 疫神ムスィクヮの眷族たる、蝙蝠の妖魅である。

 その蝙蝠の妖魅どもが、広大なる聖堂の天井をびっしりと埋め尽くして、無数の眼光を瞬かせていたのだった。


(なんという数だ……あれだけの妖魅が、物音のひとつもたてずに、このような場所に隠れ潜んでいたのか)


 しかし、ダリアスの心に恐れの気持ちはなかった。

 あれだけの数が相手であっても、負ける気はしない。このまま刀を一閃させれば、聖剣の力ですべての妖魅を一掃できるのではないかと思えるほどであった。


 それに、ダリアスの手の聖剣もまた、そちらの妖魅どもには興味を示していないように感じられた。

 真なる敵は、この闇の最奥部に潜んでいる――そのように囁きかけられているような心地であったのだ。


 そこにはいったい、どのような化け物が潜んでいるのか。ダリアスは、いっそう慎重に足を踏み出した。


 そして――

 その声が響いたのである。


「獅子の星の剣士……まさか貴様が、ここまで星図を乱す存在になろうとはな……」


 ダリアスは立ち止まり、左腕でラナのほっそりとした身体を抱きかかえた。


「何者だ! 姿を見せよ!」


「貴様は確かに、我々にとって災厄の萌芽であった……しかし、貴様の星がここまで強く光ることになろうとは、予見できなんだ……貴様は何故に、そのような運命を授かることになったのだ……?」


 陰々と響く、しわがれた声である。

 おそらくは、老人であるのだろう。しかしそこには、人間らしい感情がいっさい感じられなかった。


「姿を見せよと言っているのだ! 貴様は、もしや……《まつろわぬ民》とかいうやつなのか?」


「ほお……ダームに身を置いている貴様が、どうしてその名を耳にしているのか……それも解せぬ話であるな……」


 闇の中に、人間の影はない。まるで、闇そのものが言葉を発しているかのようだった。

 ラナは小さく震えながら、ダリアスの胸に取りすがっている。


「それに、そちらの娘……その娘はひととき、星図から消えていた……そのような真似ができるのは、よほどの魔術を扱える者だけであるはずなのだが……呪われし四大王国に、それほどの魔術師が存在できるわけもない……それもまた、解せぬ話だ……」


「御託はいい! お前が王国に災厄をもたらそうという心づもりであるならば、この場で俺が斬り伏せてくれるぞ!」


「それはかなわぬ望みであるな、獅子の星の剣士よ……我の存在は、この地にはない……我と相まみえたくば、王都にまで出向いてくるがよい……この試練を乗り越えられるものであればな……」


 ひゅうひゅうと風の吹き抜けるような音がした。

 それはどうやら、この声の主のたてた笑い声であるようだった。


「せいぜい、あがくがいい……貴様たちがどれだけあがこうとも、《神の器》さえ現出すれば、四大王国は滅び去る……このような騒ぎも、しょせんは神前の余興よ……」


「待て! お前たちは、本当に大神アムスホルンの眠りをさまたげようと目論んでいるのか!?」


 闇の中で、何かがぐにゃりとねじ曲がるような気配がした。

 何か、凄まじい力を持つ怪物が、闇の中から現出しようとしている。それを本能的に察知したダリアスは、ほとんどラナを抱きすくめるような格好で長剣を振りかざした。


「決して俺から離れるなよ、ラナ。どのような怪物が現れようとも、俺が必ず討ち倒してみせる」


 ラナは消え入るような声で「はい」と応じながら、ダリアスの胸に取りすがっていた。

 そこに、再び虚ろな笑い声が響く。


「ようやく、門が開いたな……人の身で神を滅することができるものかどうか、ぞんぶんに試してみるがいい……貴様の星がどのような図を描くのか、ゆるりと見物させてもらおう……」


 闇の中に、人間の頭ほどもありそうな鬼火がふたつ、浮かびあがった。

 凄まじいばかりの悪意と飢餓感に燃え狂う、邪神の双眸である。

 四大王国においては伝説の存在として語り継がれている邪神のひとつ、疫神ムスィクヮが、ついにこの世に現出を果たしたのだった。

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