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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
143/244

Ⅲ-Ⅲ 真実は何処に

2018.12/22 更新分 1/1

「待て! 何者か!」


 クリスフィアたちの前に立ちはだかったのは、第二遠征兵団の隊章をつけた武官たちであった。

 場所は、黒羊宮と金狼宮の狭間にある小宮の前である。王都において元帥の座を授かった人間に与えられる小宮で、双牙殿と呼ばれている。ロネックは、その小宮の右の殿に身を移したという話であったのだった。


「わたしはアブーフ侯爵家の第一息女、クリスフィアだ。十二獅子将にして元帥たるロネック殿に、お目通りを願いたい」


 クリスフィアが堂々と名乗りをあげると、守衛の武官はうろんげに視線を巡らせた。


「では、そちらの者どもは何者か? あやしげな人間を元帥閣下に近づけるわけにはいかん」


「この王都にあやしげな人間がまぎれこむ隙間などあるまい。こちらの御方はジェノス侯爵家の第一子息たるメルセウス殿で、横に控えているのは従者のジェイ=シンだ」


 フラウは金狼宮に預けてきたので、ここまで出向いてきたのはこの三名のみである。守衛の男はいよいようろんげな目つきになりながら、クリスフィアたちの姿を見回した。


「侯爵家のご息女とご子息が、元帥閣下に如何なるご用事であろうか? 本日、そのような客人が来訪するという話は聞いていない」


「さきほどの審問の騒ぎで、居ても立ってもいられなくなってしまってな。あのバウファなる神官長は、愚にもつかない戯れ言を弄して、罪から逃れんとしているようではないか。そのような真似を、決して許すことはできん」


 それが、クリスフィアのひねりだした苦肉の策であった。まずは味方のふりをして、ロネックの懐に忍び寄ろうという算段である。


(何せわたしとロネックは、あのバウファめの命令で媚薬などを嗅がされた間柄であるのだからな。わたしの怒りがバウファめに向いていると思い込めば、じゃけんにすることもあるまい)


 そんな風に考えながら、クリスフィアは言葉を重ねてみせた。


「この段に至っては、ロネック将軍と力を合わせて、次なる審問に臨みたいと思っている。どうかロネック将軍に取り次いでもらえないだろうか?」


「……では、そちらの御仁はどういった目的で同行しているのだ?」


「メルセウス殿は、わたしの友だ。義憤に駆られて、この場に駆けつけてくれた」


 守衛の男は迷うように視線をさまわよわせてから、相棒の男に目配せをした。そちらの男はひとつうなずいてから、扉の向こうに立ち去っていく。


「元帥閣下のご判断を仰ぐので、こちらで待たれよ」


「うむ。手間をかけさせてしまい、申し訳ないな」


 すると、メルセウスに耳打ちしているジェイ=シンの声がかすかに聞こえてきた。


「この建物は、ずいぶん大勢の兵士たちに守られているようだ。無事に帰りたければ、いらぬ騒ぎを起こすのではないぞ」


「うん。きっと大丈夫だよ」


 ジェイ=シンもメルセウスも、まったく心を乱している様子はなかった。小憎たらしいばかりの落ち着きようである。

 それからしばらくして、扉が内から開かれた。


「元帥閣下が、お会いになるそうです。……ただし、腰のものを預からせていただきます」


 宮殿に足を踏み入れる際には、刀を預けるのが王都の慣例である。しかし、クリスフィアとジェイ=シンがそれぞれ長剣を差し出しても、話は終わらなかった。


「申し訳ありませんが、そちらの短剣もお預かりさせていただきます」


「なに? どの宮殿でも、短剣の所持は認められているはずであろう?」


「……こちらでは、短剣もお預かりする取り決めになっております」


 クリスフィアはいくぶん迷ったが、大人しく従うことにした。本日は、武力でロネックを制圧しようという心づもりではないのだ。

 大鰐の鱗の鞘に収められた短剣を、武官に差し出してみせる。ジェイ=シンも、臆することなく、それにならっていた。


「では、こちらに」


 二本ずつの長剣と短剣を抱えた武官とともに、扉をくぐる。武官の男は玄関先の棚の上にそれらの剣を並べると、クリスフィアたちを回廊の奥に導いた。


「元帥閣下、クリスフィア姫とメルセウス殿をお連れいたしました」


 ひときわ立派な扉の前で、武官が声を張り上げる。

 その扉が開かれると、次の間にも二名の武官が控えていた。

 それらの者どもに見守られながら、さらなる扉をくぐり抜けると、そこは元帥の執務室であるようだった。


 奥の壁には、セルヴァの巨大な地図が張りつけられている。他にも古めかしい長槍や戦斧などが掲げられていたが、それほど華美には飾りつけられていない。いかにも武人の執務室らしい、武骨にして質実な様相だ。


 その部屋の真ん中に置かれた長椅子の上で、ロネックはだらしなくくつろいでいた。

 卓の上には、果実酒の瓶と酒杯が置かれている。審問の場では目のふちを赤らめているていどであったが、現在のロネックは明らかに酩酊していた。


「おお、クリスフィア姫。いまの俺に面談を求めるとは、つくづく果敢な気性であるのだな。お前のそういう気丈なところは、俺も好ましく思っているぞ」


 獅子と牛をかけあわせたような顔に歪んだ笑みを浮かべながら、ロネックは咽喉を鳴らして果実酒を飲み下した。クリスフィアは、すました顔でそれに答えてみせる。


「まあ、バウファ神官長にあのような讒言をぶつけられては、機嫌を損なうのが当然であろうな。しかし、あのようなたわごとを信ずる人間はおるまい」


「どうだかな。この若さで元帥となった俺を妬む人間は多い。そういう連中は、内心でほくそえんでいるのだろうよ」


 空になった酒杯を叩きつけるような勢いで卓に置いてから、ロネックは向かいの長椅子を指し示してくる。


「まあ、座るがいい。酒を飲むなら、酒杯を運ばせよう」


「心づかいだけ、いただいておく。ロネック将軍ほど、酒気に強くはないのでな」


 まずはクリスフィアが着席し、メルセウスがその隣に腰を下ろす。とたんに、ロネックは猜疑心に満ちた眼差しを若き貴公子へと差し向けた。


「ジェノス侯爵家の第一子息か……これまでは、挨拶ていどの言葉しか交わしていないはずであったな」


「はい。王国の忠実なる民として、こたびの騒ぎは捨て置けぬと考えました。同席をお許しいただき、ありがたく思っています」


 虫も殺さぬ、メルセウスの笑顔である。ロネックは感心した様子もなく、「ふん」と鼻を鳴らした。


「ヴェヘイムの若君の次は、ジェノスの若君か。……クリスフィア姫のように果敢な姫君には、こういった優男が好もしく思えるのか?」


「わたしがメルセウス殿を好ましく思うとすれば、その内の聡明さゆえであろうな。メルセウス殿も、こたびの王都の騒動にはたいそう胸を痛めておられるのだ」


「ふん……そういえば、姫は昨日も森辺の狩人を従者のように従えていたな。辺境の貴族同士、仲睦まじくて何よりのことだ」


 どうやらロネックは、侯爵家の嫡子に敬意を払うゆとりも失っている様子であった。

 しかし、クリスフィアにとっても、そのようなことはどうでもいい。クリスフィアは、酒臭い息とともに暴言を撒き散らしているロネックの姿を、入念に観察しているところであった。


(そういえば昨日は、何者かがこのロネックに、偽の手紙を渡したのはジョルアンであると密告していたのだ。それが何者であるかはさておいても……あのときのロネックの怒りが演技であるようには、とうてい思えなかった)


 そうだからこそ、クリスフィアはギリル=ザザをともなって、ロネックに同行を申し入れたのだ。怒りに駆られたロネックがジョルアンを弑してしまったら、すべての真実が闇に葬られてしまう――と危惧したためである。


 しかし、その行った先の宿舎において、ジョルアンは使い魔に襲われていた。ロネックの怒りが演技でなかったならば、あの使い魔を放った人間は別にある、ということだ。


(そうだとすると、シーズ殿を殺めたのもロネックではない、ということになる。シーズ殿を殺めたのは、ジョルアンを襲ったのと同じ使い魔であったのだからな)


 なおかつ、ジョルアンにシムの媚薬を渡したのは薬師オロルである、とクリスフィアがロネックに打ち明けたのも、昨日の話なのである。それを考え合わせれば、ロネックにオロルを暗殺する理由はどこにもないように思われた。


 やはりバウファは、大きな思い違いをしているのだ。

 ジョルアンやシーズやオロルを暗殺した人間は、別に存在する。クリスフィアは、直感によってそれを確信していた。


(しかし、このロネックがこたびの陰謀に無関係ということは、決してないのだろう)


 では、このロネックはどのような形でこたびの陰謀に関わっているのか。

 それを探るのが、いまのクリスフィアの命題であった。


「……それにしても、バウファ神官長はどうして、あのような讒言を口にしたのであろうな?」


 クリスフィアは、そろりと第一手目を放ってみた。


「疑いの目を余所に向けようとしたのだとしても、その相手にロネック将軍を選ぶというのは、あまりにも解せん。ロネック将軍は、あの神官長めと何か確執でもあったのであろうか?」


「ふん。あやつは、前々から気に食わなかった。向こうも、それは同じことであったのだろうさ」


「ただ気に食わないというだけで、ロネック将軍を標的にするは思えんのだ。この王都においてもっともすぐれた力を持つ武人を罠に嵌めようなどとは、あまりに愚かな行いではないか?」


 ロネックは、怒るか笑うかを迷うように、口もとを歪ませた。

 その末に、下卑た笑みを満面にひろげる。


「俺をおだてあげて、いったいどうしようというのだ、姫よ? まさか、お前までもが俺を罠に嵌めようなどという心づもりなのではないだろうな?」


「そんな気は、毛頭ない。……では、言葉を変えようか。ロネック将軍ほど猛々しい気性をした人間を敵に回すなど、愚かなことだ。あのギーズの大鼠みたいに臆病そうな神官長がそのような真似をするのは、あまりにいぶかしい話であろう? そのような蛮勇を振り絞るからには、よっぽど深い恨みでもあったのではないだろうか?」


「ふん……」と鼻を鳴らしてから、ロネックは酒杯をひっつかんだ。

 しかし、それが空だと知れると床に放り捨ててしまい、瓶から直接、果実酒を咽喉に流し込んだ。


「さっきも言ったろう。俺を妬む人間は多い。あやつもその内のひとりに過ぎんということだ」


「しかし、神官長が元帥の座を羨むとは思えん。それにあの御仁とて、ロネック将軍に劣らず、新王陛下の寵愛を受けていた身ではないのか? あの御仁もロネック将軍と同様に、他者を妬むより、他者から妬まれる立場であったのだろうと思うぞ」


「そのような話は、俺の知ったことか。あやつの心情が知りたいのなら、本人に問い質すがいい」


 すると、無言でこのやりとりを見守っていたメルセウスが、ふいに声をあげた。


「ですが、ジョルアン将軍がおふたりにシムの毒を盛ったのも、バウファ神官長の命令であったのだという話でありましたよね。それを考えると、やはり神官長はロネック将軍に深い恨みを有していたのではないでしょうか?」


 その言葉に、ロネックはぎらりと目を光らせた。


「そういえば、あれもあやつの仕業であったのだな。……くそ、恩を仇で返しおって……」


「恩?」と、メルセウスが静かに反問する。

 ロネックは、苦い汁でも飲み込んだように口もとを引きつらせた。


「神官長は、ロネック将軍に恩のある身であったのでしょうか?」


「知らん。俺は、酔っているのだ」


 ロネックは、再び瓶の果実酒をあおった。

 メルセウスは、普段通りの穏やかな微笑をたたえつつ、その姿を見やっている。


「恩と仇、誠意と悪意、情愛と憎悪――そういったものは、表裏一体の存在であるのです。神官長がロネック将軍に恩のある人間であったのならば、それがふとしたきっかけで怨みに転ずることもあるのではないでしょうか」


「やかましい! 俺は、知らんと言っているのだ!」


 ロネックが怒声を張り上げて、その手の瓶をメルセウスに投げつけた。

 しかし、硬い硝子の瓶がその秀麗なる鼻梁を砕くより早く、かたわらに控えていたジェイ=シンが手をのばして、それをつかみ取る。危ういところで痛撃を逃れたメルセウスは、動じた様子もなく、まだ微笑んでいた。


「僕たちは、ロネック将軍にかけられた不当なお疑いを晴らすために、この場に参じたのです。僕たちを信用して、すべてを打ち明けてはいただけませんか?」


「うむ。メルセウス殿の言う通りだ。我々は力を合わせて、バウファ神官長のたくらみを打ち破らねばならんのだ」


 クリスフィアも、すかさず言葉を重ねてみせた。

 ロネックの見せた激昂から、クリスフィアは天啓を得たような心地であったのである。


(この男が粗暴なのは、いつものことだが……それだけではない。こやつは、何かに怯えているのだ)


 だからロネックは、このような昼間から酩酊している。内心の怯えを誤魔化すために、酒に逃げているのだ。

 そしてロネックは、審問が再開された際、すでに酒気を帯びていた。バウファに名指しで糾弾される前から、何かに怯えていたのである。


(やはりこやつは、何か秘密を抱えている。それが暴かれることを、恐れているのだ)


 クリスフィアは急いで思案を巡らせて、その末に微笑をこしらえることにした。


「ロネック将軍よ。わたしは、わたしたちに毒を盛ったバウファ神官長に、正当なる罰を下してもらいたいのだ。そのために、どうか力を貸してはもらえないだろうか?」


「……そのような甘言を弄して、俺を背中から斬りつけるつもりなのだろうが?」


「どうしてそのような真似をする必要があるのだ? 大罪人はバウファ神官長であるのだから、ロネック将軍を斬りつける理由などない」


 森辺の民は虚言を罪としているそうだが、クリスフィアはこれでも王国の貴族である。これぐらいの虚言を弄することは、難しくもなかった。


「バウファ神官長は、どうしてロネック将軍に疑いの目を向けさせようと企んだのか。その理由が知れれば、あやつの虚言を打ち崩すことができるやもしれん。何か心当たりがあるのであれば、それを教えてもらいたく思う」


「……神官長よりも、俺の言葉を信じようというのか?」


「当然ではないか。あやつが虚言を弄していることは、明白であるのだからな。あやつはまるで、ロネック将軍の命令で悪事に手を染めていたかのような振る舞いを見せていたが、そんなことはありえない。ロネック将軍が、自分自身にシムの毒を盛れ、などと命令するはずはなかろうが?」


 ロネックは、毒々しい情念をはらんだ目で、クリスフィアをねめつけていた。

 ただ、鈍く輝くその瞳の奥底には、やはり怯えの光がちらついているように感じられる。たとえると、手負いの獣が虚勢を張ってうなり声をあげているような有り様であった。


「……ここは俺の部屋であり、俺は酔っている。そして、審問官の目もありはしない」


 やがてロネックは、底ごもる声でそのようにつぶやいた。


「俺がこの場でどのような言葉を吐こうとも、俺を罪人にすることはできん。……そして、そのような真似に及んだときには、お前たちこそが罪人として処断されることだろう」


「うむ。どのような言葉でも、遠慮なく聞かせてもらいたく思う」


 クリスフィアは、せいぜい優しげに聞こえる声で、そのように答えてみせた。

 ロネックはしばらく黙り込み、その末に言った。


「あの神官長めに、エイラの神殿の寝所の鍵を渡したのは……俺なのだ」


 クリスフィアは、頭を殴られたような衝撃を受けた。

 しかしそれは表に出さないように努めながら、「ほう」と微笑んでみせる。


「それは確かに、驚くべき告白だな。しかしもちろん、ロネック将軍に後ろ暗いところなどありはしないのであろう?」


「当たり前だ。……しかし、結果的に前王や王太子たちは魂を返すことになった。だからあのバウファめは、俺が前王らを暗殺し、その罪をカノン王子になすりつけたのだと疑っているのだろう……まったく、馬鹿げた話だ」


 ロネックはあらぬ方向に視線を定めて、堰を切ったように語り続けた。


「そもそも俺は、あの忌まわしい災厄の日、王都を離れていた。グワラムでの戦から帰るさなかであったのだからな。鍵を渡したのは俺でも、俺に前王らを弑することはできん。それなのに、あやつは……」


「あなたはいつ、神官長に鍵を渡したのですか?」


 メルセウスが、するりと忍び入るように口をはさむ。

 ロネックは誰に割り込まれたのかも考えていない様子で答えていた。


「こまかい日取りなど覚えてはおらん。グワラムに出立する直前、茶の月のいつかだ」


「では、神官長はひと月以上も経ってから、その鍵をアイリア姫に手渡したのですね。どうしてそのように、時間が空くことになったのでしょう?」


 ロネックは、にやりと醜悪に笑った。


「それが、俺に鍵を手渡した人間の意思であったからだ。赤の月の九日に、その鍵がアイリア姫の手に渡るようにせよ……俺はそのように言い含めて、バウファめに寝所の鍵を託した。それが、主君の命令であったからな」


「主君? それはいったい、誰のことなのだ?」


 クリスフィアが問い質すと、ロネックはいっそう醜悪に口を吊り上げた。


「俺の主君は、ひとりしかいない。お前たちが何を騒ごうと、どうすることもできないのだ。下手に騒げば、お前たちこそが叛逆者として処断されることになるだろう」


「それはつまり……新王ベイギルスが、あなたにそのような命令を下したということなのか?」


 ロネックは不気味に笑ったまま、答えようとはしなかった。

 その沈黙が、答えを示しているも同然である。

 しかし、クリスフィアの胸には、小さからぬ違和感が生じてしまっていた。


(すべての元凶は、新王ベイギルスだった……それは確かにもっとも据わりのいい結末なのかもしれないが、本当にそれが真実であるのか?)


 ベイギルスが《まつろわぬ民》にそそのかされているのなら、何もおかしいことはない。兄を弑して玉座を得るために、このような陰謀を仕立てあげた、ということになるのだろう。同じく不遇の身であったロネックたちに協力を求めるというのも、妥当な話である。


 しかし、クリスフィアは腑に落ちなかった。

 寝所の鍵ひとつを考えてみても、ベイギルスからロネックへ、ロネックからバウファへ、バウファからアイリア姫へ、アイリア姫からヴァルダヌスへ――と、あまりに人の手を介しすぎている。アイリア姫からヴァルダヌスへ、というのは必要な手順であったのだとしても、ロネックとバウファを間にはさむ理由が見当たらなかった。


(まあそれは、自分の存在が表に出ないように、必要以上の手間をかけただけなのかもしれないが……それにしても、しっくりこない)


 そもそもベイギルスが黒幕であるのならば、どうしてジョルアンとバウファはここまで追い込まれることになったのだろうか?

 いや、いまとなってはロネックもである。バウファの不審な行動によって、ロネックもまた疑いの目で見られることになった。最初にジョルアンが疑われた時点で手を打っておけば、ここまで連鎖的に各人の罪が暴かれることにもならなかったはずだ。


(それに、わたしとロネックに媚薬を盛るように命じたのも、ベイギルスであったというのか? ロネックもジョルアンも手駒であるのなら、どうして両者の間に諍いの種を撒かねばならんのだ? あの一件がなければ、ロネックの敵意がジョルアンに向けられることもなかったはずだ)


 クリスフィアが思い悩んでいる間に、ロネックは陰々とつぶやき続けていた。


「ジョルアンとバウファめは、主君に見切りをつけられたのだろう。しかし俺は、何の失策も犯してはいない。必ず切り抜けて、生きのびてやる……いまとなっては、俺だけが主君の懐刀であるのだ。俺のように有能な人間を、切り捨てるわけがない……いまの王国セルヴァにおいて、俺はなくてはならない人間であるのだ……」


 だいぶ酒が回ってきたらしく、ロネックは虚ろになりかけた声でそのようにつぶやき続けていた。

 これではもはや、まともに言葉を交わすこともできなかろう。そして、これほど正気を失った人間の言葉を証言として、ベイギルスを糾弾することはできそうになかった。


「この場では、ここまでだな。ロネック将軍、我々は失礼する」


 クリスフィアはメルセウスをうながして、長椅子から立ち上がった。

 ロネックはそれすらも知覚していない様子で、ぼんやりと虚空を見つめている。


 そうしてクリスフィアたちが部屋を出て、兵士の案内で歩を進めていくと、入り口のところに武装をした衛兵の集団が待ち受けていた。


「クリスフィア姫にメルセウス殿ですな? ご同行をお願いいたします」


 その一団の隊長であるらしい男が、うやうやしく頭を下げてくる。しかしその目には、敵を射抜くような鋭い眼光がたたえられていた。

 すばやく隊章を確認したところ、第一防衛兵団の所属である。ロネックの同行を見張っていた部隊であるのだろう。


「ご同行とは、何の話だ? まるで我々を罪人として捕縛しようとしているかのように感じられるな」


「いえ、滅相もありません。ベイギルス王陛下が、おふたりに面談をご所望されておられるのです」


 どうやらベイギルスの側も、ただ漫然としているつもりはないようだった。

 クリスフィアたちの刀は、すでにその一団の兵士たちの手に移されている。ロネックの取り巻きである第二遠征兵団の兵士たちは、むしろ当惑の表情で彼らの姿を見守っていた。


「……どうする? 力ずくで切り抜けるなら、先陣を受け持つぞ」


 と、ジェイ=シンが横合いから囁きかけてくる。

 クリスフィアは「いや」と囁き返してみせた。


「ジェイ=シンならば、連中の刀を奪って返り討ちにすることも容易いのであろうが……ここはあえて、敵の懐に飛び込むべきではないだろうか?」


「ふん。しかし、主人の身に危険が迫るようならば、俺も黙ってはおられんからな」


 ジェイ=シンがぶすっとした面持ちで身を引いたので、クリスフィアはメルセウスのほうを振り返った。

 メルセウスは静かに微笑んだまま、うなずき返してくる。どうやらクリスフィアの決断に異存はないようだった。


(ベイギルスと直接言葉を交わせるのなら、話が早い。いっそ《まつろわぬ民》というやつが待ちかまえていたら、僥倖なのだがな)


 そうしてクリスフィアたちは、ベイギルスの待つ黒羊宮へと連行されることになった。

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