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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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Ⅳ-Ⅱ 疫神の災厄

2018.11/24 更新分 1/1

 ダリアスたちを乗せたトトスの車は、街道を西に向かっていた。

 目指すは、ダームの港町である。レィミアの言葉によると、そちらに妖魅が出現して領民を脅かしているという話であったのだ。


 そのレィミアはトライアスのもとに留まったので、車の中にはダリアスとラナ、フゥライとリッサの姿しかない。その他の兵士たちは、トトスにまたがってこの車の前後を疾走しているはずだった。


「妖魅だか何だか知らないですけれど、僕たちなんて足手まといにしかならないでしょうに。あなただって、ひとりのほうが存分に仕事を果たせるのではないですか?」


 不平の声をもらすリッサに、ダリアスは「そう言うな」と返してみせた。


「トゥリハラの言葉を忘れたのか? お前とフゥライ殿には、妖魅を討ち倒す叡智が授けられているはずであるのだ。それがどのようなものであるのかは俺にもわからんが、きっと妖魅を退ける一助になってくれることだろう」


「ふん。僕は何としてでも、あと20年は生きなくてはならないんです。危険な真似は、御免こうむりますからね」


「それだって、まずはこの世に安息をもたらしてから、という話だっただろうが? これは王国の危機であるのだから、王国の民であるお前にも、存分に働いてもらうぞ」


 そのとき、トトスの車がいきなり動きを止めようとした。

 ラナが倒れこみそうになったので、ダリアスがすかさずそれを抱きとめる。ラナは顔を赤くしながら「申し訳ありません」と身を引いた。

 どうしたのだ、とダリアスが問うよりも早く、御者台の兵士が小窓から呼びかけてくる。


「ダリアス将軍! 街道にまで、人間があふれかえっています! これでは、港町に近づくこともできません!」


 ダリアスはすでに十二獅子将の身ではなかったが、兵士たちは一様に敬称をつけて呼んでくれていた。

 ダリアスはラナたちにここで待つように告げてから、後部の扉を押し開けた。

 とたんに、人間のあげる悲痛なうめき声が聞こえてくる。

 ダリアスは剣の柄に指先をかけながら、車の前側へと足を向けた。


「な……何だ、これは?」


 街道に、おびただしい数の人間たちが倒れ伏している。その多くは苦悶の声をあげており、まるで亡者の群れのような有り様であった。


「き、騎士様、どうかお助けください……」


 と、倒れていた人間のひとりが、ダリアスに腕をさしのべてくる。その姿を見て、ダリアスは再び驚きの声を発することになった。

 何の変哲もない格好をした、商人と思しき壮年の男である。しかし、その顔や腕は紫色に変色して、眼球にはびっしりと血の筋が走っていた。


「よ、妖魅の毒に冒されてしまったのです……どうか、お助けを……」


 ダリアスはひざまずき、その手を握り返してやりながら、後方の車を振り返った。


「フゥライ殿! リッサとラナも、出てきてくれ!」


 やがて、呼ばれた三名が駆け寄ってくる。彼らもまた、この異様な光景に立ちすくむことになった。


「この者は、妖魅の毒にやられたと言っている。どうすれば、助けることができるのだろうか?」


 フゥライが表情を引きしめながら、ダリアスのかたわらにある男の姿を覗き込んだ。その目が、信じ難いものでも見たかのように見開かれる。


「まさかこれは……ムスィクヮの疫病? いやしかし、そのような病魔が本当に存在するわけが……」


「疫神ムスィクヮなら、つい先日もおぞましい眷族を俺たちに差し向けてくれたぞ。これがその疫病だとしたら、どうすればよいのだ?」


 フゥライはいくぶん顔色をなくしつつ、それでも理知的に光る眼差しをダリアスに向けてきた。


「この病魔は、人の身から熱を奪う。まずは、身体を温めることだ」


「あとは、チットの実やイラの葉なんかが、薬になるそうですね。普通、あれらの香草は汗をかかせて熱を逃がすものですが、まあ、まじないとしての意味合いが大きいんでしょう」


 リッサはいつも通りの無愛想な声で、そのように述べていた。

 ダリアスは大きくうなずいてから、なすすべもなく立ち尽くしている兵士たちに呼びかける。


「街道の端に火を焚いて、この者たちをそちらに移せ! そうして道を空けたら、何名かが町に先行して、チットの実やイラの葉を集めてこい!」


「チ、チットの実に、イラの葉? そのようなものは、いったいどこに行けば手に入るのでしょう?」


「気のきいた宿屋や食堂なら、それぐらい置いているだろう。いいから、急ぐのだ!」


 ダリアスの気迫に気圧された様子で、兵士たちはそれらの作業に取りかかった。

 ダリアスの腕の中では、男ががたがたと身体を震わせている。


「さ、寒い……身体が凍えるようです……どうか、お助けを……」


「しっかりしろ。いま、火を焚いてやるからな」


 街道には、数十名にも及ぶ者たちが倒れ伏している。それらのすべてを街道の端に寄せて、雑木林から調達した薪で火を焚きながら、兵士たちの何名かはトトスで港町を目指した。


「助かったぞ、フゥライ殿。そして、リッサもな。さっそくふたりの叡智が役に立ったではないか」


 男を焚き火のほうに運んでから、ダリアスはそのように言ってみせた。

 しかしフゥライは、さきほどよりも思い詰めた表情になっている。


「礼を言うには、まだ早かろうな。香草が間に合わなければ、手遅れになってしまうやもしれん」


「これは、それほどに厄介な病魔であるのか?」


「うむ。しかも、この病魔で魂を返してしまうと――」


 そのとき、魂消るような絶叫が響きわたった。

 振り返ると、病魔に冒された若い町娘が、兵士のひとりにつかみかかっている。その目は完全に血の色に染まり、顔や腕はどす黒い色彩に染まってしまっていた。


「な、何をする! 離せ! 離さんか!」


 娘は兵士の胴体にしがみつき、その革の肩あてに歯を立てていた。まるで飢えた獣のごとき様相である。


「その者に噛まれたら、おぬしも病魔に冒されるぞ! 早く引き離すのだ!」


 フゥライが、凛然とした声を張り上げた。それを聞いた他の兵士たちが、我を取り戻した様子で娘の身体に手をかける。

 しかし、屈強の兵士たちが数名がかりでかかっても、娘を引き離すことはできなかった。頑丈になめされた革の肩あても、いまにも噛み破られそうな様子である。


「……その者の魂は、すでに召されている! 刀をもって、斬り捨てよ!」


 この柔和な老人でもこのような声が出せるのか、とダリアスは息を呑むことになった。

 兵士のひとりが身を引いて、意を決したように長剣を抜き放つ。

 すると、でっぷりと肥えた商人風の男が、その背中に飛びかかった。


 兜と鎧の隙間から、兵士の首筋に歯を立てる。

 兵士は断末魔の声をあげて、長剣を取り落とした。


「くそっ!」


 ダリアスは走りながら剣を抜き、男の背中を叩き斬った。

 紫色のどろどろとした粘液が噴きこぼれ、男はぐらりと倒れかかる。

 しかし男は踏みとどまり、ダリアスのほうに顔を向けてきた。

 やはりその顔は紫色に染まり、両目は赤く染まっている。すべての表情が抜け落ちて、泥人形のような顔貌である。


(……許せ!)


 ダリアスは、長剣を一閃させた。

 男の首が宙に舞い、背後でラナが悲鳴をあげる。

 紫色の粘液を噴出させながら、男は棒のように倒れた。


 返す刀で、ダリアスは町娘の首も刎ね飛ばす。

 娘もぐちゃりと倒れ込み、ようやく解放された兵士は恐怖の形相でへたり込んだ。


「残された者たちは、手足を縄でくくっておけ! イラの葉とチットの実さえあれば、助かるのだ!」


 ダリアスはそのように命じたが、それも詮無きことであった。

 焚き火にあてられていた町の人間たちが、次々にゆらりと立ち上がり始めたのである。

 ダリアスは内心で歯噛みをしながら、長剣を振り上げた。


「起きあがった者は、斬り捨てよ! こやつらは、妖魅と化してしまったのだ!」


 兵士たちは数でまさっており、しかも先日には蝙蝠の妖魅を相手取っていた。ひとたび我を取り戻せば、果敢にこの怪異と対することができた。

 白刃が閃いて、妖魅と化した者たちを斬り捨てていく。四大神の祝福を受けたダリアスの刀でなくとも、首を刎ねれば妖魅の動きを止めることはできるようだ。街道は、おぞましい色合いをした妖魅の粘液で紫色に染められることになった。


「ふむ。どうやらこの妖魅には、僕たちの姿が見えていないようですね。これがトゥリハラの授けてくれた護符の恩恵ということですか」


 リッサの声に振り返ったダリアスは、冷水をあびせられたような心地を味わわされた。いつのまにか、リッサやラナたちのほうにまで、妖魅が近づいていたのだ。ラナはフゥライの背中に取りすがり、真っ青な顔で身を震わせていた。


 しかし妖魅はリッサたちを素通りして、車に繋がれたトトスのほうに足を向けている。ダリアスは慌ててそちらに駆け寄って、地面に引きずり倒してから、その脳天を割り砕いた。


「ダリアス殿、遺体に憑依した妖魅を完全に滅するには、その身を焼き尽くすしかない。さもなくば、さらなる災いをもたらすことであろう」


 フゥライが、苦悶をこらえているような声で述べてくる。

「承知した」と言い置いて、ダリアスはその旨を兵士たちに通達した。


 やがてすべての妖魅を撃退したのちに、遺体は焚き火に投げ込まれる。

 火にかけられた遺体は毒々しい紫色の煙をあげながら、なおもびくびくと蠢いていた。フゥライの言葉通り、首を落とされてもこの妖魅どもはまだ生きながらえていたのだ。


「もっと薪を集めてくるのだ! 油があるなら、それも使え! ……そして、騎士団の宿舎に応援の伝令を走らせるのだ!」


 そのように指示を与えながら、ダリアスはラナたちを車に導いた。


「三個小隊は、俺に続け! 港町に先行して、妖魅どもを殲滅する!」


 そうしてダリアス自身も乗車して、車を走らせる。

 重苦しい沈黙のたちこめる中、リッサが不満げな声でぼやいていた。


「三個小隊って、三十人ですよね? たった三十人で、こんな怪異に対処できるのですか?」


「応援の部隊が到着するまでは、何とかするしかあるまい。お前たちの存在が妖魅どもに感知されないのなら、幸いだ」


「この護符が退けてくれるのは、下級の妖魅だけなのですよね。もっと強力な妖魅がいたら、どうにもならないじゃないですか」


「そのときは、俺が生命にかえても守る」


 ダリアスは、視線をラナのほうに転じた。

 自分の身体を抱きすくめながら、ラナは青い顔に弱々しい微笑を浮かべている。


「わ、わたしは大丈夫です。何のお役にも立てはしませんが……ダリアス様の行いを見届けたいと思います」


「大丈夫だ。何も案ずることはない」


 ラナにうなずきかけてから、今度はフゥライに向きなおる。


「フゥライ殿、これはどういう怪異であるのだ? さきほどの者たちは、妖魅の毒に冒されたのであろう?」


「うむ。あの禁忌の歴史書に記されていた内容が、真実であるならば……あれは、疫神ムスィクヮの遣わした鼠の妖魅に、毒の牙で害されたのであろう。その毒に冒された人間は、数刻ていどで魂を返して、妖魅と変じてしまうのだ」


「数刻? この騒ぎは港町を警護していた衛兵たちからすみやかに伝達されて、まだ二刻も経ってはいないはずなのだが」


「ならば、瘴気が濃くなっているのやもしれん。邪神そのものが現出していれば、その地の瘴気はまたとなく濃くなるはずだ」


「ふん。ついに疫神ムスィクヮそのものとご対面か」


 先日にダリアスが斬り伏せたのは、その疫神の身から分かたれた眷族である。この長剣さえあれば、邪神そのものでも滅することができるという話であったが――ダリアスとしては、おとぎ話の中にでも放り込まれたような心地であった。


(しかしそれでも、立ちふさがる敵は討ち倒すだけだ。俺たちが王都に向かおうとしたこの日に妖魅などが現れたのは、決して偶然ではあるまい)


 ダリアスがそのように考えたとき、御者台のほうから声があがった。


「ダ、ダリアス将軍。さきほど港町に向かった二名が、合流いたしました。町では妖魅が猛威をふるい、近づくこともかなわなかったそうです」


「わかった。いったん、車を止めろ」


 車が、ゆるやかに速度を落としていく。

 その間に、ダリアスはラナに呼びかけた。


「俺はいったん、この場を離れる。しかし、決して遠くには行かぬから、心配するのではないぞ?」


「は、はい……どうかお気をつけください、ダリアス様」


「俺は、大丈夫だ。この剣があるからな」


 ダリアスはフゥライとリッサにもうなずきかけてから、再び車の外に出た。


「お前は俺と代わって、この車に乗っている三名の警護を頼む。妖魅を退治するすべを知る者たちであるから、決して粗末に扱うのではないぞ?」


「は、承知いたしました!」


 ダリアスは兵士のひとりから手綱を受け取って、トトスの背にまたがった。


「相手が妖魅でも、恐れることはない! 西方神セルヴァの子として、その力を示すのだ!」


 兵士たちは、気迫に満ちた声でダリアスに応じてきた。

 ダリアスは、先頭を切って街道を進む。


 ダームの港町は、もう目前である。

 そしてダリアスは、目指す先からも狼煙のように紫色の煙がたちのぼっているのを見て取った。


(ふむ。何者かが、討ち倒した妖魅を火にくべた、ということだな。そのような知恵を持つ者が町にもいるのなら、心強いことだ)


 ダームは、交易の要である。規律に厳しい王都の城下町よりも、こちらを目指す商人のほうが多いぐらいであるのだ。呪術の知識を持つ東の民の行商人でもいれば、妖魅への対処をわきまえているのかもしれなかった。


(しかし、俺たちを足止めするために、罪もない町の人間を巻き添えにするとは……そのように卑劣な真似は、決して許さんぞ!)


 そんな風に考えていると、行く先にいくつかの人影が見えた。

 よろよろと、おぼつかない足取りでこちらに向かってきている。その動きだけで、ダリアスには正体を察することができた。


「後の始末は、後続の部隊にまかせる! 我らはこのまま、町を目指すぞ!」


 叫びながら、ダリアスは刀を引き抜いた。

 紫色の肌をした妖魅の姿が、ぐんぐんと迫ってくる。

 トトスを走らせたまま、ダリアスはその首を刎ね飛ばした。

 他の兵士たちも、ダリアスにならって妖魅どもを斬り伏せる。三個小隊の一団は、同じ勢いのまま街道を疾駆した。


 そうしてついに、町の入り口である。

 そこにはトトスや車を預けることのできる大きな酒場があり、扉には何名もの妖魅どもがへばりついて、奇怪なうめき声をあげていた。


 ダリアスが命じるまでもなく、兵士たちが背後からその首を刎ね落とす。すべての妖魅が地に伏すのを見届けてから、ダリアスは扉の内に呼びかけた。


「誰かあるか!? 俺たちは、ダーム騎士団だ!」


 扉が細く開かれて、鉄鍋を盾にした初老の男が怯えた顔を覗かせる。地面に重なった妖魅どもの屍を目にするや、その男は「ひいっ!」と立ちすくんだ。


「もう大丈夫だ。その中に、病魔に冒された人間はあるか?」


「い、いえ。うちの人間もお客がたも、みんな無事でございやす。ただ、町のほうから逃げる人間や、こういう化け物みたいな連中がやってきただけで……」


「そうか。ならば、この遺骸に油をかけて、焼いておいてくれ。もしも病魔に冒される人間が出たら、身体を温めてやりながら、チットの実やイラの葉を与えるのだ」


「わ、わかりやした……い、いったい何が起きたんでございやしょう……?」


「それは、これから調べるところだ。遺骸を火にかけたら、また扉を固く閉めて、身を守るがいい」


 そのように言いつけて、ダリアスはトトスの首を巡らせた。


「よし、行くぞ。どのような妖魅が現れるかもわからんので、用心せよ!」


 あらためて、町の中心部へと踏み込んでいく。

 そちらでは、戦場もかくやという騒乱が巻き起こっていた。

 妖魅と化した者たちが、港町の民や行商人たちに襲いかかり、悪夢のような光景を現出させていたのだ。


 多くの人間は、家屋の中に閉じこもっているのだろう。

 それに、疫病に冒された人間は、まだそれほどの数に及んでいないはずだ。そうでなければ、この数刻ていどでダームの港町は滅んでいたはずであった。


「妖魅を斬り伏せろ! そして、このような災厄をもたらした首魁を探すのだ!」


 ダリアスたちはトトスに乗ったまま、その騒乱の場に分けいった。

 人の姿をした怪異を、片っ端から斬り伏せる。港町の街路もまた、紫色の粘液にまみれることになった。


「斬り伏せた妖魅は、油で焼け! そして、病魔に冒された人間には、チットの実とイラの葉を与えよ!」


 生き残った人間たちにはそのような言葉を伝えて、ダリアスたちは街路を押し進んでいく。

 すると、家屋の中から髪を振り乱した娘が飛び出してきた。

 その後から、妖魅と化した男がまろぶように姿を現す。娘は正気を失いかけた形相で、トトスに乗ったダリアスの足に取りすがった。


「ど、どうかお助けください! 父さんが……あたしの父さんが……」


「……お前の父は、すでに魂を返してしまったのだ」


 無念の声をこぼすダリアスのかたわらを颯爽と横切って、騎士のひとりが娘の父親を斬り伏せた。

 娘はダリアスの足をつかんだまま、石畳にへたり込んでしまう。

 彼女は父親を妖魅にされたあげく、目の前で斬り捨てられたのだ。

 ダリアスの胸に、新たな憤激が渦を巻いた。


「……ひどい凶運に見舞われたな、娘よ。お前の父は、どうしてこのような災厄に見舞われてしまったのだ?」


「わかりません……父さんは、ギーズに噛まれただけなのに……」


 娘は感情の欠落した言葉を街路にこぼしている。

 ダリアスは、情を殺して、さらに問い質した。


「やはり、ギーズの大鼠か。お前の父は、ギーズの大鼠に噛まれて、あのような病魔を授かることになってしまったのだな?」


「はい……目の赤く光る、気味の悪いギーズでした……」


 ダリアスは大きくうなずいてから、娘の細い腕をつかんで引き起こしてやった。


「わかった。お前は家に戻って、閂を掛けろ。もしも他に病人がいるのなら、火で温めてやりながら、チットの実とイラの葉を与えてやるのだ」


「あたしは……もう、ひとりぼっちです……」


 涙を流すことも忘れた様子で、娘はふらふらと家の中に戻っていった。

 ダリアスは怒りのうめき声を噛み殺しながら、新たな妖魅へと斬りかかった。


(フゥライ殿の言っていた通り、毒の元凶はギーズの大鼠だった。……そういえば、疫神ムスィクヮは鼠と蝙蝠を束ねて疫病を運ぶ厄災の神なのだと、レィミアも言っていたな)


 しかし、病魔の元凶が鼠というのは、きわめて厄介な話である。物陰に隠れる小さな鼠をすべて駆逐することなど、どれほどの兵士をそろえても難しいはずであった。


(やはり、それを操る妖魅の首魁を滅ぼすしかない。そいつは、どこに隠れているのだ?)


 そのとき、ふっと視界が陰った。

 何事かと思って天を振り仰ぐと、分厚い暗雲が空を覆っている。まだ中天にもなっていないはずであるのに、いきなり黄昏刻が訪れたかのような様相であった。


 そして、人々の絶叫が響きわたる。

 振り返ると、噴水のある広場の真ん中に、巨大な妖魅が忽然と出現した。

 あの、かつて騎士団の宿舎でダリアスが退治したのと同じ、蝙蝠の妖魅である。

 並の人間よりも巨大な蝙蝠の妖魅が、禍々しい翼を広げながら、毒の煙を吐いている。それに触れた人間たちは、焚き火に触れた羽虫のように倒れ伏していった。


(何たることだ……ここは本当に、現の世であるのか?)


 そのように念じながら、ダリアスは長剣を振り上げてみせた。


「あやつは、俺が討つ! お前たちは、地上にあふれた妖魅どもを殲滅せよ!」


 ダリアスは、蝙蝠の妖魅に突撃した。

 妖魅は、青い鬼火のごとき双眸を燃やしながら、ダリアスを待ちかまえている。

 そうしてダリアスは、疫神ムスィクヮの眷族たる妖魅と再び雌雄を決することに相成ったのだった。

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