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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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Ⅰ-Ⅱ 陣容

2018.11/3 更新分 1/1

 アブーフやタンティに使者が送られることに決定されたのは、その日の中天を過ぎてからすぐのことだった。

 それらの領地に援軍を要請するべきだというナーニャの進言が、わずか数刻ばかりで受け入れられることになったのだ。


 使者に選ばれたのは、グワラムで虜囚の憂き目にあっていた武官たちである。彼らもまた氷雪の妖魅の恐ろしさは目の当たりにしていたし、メフィラ=ネロが十日後に再来してグワラムを滅ぼすと予告した言葉を聞き届けてもいたのだ。彼らがその恐怖と惑乱を故郷に持ち帰るだけで、領主の心を動かす材料にはなるだろう――というのが、ナーニャの算段であった。


 とはいえ、敵軍の兵士をただ解放するほど、ヤハウ=フェムも浅はかではない。それらの使者にはマヒュドラ軍の兵士を二名ずつ同行させ、もしその兵士たちが期日までに戻らなかった場合は、グワラムに残された虜囚たちを処刑する、と宣言していた。


「こればかりは、アブーフやタンティの領主たちが判断を間違わないことを祈るしかないね。ヤハウ=フェムだって、これ以上の譲歩はできないところだろうからさ」


 ナーニャは、そのように述べていた。

 そして、使者たちを送り出す準備と並行して、いよいよ氷雪の妖魅を迎えうつ準備も始められたのだった。


「何度も言う通り、妖魅に有効なのは炎だ。グワラム中の油や薪をかき集めて、要所に配置しておくといい。さすがに氷雪の巨人を燃やし尽くすのはかなりの手間だけど、あれだって頭から油をかぶせてやれば、倒せないことはない。それに、火矢というやつも有効だね。むこうだって、いちいち建物をなぎ倒しながら前進しようとはしないだろうから、巨人の通りそうな街路にはあらかじめ油をまいておいて、火矢を放つというのも戦略に練り込んでほしい」


「……しかし、そこまで大がかりに火を使うと、町そのものが燃えてしまうかもしれません。先日の戦いでも、あわや大火災になりかけたのですから……と、将軍は仰っておられます」


 再び招かれた謁見の間において、ベルタがそのようにヤハウ=フェムの言葉を訳していた。

 しかしナーニャは、悪い妖精のような笑みをたたえつつ、それを見返している。


「かといって、炎を使わずに妖魅を退けることはできない。なるべく町に被害が出ない形で罠を仕掛けられるように、場所を選別するしかないだろうね。前回の襲撃で、妖魅たちはどこから侵入し、どの道を通って城塞本丸にまで迫ったのか、そういうのもつぶさに検証して場所を選別するといいよ」


「……あなたはまるで軍師のようだと、将軍は仰っておられます。いったいどこで、そのような知識を身につけられたのか、と……」


「僕の暮らしていた場所には、ありとあらゆる蔵書が取りそろえられていたんだよ。その中には兵法書や軍記などというものまで含まれていたから、読みかじりの知識で語っているだけさ」


 そうしてナーニャは、さらに言葉を重ねていく。


「それで、炎の次に有効なのは、鋼の武器だ。鋼は四大神の叡智の結晶といってもいいような存在であるからね。どんなナマクラの刀でも、いくばくかは魔を退ける力を持っている。君たちだってあの夜に、何体かの妖魅はその刀で斬り捨てたはずだよね? 普段の戦よりも入念に、刀の手入れをしておくといいよ」


「……巨人を相手にするには槍のほうが有効ではないか、と将軍は仰っておられます」


「うん。穂先が鋼でできているのなら、それもいいけれどね。でも、より強い痛撃を与えられるのは、柄まで一体となっている鋼の刀だ。柄が木でできている槍や斧なんかは、人間の気の巡りが途中でさえぎられてしまうから、ただでさえ聖性の力を失いつつある鋼の本領を発揮しにくいんだよね」


「……そのような知識まで兵法書に記載されているのか、と仰っておられます」


「いや、それが記載されていたのは、禁忌の歴史書だよ。僕たち《神の器》に関しても、その歴史書に記されていたのさ」


 妖しく唇を吊り上げながら、ナーニャはそのように答えていた。


「僕たち《神の器》が完全に覚醒すれば、伝説上の邪神をも眷族として従えることが可能になる。メフィラ=ネロが引き連れているのは、その邪神の身から分かたれた妖魅に過ぎないんだ。もしも六日後に、邪神そのものが現れるような事態に至ったら……さすがに、僕自身が迎え撃つしかないだろうね。メフィラ=ネロだけでも手一杯なのに、まったく難儀な話さ」


 その言葉に、リヴェルは背筋を震わせることになった。

 かつてリヴェルたちは、その邪神の一体と相対しているのだ。ナーニャが炎の魔法で退けた、蛇神ケットゥア――あのようなものを自由に使役できるとしたら、それはまぎれもなく人間ならぬ魔そのものであった。


(メフィラ=ネロは、もう人間としての心を取り戻すことはできないのかな……彼女だって、好きであんな存在に成り果てたわけじゃないはずなのに……)


 そんなリヴェルの感慨も余所に、ヤハウ=フェムとの軍議もひとまず終了したようだった。

 客間に戻されたナーニャは、「ふう」と息をつくなり寝台に倒れ込んでしまう。リヴェルが慌てて駆け寄ると、ナーニャの身体はやはり火のような熱をおびていた。


「ああ、ひどい熱です。やっぱりナーニャは、まだ動き回っていい身体ではないのですよ」


「だからといって、メフィラ=ネロの襲撃を漫然と待ち受けることはできないからね。……それに、火神の化身である僕の身体が熱をおびるのは、当たり前の話なのさ」


「だけど、苦しいのでしょう?」


「うん。だけど苦しいのは、僕が火神に魂を受け渡すことを拒んでいるせいだ。僕が人間であり続けるには、この苦しみを受け入れるしかないんだよ」


 リヴェルの手で額の汗をぬぐわれながら、ナーニャはにこりと微笑んだ。


「そう思えば、耐えられない苦しみなんてないよ。僕は魂を返すその瞬間まで、人間のままリヴェルたちのそばにいたいからさ」


 その笑顔があまりに無邪気であったために、リヴェルは涙が浮かぶことをこらえきれなかった。

 すると、暖炉の前で膝を抱えていたはずのチチアが、ぬっと横から顔を出してくる。


「こんな状況で、よくそんな甘ったるい言葉を交わす気になれるもんだね。ほんと、いい根性してるよ!」


「やあ、チチア。よかったら、君も加わるかい?」


「ふん! あんたみたいに男だか女だかわかんないやつと乳繰り合う気にはなれないね!」


 チチアは寝台の端に腰をのせながら、べーっと舌を出していた。ナーニャは力なく横たわったまま、くすくすと笑い声をあげる。


「男だか女だかわからない、か……リヴェルはもうその答えを知っているはずだよね?」


「え? そ、それはその……」


「僕が何日も意識を失っている間、面倒を見てくれていたのはリヴェルなんだろう? それで僕が目覚めたとき、衣服は下帯まで清潔なものに整えられていたんだから……リヴェルは、すべてを目にしてしまったのだろうね」


 リヴェルは羞恥の感情を抑えきれず、頬を染めることになった。

 その姿を見て、チチアはけげんそうに眉をひそめている。


「何さ? 確かに女みたいな匂いもするけど、けっきょくは男なんでしょ? まさか、本当に女だったの?」


「男でもあり、女でもある。僕は、半陰陽なんだ」


「……はんいんよう?」


「うん。僕の身体には、男と女の両方の特徴が備わっているんだよ」


 チチアは、ぽかんと口を開けていた。

 それから、リヴェルに向きなおってくる。


「こいつ、なに言ってんの? ただの冗談なんでしょ?」


「え、ええ、それはあの、何ていうか……」


「えー!? まさか、本当の話なの!? 男と女の両方の特徴が備わってるって……いったい何がどうなってるのさ!?」


「そんなに大した話ではないよ。よかったら、見てみるかい?」


 ナーニャがその身にかけられていた毛布をめくると、チチアは真っ赤な顔をして立ち上がった。


「ば、馬鹿、やめなよ! 誰も見てみたいなんて言ってないでしょ!」


「何だ、淫邪の儀式にふけっていたチチアが、これしきのことで恥ずかしがることはないだろう?」


「う、うるさいよ、馬鹿! あたしはまだ生娘だって言ったでしょ!」


 チチアは顔を赤くしたまま、リヴェルの背後に回り込んできた。そうしてリヴェルの身体を盾にしながら、ナーニャをにらみ返している様子である。

 毛布をかけなおしたナーニャは、まだ愉快そうに笑っていた。


「ごめんごめん。君の反応が楽しかったから、ついふざけてしまっただけだよ。……実はこれも、《神の器》の資質のひとつなんだ」


「え? そ、それはどういう意味ですか?」


「ひとつの欠損と、ひとつの過剰。《神の器》たる者は、生まれながらにそういった肉体を有していなければならないんだ。僕の場合は、色彩を欠損していて、生殖器が過剰であったわけだね」


「……それじゃあ、メフィラ=ネロは……」


「うん。彼女の場合は、瞳が三つもあったね。あとは下半身が巨人の頭にうずまっていたから、腰から下のどこかに欠損があったんだと思うよ」


 メフィラ=ネロの額に燃えていた第三の目は、怪物に成り果てる前から備わっていた、ということであるのだ。

 まだ人間であった時代、メフィラ=ネロはどのような生を送っていたのか。リヴェルはまた、胸の中が疼くように痛むのを感じた。


「……ナーニャ、すこしいいだろうか?」


 と、ずっと壁際にたたずんでいたタウロ=ヨシュが、のそりと近づいてきた。

 ナーニャは淡く微笑みながら、その巨体を見上げやる。


「うん、何かな? すこしと言わず、いくらでも話しておくれよ」


「……おれもせんしとして、ようみとたたかおうとおもう。それを、マヒュドラのしょうぐんにつたえてほしい」


 ナーニャは、きょとんと目を丸くした。


「どうしてだい? 君は、戦士であることをやめた一族の末裔なんだろう?」


「しかし、おうこくのききにあって、ただかくれていることはできない。おれはじゆうかいたくみんだが、マヒュドラのこでもあるのだ」


「そうか……それはもちろん、タウロ=ヨシュであれば立派に戦うことができるだろうけど……でも、いまとなっては、君も僕の友人であるんだ。僕は、君を失いたくはない」


「むだにたましいをちらすつもりはない。そしておれは、マヒュドラのへいしになりたいとねがっているわけではない」


 そこでタウロ=ヨシュは、金色の無精髭が生えた口もとをふっとほころばせた。


「おれは、おまえをまもるためにたたかいたいのだ。おれのどうほうのむねんをはらしてくれたおまえのために、おれはかたなをふるいたい」


「僕を守る? 僕はこの世で唯一、メフィラ=ネロに対抗できる存在なのだけれどね」


「だけどおまえは、そのようによわりきっている。いまにもきえてしまいそうなぐらい、はかなげにみえるのだ。おまえがただしいうんめいをたどれるように、おれはそのせなかをささえたい」


 ナーニャは無言のまま、タウロ=ヨシュのほうに手をのばした。

 動かぬタウロ=ヨシュの右腕に、ナーニャの指先がそっと触れる。


「君はそうして存在しているだけで、僕の支えになっているんだよ。君を失いたくないという気持ちだって、僕を絶望から救ってくれているんだ」


「ならばおれは、おまえのかたわらにあろう。ともにたたかうなかまとして」


 タウロ=ヨシュの瞳にも、とてもやわらかい光が浮かんでいた。

 そこに、チチアの「ふーん!」という声が響く。


「けっきょくあんたも、こいつの色香に惑わされたってわけね! 男とも女とも乳繰り合えるなら便利なこった!」


 タウロ=ヨシュは、チチアの姿をじろりとねめつけた。


「おまえはどうして、いちいちきたないことばでじぶんのきもちをかくすのだ? おまえだって、ナーニャにこころをひかれているのだろう?」


「どうしてあたしが! あたしはあのけったくそ悪い場所から逃げ出すために、こいつの力を利用しただけだよ!」


「とうていほんきでいっているとはおもえん。ナーニャがいしきをうしなっているあいだ、おまえはあれほどしんぱいしていたではないか」


「し、心配なんかしてないよ! 心配だったのは、自分の身だけさ!」


 ナーニャが、くすりと笑い声をあげた。


「君たちがそうやっていがみあうのを聞くのも、ひさびさだ。君たちのそういうやりとりは、妙に僕の気持ちを安らがせてくれるのだよね。……ねえ、君たちこそ、おたがいを伴侶にしたいと思ったりはしないの?」


「はあ!? 言うに事欠いて、何を言ってんのさ、あんたは!」


「……ナーニャ、それはあまりにわるいじょうだんだ」


「そうかなあ。けっこうお似合いだと思うんだけど。……リヴェルは、どう思う?」


「ええ? わたしは……よ、よくわかりません」


「そっか。自分が大事に思う人たちが恋仲になってくれたら、僕はとても嬉しいのだけれどね」


 ナーニャがそんな風に言ったとき、客間の扉が叩かれた。

 いつも通り、こちらの返事を待つこともなく、扉が開かれる。現れたのは、マヒュドラの兵士に前後をはさまれたイフィウスであった。


「やあ、イフィウス。朝の話の続きをしに来てくれたのかな?」


「……ばなじは、もうじゅうぶんだ」


 イフィウスは、月光のように冷たい目でナーニャを見つめた。


「わだじは、マビュドラのだみどでをどりあうごどはでぎん。じがじ、ごのグワラムをまもるだめに、げんをどろうどおもう」


「それじゃあ、ともに戦ってくれるのかい?」


「わだじはおうごぐのぎじどじで、だだがうだげだ。わだじのげんは、ゼルヴァのおうにざざげられでいる」


 それはつまり――ナーニャが前王を弑した叛逆者ならば、いずれ斬り捨てると宣言しているのだろうか。

 リヴェルはとても不安な心地になってしまったが、しかしナーニャは満足そうに微笑んでいた。


「うん。それでいっこうにかまわないよ。君はセルヴァのため、ヤハウ=フェムたちはマヒュドラのため、僕は僕の愛する人々のため――理由は異なれど、それを脅かす敵はひとつだ。手を取り合って、まずはメフィラ=ネロを退けよう」


「うむ」と、イフィウスはうなずいた。

 いつの間にか、ゼッドがそのかたわらに進み出ている。それぞれ異なる鋭さを秘めた両者の眼光が、間近からぶつかり合うことになった。

 そして――火傷で不自由になったゼッドの口が、ゆっくりと開かれる。


「ナーニャは、親殺しなどしていない……俺とナーニャがその場に駆けつけたとき、父親はすでに斬り伏せられていた」


 イフィウスは、身体ごとゼッドに向きなおる。


「では……だれがぞれをぎりぶぜだのだ?」


「わからない。しかし恐らくは、ナーニャにこのような呪いをかけた人間だ」


 イフィウスは、しばらく黙りこくっていた。

 その末に、シュコーと不気味な呼吸音を放つ。


「いまはぞのごどばをじんじよう。じんじづは、やがであがざれる」


「……俺も、そのように信じている」


 そうしてゼッドが身を引くと、イフィウスは兵士たちとともに部屋を出ていった。

 扉が閉められると同時に、チチアが「ふん!」と鼻を鳴らす。


「どいつもこいつも、物好きなこったね! けっきょくこいつの見てくれに惑わされてるだけじゃないの?」


「イフィウスはそこまで浅はかな人間じゃないさ。もちろん、タウロ=ヨシュもね。……これでようやく、足場が整った感じかな」


 ナーニャはぐったりと枕に頭を沈めながら、赤い瞳をまぶたに閉ざした。


「あとはマヒュドラ軍の配置を考えて、アブーフやタンティからの返事を待って……そうそう、ゼッドも篭手と刀を準備してもらわないとね。ゼッドとイフィウスとタウロ=ヨシュに背中を守ってもらえたら、僕も安心してメフィラ=ネロを迎え撃つことができるよ」


「……あたしは?」と、チチアが低くつぶやいた。

「うん?」と、ナーニャが閉ざしたばかりのまぶたを開く。


「チチア、いま何か言ったかな?」


「あたしはその間、どこで何をしてたらいいのさ! まさか、このちっこいのと一緒に、ここで城が焼け落ちるのを待ってろっての!?」


「まさか。リヴェルやチチアを目の届かない場所に置いていたら、僕だって心が休まらないさ。悪いけれど、君たちだってそばにいてもらうよ」


 そう言って、ナーニャはふわりと微笑んだ。


「僕は君たちを失いたくないからこそ、人間のままでいられるんだ。僕の炎を燃やす薪は、君たちの存在そのものと言ってもいいぐらいだね」


「あっそ! 本当に燃やしちまわないように気をつけてほしいもんだね!」


 チチアは、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 ナーニャはいつになく優しげな瞳で、その横顔を見つめている。


 メフィラ=ネロが再来するまで、残された日はあと六日であった。

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