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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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Ⅳ-Ⅰ 帰還と出陣

2018.10/20 更新分 1/1

「それでは、世話になったな、トゥリハラよ」


 ダリアスはそのように述べてみせたが、目の前にトゥリハラの姿はない。ただ、卓の上にちょこんと控えた鼠を通じて、『ほほほ』という笑い声が響くばかりである。


『儂は儂の都合で動いているだけなのだから、礼の言葉などは不要じゃ。おぬしはおぬしが正しいと思う道を進めば、それでよい』


「しかし、お前から授かったこの剣の力がなければ、妖魅を討ち倒せたかどうかもわからん。……それに、ラナたちの身もかくまってもらっていたわけだからな」


 そのラナたちも、ダリアスのかたわらに立ち並んでいた。ここはトゥリハラの準備した不可思議な隠れ家であり、そして本日、ラナたちはついにこの場から立ち去ることになったのである。

 ラナはひっそりと微笑んでおり、学士長フゥライも名残惜しげに鼠の姿を見返している。そして、さきほどから落ち着かぬ様子で身をゆすっていたリッサが、こらえかねたように口を開いた。


「導師トゥリハラ、もう一度おうかがいしておきたいのですが……やはり僕の願いを聞き入れていただくことはできないのでしょうか?」


『儂は導師などと呼ばれる立場ではありゃせんよ。人の世に背を向けた、ひねくれものの隠者にすぎん』


「その在り方も含めて、僕は導師とお呼びしているんです。あなたの生は、僕の理想そのものなのですからね」


 ダリアスは、そこで首を傾げることになった。


「リッサの願いとは、何の話なのだ? お前がそのようなことを言いだすのは、ずいぶん珍しいように思えるのだが」


「リッサはな、この場に留まってトゥリハラ殿に弟子入りしたいなどと申し出ていたのだよ」


 白い顎鬚をまさぐりながら、フゥライが苦笑まじりにそう言った。


「要するに、ずっとこの場所でトゥリハラ殿の集めた書物を読みあさりたいということなのだろう。まったく、儂でさえ呆れるほどの執念であるな」


「だって、きっとこの場にある書物をすべて読み尽くせば、この世界のすべてを知ることができるのですよ? 学士として、それを望まぬほうが愚かではないですか?」


 リッサがいきりたつと、またトゥリハラが『ほほほ』と笑った。


『もう何べんも言ったじゃろう。ただ知るだけでは、意味がないのじゃ。おぬしがこの場に留まれば、この先は世界の運行に干渉できぬ身となってしまう。それでは、つまらんじゃろう?』


「何もつまらないことはありません。世間の人間との交わりなんて、僕には煩わしいだけのものなのですからね」


『それはおぬしが若いから、そう思うのじゃ。人の世と決別して送る生の空虚感など、おぬしには想像もつかないのじゃろうな』


「でも――!」


『儂は朽ちかけた老木で、おぬしは青々と葉を茂らせた若木なのじゃ。その木にどのような実がついて、どのような花を咲かせるのか、それを見届けずして世界と決別してしまうのは、あまりに惜しい話じゃよ』


 リッサはぶすっとした面持ちで口をつぐんでしまった。

 その姿を見て、トゥリハラは『やれやれ』と愉快そうに笑う。


『まったく、強情な娘御じゃな。人の世を捨て去ったら、好いた男と添い遂げることもできなくなってしまうのじゃぞ?』


「そんな言葉で、僕が少しでも心を動かすと思っているのですか? まったく、見くびられたものですね」


『それでもおぬしは、世を捨てるには若すぎる。おぬしが後悔し、煩悶し、やがて絶望していく姿など、儂は見たくないのじゃよ』


 そこで、卓の上の鼠があらたまった様子で姿勢を正した。


『しかし、それでもなお、おぬしが儂のように在りたいと願うなら……考える時間を与えてやろう』


「考える時間? 考えるまでもなく、答えは出ています」


『そら、それがいかんのじゃ。儂はおぬしに、頭がすりきれるほど考え抜いてほしいのじゃよ』


 陽気なトゥリハラの声が、何かやわらかい優しげな響きをおびた。


『おぬしは、二十歳ちょうどであったな。では、これまで生きてきたのと同じ時間、二十年間を与えよう。二十年後、おぬしがまだ同じ気持ちでいたならば……儂のかたわらに招いてやろう』


「本当ですか!?」と、リッサが卓に駆け寄った。

 その顔を見上げながら、鼠は『うむ』とうなずく。


『二十年後の今日、黄の月の七日に、儂はおぬしに使者を送ろう。それまでは、人の子としての生を楽しみながら、自分の進むべき道を探すがよい』


「本当ですね? 約束ですよ? もしも約束を破ったら、僕は何としてでもあなたの居場所を突き止めてみせますからね!」


 リッサがこのように昂揚した姿を見せるのは、これが初めてのことであった。

 フゥライは「まったく」と肩をすくめている。


「儂も拗ね者と言われ続けてきたが、こやつにだけはかなわんな。……ご面倒をおかけして申し訳なく思うぞ、トゥリハラ殿よ」


『いや。儂もひさびさに客人を迎えて、他者と語らう楽しさを思い出してしまったのじゃよ。本音を言えば、いますぐにでもこの娘御をあおずかりしたいところなのじゃがな』


「だったら、そうしてしてくださいよ!」


『それをせぬ理由は、さんざん語ってみせたじゃろうが? 儂なんぞの孤独を慰めるために、おぬしの未来を摘み取ることなどは、決して許されぬのじゃ』


 そのように述べてから、鼠はダリアスのほうを見やってきた。


『しかしまずは、人の世に平和を取り戻さなければな。このままあやつらをのさばらせておけば、二十年どころか二年も待たずに人の世は滅んでしまうことであろう』


「あやつらとは……大神アムスホルンを復活させようという妄念を抱いた、《まつろわぬ民》とかいう者どもだな」


 ダリアスは、力強くうなずき返してみせた。


「何にせよ、王国に牙を剥く叛逆者は、俺がこの手で斬り捨ててやる。……王都においては、その叛逆者のひとりが審問されているところだ」


 それはもちろん、十二獅子将にして元帥たるジョルアンのことであった。ダリアスが烏で送った告発書が受け入れられて、本日からさっそく審問が開かれることになったのである。


「俺とトライアス殿も、告発者として王都におもむくことになった。もはやダームに戻ることもなかろう。……これでお別れだな、トゥリハラよ」


『ほほほ。儂はべつだん、ダームに住んでいるわけではないのじゃが……まあ、お別れであることに間違いはないな』


 トゥリハラは、妙にしんみりとした様子で笑った。


『儂がこれ以上の手を貸せば、《まつろわぬ民》と同じ罪を犯すことになる。人の世は、そこで生きる人の手で守らなければならんのじゃ。……娘御よ、騎士殿にもあれを渡してやるがいい』


「はい」とうなずいて、ラナがダリアスのほうに手を差しのべてきた。

 その手の平にのせられていたのは、赤い石の首飾りである。その紐は、妙に青々とした蔓草で複雑に編みあげられていた。


『魔を除ける護符じゃ。それを身につけておれば、下級の妖魅ぐらいは退けることがかなおう』


「ふむ。薬に刀ときて、今度は護符か。手を貸すことはできんと言いながら、ずいぶん親切なことだな」


『儂がこの手で為したのは、おぬしの剣に四大神の祝福を与えたことぐらいじゃよ。薬も護符も、ラナがこの場で作りあげたものじゃ』


「なに? そうだったのか?」


 ダリアスが驚いて振り返ると、ラナははにかむように「はい」と微笑んだ。


「でも、トゥリハラ様が準備した材料で、トゥリハラ様の仰る通りに作りあげただけのことです。決して、わたしが役に立ったわけでは……」


『いやいや、そちらの二人には書を読んで知恵をつけてもらわなければならなかったのじゃから、それはおぬしにしか為し得なかったことじゃ。おぬしも世界を救う一助になったのじゃと、胸を張って生きるがよいぞ』


 トゥリハラの言葉を受けて、ダリアスもうなずいてみせた。


「トゥリハラの言う通りだ。大きな仕事を果たしたな、ラナよ」


「い、いえ、そんな……どうぞ、お受け取りください、ダリアス様」


「ありがとう。もちろんラナたちも、同じものを身につけているのだろうな?」


 そのように問うまでもなく、ラナの首には同じ蔓草の紐が見えていた。石飾りは襟の中に隠しているのだ。

 ラナから受け取った護符に首を通しながら、ダリアスは鼠を振り返る。


「お前の親切につけこむようで気が引けるが、このように便利なものがあるのなら、もういくつか準備してほしかったところだな。俺はこの外にも、失うことのできない同胞がいくらでも待っているのだ」


『さすがにそこまでは面倒みきれんわい。人の世と交わることの許されぬ儂には、これで精一杯じゃ』


 鼠に細長い尻尾を振らせながら、トゥリハラはそう言った。


『おぬしはこの乱れた世を正すことのできる星を持っている。老いし賢者とその弟子は叡智でおぬしを救い、刀鍛冶の娘御はおぬしにまたとない勇気を与えるじゃろう。そうしておぬしが、他の英傑たちと正しく力をあわせることができれば……必ずや、邪なる《まつろわぬ民》にも打ち勝てるはずじゃ』


「ああ。俺は星読みの術など重んずる人間ではないが、お前の予言は必ず成就させてみせよう」


『うむ。儂はこの場で、世界が正しい運行を取り戻すさまを見守らせてもらうぞ』


 そうして鼠が、ひょいっと卓から飛び降りた。


『では、出発じゃな。忘れ物などをしてももうこの場所には戻れぬから、そのつもりでな』


 鼠がダリアスたちの背後の壁に駆け寄ると、何もなかったはずの場所に大きな扉が出現していた。

 そちらに歩を進めながら、リッサはちらちらと書架のほうを見やっている。


「あの……何冊か書物をお借りすることもかないませんか?」


『ならぬよ。必要な知識はすでに備わっておるのじゃから、それで主人を助けてやるがよい』


「別にこのお人は、僕の主人でも何でもありませんよ」


 子供のように頬をふくらませながら、リッサが恐れげもなく扉を開いた。

 その向こうに広がるのは、上も下もない真なる暗闇である。


『さあ、人の世への帰還じゃ。はぐれずについてくるのじゃぞ』


 鼠がちょろちょろと闇の中に踏み入っていく。すると、その姿が青白くぼうっと瞬いて、ダリアスたちを導く指標になってくれた。

 おそるおそるその後を追うと、足もとにはしっかりとした石のような感触がある。ラナの不安そうな表情に気づいたダリアスは、そちらに手を差し伸べてみせた。


「ラナがここを通るのは、七日ぶりとなるのだな。俺もこれでようやく二往復目だが、何も恐れる必要はないぞ」


 ラナはひどく迷った様子で目を伏せてから、ようやくダリアスの手を取った。

 暗い中でも、その頬が赤らんでいるのが見て取れる。その姿と指先から伝わってくる温もりに心を癒されながら、ダリアスはラナとともに足を踏み出した。


「外ではもう、七日もの日が過ぎていたのだな。儂らはこのまま、王都に戻ることになるのか?」


 こちらは平然と歩を進めながら、フゥライが問うてくる。鼠に導きに従いつつ、ダリアスは「ええ」とうなずいてみせた。


「とりあえず、俺とトライアス殿は大罪人の審問に立ち会うために、王都へと向かわなければならん。ジョルアンを告発したのは、他ならぬ俺たちなのだからな」


「まさか、十二獅子将のジョルアン殿が大罪人とはな……ジョルアン殿は、本当に前王の暗殺にまで関わっていたのだろうか?」


「そこまでは、まだ何とも。ただ、昨日の伝書の返事では、神官長バウファの命令で俺やトライアス殿をつけ狙っていたらしい」


「まったく、大変な騒ぎだな。あれだけの騒ぎであった赤の月の災厄が、いまだ終わっていなかったということか」


 そのように述べるフゥライの瞳には、何かこの闊達な老人らしからぬ暗い陰りが感じられた。


「そして、ジョルアン殿やバウファ殿が、《まつろわぬ民》そのものではありえまい。いまだ表に出ていない何者かが、セルヴァにこのような凶運を招き入れたということか」


「その何者かが前王らを弑し、銀獅子宮に火を放って、第四王子カノンとヴァルダヌスに罪をなすりつけたということだな?」


 すると、フゥライは苦しげにも見える表情で「いや……」と首を振った。


「前王らの暗殺を目論んだのは、《まつろわぬ民》で間違いあるまい。しかし……あの禁忌の歴史書に記されていたことが真実であるのなら……銀獅子宮を焼いたのは、まぎれもなくカノン王子の力であろう」


「なに? そうなのか?」


「うむ……そしておそらく、カノン王子は死んでいない。カノン王子こそが、王国を滅ぼすために準備された、災厄そのものであったのだ」


 ダリアスには、さっぱりわけがわからなかった。

 しかし、それを問い質す前に、出口に到達してしまう。


『さあ、到着じゃ。この世の平和はおぬしに託したぞ、獅子の星の剣士よ』


「あらたまって言われると、おとぎ話の住人にでもなった気分だな」


 苦笑しながら、ダリアスは青白く輝く鼠を見下ろした。その向こう側には、すでに半円形の白い光が浮かびあがっている。


「ともあれ、世話になった。お前も息災でな、トゥリハラよ」


『うむ。おぬしもおぬしの生をまっとうするがよいぞ』


 ラナやフゥライやリッサも、口々に別れの挨拶を口にする。鼠はいくぶん照れくさそうに、ぷいっとそっぽを向いてしまった。


『挨拶などは、もう十分じゃろう。さあ、何やら騒ぎが巻き起こっているようじゃ。おぬしらの力で、災厄を退けてみせるがよい』


「なに? 騒ぎとは、いったい何の話だ?」


『それは自分の目で確かめるのじゃな。では、さらばじゃ』


 鼠の姿が、かき消えた。

 しかたなく、ダリアスたちは白い光の先を目指す。それは外界への出口であり、半円の形は客室に設置された暖炉の口であるのだった。


 外界は朝なので、部屋には光が満ちている。その眩さに目を細めていると、扉を乱打する音色が聞こえてきた。


「おい、いつまでぐうすか眠っているつもりだい! 本当に扉を叩き壊してやろうか!?」


 それは、トライアスの侍女であるレィミアの声であった。

 フゥライとリッサも暖炉から這い出してきた姿を確認してから、ダリアスは扉のほうに駆けつけた。


「すまんな。いったい、何の騒ぎなのだ?」


「何の騒ぎもへったくれも……って、どうしてあんたがここにいるのさ!」


 ダリアスの隣に並んだラナの姿を見て、レィミアが驚愕の声をあげる。いまだにその手を握ったままであったことに気づいたダリアスは、慌ててその手を離すことになった。


「あ、いや、王都に向かうという話であったから、ラナたちにも戻ってもらったのだ。フゥライ殿らも、そろっているぞ」


「戻ってもらったって、どこからさ? この屋敷は、裏も表も兵士たちにがっちり守られてるはずだよ!」


「それは、話せば長くなる。それよりも、お前の用件は何であったのだ?」


「そうだった!」と、レィミアは黒い瞳を光らせた。


「ダームの町が、とんでもない騒ぎになってるんだよ! もしかしたら、またあの厭らしい妖魅が現れたのかもしれない! あんたはとっとと、出陣の支度をしな!」


「ダームの町が? しかし、俺とトライアス殿は王都に向かわなければならんのだろう?」


「ダームを見捨てて、王都なんざに行ってられるもんかい! あんた、ダームの住人を見殺しにするつもり!?」


 ダリアスは、瞬時に覚悟を決めてみせた。


「そうだな。詮無きことを言ってしまった。すぐにトトスの準備をしてくれ。……ああ、あと、一緒に車も頼む」


「トトスに車を引かせようってのかい? またがって走らせたほうが、何倍も速いだろう?」


「それはそうだが、ラナたちにトトスを乗りこなすことはできなかろうからな」


 レィミアは、心の底から不審げに、ダリアスとラナの姿を見比べてきた。


「そんな娘っ子を連れていって、どうしようってんだい? 遊びに出かけるんじゃないんだよ?」


「わかっている。しかし、ラナたちから目を離すこともできんのでな」


 レィミアは癇癪を起こしたように頭をかき回してから、身をひるがえした。


「何でもいいから、とっとと準備しな! もしもまた邪神の眷族なんぞが現れたら、あんたぐらいしか始末をつけられないんだからね!」


「わかった。すぐに行く」


 そのように答えつつ、ダリアスはラナを見下ろした。


「そういうわけだ。恐ろしいかもしれんが、一緒に来てくれ」


「は、はい……でも、どうしてわたしまで……?」


「相手が妖魅なら、フゥライ殿たちの知恵が力になるかもしれん。それで、ラナだけを置いていくことはできんだろう?」


 不安げであったラナの顔に、ゆっくりとつぼみが開くように笑みが浮かべられた。


「わかりました。お供いたします、ダリアス様。……でも、わたしの身は護符で守られているはずですので、どうぞおかまいなく為すべきことを為されてください」


「ああ。しかし、決して俺から離れるのではないぞ?」


 ラナは「はい」とうなずいた。

 ラナとともにあれる喜びを噛みしめながら、ダリアスは新たな脅威に立ち向かうために足を踏み出すことになった。

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