Ⅱ-Ⅰ 審問
2018.10/6 更新分 1/1
その日、黒羊宮には朝から騒擾の気配が満ちていた。
いや、黒羊宮のみならず、王都の六つの宮殿にはのきなみ同じ気配が伝播していたことであろう。真実がつまびらかにされるまでは流言を禁ずるというおふれが出ていたものの、人の口に戸をたてることはかなわないのだ。
騒ぎのおおもとは、もちろん十二獅子将にして元帥たるジョルアンが大罪人として捕縛された事実であった。
ジョルアンは数々の罪に対して、すでに告白を終えている。それは、聞く者が耳を疑うような恐るべき告白ばかりであったのだった。
しかもジョルアンは、それらのすべてが神官長バウファの示唆によって行われたものだと述べている。
ジョルアンは大罪人として裁かれる身でありつつ、同時にさらなる大罪人を告発する立場であったのだ。
ジョルアンは王都の軍を統べる元帥の片割れであり、バウファは王都の聖教団を統べる神官長である。これで、騒ぎにならないはずがなかった。新王ベイギルスは事態を重く見て、ジョルアンを捕縛した翌日にはもう審問を開始すると告げ――そして、この日に至ったのだった。
「普通、これほど身分のある人間を審問するには、膨大な時間をかけて証拠や証人をそろえるものなのだけれどね。さすがに新王も、そんな悠長なことは言っていられないと思ってくれたようだよ」
白牛宮の執務室において、レイフォンがそのように述べてみせると、向かいの席でギギの茶をすすっていたクリスフィアが「ふふん」と愉快げに笑った。
「新王をそのようにそそのかしたのは、レイフォン殿ご自身であられるのだろう? ……まあ厳密には、ティムトのたくらみであるのだろうがな」
「僕は王に進言をできるような立場ではありません。王のお心を動かしたのは、あくまでレイフォン様です」
ティムトは、いまだにそのように抗弁していた。まあ、クリスフィアと同席しているメルセウスやその従者の耳をはばかってのことであろう。カロンの乳と砂糖をたっぷりいれた茶を楽しみつつ、メルセウスも優雅に微笑んでいた。
「まあ、暗殺の危険がある以上、審問は早いに越したことはないのでしょうね。すべての罪を洗いざらい白状してしまえば、もはやジョルアンなる人物が暗殺を恐れる必要もなくなるのでしょうし」
「うむ。ジョルアン自身も、その事実をしっかりとわきまえているはずだ。よって、前言をひるがえすこともなかろう」
クリスフィアもメルセウスも、それぞれ満足そうな表情をしているように思える。ただしクリスフィアのほうは、その裏に武人としての勇猛な表情がちらちらと見え隠れしていた。ようやくこれで、物陰に隠れていた大罪人たちと正面切って戦えるのだ、と勇んでいるのだろうか。かたわらに控えた侍女のフラウは、そんな主人のことをいくぶん心配そうに見守っていた。
「それにこれで、ダリアス殿も逃げ隠れする必要がなくなったのだからな。わたしはそのこともまた、非常に喜ばしく思っている」
「ああ。ダリアスこそ、ジョルアンを告発した張本人であるのだからね。彼が生きていると知って、王宮の人間はみんな喜びをあらわにしていたよ」
ジョルアンへの最初の告発は、ダリアスから届けられた伝書であったのだ。そこにはダーム公爵トライアスと連名で、ジョルアンとその部下である百獅子長を告発する文面がしたためられていた。その文書は重要な証拠として審問官の手に渡り、かくしてダリアスの生存が王宮内に知れ渡ることになったのである。
「ただし、ダリアスが十二獅子将としての任務を放棄して行方をくらませたことに変わりはないからね。ジョルアンの審問が終わって、すべての事実が明らかにされるまでは、十二獅子将に返り咲くことは難しいようだ」
「ふん。そんな役職は、どうでもいい。……いや、どうでもいいなどと言ったらダリアス殿に申し訳ないが、どうせ審問が終わる頃には十二獅子将の座がいくつか空くのだろうから、何も案ずる必要はなかろう」
猛々しく笑いながら、クリスフィアが杯を皿に戻す。
そのとき、次の間に控えた小姓が扉を叩いてきた。
「レイフォン様、まもなく上りの四の刻となります。ご準備はよろしいでしょうか?」
「ああ、いま行くよ。……それでは、いざ決戦だね」
レイフォンが立ち上がると、クリスフィアとメルセウスもそれにならった。
そして、メルセウスのほうがレイフォンに笑いかけてくる。
「審問の後には、またこの場に集まるのですよね? でしたら、ジェイ=シンをこちらで待たせていただいてもよろしいですか?」
「うん? ああ、審問の場に連れていける従者はひとりまでという話であったね。それはもちろん、かまわないけれど……今日は、ジェイ=シンが留守番であるのかな?」
「はい。審問には、ホドゥレイル=スドラに同行してもらおうと思います」
ホドゥレイル=スドラのすらりとした長身を見上げながら、ジェイ=シンは「ふん」と鼻を鳴らした。
「頭を使う仕事では、俺など何の役にも立たないからな。しっかりと役目を果たしてやれ、ホドゥレイル=スドラよ」
ホドゥレイル=スドラは無表情に「うむ」とうなずいていた。長身痩躯で、あまり表情を動かさない、東の民のごとき若者である。しかし彼も勇猛なる森辺の狩人であり、それでいて、深い思慮と洞察力を有する人物でもあるのだった。
レイフォンはティムトを、クリスフィアはフラウを従えて、それぞれ執務室の扉をくぐる。そうして黒羊宮の審問の間へと向かいながら、クリスフィアがホドゥレイル=スドラに笑いかけていた。
「ロア=ファムとギリル=ザザは、ようやく五大公爵領を出たあたりであろうかな。妖魅の件があるので心配せずにはいられないところであるが、それでもギリル=ザザたちならば、きっと大役を果たしてくれることであろう」
「うむ。俺もそのように信じている。……一対一の力比べであればジェイ=シンのほうに分があるが、こと乱戦に関しては、ギリル=ザザに並ぶ人間はそうそういないはずだ」
「ふむ。それは心強いことだ。……そして、審問の場に妖魅が現れたら、そのときはホドゥレイル=スドラの出番だな」
「そのような荒事にならないことを祈っている。刀がなければ、妖魅を斬ることもできないだろうからな」
宮殿の内部で所持が許されるのは、短剣のみであるのだ。レイフォンとしても、審問の場に妖魅が出現するなどという事態だけは、何とか避けてほしいところであった。
(西方神の加護があれば、王都の真ん中に妖魅が出現することなどありえないのだけれども……しかし、地下通路や《賢者の塔》にはのうのうと現れているわけだからな。まったく、ぞっとしない話だ)
そして昨日は、城下町の宿舎にも使い魔が現れたという。聖なる王都にそのような怪異が現出することなど、本来ありえない話であるはずだった。
(王都でさえこの有り様なのだから、余所の土地ではどのような騒ぎが起きているのやら……これもまた、《まつろわぬ民》によって世界の安寧が揺さぶられているという証なのだろうか)
そういえば、グワラムが火の手に包まれたという狼煙があがってから、すでに四日が過ぎている。速駆けの使者が到着するにもあと数日はかかろうが、そちらでもいったいどのような騒ぎが起きているのか、気になるところであった。
(しかしまずは、目の前の苦難を乗り越えなければな)
レイフォンがこっそり溜息をついている間に、審問の場に到着した。
守衛の手によって扉が開かれると、左右の席にはすでに大勢の人間が着席している。王都の審問官や法務官、このたびの騒ぎに関係する人々、およびこの審問を見届けたいと願い出た王都の首脳陣だ。レイフォンたちの中で関係者と目されているのはクリスフィアのみであったので、彼女だけは従者の案内で離れた席に案内されることになった。
「レイフォン様は、こちらにおいでくださいませ」
と、別の小姓がうやうやしく頭を下げてきたので、レイフォンは「え?」と首を傾げてみせる。
「私はただ傍聴を願っただけの立場であるはずだよ。いったいどこに案内しようというのかな?」
「レイフォン様には、ベイギルス王陛下のおそばに席がご準備されております。このたびは、宰相代理として審問に参席せよとのお言葉をいただいております」
現在の王宮に、宰相は存在しない。もとの宰相は赤の月の災厄で魂を返しており、ずっと空席のままであったのだ。レイフォンとしては、溜息を殺しながら従うしかなかった。
(このような場では、なかなかティムトと打ち合わせすることも難しいからな。意見を述べよなどと言われたら、何と答えればいいのだろう)
小姓の案内で歩を進めていくと、王の座する上座のかたわらに、立派な席が作られていた。
一段高みにあるその席からは、審問の間の様子が嫌というほどよく見て取れる。クリスフィアのかたわらにはディラーム老やロネックの姿があり、少し離れた場所にはバウファが座している。ジョルアンの告発はいまだ正式には認められていなかったので、いまのところはバウファも自由の身であるのだ。そのかたわらには、従者たるゼラの小さな姿もあった。
(育ての親であるバウファ殿が告発されて、ゼラ殿はどのような心地であるのかな。……そして、ディラーム老やイリテウスあたりは、やっぱりゼラ殿も敵方の人間なのかと疑っているのだろうか)
しばしの後、ふれ係の声によって王の到着が告げられると、その場に集まった人間は全員が腰を上げることになった。
数名の衛兵に守られたベイギルスが、室の奥にある専用の扉から姿を現す。豪奢な装束を纏った新王は、本日もぞんぶんに不機嫌そうな顔をしていた。
(新王までもが敵方の人間であった場合、この場で自身の罪も暴露される危険があるはずだが……こうして進言通りに審問を早急に開いたということは、何も恐れてはいないのだろうか)
しかし、無実であるから恐れていないのか、どのような告発をされても切り抜ける自信があるので恐れていないのか、それはまだわからない。前王が弑されて、もっとも大きな利益を得たのはこのベイギルスであるのだから、レイフォンたちは彼こそが敵の首魁であると目していたのだった。
(しかし、《まつろわぬ民》などというものが出てきてしまうと、話が変わってきてしまうのだよな。王国を滅ぼそうと目論む連中と、ベイギルスが手を組むとは考えられないし……赤き月の災厄には、いったいどのような真実が隠されているのだろう)
ベイギルスのぞんざいな仕草によって、一同は着席を許された。
今度は審問官の長だけが立ち上がり、審問にまつわる前口上を述べ始める。罪に問われるのが元帥という身分にあるために、その言葉も普段以上に念入りであるように感じられた。
それらの前置きが済んでから、いよいよジョルアンの登場である。
ベイギルスともレイフォンたちとも異なる扉から、ジョルアンが引っ立てられてくる。捕縛こそされていなかったものの、十二獅子将としての立派な装束は剥ぎ取られて、ごく簡素な装束を着させられている。もともと青白い顔はいよいよ血の気を失い、その瞳はどんよりと濁っているように感じられた。
「……それでは、被告人ジョルアンに対する告発を読みあげます。被告人は、言葉をはさまずに最後までお聞きください」
ジョルアンの罪が、あらためてその場で語られた。
すでにその内容を知らぬ人間はいないのだろうが、やはり審問の間には熱っぽいどよめきが満ちていく。それは確かに、いずれも驚きに値する大罪ばかりであるはずだった。
ひとつ、ジョルアンは前王や王太子たちが魂を返すことになった夜、銀獅子宮に近づこうとしたダリアスを部下たちに襲撃させた。
ひとつ、ダリアスが城下町に潜伏していると知ったジョルアンは、やはり自分の部下たちを使って、それを再度襲撃させた。
ひとつ、ジョルアンはダリアスの居場所を探すために、その副官たるルイドを監禁した。その際には、薬師オロルから受け取ったシムの危険な薬草をルイドに与えていた。
ひとつ、ジョルアンは十二獅子将シーズに間諜としての役目を与えて、ダーム公爵トライアスを監視していた。また、トライアスが王都に放った使者などを、シーズを使って暗殺させた。
ひとつ、シーズが不審な死を遂げると、自分の悪巧みが露見することを恐れて、調査団の人間を秘密裡に自分の部下にすげ替えた。また、その部下たちにはトライアスの捕縛を命じていた。
「……以上が、ダーム公爵トライアス殿および、元十二獅子将のダリアス殿から連名で届けられた告発のお言葉であります。その告発書は略式の体裁ではありましたが、ダーム公爵家の印章が押されていたために、正式に受理されることとなりました」
審問官長がそのように述べたてると、肘掛けに頬杖をついたベイギルスが「ふん」とたるんだ頬を震わせた。
「まさか、ダリアスめが生きながらえていたとはな。まあ、これで十二獅子将の座が空けば、あやつをもとの場所に戻すことも難しくはあるまい」
さきほどのクリスフィアと同じようなことを言いながら、ベイギルスはジョルアンの姿をねめつけた。
「それでは、余がじきじきに審問させてもらおう。ジョルアンよ、其方はこれらの罪を、すべて認めようというのだな?」
「……はい。ただしそれらは、いずれも神官長バウファの言葉にそそのかされた結果でございます」
審問の場が、いっそうどよめいた。
当のバウファは、いつも通りの薄笑いをたたえて、ジョルアンの姿を横から眺めている。ゼラは深くうつむいているために、表情がわからなかった。
「そそのかされたとは、どういう意味だ? バウファがダリアスやトライアスを襲ったところで、何も得るものはあるまい」
「ですから、それは……前王や王太子たちの死と、何か関係があったのでしょう。この言葉に従えば、わたしに元帥の座を与えることができると……バウファは、そのように語っていたのです」
早くも核心をついた発言が為されて、人々のどよめきは高まる一方であった。
ベイギルスは、うるさげな面持ちで手を振って、それを黙らせる。
「お前はあくまで、そのように言い張ろうというのだな、ジョルアンよ。前王にして我が兄たるカイロスとその子たちは、叛逆者カノンとヴァルダヌスの手によって害されたはずではなかったか?」
「は……ですから、第四王子カノンとヴァルダヌスもまた、バウファにそそのかされたのではないでしょうか……そうでなければ、銀獅子宮に誰も近づけるななどと、わたしに命じる理由がありません……」
ジョルアンは生きた屍のような有り様であったが、その言葉だけは存外にしっかりとしていた。このひと晩で、すべての罪を告白する覚悟を固めてきたのだろう。
しかしベイギルスは、きわめて不愉快そうな面持ちでその言葉を聞いていた。
「それでは、ダリアスを二度までも襲ったのは、何故なのだ? その頃には、其方もすでに元帥の座を手中にしていたのであろうが?」
「それは……ダリアス将軍からの告発を恐れたゆえであります……ダリアス将軍を襲わせたのは、わたしの旗下であった第二防衛兵団の衛兵たちであったので……こうして罪が露見することを、何よりも恐れたのです……」
「ならば、それはバウファの命令ではなく、自分の意思であったということだな。それでは、どうしてバウファがトライアスを監視したり、暗殺しようとしたりしなければならなかったのだ?」
「理由は、聞いておりません……ただ、ダーム公爵トライアスは、反骨の気概を持った人間であるため……バウファは、前王らを暗殺したという真実を、トライアスに暴かれることを恐れたのではないでしょうか……?」
「反骨の気概? 余の知るトライアスは、女と酒にうつつを抜かす、道化者であるがな」
「そういう面も、確かにございます……しかし、そうであると同時に、五大公爵家の中でもっとも腹の底の読めぬ人間でもありましょう……実際に、トライアスは内密に使者を送って、王都の情勢を探ろうとしていたようでもありますし……」
そこでふいに、レイフォンは右腕を小突かれた。
振り返ると、ティムトはすました表情で王とジョルアンの問答を聞いている。レイフォンは小首を傾げつつ、ティムトの耳に口を寄せてみせた。
「いま、私を呼んだかい? 腕をつつかれたような気がしたのだけれど」
「はい。ジョルアン将軍に問い質してほしいことがあります」
そうしてティムトは、いくつかの言葉をレイフォンに届けてきた。
公衆の面前で大胆なことであるが、最初にこっそり腕をつついてきたのは、あくまでレイフォンのほうから先にティムトへと耳打ちした、という体裁を取りたかったのだろう。そのような小細工を弄してまで、ティムトはレイフォンに語らせるつもりであるのだ。
「私としては、あまり注目をあびたくはないのだけれどね。……まあ、そのようなことも言っていられないか」
レイフォンは溜息をつきつつ、「恐れ多きことながら」と発言を求めてみせた。
「ひとつ、腑に落ちないことがございます。私からも問わせていただいてよろしいでしょうか?」
「ふん。其方の明敏さでこやつの妄言を打ち砕いてくれるというのならば、好きなだけ語るがよい」
「お許しをいただき、感謝いたします。……ジョルアン殿、あなたは最初に『そそのかされた』と発言しましたが、その後には『命じられた』と言いました。また、陛下の仰った『命令』という言葉も諾々と受け入れていたように思いますが……どうしてあなたがバウファ殿に命令されなければならないのでしょうか?」
「それは……」と、ジョルアンは言いよどんだ。
それから、意を決したように、面を上げる。
「バウファは……甘い蜜と鋭い刃でもって、わたしを篭絡したのです……わたしは甘言でそそのかされると同時に、脅迫されてもいたのです……」
「脅迫ですか。シーズは王都に住まう妹の身柄を人質とされて、あなたの命令に従わされていたそうですが、あなたはどのような言葉で脅迫されていたのです?」
ジョルアンは何度か咽喉を鳴らしてから、言った。
「わたしは……とある貴婦人と、不貞を働いていたのです……それをバウファに知られてしまったため……命令に従わざるを得ませんでした……」
「不貞だと? 女遊びが露見することを恐れて、王殺しの陰謀に加担したというのか?」
ベイギルスが、呆れ果てた様子で言い捨てた。
ジョルアンは、脂汗を流しながら、首を横に振っている。
「わ、わたしはあくまで、銀獅子宮に誰も近づけるなと命じられただけで……恐れ多くも前王の暗殺などにはいっさい関わっておりません……」
「しかし、其方がそのように命じられた夜に、銀獅子宮は焼け落ちることになったのだ。其方はそこで、命令とやらの意味を知ったはずだ。それでもなお口をつぐんでいたというのなら、暗殺に加担したも同様ではないか?」
ベイギルスの追及は、至極真っ当なものであった。
ただし、兄やその子たちの死を嘆いたり憤慨したりしている様子はない。仮にベイギルスがこのたびの陰謀と無関係であったとしても、家族の死を悼む気持ちはさらさらないようだった。
(ベイギルスは、本当に無関係なのだろうか? それとも、自分の身は安全であるという確信でも抱いているのだろうか?)
やっぱりレイフォンには、判別をつけることができなかった。
「しかも其方は、余の従者であったオロルから毒草を受け取っていたそうだな。あやつはこのような陰謀とは関わりようのない、無欲で善良な人間であったはずだ」
「は……それも、バウファの指示でありました……あの薬師であれば、都合のいい毒草をいくらでも分けてくれるだろう、と……」
「そうしてあやつを巻き込んだあげく、口封じのためにその身を害したのか?」
兄や甥たちを悼む気持ちはなくとも、娘の恩人である薬師の死を悼む気持ちはあるらしく、ベイギルスの目に初めて怒りの火が灯った。
しかし、ジョルアンは力なく首を振っている。
「いえ……あの薬師にはシムの毒草を用立ててもらっただけであり、どのような話も打ち明けてはおりませんでしたので……そもそも、口封じをする理由がございません」
「しかしあやつは、お前に毒草を渡したことをクリスフィア姫に告白したと聞いているぞ。そうであったな、クリスフィア姫よ?」
「はい。わたしはそれが真実であるかどうかを問い質すために、薬師のもとを再び訪れたのです」
クリスフィアは、凛然とした面持ちでそう答えていた。
すると、すぐ近くの席に座していたロネックが、猛然と立ち上がる。
「そうだ! 貴様は卑劣にも、俺と姫に毒などを盛った! いったいどのような目論見でそんな真似をしたのか、いまこそ聞かせてもらおうか!」
「そ、それも、バウファの命令でございます……どうやらクリスフィア姫は、前王の死に不審の念を抱いていたようなので……その動きを封じたかったのではないでしょうか……?」
「ほう。それもまた、神官長の命令であったというのか」
ロネックは獣のように両目をぎらつかせながら、向かいの席に座しているバウファをにらみつけた。
「この卑劣漢めは、このように述べているぞ! そろそろ貴様も釈明するべきではないのか、神官長よ?」
「……発言を許していただけるのでしたら、釈明いたしましょう」
バウファはふくよかな顔に、悠揚せまらぬ微笑をたたえていた。
ベイギルスは「ふん」と鼻を鳴らしながら、腹の上で手を組み合わせる。
「それでは、釈明してもらおうか。其方はジョルアンにそのような命令を下していたのか、バウファよ?」
バウファは立ち上がり、優雅に一礼してから、言った。
「いいえ。すべてはジョルアン殿の妄言でございます。わたくしがそのような命令を下したという事実は、いっさいございません」
傍聴の人々はどよめき、ジョルアンは暗い眼差しをバウファに突きつけた。
それでもバウファは涼しい顔で、ゆったりと微笑んでいる。その姿だけ見れば、彼が王殺しの大罪人だなどとはとうてい信じられるものではなかった。
(まあ、真実はどうあれ、このような話を素直に認めるはずがないよな。何か証でもない限り、ここで話は止まってしまうのではなかろうか)
そんな身も蓋もないことを考えながら、レイフォンはバウファの釈明を聞くことにした。
レイフォンの隣では、ティムトが何も見逃すまいという面持ちで、静かに瞳を光らせている。真実を語ることしか許されない審問の場で、虚言を吐いているのはジョルアンとバウファのどちらであるのか――それを見極めることが、まずは最初の一歩であるはずだった。