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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第六章 聖戦
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プロローグ 炎の誓い

2018.9/22 更新分 2/2

 ヴァルダヌスとカノン王子は、朱に染まった王の寝所に立ち尽くしていた。

 足もとには、王と三人の王子たち――それに、ヴァルダヌスの婚約者であったアイリア姫が、胸を断ち割られて倒れ伏している。たくさんの燭台に照らされた寝所には、濃密なる血臭がたちこめていた。


「おお、何ということだ……大いなる西方神よ、どうぞ救いの御手を……」


 そのようにうめいていたのは、十二獅子将にして第一防衛兵団の団長たる、アローンであった。アローンの背後には、白い甲冑に身を包んだ近衛兵たちの姿も見える。


「ヴァルダヌスよ、これはどういうことであるのだ! これは……これは、お前たちの仕業であるのか!?」


 アローンが、血走った目を向けてくる。ヴァルダヌスは何をどう考えていいかもわからないまま、「いえ」と応じてみせた。


「俺たちがこのような真似をするわけがありません。俺たちが寝所にやってきたときには、もうすでに……」


「では、お前の横に立っている、そやつは何なのだ! そやつはエイラの神殿に幽閉されていた、カノン王子その人ではないのか!?」


 アローンが寝所に踏み込んできて、腰の刀に手をかける。ヴァルダヌスはカノン王子を背中にかばいながら、必死に抗弁することになった。


「た、確かにこちらは、カノン王子殿下であられます。俺と殿下は、陛下のお招きに応じて寝所を訪れただけで――」


「その者を忌み子として幽閉していた陛下が、そのような真似をするわけがあるか! お前がカノン王子を逃がし、その復讐に手を貸したのだろうが!」


「け、決して違います! 俺たちは本当に、寝所に招かれただけであるのです! これは秘密の内に決められた会談であったので、アローン殿には伝えられていなかったのでしょう」


「では、どうやって王子をこの場に連れてきた? 王子の幽閉されていた部屋の鍵は、陛下しかお持ちでなかったはずだ!」


「ですからそれは、俺がお預かりしたのです。陛下ご自身でなく、アイリア姫から受け取ったのですが……」


 そのアイリアは、ヴァルダヌスの足もとで静かな死に顔をさらしている。

 愛する婚約者を失ってしまったのだという現実感も希薄なまま、ヴァルダヌスはただ惑乱していた。

 そんなヴァルダヌスの抗弁に、アローンは憤怒の形相で抜刀する。


「すべての罪を、アイリア姫をなすりつけようという魂胆か! 貴様はアイリア姫と婚約の儀を交わしていたというのに……何という痴れ者だ! 貴様が第四王子の色香に篭絡されたという噂は、真実であったようだな!」


「違います! 西方神に懸けて、俺は――」


「では、誰が守衛を弑したというのだ?」


 ヴァルダヌスの言葉をさえぎって、アローンが吠えた。

 他の近衛兵たちも寝所になだれこみ、それぞれが刀を抜いている。


「寝所を守る衛兵も、回廊を守る衛兵も、すべてが何者かに害されて、中庭に積み重ねられていた! まさか、アイリア姫がそのか弱き手で、十数名にも及ぶ衛兵を斬り伏せたとでも抜かすつもりか!?」


「そんな、まさか……」


 ヴァルダヌスは、いよいよ惑乱の極みに陥った。

 カノン王子は黙したまま、何も語らない。


「その亡骸を発見したからこそ、我々はこうして恐れ多くもカイロス陛下の寝所に踏み入ることとなったのだ! もはや言い逃れはできぬぞ、ヴァルダヌス!」


「そ、それではアイリア姫も、何者かに騙されていたのです! きっと何者かが、カノン王子に罪をかぶせるために、このような真似を――」


「ならば、そこな大罪人を斬り捨ててみせよ!」


 アローンが、憎悪に狂った顔でそのようにわめきたてた。


「それができれば、貴様もまた第四王子に騙されたのだと信じてやろう! 貴様がその手で、大罪人カノンを斬り捨てるのだ!」


「そのような真似が、できるはずはありません! 王子殿下にとて、罪はないのです!」


「そうか。やはり貴様も、叛逆者であるのだな」


 アローンは、白銀の長剣を振り上げた。


「叛逆者どもを捕らえよ! 逆らうようならば、斬り捨ててかまわん!」


「お、お待ちください! 陛下であれば、真実をご存知のはずです!」


「陛下だと? 陛下を斬り伏せたのは、貴様たちであろうが!」


「いえ、陛下はさきほど、お言葉を――」


 ヴァルダヌスの声は、カノン王子の「無駄だよ」という声にさえぎられた。


「そちらの兵士たちが踏み込んできたときには、もう父様の魂は肉体から離れてしまっていたよ。あれは、最後の力を振り絞った結果だったんだろう」


 ヴァルダヌスが振り返ると、カイロスは大きく目を見開いたまま、事切れていた。その顔は無念の形相に歪んでおり、口からは大量の鮮血がこぼれている。


「貴様は、陛下の最期のお言葉を聞いたのか? 陛下が真なる叛逆者の名を告げていたというのなら、それを申してみよ!」


 アローンに問い詰められたが、ヴァルダヌスには答えることができなかった。

 カイロスは、カノン王子を斬り捨てよ――と言い遺していたのである。


「……どうやら、それにも答えられぬようだな。貴様たちが叛逆者であるという、何よりの証だ」


 アローンは憎悪のこもった目つきで、ヴァルダヌスたちをねめつけている。

 またそれは、周囲を取り囲んでいる近衛兵たちにしてみても、同じことであった。


「王殺しの大罪を働いた貴様たちが、楽に死ねると思うなよ! 貴様たちは、この世のあらゆる痛苦をその身に刻みつけられたのち、大衆の前で首をくくられるのだ! 屍は塀の外に打ち捨てられて、腐肉喰らいの餌となろう!」


「お、お待ちください! 我々は、潔白であるのです!」


「もはや、問答は無用! 叛逆者どもを、ひっくくれ!」


 近衛兵たちが動こうとしたその瞬間、場違いな笑い声が響きわたった。

 カノン王子が身を折って、哄笑をあげ始めたのである。


「き、気でも触れたのか、この叛逆者め!」


「いや、失礼したね。ようやく僕にも、真実というものが見えてきたんだよ」


 カノン王子は身を起こすと、白銀の長い髪をゆったりとかきあげた。

 その白皙には妖しい笑みが浮かべられて、赤い瞳は火のように燃えている。その美しくも凄絶な姿に、さしもの近衛兵たちもたじろいでいた。


「つまりは、そういうことだったんだ……僕は最初から、『まつろわぬ民』の掌の上だったわけだね。こいつは、見事にやられてしまったよ」


「な、何をしている! あやつを、さっさと捕まえろ!」


「やめたほうがいいよ。僕はもう……最後の扉を開けられてしまったようだからね」


 室内の光景が、ぐにゃりと歪んだように感じられた。

 燭台の火がいっせいに大きくゆらめいたので、そのような錯覚が起きたのだ。

 しかし、窓は固く閉ざされていたので、炎がゆらぐ理由はなかった。


「ヴァルダヌスを愛したこの心情までもが、あいつらの思い通りだったというわけだ……お察しの通り、僕はヴァルダヌスを失うことに耐えられない。それが、最後の引き金となるわけだね」


 カノン王子は、真紅の瞳で近衛兵たちを見回していく。


「無駄だとは思うけど、いちおう忠告しておくよ。君たちは、僕に近づかないほうがいい。……残念ながら、僕の魂はすでに火神につかまれてしまっているからね」


「……叛逆者を、捕らえよ!」


 アローンの怒声に従って、近衛兵のひとりが横合いからカノン王子に近づいた。

 その武骨な指先が、王子のほっそりとした肩に触れようとした瞬間――世界が、真紅に包まれた。

 燭台の炎が渦を巻き、王子に触れようとした近衛兵を呑み込んでしまったのである。


 耳をふさぎたくなるような断末魔が、その場に響きわたった。

 ヴァルダヌスは、呆然とカノン王子を振り返る。

 カノン王子は、幼子のような顔で微笑んでいた。


「ごめんね、ヴァルダヌス……これはすべて、僕の責任だったんだ。父様が殺されたのも、君の婚約者が殺されたのも、すべては僕を覚醒させるためだったんだ」


「カ、カノン王子、いったい何を――」


「だけど僕は、見も知らぬ連中のために世界を滅ぼすなんて、まっぴらだ。このまま父様たちと一緒に、魂を返そうと思うよ」


 カノン王子が、ヴァルダヌスから遠ざかった。

 その間も、床に倒れた近衛兵は、炎の中でもがき苦しんでいる。油をかけられたわけでもないのに、その炎はいつまでも消えようとしなかった。


「お待ちください! どこに行かれるのですか、カノン王子!」


「いいから、ヴァルダヌスは早く逃げてよ。そうしないと、君まで巻き添えになってしまうんだ」


「な、何をしている! そやつは何かの手妻で近衛兵を害したのだ! 捕らえずともよい! 斬り捨てよ!」


 アローンの号令に従って、何名もの近衛兵たちがつかみかかろうとした。

 すると、燭台からは次々と炎の竜が生まれいで、近衛兵たちを喰らい尽くしてしまう。それは、悪夢のような光景であった。


「だから、言っただろう? 僕にはもう、自分でもこの力を止めることができない。神の器を現出させる儀式は、たった今この場で完成させられてしまったんだ。死にたくなかったら、さっさとこの部屋から出ていくことだね」


 カノン王子が、壁のほうに手をのばした。そこには、装飾用の短剣が飾られていた。

 カノン王子は白い指先で短剣を引き抜くと、鞘を放り捨て、切っ先を自分の咽喉もとに押し当てる。その光景を見て、ヴァルダヌスは「カノン王子!」と絶叫した。


「何をなさっているのですか! 馬鹿な真似は、おやめください!」


「だってもう、これ以上の死人は出したくないだろう? だったら、こうするしかないんだ」


 カノン王子は透明な笑みをヴァルダヌスに向けてから、短剣の切っ先を咽喉もとに押し込んだ。

 その瞬間――短剣はひとにぎりの炎と化し、王子の手の中で四散した。


「あれ……これじゃあ、死ぬこともできないのか」


「カ、カノン王子!」


「しかたない。それじゃあ、この宮殿が崩れ落ちるのを待とうかな。それでも死ねないようだったら、また別の手段を考えるとしよう」


 何名もの近衛兵たちを焼き尽くした炎の竜は、次の獲物を探すかのように、部屋の中で乱舞していた。生き残ったアローンたちは恐怖の声をあげ、その火の粉から逃げまどっている。


「こ、これはカノン王子がなさっているのですか? もうこのような真似は、おやめください!」


「残念ながら、そんな簡単にこの力を制御することはできないみたいだね。この炎は、僕の魂に呼応してしまっているんだ」


「た、魂に……?」


「うん。こんな世界は、滅んでしまえばいい……僕の魂が、そんな風に願ってしまっているんだろうね」


 吹き荒れる炎の中で、カノン王子は悲哀の笑みを浮かべていた。

 カノン王子がこのように悲しげな笑みを浮かべる姿は、ヴァルダヌスでも見たことはなかった。


「すべて、あの魔道書に書かれていた通りだ。まさかとは思っていたのだけれど、僕は本当に神の器なんかに仕立てあげられてしまったんだね。こんなことなら、あの暗い部屋の中で舌を噛み切るべきだったよ」


「カノン王子……」


「でも僕は、ヴァルダヌスとともに生きたいと願ってしまった。それが、すべての間違いの始まりだったんだ」


 天井の一部が崩れ落ち、何名かの近衛兵を押し潰した。

 帳や絨毯に炎が燃え移り、黒い煙があがっている。ヴァルダヌスたちは、生きながらかまどの中に放り込まれたかのようだった。


「さあ、早く逃げてよ、ヴァルダヌス。この炎は、僕のことしか避けてくれないんだ。どんなに僕が君のことを愛していても、そんなことにかまってはくれないんだよ」


「おのれ……おのれ、この化け物め!」


 そのように叫んだのは、アローンだった。

 正気を失った目つきでカノン王子をにらみすえ、その手の長剣を振りかぶる。


「西方神よ、我に力を! 王国に仇なす怪物を滅したまえ!」


 アローンが、カノン王子に斬りかかろうとした。

 その身体が、四方から飛来した炎に包まれる。

 アローンは炎の柱と化し、獣のような絶叫をほとばしらせた。


「彼の言うことは、何ひとつ間違っていない。僕こそが、王国の安寧を脅かす怪物であったんだよ」


 炎の向こうで、カノン王子が微笑んでいた。


「さようなら、ヴァルダヌス。どうか……どうか君だけは、生きのびておくれよ」


「お待ちください、カノン王子!」


 ヴァルダヌスは意を決し、燃える絨毯を踏み越えた。

 カノン王子は、愕然と目を見開く。


「いけない! 僕に近づいたら、駄目だ!」


 ヴァルダヌスの視界が、真紅に染まった。

 どこかから飛来した炎の竜が、ヴァルダヌスにも喰らいついてきたのだ。

 右半身が、灼熱の感覚に包まれていた。

 それが全身に広がるかと思われたとき、ふいにすべての痛苦が消滅する。

 その代わりに、異なる熱がヴァルダヌスを包んでいた。

 気づくと、ヴァルダヌスはその場にひざまずいており、カノン王子に頭を抱きすくめられていた。


「だから、近づいちゃいけないって言ったのに……どうしてこんな真似をするんだよ、ヴァルダヌス!」


 王子の身体もまた、炎のように熱かった。

 しかしそれでも、ヴァルダヌスが苦痛を感じることはなかった。右腕は動かすことができなかったので、左腕で王子の細い身体を抱きすくめてみせた。


「王子を置いて逃げることなど、できるわけがありません……どうかお望みをお捨てにならないでください、カノン王子……」


「望みなんて、もうどこにもないんだよ! 僕は化け物になりおおせてしまったんだ!」


「いいえ、王子は王子です……俺の知る、カノン王子そのものです……」


 壁の崩落する音色や、近衛兵たちのあげる断末魔が聞こえてくる。

 ヴァルダヌスの生も、もはやこれまでなのだろう。

 その前に、ヴァルダヌスの真情をカノン王子に伝えなくてはならなかった。


「俺を失うことはできないから、このようなことになってしまったのだと仰っていましたね……ならばそれは、俺のせいです……俺も、カノン王子にご一緒いたします……」


「何を言ってるんだよ! ヴァルダヌスは、生きないと駄目だ! そうじゃないと……僕が死ぬ意味がないじゃないか!」


「王子が生きるなら、俺も生きます……王子がここで朽ちるなら、俺も朽ちましょう……」


 ヴァルダヌスの頭が、王子の手から解放された。

 背中に回されていたヴァルダヌスの左腕を振り払うと、王子もその場に膝をつき、ヴァルダヌスに顔を近づけてくる。

 王子の白皙は、涙に濡れていた。

 その口もとには、慈愛に満ちた微笑がひろげられていた。


「僕が……僕が君を愛することを許してくれるの、ヴァルダヌス……?」


 ヴァルダヌスの身体からは、急速に力が抜け落ちていった。

 感覚のなかった右半身に、耐え難い痛みと熱が押し寄せてくる。それに意識を断ち切られる前に、ヴァルダヌスは「はい」とうなずいてみせた。


「俺はあなたと運命をともにします……どうか俺を置いていかないでください、カノン王子……」


 カノン王子は、何も答えようとしなかった。

 ただ、血の色を透かしたその唇で、ヴァルダヌスの額にそっと触れてきた。

 そうしてヴァルダヌスが、放埒な心地で意識を手放そうとしたとき――足もとの床が、音をたてて崩れ落ちた。

 荒れ狂う炎を置き去りにして、カノン王子とヴァルダヌスは暗黒の中に転げ落ちていくことになった。

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