Ⅰ 二人の狩人
2018.8/25 更新分 1/1
・今回から3話ほど、幕間のエピソードをお届けします。
ロア=ファムとギリル=ザザを含む王都の軍の一団は、主街道を南に進んでいた。
その人数は、五十余名にも及ぶ。老将ディラームの旗下たる、第三遠征兵団の精鋭たちだ。
ただし、人目を忍ぶために、兵士の格好はしていない。ゼラド大公国の間諜がどこに潜んでいるかも知れぬため、商団に身をやつしているのである。
大きな荷車を四台ばかりも走らせており、その前後をトトスにまたがった三名ずつの人間がはさんでいる。残りの人間は、全員荷台の中に身を潜めているのだ。町から町へと荷物を運ぶ商団と、それを護衛する傭兵たち、という体裁であった。
「ふむ。いまのところ、旅は順調だな。順調すぎて、あくびが出てしまいそうだ」
その荷車のひとつに陣取ったギリル=ザザが、笑いを含んだ声でそのようにつぶやいていた。
同じ荷台に居合わせた兵士たちは、素知らぬ顔でそっぽを向いている。しかたないので、ロア=ファムがそれを諌める役を担うことになった。
「気を抜くなよ、ギリル=ザザ。まだまだ道は半ばであるのだ。野盗やゼラドの間諜ばかりでなく、いつ妖魅が襲ってくるやもしれんのだからな」
「そんな愉快なものが現れれば、喜んで退治してやるさ。しかし、毎日荷車に揺られるばかりではなあ」
そう言って、ギリル=ザザは本当に大あくびをしていた。
ロア=ファムは頭をかき回しながら、その耳もとに口を寄せてみせる。
「おい。お前はただでさえ、兵士たちによく思われていないのだ。あまり反感を買うような言葉を口にするな」
「俺が反感を買ったところで、お前に不都合はあるまい? それに、何も間違ったことは言っていないつもりだぞ」
ギリル=ザザはいっかな気にした様子もなく、にやりと笑っていた。
すると、少し離れた場所で身をゆすっていた痩身の男が、「おい」と声を投げかけてくる。
「我々は、崇高なる任務を果たすために、王都を出立したのだ。それがわかっていないのなら、歩いて王都に戻ってもらうぞ。もとより、お前が同行するいわれなど、どこにもないのだからな」
それはいかにも神経質そうな面立ちをした、痩身の若者であった。そのかたわらにある大男も、鈍い苛立ちをひそめた目つきで、ロア=ファムたちのほうをにらみつけている。
この一団の兵士の中で、ディラーム老の部下でないのは、この両名のみであった。所属は第一防衛兵団であり、この一団のお目付け役である。この荷台の中の空気がいくぶん張り詰めているのは、この両名が同席しているためであった。
もともとこの部隊は、ディラーム老の指揮する第三遠征兵団のみで構成されていた。しかし、ディラーム老のみに責任を負わせるのは不相応として、この両名を同行させるように命じられてしまったのである。
「むろん、ディラームを信用していないわけではないのだがな。そのロア=ファムなる者が己の使命を果たせなかったとき、すべてを見届ける人間の目も必要であろう?」
出立の前夜、黒羊宮の謁見の間において、新王ベイギルスは粘っこく笑いながら、そのように述べていたのだった。
ディラーム老はレイフォンとともに、ロア=ファムの身を救ってくれた恩人である。相手が自由開拓民でも見下したりはせず、叛逆者の血族として捕らえられたロア=ファムに、生きる道を示してくれたのだ。ディラーム老はかつての元帥であり、現在も十二獅子将という身分にある人物であったが、もともと貴族としての位は高くなく、剣の腕一本で現在の地位を築いた傑物であるという評判であったのだった。
しかし、そんなディラーム老であるからこそ、たとえロア=ファムが使命を果たせなくとも、温情を与えてどこかに逃がしてしまうのではないか――と、そのように疑われることになったのだろう。その疑いを晴らすためには、このお目付け役たちの同行を承服するしか道がなかったのだった。
(まあ、俺だって自分の役割を投げ出すつもりはない。それを見届けたいというのなら、好きなだけ見届けるがいい)
ロア=ファムはそのように考えながら、荷台の壁にもたれかかった。
ロア=ファムの使命とは、偽王子のもとにいるという姉メナ=ファムを説得し、ゼラドの軍から離脱させることである。この使命を果たせば、偽王子に力を貸した姉の罪を不問にしてもらえる、という話であったのだ。
ゼラド大公国は偽王子を旗頭として、王都を陥落させる心づもりである、とされている。これまでも何度となく王都の軍と刃を交えてきたゼラドであるが、今度こそ西の王国セルヴァの玉座を簒奪する目論見である、という話であるのだ。
ゼラドに亡命した第四王子カノンこそが正統なる王位継承者である、というお題目を掲げれば、地方領主はもちろん、王都の人々だって戦意が鈍ってしまうかもしれない。この戦いを未然に回避するには、ゼラドのもとから偽王子を引き離すしかないのだ――ディラーム老やレイフォンは、そのように述べていたのだった。
(難しい話は、俺にはわからん。しかし、あの馬鹿な姉を救うには、この命令に従う他ないのだろうからな)
そのように考えながら、ロア=ファムはひとつ溜息をついた。
すると、今度はギリル=ザザのほうがロア=ファムに顔を寄せてくる。
「おい、あいつはまだお前のことをにらみつけているぞ。お前たちは、何か悪縁でも持っているのか?」
「何? 疎まれているのは、お前だろうが? 俺はあやつらに敵意を向けられるいわれはない」
小声でそのように応じてから、ロア=ファムは目だけで兵士たちの姿をうかがった。
二名のお目付け役の内、大男のほうがこちらをにらみつけている。そしてその目は、ギリル=ザザではなくロア=ファムを注視しているようだった。
「言ったであろう? あの痩せぎすのほうは俺を疎んでいるようだが、大男のほうはお前に関心があるようだ」
「……俺に後ろめたいところはない。疎みたいなら、疎んでいればいい」
「うむ。それは俺も、同じ心情だな」
ふてぶてしく笑いながら、ギリル=ザザは身を引いた。
ロア=ファムも大男から視線を外して、壁にもたれる。
あの兵士たちの所属は第一防衛兵団であるから、敵でも味方でもない。かつての第一防衛兵団の長は前王らとともに魂を返しており、現在は副官であった人物が新たな長とされているのだ。いまのところ、その人物が敵方に取り込まれた様子はない、とロア=ファムはそのように聞かされていた。
「ただ、その人物は王家に対する忠心が強いのでね。現在は、新王ベイギルスに混じりけのない忠誠を誓っているように見受けられるから、こちらの味方に引き入れることも難しいのだよ」
レイフォンは、かつてそのように述べていた。
その人物を味方に引き込むには、まず新王ベイギルスが不当な手段で玉座を手に入れたのだと証し立てる他ないようだった。
(まあ、王都にはあれだけの人間がそろっているのだから、何とかなるだろう。俺は俺の役割を果たすだけだ)
王都においては、ロア=ファムたちが出立する寸前に、十二獅子将のジョルアンなる人物が叛逆罪の疑いで捕らわれていたのである。
そのジョルアンは、レイフォンたちが敵方と目していた男であった。そのジョルアンを皮切りとして、いよいよ前王らを弑した叛逆者どもと全面対決することになるのか――という緊迫した状況の中、ロア=ファムたちは王都を離れることになったのだ。
しかしまた、王都の騒ぎとロア=ファムたちの使命に、直接的な関わりはない。レイフォンたちの戦いがどのような局面を迎えようとも、ゼラドの進軍を阻止しない限り、王都は侵略の危機にさらされるのだ。王都の戦いはレイフォンたちに任せて、ロア=ファムは自分の使命をまっとうすることにすべての力を注ぐしか道はなかった。
(どのみち俺は、自由開拓民だ。誰が国王になろうとも、知ったことではない。……ただ、心正しき者たちが勝利することを願うばかりだ)
ロア=ファムがそのように考えたとき、荷車の歩が遅くなった。
兵士のひとりが立ち上がり、小窓の帳を開いて、外の人間と言葉を交わしている。相手はトトスにまたがったまま、荷車と並走しているのだろう。
「よし。まもなく次の町に到着する。今日はそこで夜を明かすので、荷車を降りろ」
兵士たちは、おのおの身支度に取りかかった。
町で夜を明かす際は、荷車を宿屋に預けなければならない。その間は、ロア=ファムたちもそれぞれ旅人のふりをしなければならないのだ。
「さあ、急げ。いまなら、人目もないからな」
常歩で進んでいる荷車から、兵士がひとりずつ地面に飛び降りる。ギリル=ザザも、「やれやれ」と荷袋を背負っていた。
「ようやく今日の旅もおしまいか。けっきょく何も起きず仕舞いだったな」
「油断をするな。町の中でも、何が起きるかわからんのだぞ」
ロア=ファムが言葉を返すと、ギリル=ザザは肩をすくめて扉の外に身を投じた。
ロア=ファムもそれに続き、しんがりはお目付け役の二名である。全員が地面に降り立つと、荷車はまた速度を上げて街道を駆け始めた。
「出立は夜明けだからな。くれぐれも、おかしな騒ぎを起こすのではないぞ」
トトスにまたがった男も、そのような言葉を残して、荷車を追いかけていく。四台の荷車と六名の騎手が駆け去ると、その場には四十余名の人間が残された。
しかし、ひとかたまりにはならず、五、六名ずつに分かれて、街道を歩く。誰とすれ違ってもあやしまれないための、用心である。そうしてさりげなく分散しながら、ロア=ファムを中央に置いているのは、名目上、その逃亡を阻止するためであった。
「儂の部下たちは、決してお前がそのような真似をしないと信じている。だが、お目付け役の者たちを安心させなければならんのでな」
出立前に、ディラーム老はそのように述べていた。
とはいえ、この場にいる兵士たちの中で、ロア=ファムが見知っているのは、ごく数名だ。彼らはロア=ファムを信じているのではなく、ロア=ファムが逃げるわけがないと述べたてるディラーム老の言葉を信じているのだろう。
その中で、さきほどまで同じ荷台に陣取っていた兵士のひとりが、ロア=ファムに近づいてくる。この一団の指揮官である、百獅子長のベルデンであった。
「ロア=ファムよ、俺たちは《マドゥアルの酒樽亭》という宿屋に向かうからな。決してはぐれるのではないぞ」
「うむ。今日はどの宿で夜を明かすかが、あらかじめ決められていたのか?」
「ああ。その宿で、レイフォン卿の雇った案内人と合流する手はずになっているのだ」
ロア=ファムとしては、何を言われてもそれに従うだけであった。
壮年の武官であるベルデンは、無精髭の浮いた顔に勇ましい笑みを浮かべる。
「我々が王都を出立する前から、レイフォン卿はそのような人間を準備していたらしい。まったくあの御方の知略は、噂で聞く以上のものであるようだ」
「何だ、何を話している? 密談は控えてもらおうか」
と、お目付け役の兵士たちが逆の側から身を寄せてきた。
ベルデンは眉をひそめながら、そちらを振り返る。
「べつだん、密談などをしているわけではない。さきほど貴官に伝えた言葉を、そのままロア=ファムにも伝えただけだ」
「さきほどの言葉とは? 包み隠さず申してもらおう」
「だから、何も包んでなどいないというのに……これから《マドゥアルの酒樽亭》という宿屋に出向いて、レイフォン卿の準備した案内人と落ち合う、という件だ」
「本当にそれだけか?」と、痩せぎすの若い兵士はロア=ファムのほうをねめつけてくる。
迂闊に言葉を返すと面倒なことになりそうであったので、ロア=ファムは無言のままうなずいてみせた。
「……ふん。そのような話をこの者に伝える必要はない。黙ってその場所まで連れていけばいいことだ」
「だからといって、話して悪いことでもあるまい」
ベルデンは、鬱陶しそうに手を振った。
「それに、俺はいちおう百獅子長であるのだがな。貴官は第一防衛兵団において、百獅子長の副官というお立場ではなかったかな、タールス殿?」
「ふん。わたしの補佐する隊長殿はまもなく千獅子長の副官となる話があがっているので、そうしたらわたしが百獅子長で、このバズが副官だ」
痩せぎすの兵士、タールスはそのように言い返していた。
おそらくベルデンのほうは役職などをそれほど重んじない大らかな気性であるのだが、あえてタールスを皮肉っているのだろう。このタールスは、やたらと身分や役職にこだわる人物であるのだ。
(だからこそ、自由開拓民である俺のことを見下しているのだろうな。それに、狩人の身でありながら、貴族の従者などをつとめているギリル=ザザのことが、目障りでしかたないのだ)
そういう人間とは、ロア=ファムも何度か出くわしたことがある。大鰐の革細工や肉を売るために、町へと出向く機会が多いためだ。
そういう人間は、獣でも見るような目でロア=ファムを見ていた。王国の民にとって、自由開拓民というのは一段低みにいる存在なのである。ロア=ファムは、それが自由の代償であるのだと、故郷の長老から習っていた。
しかし、意外にも、ロア=ファムは王都でそれほど粗雑な扱いは受けていなかった。
ディラーム老やレイフォン、クリスフィアやフラウなどは、身分の差など気にする様子もなく、ロア=ファムに接してくれていた。従者の格好をさせられて、祝宴の場に引きずり出されたときなどは閉口するばかりであったものの、そもそも自由開拓民である自分にそのような真似をさせることが、まず驚きであったのだった。
(それに、メルセウスという貴族などは、レイフォンたち以上に身分を気にしない人間であるようだしな。そうでなければ、森辺の民を従者などに仕立てあげるはずもない)
ジェノスに住まう森辺の民は、いちおう王国の民とされている。しかし、モルガの森辺でギバという恐ろしい獣を狩る、狩人の一族でもあるのだ。
普段は狩人として暮らしながら、命令のあったときにだけ、貴族の従者として仕える。それがあまり普通の話でないということは、王国の情勢に疎いロア=ファムにも察することができた。
(本来であれば、このタールスのように俺やギリル=ザザを疎むものなのだろう。それはべつだん、どうでもいいのだが……しかし、こいつの目つきは、いささか気になるな)
そのように考えながら、ロア=ファムは横目で大男のほうをうかがった。
バズという名を持つその大男は、ベルデンとタールスがやりあっているさなかも、ロア=ファムのほうに視線を向けてきている。そこまで敵意のこもった目つきではなかったものの、ロア=ファムに強い関心を抱いていることは明らかであった。
このバズは、タールスの部下である。が、年齢はタールスよりもずいぶん上であろう。髪は短く刈り込んでおり、ギリル=ザザよりも大きな図体をしている。古びた外套と傷だらけの革の鎧で傭兵を装っているが、王都の軍のきらびやかな装束よりも、こちらのほうがよほど似つかわしいように思えた。
「ああ、宿場町が見えてきたな。各人、ぬかるなよ」
タールスとの舌戦を終えたベルデンが、低い声でそのようにつぶやいた。
背の高い木造りの塀が、目前に迫っている。門は大きく開け放たれていたが、そこには何名もの守衛たちが立ちはだかっていた。
「何だ、今日はずいぶん客人が多いな。人相あらためをさせてもらうので、そこに並べ」
それぞれの組に分かれた兵士の一団は、守衛の言う通りに立ち並んだ。
手配中の罪人などが町の中にまぎれ込まないように、たいていの町ではこういった面通しが必要になるのだ。それに、顔や腕に罪人の証である刺青や焼印がないかを確かめられることもある。旅人の出入りが多い宿場町では、特にこうした措置が必要であるのだろう。
こちらの兵士たちはみんな傭兵を装っているので、刀を下げていても不審がられることはない。ただし、町の中で刀を抜けば大罪になるということを言い含められて、中に通されるのだ。そうして先頭の集団が面通しをされている間に、後続の者たちも到着してしまったので、守衛の男たちは目を丸くすることになった。
「何だ、次から次へとやってきおって……しかも、お前たちも傭兵か? まさか、盗賊団が傭兵を装って、俺たちの町に悪さをしようというのではないだろうな?」
「おいおい、俺が盗賊なんぞに見えるってのか? 王都では、騎士様に間違えられるほうが多かったぐらいなんだぞ?」
ベルデンが、にやにやと笑いながら、そのように述べたてた。
実際にベルデンは王都の騎士であるので、それに相応しい面立ちをしている。ただし、この任務を拝命するにあたって無精髭を生やし始めたので、なんとか傭兵に見えないこともない、といった具合であった。
「ふん……お前は、王都の生まれなのか? みすぼらしいなりをしている割には、気障ったらしい顔をしてるじゃないか」
「俺は、ルアドラの生まれだよ。しがない商人の次男坊なんぞに生まれついちまったから、剣の道に生きていくことを決めたわけさ」
そう言って、ベルデンは親指でタールスのほうを指し示した。
「ま、いまは大きな戦もないんで、商人の護衛役なんぞに身をやつしているがね。こちらの旦那はこの町で大きな仕事を取りつけなきゃいけないそうだから、とっとと通してもらえないもんかね?」
タールスは傭兵を装うのに不相応の風貌をしているために、商人のふりをしているのだ。この検問の間は、腰の刀もバズに預けていた。
守衛の男は胡散臭げにベルデンとタールスの顔を見比べてから、「ふん」と鼻息をふいた。
「どんな用事があろうとも、人相あらためを二の次にすることはできん。縄でくくられたくなかったら、大人しくしていろ」
「だから、大人しくしているだろ。とっととお役目を果たしてくんな」
「いいから、黙っていろというのに……何だ、お前は子供じゃないか」
と、守衛の目がロア=ファムに向けられた。
その目に、いっそう疑り深げな光が浮かべられていく。
「それに、赤い髪に黄色い瞳というのも、この辺りじゃ見ない色だな。……おい、お前はどこの生まれなんだ?」
「俺の故郷は、ダームの港町だ。あそこにはさまざまな土地の人間が集まるので、このような髪や瞳も珍しくはない」
ロア=ファムは、王都でレイフォンに教え込まれた通りの言葉を返してみせた。
守衛の男は、「ほう」と眉を上げている。
「ルアドラのお次は、ダームときたか。五大公爵領を故郷とするなら、その地の騎士団で働けばよさそうなもんだがな」
「地元だと、かえってやりにくいこともあるんだよ。それに、公爵領の騎士団なんかじゃ、武勲を立てる機会も少ないんでね」
ベルデンが豪放に笑いながら、ロア=ファムの首に腕を回してきた。
「それに、こいつはもう十五だ。可愛らしい顔をしちゃいるが、剣の腕もなかなかのもんなんでね。俺が一から鍛えてやってるんだよ」
「ふん。まあ、目つきだけは一人前だな」
そのように言い捨てた守衛の男が、今度はギリル=ザザへと視線を飛ばす。
「それで、こっちのやつは何なんだ? 東の民みたいに浅黒い肌をしているが……こんなに立派な体格をした東の民は、見たこともないな」
「そいつは、東と西の混血だよ。つい最近まで東で暮らしていたから、まだ西の言葉が不自由なんだ」
ギリル=ザザはすました面持ちで、一礼していた。
森辺の民は、虚言を吐くことを罪としているのだ。それゆえに、自ら身分を偽ることができないので、このような設定を与えられることになったのである。
「こいつもなかなか腕が立つから、俺が傭兵として育ててる最中なんだよ。東の生まれだけど西方神の子としての洗礼も受けたから、いまでは立派な西の民だ。もちろん、毒草なんぞは持っちゃいないよ」
「ずいぶん風変わりな人間を集めたもんだ。くれぐれも、町の中で騒ぎを起こすんじゃないぞ?」
「もちろんさ。父なる西方神にかけて、大人しくしているよ」
それでようやく、ベルデンの組は町の中に入ることが許された。
人数は、六名。ベルデンとその部下、タールスとバズ、ロア=ファムとギリル=ザザである。一同がゆっくり歩を進めていくと、すぐに後続の五名が追いすがってきた。
ベルデンの班は、これで全員である。しかし、後続の者たちはあくまで他人を装っている。十名以上の集団となると人目を引いてしまうので、そのように取り計らっているのだ。
先行して町に入った荷車の一団は、すでに宿屋で腰を落ち着けていることだろう。それらの者たちも、後からやってくる残りの者たちも、明日の朝までは顔をあわせることもない。それぞれの宿で一夜を明かして、町を出てから合流する手はずとなっていた。
(ゼラドの目をあざむくためとはいえ、まったく面倒なことだ)
ともあれ、無事に町へ入ることはできた。あとは、目的の宿屋を探すばかりである。
塀の中にはたくさんの家屋が立ち並び、なかなかの賑わいを見せていた。ここは貴族のいない自治領区であるという話であったが、主街道沿いに存在するために、逗留する人間も多いのだろう。そろそろ太陽は沈みかけていたが、道のあちこちには食料や日用品を売る屋台が開かれていた。
先頭を歩いていたベルデンは、ラマムの果実を売っている屋台へと近づいていく。
「おお、こいつはよく熟れてるな。ひとつ頼むよ。……なあ、《マドゥアルの酒樽亭》ってのは、この辺りかい?」
「《マドゥアルの酒樽亭》は、そこの通りを右に入って、少しばかり歩いた先だね。……宿をお探しなら、あたしがもっと上等なところをみつくろってあげようか?」
「いや、客人と待ち合わせなんでね。名前の通りに、美味い酒を出してもらえりゃあ十分さ」
銅貨と引き換えにラマムの実を受け取ったベルデンは、白い歯でそれをかじった。
「よし、場所がわかったぞ。人が多いから、はぐれんようにな」
ベルデンが歩き出すと、屋台を物色するふりをしていた後続の者たちも、続いて歩き出す。王都の騎士がこのような任務につくことはそうそうないという話であったが、なかなか堂にいったものであった。
目に立つ風貌をしたロア=ファムやギリル=ザザは、外套の頭巾で面相を隠している。しかし、ギリル=ザザは図体がでかい上に、いつでも毅然と胸を張っているので、やはり人目をひくことが多かった。
また、ギリル=ザザ自身も好奇心に満ちた眼差しで、町の様子を見回している。普段はなかなか故郷を離れる機会も少ないので、何もかもが物珍しいのだろう。それはロア=ファムも同様であったが、こちらは時ならぬ襲撃者に備えるので手一杯であり、見慣れぬ町の様子を楽しむゆとりもなかった。
「ああ、ここだな。ずいぶんさびれた宿屋のようだ」
ベルデンが足を止めて、そのようにつぶやいた。
その目は、建物に掲げられた看板を見上げている。ロア=ファムにはわからないが、そこに宿屋の名が記されているのだろう。二階建ての、それなりに大きな宿屋であったが、確かにずいぶんと古びており、あちこち修繕が必要な様子だった。
まずは、先陣の六名だけが、そこに足を踏み入れる。
受付台には、頭の禿げあがった壮年の男がふんぞり返っていた。
「いらっしゃい。食事かね、泊りかね?」
「どっちもだな。荷車なしで、人数は六人だ。全員が同じ部屋で休むことができれば、ありがたいな」
「ああ、大部屋がまるまる空いてるよ。十人部屋なんで、後から別の客も入るかもしれんがね」
「よし、そこでお願いしよう」
そのように答えながら、ベルデンは部下の男に目配せをした。残りの五名も同じ部屋に入れれば好都合なので、間を置かず申し込むように指示を送るのだろう。男はそっと扉を出ていき、ベルデンは主人に銅貨を支払った。
「それじゃあ、まずは腹ごしらえにするか。適当な料理を、六人分たのむ。果実酒はいらんから、水をくれ」
「果実酒を飲まないって、あんた正気かね?」
「そりゃあ俺だって飲みたいところだが、こちらのお人を守る仕事の最中なんでね」
肩をすくめる主人を横目に、一同は前進した。
入ってすぐが食堂となっており、座席はすでに半分ぐらいが埋まっている。ここはけっこうな安宿のようで、客の大半は無法者のような風体をした男たちであった。
一同が歩を進めていくと、値踏みするような視線を向けられてくる。誰も彼もが悪党面で、挑発するように短剣の柄を撫でている者もいたが、ロア=ファムの危機感を刺激するような腕を持つ人間は存在しないようだった。
(こんな連中なら総出でかかられても、俺とギリル=ザザだけで退けられるな。……いや、ギリル=ザザなら、ひとりでも十分か)
そんなことを考えながら、ロア=ファムは木造りの椅子に腰を下ろした。
その隣に陣取ったベルデンが、「おお」と懐に手を差し入れる。
「そうだ、こいつを忘れていた。これがなくては、目当ての人間と会うこともできん」
そのように述べながら、ベルデンは首に赤い布を巻きつけた。
どうやらそれが目印であったらしく、食堂の隅で酒盃を傾けていた男が、ゆらりと立ち上がる。その男は、卓の上の土瓶もひっつかんで、ふらふらとこちらに近づいてきた。
「よお、ひさしぶりじゃねえか。水車小屋の娘は元気かい?」
「残念ながら、あの娘はカロン牧場のせがれに嫁いじまったよ」
ベルデンの返答に、男は「ひゃひゃひゃ」と下品な笑い声をあげる。
貧相な身なりをした、小男である。それなりに年はくっているようであるが、ロア=ファムよりも背は低く、腕も胴体も細っこい。頭はいくぶん薄くなりかけており、皺の深い顔は酒気で赤く染まっていた。
この男からも、大した力量は感じられない。この場にいる誰でも、ひとりで返り討ちにすることができるだろう。
しかしロア=ファムは、妙な気配をも感じ取っていた。
この小男を討ち取ろうとしても、するりと逃げられてしまいそうな――シャーリの大鰐ではなく、ギーズの大鼠のような厄介さを、狩人の本能で知覚することになったのだ。
(なるほど。さすがはレイフォンの準備した人間だ)
ロア=ファムがそのようなことを考えている間に、小男がベルデンの向かいに腰を下ろした。そして、酒盃と土瓶を卓に置くと、ロア=ファムたちのほうに身を乗り出してくる。
「お待ちしていやしたよ、王都のみなさんがた。俺が案内人のドンティでございやす。ヴェヘイムの若君には返しきれない恩義があるんで、せいいっぱい働かせていただきやすよ」
レイフォンが、このたびの作戦のために準備した男――案内人のドンティは、小声でそのように述べながら、顔をくしゃくしゃにして微笑んだのだった。