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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第五章 神の下僕
124/244

エピローグ 真実の一端

2018.8/18 更新分 1/1

 クリスフィアたちを乗せたトトスの車が動きを止めると、その場所にはもう戦場のような気配が満ちていた。

 道中、ずっと無言であったロネックは、野獣のように笑いながら後部の扉を押し開ける。クリスフィアは、ギリル=ザザと目配せをしてから、その後を追うことになった。


 クリスフィアたちが連れてこられたのは、城下町にある第二兵舎という施設であった。

 城下町を守る衛兵たちのための宿舎であるのだろう。車から降りてその建物を振り仰ごうとしたクリスフィアは、その途中で息を呑むことになった。


 石造りの堅牢なる建造物を、完全武装の兵士たちが取り囲んでいる。しかし、その兵士たちは兵舎を守ろうとしているのではなく、その逆の意思を秘めているということが明白であった。数百名にも及ぶ兵士たちは、籠城した敵を威嚇するかのごとく、全員がその建物のほうをにらみすえていたのである。


「呆れたな。これではまるで、戦ではないか」


 ギリル=ザザが、クリスフィアにだけ聞こえるように潜めた声で、そのようにつぶやいていた。

 クリスフィアとて、同じ心情である。ロネックはすでにこれだけの手勢を先行させて、ジョルアンを追い詰めていたのだった。


 固く閉ざされた門の前では、複数の兵士たちが押し問答をしている。どちらも似たような甲冑姿であったが、門を守ろうとしている兵士たちは青い肩飾りを、それに怒声をあびせかけている兵士たちは赤い肩飾りをつけている。前者はジョルアンの配下たる防衛兵団の所属で、後者はロネックの配下たる遠征兵団の所属であるのだろう。同じ遠征兵団であるディラーム老の部下たちも赤い肩飾りをつけていたことを、クリスフィアは記憶に留めていた。


「待たせたな。ジョルアンのところまで、案内してもらおうか」


 その場に近づいたロネックが、底ごもる声でそのように述べたてた。

 それほど大きな声ではなかったものの、兵士たちは一斉に押し黙ってしまう。それだけの迫力が、ロネックの声には込められていた。


「俺の言葉が聞こえなかったのか? 十二獅子将にして元帥たるこの俺がわざわざ出向いてきてやったのだから、ジョルアンめに取り次げ、と言っているのだ」


「で、ですが、ジョルアン元帥閣下は現在、重要な会議のさなかであり――」


「知ったことか! これは、貴様らが売った喧嘩であろうが!」


 ロネックの怒声が、その場の緊迫した空気を木っ端微塵に打ち砕いた。


「貴様は元帥たる俺に意見できるような身分であるのか? その素っ首を刎ね落とされたくなったら、いますぐに門を開け!」


 防衛兵団の兵士たちは真っ青な顔になりながら、門扉に手をかけた。

 分厚い門扉が、兵士たちの逡巡を表すかのごとく、のろのろと開かれていく。そのさまを見やりながら、ロネックは「ふん」と鼻を鳴らした。


「刀を抜く覚悟もないのなら、最初から黙って言うことを聞いておけ。……ゲイムよ、周囲の見張りはお前に任せる。あの生白い鼠めが逃げ出さぬように、すべての出入り口をふさいでおくのだぞ」


「は、承知いたしました」


 ずんぐりとした体躯の男が、敬礼をする。呆れたことに、その者の胸には千獅子長を示す獅子の飾り物が輝いていた。


(呆れたな。たとえ元帥とはいえ、王の許しもなくこうまで好きに兵を動かすことが許されるのか?)


 クリスフィアがそのようなことを考えている間に、ロネックは次なる指令を飛ばしていた。


「それでは、兵舎に乗り込むぞ。二個小隊は、俺に続け」


「二個小隊でよろしいのでしょうか? こちらの兵舎にはこの時間、最低でも二個中隊の兵士が待機しているはずですが……」


「相手がこんなボンクラどもであれば、一人で十人を斬り捨てるも容易であろうが? それよりも、誰一人この場を通すのではないぞ!」


 地鳴りのような声で言い捨てるや、ロネックはあらためて兵舎のほうに向きなおった。


「それでは、突撃する! 歯向かう者は、斬り捨ててかまわんぞ!」


 ロネックを先頭にして、二十名ばかりの兵士たちが門扉の中に突進していく。クリスフィアとギリル=ザザは、その最後尾に追従した。


 前庭では、槍をたずさえた兵士たちが棒立ちになっている。やはり、どれほど礼を失した訪問であっても、軍の最高司令官たる相手に独断で槍を向けることはできないのだろう。それを命じられるのは、同じ立場であるジョルアンただひとりであるはずだった。


(ジョルアン将軍がその気になったら、この場で王都の軍勢同士が相争うことになる、ということだな。まったく、剣呑な事態に陥ったものだ)


 クリスフィアとしては、ジョルアンがそのような蛮勇を持ち合わせていないことを祈るばかりであった。

 上手くいけば、それでジョルアンとロネックの同士討ちを狙えるのやもしれないが、それではあまりに犠牲が大きすぎる。北にマヒュドラ、南にゼラドという仇敵が控えている王都であるのだ。ここでそのような内紛が生じては、王国の存亡そのものが危うくなってしまうことだろう。


「元帥閣下、ジョルアン将軍は二階の執務室に立てこもっているかと思われます」


「二階か。よし、案内をせよ」


 建物の入り口には、また数名の守衛たちが立ち並んでいる。しかし、ロネックの恫喝の前では、彼らも職務をまっとうすることはかなわなかった。

 扉が大きく開かれて、ロネックの手勢は兵舎に乗り込んでいく。

 一階の回廊はがらんとしており、こちらの進軍を阻もうとする者も見当たらなかった。


 どうやらこの兵舎について熟知しているらしい兵士のひとりが、迷う素振りもなくロネックを回廊の奥へと導いていく。その途中で、クリスフィアは横合いから腕をつかまれた。

 振り返ると、ギリル=ザザが口もとで指を立てている。そうして二人が歩を止めた間に、ロネックたちの姿は回廊を曲がって見えなくなってしまった。


「どうしたのだ? ロネックから目を離すのはまずいのだが」


「そうか。妖魅の気配を感じたのだが、そちらは捨て置いてもいいのかな?」


 クリスフィアは、愕然と相手の顔を見返した。

 ギルル=ザザはいつもの調子でふてぶてしく微笑んでいたが、その黒い瞳には強い光が浮かべられている。


「まあ、本当にこれが妖魅の気配であるかどうかは、俺にもわからんのだがな。しかし、あの陰気な塔で感じたのと同じ類いのものであることに間違いはないようだぞ」


「それは、どちらから感じるのだ?」


「こっちだ」と言い捨てるなり、ギリル=ザザはきびすを返した。

 そうして回廊を逆戻りしながら、ギリル=ザザが肩をすくめる。


「そういえば、思わず腕をつかんでしまったな。声をたてずに姫の足を止めたかっただけなので、どうか不問にしてもらいたい」


「うむ? それはどういう意味であろうか?」


「森辺の民は、家人でも伴侶でもない異性の身に触れることを禁じられているのだ。姫は都の人間だから気にしなかろうが、ジェイ=シンらは頭が固いのでな」


 このような際でありながら、クリスフィアはついふきだしてしまった。


「わかった。決してジェイ=シンらには話さぬと約束しよう」


「ありがたい。恩に着るぞ、姫」


 そうしてギリル=ザザは最初の入り口をも通りすぎると、そのまま回廊を突き進んでいった。

 こちらの側にも、兵士の姿は見当たらない。この兵舎には二個中隊の兵士が待機しているという話であったが、この場には人の気配すら感じられなかった。


「よもや、この宿舎の兵士たちまでもが、妖魅の手にかかったのではなかろうな?」


「それほどの騒ぎが起きていれば、表の兵士たちだって気づくだろうさ。いまのところは、血の臭いもしないしな」


 やがて回廊の分かれ道に至ると、ギリル=ザザは一瞬目を細めてから、「こっちだ」と左に向かった。


「人間の気配がしないので、都合がいい。静まりかえった森の中で、ギバを追っているような心地だ」


「すごいな。まるで猟犬のようではないか」


「猟犬だったら、とっくに俺たちを妖魅のもとまで導いていることだろう。あやつらの鼻のよさは、人間の比ではないからな」


 そうしてギリル=ザザは、ひとつの扉の前で足を止めた。

 何の変哲もない、木造りの扉である。むしろ、これまでに見かけた扉よりも、粗末な造りをしているぐらいであった。


「おそらく、ここだな。それに、人間の気配もするぞ」


「妖魅と人間が、この場にいるのか?」


 クリスフィアは、長剣の柄に手をかけた。

 同じく腰に手をやりながら、ギリル=ザザは小さく首を振っている。


「人間の息づかいを、わずかに感じる。しかし……生きていない人間のほうが多いようだ」


 クリスフィアは唇を噛みながら、その扉に手をかけた。


「ジョルアン将軍が生きながらえていることを祈るしかあるまいな。すまぬが、わたしが扉を開けるので、先陣を任せたい」


「おお。そのために、俺はわざわざ同行したのだぞ」


 ギリル=ザザが、すらりと刀を抜き放つ。


「さあ、いつでも開けるがいい。何が現れても、俺が斬り捨ててやる」


「では、三つで開けるぞ。三、二、一!」


 クリスフィアは、扉を引き開けた。

 しかし、中から妖魅が飛び出してくることはなく、ギリル=ザザも微動だにしなかった。ただ、その黒瞳が鋭く室内を見回している。


「五人……いや、六人だな。その魂の安からんことを」


 ギリル=ザザは、ゆっくりと室内に踏み入っていった。

 自分の刀も抜いてから、クリスフィアもその後を追う。


 そこは、厨であるようだった。

 かまどではぐつぐつと鉄鍋が湯気をたてており、台の上ではポイタンの団子が山積みにされている。それに、魚醤の香りが濃厚にたちのぼっていた。


「これは……厨を任されていた使用人たちか」


 低く潜めた声で、クリスフィアはそうつぶやいた。

 床に、何名もの人間たちが横たわっていたのだ。

 白い厨番の装束を纏ったその者たちは、全員が無残に息絶えていた。顔も手の先もぱんぱんに膨れあがり、どす黒い紫色に変色していたのである。明らかに、それは毒によって死に至らしめられた遺骸であった。


「奥にも、ひとり倒れている。あれは、兵士だな」


 ギリル=ザザの視線の先を追うと、そこから革の長靴を履いた足の先が見えていた。腰から上は戸棚の向こうに隠されており、そばには抜き身の刀が転がされている。


「あれは、ジョルアン……ではないようだな」


 ジョルアンであれば、もっと華美なる装束や甲冑を纏っているはずだ。そのように考えながら、クリスフィアは戸棚に隠されているその面相を確認しようとした。

 そこで、いきなり背中を突き飛ばされる。

 倒れ込んだクリスフィアの頭上で、ギリル=ザザの刀が一閃された。


「ふん、なかなか素早いな。しかし、大した敵ではないようだ」


 不敵につぶやきながら、ギリル=ザザはクリスフィアの前に回り込んできた。


「荒っぽい真似をして済まなかったな。物陰から、あやつが飛びかかってきたのだ」


「うむ。礼を言うぞ、ギリル=ザザ」


 クリスフィアも素早く身を起こして、ギリル=ザザの邪魔にならぬ場所まで身を引いた。

 戸棚の上の薄暗がりに、緑色の目が燃えている。

 それは、赤子のように小さくて、毛むくじゃらの姿をした、おぞましい漆黒の妖魅であった。


「あれは、シーズ殿を殺めたのと同じ妖魅だ」


「なるほど。ならば、剣で倒せる相手ということだな」


 両手で刀をかまえながら、ギリル=ザザは腰を落とした。


「とりあえず、他におかしな気配はしない。この場に存在する妖魅は、あやつだけのようだ」


「油断するなよ、ギリル=ザザ。あやつは、毒の塊のようなもので――」


 クリスフィアがそのように言いかけたとき、妖魅が頭上から飛来した。

 ギリル=ザザは、すかさず刀を薙ぎ払う。その切っ先が、妖魅の胴体を真っ二つにした。


 しかし、妖魅の勢いは止まらない。

 腰から下を失いながら、その妖魅は緑色の目を爛々と燃やし、黄ばんだ牙を剥き出しにして、クリスフィアのもとまで飛来してきたのだった。


「なめるな!」


 クリスフィアは、身をひねりながら、長剣を繰り出した。

 白銀の刀身が、今度は妖魅の矮小な肉体を、縦に分断する。二つに分かれた妖魅はその勢いのまま壁に激突し、緑色の腐汁を四散させた。

 そしてその後は、しゅうしゅうと音をたてながら、黒い蒸気と化していく。その死に様も、かつてダームで見たものと同一であった。


「何だ、俺の出番がなかったではないか」


 クリスフィアが振り返ると、ギリル=ザザは不満げに唇をとがらせていた。

 その子供っぽい表情に、クリスフィアは思わず笑ってしまう。


「生命を賭した戦いの後に、よくもそこまで無邪気でいられるものだ」


「それほど大した敵ではあるまい。これなら、ギバのほうがよっぽど厄介だぞ。ジェイ=シンが相手をしたやつは、もっと大物であったのだろうが?」


「ああ。何にせよ、ギリル=ザザがいなければ不意打ちをくらっていたかもしれん。心より、感謝の言葉を述べさせてもらうぞ」


 ギリル=ザザは不満げな面持ちのまま、足もとを見下ろした。

 そちらでも、しゅうしゅうと黒い煙があがっている。最初にギリル=ザザが斬り離した妖魅の下半身が、消滅しているのだ。


「こやつはその身に流れる血までもが毒をおびていると聞いていたからな。それをかわすために、とどめを刺すことがかなわなかったのだ」


「うむ。よい判断であったと思うぞ」


 うなずきながら、クリスフィアは戸棚の陰を覗き込んだ。

 さきほどの、兵士の亡骸である。その亡骸もまた、生前の風貌がわからないぐらい変わり果てた姿になっていたが、やはりジョルアンではありえなかった。


「こやつは隊長格ですらない、ただの兵士であるようだな。どうしてこのような兵士が、厨で妖魅に襲われることになったのであろうか?」


「それはもちろん、巻き添えを食ったのではないのかな。そちらで倒れているかまど番たちと同じことだ」


 そのように述べながら、ギリル=ザザはいきなり戸棚を蹴飛ばした。

 その中から、「うひい!」という情けない声が聞こえてきて、クリスフィアを愕然とさせる。


「何だ、いまの声は? その中に、何者かが隠れ潜んでいるのか?」


「ああ。人間の息づかいを感じると言ったであろうが?」


 ギリル=ザザがさらに痛撃を与えると、棚の戸板が外れて床に転がった。

 小さな四角い空間に、壮年の男が縮こまっている。死人のような顔をしたその人物は、十二獅子将にして元帥たるジョルアンに他ならなかった。


「い、生命だけは助けてくれ! わ、わたしは命令に従っただけなんだ!」


「ほう……それは、興味深い言葉だな」


 クリスフィアは刀を下げたまま、戸棚の前に立ちはだかった。

 窮屈な棚の中で膝を抱え込んだまま、ジョルアンはがたがたと震えている。


「しかし、その前にお聞きしたい。ジョルアン将軍は、そのように狭苦しい場所で、いったい何をやっておられるのかな?」


「わ、わたしはロネックが踏み込んでくると聞いて、この厨に逃げ込んだのだ。こうして隠れ潜んでいれば、あいつもいずれはあきらめると思って……」


「ロネック将軍を恐れて、そのような場所に逃げ込んだのか。それは王都の軍の元帥に相応しい知略であったな」


 クリスフィアは溜息を押し殺しつつ、あらためてその顔をねめつけた。


「ともあれ、これではまともに話もできまい。こちらに出てきてはもらえぬかな?」


「し、しかし、ロネックのやつはいったいどこに……? さっきから、何度となく悲鳴が聞こえてきていたのだが……まさか、アブーフの姫君らがわたしの部下や厨番たちを斬り捨てたのか……?」


 その言葉に、クリスフィアはいっそう呆れることになった。


「あなたはまさか、この場で何が起きたのかもわかっていないのか? だったら、その目で確かめてみるがいい」


 ジョルアンはそれでも幼子のように震えていたが、ギリル=ザザが近づこうとすると、慌てふためいた様子で這いずり出てきた。

 そして、床に倒れている兵士の姿に気づいて、悲鳴をあげる。


「な、何だこれは! どうしてこいつが、このような姿で魂を返しているのだ!?」


「その者だけではない。厨で働いていた使用人たちも、全員が魂を返してしまっている。……あなたは、その姿も見届けずに、戸棚の中で震えていたのか?」


「わ、わたしはてっきり、ロネックに斬り伏せられたのかと思っていたのだ。しかしこれは……毒で殺されたのか……?」


 ジョルアンは顔面蒼白になりながら、いっそうがたがたと震え始めた。

 クリスフィアは大きな疑念にとらわれながら、その眼前に膝をつく。


「しっかりなされよ、ジョルアン将軍。この者たちは、あなたの巻き添えをくって生命を落とすことになったのだぞ」


「わ、わたしの巻き添え? それはいったい、どういう意味なのだ?」


「どういう意味もへったくれもない。これは、妖魅の仕業であるのだ」


 ジョルアンは、きょとんと目を丸くした。


「妖魅……? 妖魅とは、何だ? そのようなものが、王都に現れるわけがないではないか」


「あなたは、本心からそう言っているのか?」


 鋭く問い質しながら、クリスフィアはジョルアンの瞳を覗き込んだ。

 その瞳の奥に見えるのは――強い怯えと、惑乱の心情のみだ。


「どうやらこの御仁は、本心からそのように言っているようだな」


 ギリル=ザザは、肩をすくめていた。

 クリスフィアは、ますます大きな疑念にとらわれてしまう。


(さきほどの妖魅は間違いなく、シーズ殿を殺めた使い魔というやつだ。わたしたちは、それを放ったのがこのジョルアンであると疑っていたのに……今度はその使い魔が、ジョルアン自身を襲うことになった。つまり、使い魔とジョルアンは無関係ということか)


 しかし、それでは腑に落ちぬことがいくつもある。

 クリスフィアは腹をくくり、その手の刀をジョルアンの首に突きつけることにした。


「ひいっ! 頼む、生命だけは……生命だけは、助けてくれ! わたしには、愛する伴侶と子供がいるのだ!」


「ならば、語っていただこう。あなたは何のために、自分の配下をダームに送ったのだ?」


 ジョルアンの顔が、痙攣するように引きつった。


「な、何のために、とは……?」


「言葉を飾る必要はない。あなたはダームに向かう調査団を、まるまる自分の配下に差し替えたのであろうが? それは、ダームで起きた出来事をもみ消して、トライアス殿を亡き者にするためだったのではないのか?」


 ジョルアンは、完全に恐怖の形相になっていた。


「そしてその前には、シーズ殿を間諜に仕立てあげていたな? だからこそ、その死の真相を隠匿するべく、自分の配下を差し向けたのであろう? シーズ殿があなたに脅されていたということは――すでに、調べがついている」


 最後の一言のみ、ジョルアンを屈服させるための虚言である。シーズはその名を告げる前に、絶命してしまっていたのだ。

 しかしジョルアンの顔は、青を通りこして土気色に変じてしまっている。


「また、あなたは配下の者を使って、ダリアス殿をも亡き者にしようとした。さらには、わたしとロネック将軍にまで、悪辣な陰謀を仕掛けたのであろう? そうでなくては、ロネック将軍をそこまで恐れる理由もあるまい?」


「わ……わたしに罪があるというのなら、正式な審問の場で裁くがいい!」


 ジョルアンが、ふいに大きな声をあげた。

 しかしそれは、あわれな小動物のあげる断末魔のごとき声であった。


「審問の場におもむくまで、あなたは生きながらえることができるのであろうか? 今日とて、我々がこの場に居合わさなければ、あなたもこのように無残な亡骸をさらしていたはずだ」


「ど、どうしてわたしが、そのような目に……」


「わからぬか? それは、口封じのためだ」


 クリスフィアは、ジョルアンの咽喉もとに当てがった刀に、力を込めた。


「あなたが知らぬというのなら、教えてやろう。シーズ殿はダームにおいて、同じ妖魅により害されることになったのだ。その妖魅が、今度はあなたを害そうとした。その妖魅を操る何者かにとって、あなたやシーズ殿は使い捨ての手駒にすぎないということだな」


「そんな……!」と、ジョルアンは目を見開いた。

 その瞳には、無限の恐怖が渦巻いてしまっている。


「わ、わたしを口封じだと? ここまでわたしの力を利用しておきながら、そんな無法なことが……」


「その何者かがどれだけ無法であるのかは、この場の惨状を見れば明らかであろう? そやつにとって、人の生命など石ころよりも軽いものなのであろうよ」


 クリスフィアは、胸中の怒りをそのまま言葉として吐き出した。


「さあ、答えていただこう、ジョルアン殿! あなたは最初に、命令に従っただけと言っていたな? あなたは誰の命令で、ダリアス殿の生命を狙い、シーズ殿を間諜に仕立てあげ、わたしとロネック将軍を罠に嵌めたのだ? そのように悪辣な命令を下したのは、何者なのだ?」


「そ、それは……」


「答えなければ、今度こそあなたは魂を返すことになろう。何千名もの兵士を準備しても、妖魅による暗殺を防ぐことはできんぞ。『賢者の塔』において、あなたの協力者であった薬師がどのような死に様をさらしたのか、知らないわけはあるまい?」


「…………!」


「しかし、真実を話すというのなら、あなたは大事な証人だ。審問を避けることはできまいが、妖魅に噛み殺される運命からは、我々が救ってみせよう」


 ジョルアンは、がっくりとうなだれた。

 糸の切れた人形のように、全身が弛緩している。ちょいと指先でつついてやれば、そのまま崩れ落ちてしまいそうだった。


「さあ、どうする? このまま黙りこくっていては、妖魅より先にロネック将軍があなたをくびり殺すことになるぞ。かの御仁は血眼になって、あなたを探しているさなかであるのだからな」


「…………」


「また、弁明もせずに魂を返すことになれば、あなたの家族たちもどのような憂き目を見ることになるのであろうな。下手をすれば、あなたはすべての罪をその身にかぶせられてしまうのかもしれんのだぞ。そうして、あなたの口を封じた何者かは、今後ものうのうと王都で権勢をふるい続けるわけだ」


 ジョルアンの身体が、ぴくりと震えた。

 その瞳に、死にかけた獣のような光が宿る。


「わ、わたしは確かにダリアスを襲うように命じたし、シーズに間諜の役目を与えた。姫とロネックに媚薬の罠を仕掛けたのも、わたしだ……しかし、それ以外に罪などは犯していない!」


「では、誰の命令でそのような真似をしでかしたのだ?」


 周囲の気配を探りながら、クリスフィアはそのように問い質した。

 ダームでは、この瞬間にシーズの生命を奪われてしまったのだ。

 しかし、六体の亡骸が転がった厨には、いかなる変調の兆しも見られなかった。


「答えるのだ、ジョルアン将軍。その名を明かしてしまえば、もはやあなたの口を封じる理由もなくなるのだろうからな。王国の民としての生をまっとうしたければ、その罪を告白するしかあるまい」


 ジョルアンが、震える唇を開きかける。

 そのとき、ギリル=ザザが扉のほうを振り返った。


「姫よ、どうやら大勢の人間がこちらに向かってきているようだ」


 クリスフィアは、盛大に舌打ちをしてしまった。


「すまないが、ギリル=ザザには足止めをお願いしたい。ここでロネック将軍に邪魔をされるわけにはいかんのだ」


「ふむ。王都の将軍に刀を向けて、俺や主人が罪に問われたりはしないだろうか?」


「その罪は、わたしが背負う! 誓って、お前にもメルセウス殿にも迷惑はかけん!」


「おう、信じたぞ、姫よ。あなたのそういう部分は、とても好ましく思う」


 ギリル=ザザは不敵に笑いながら、身体ごと扉に向きなおった。

 そこで、扉が乱暴に開かれる。

 それは、赤い肩飾りをつけた遠征兵団の兵士たちであったが――その後から現れたのは、思いもかけぬ人物であった。


「おお、ロネックめに先んじることができたようだな。姫よ、後の始末は、儂が引き受けよう」


「ディラーム老! いったいどうされたのですか!?」


 灰色の髪と髭をした老いし将軍は、武人の顔で猛々しく笑っていた。


「ダリアスから、新たな伝書が届けられたのだ。そこには、第二防衛兵団の百獅子長の告白が綴られていた。その者は、ジョルアンの命令でダリアスおよびダーム公爵を襲ったことを、西方神の御名のもとに認めたのだ」


 ディラーム老の配下たる兵士たちが、クリスフィアたちの周囲を取り囲む。

 ジョルアンは、虚ろな目で中空を見つめていた。


「どうやらダームにも、妖魅というものが出現した様子でな。捕虜の身であったその百獅子長らも危ういところであったようだが、ダリアスとムンドルの力によって救われたらしい。それで、己の罪深さを思い知ったのであろうよ」


 そう言って、ディラーム老は右腕を振り払った。


「さあ、その大罪人めを、捕縛せよ! 申し開きは、審問の場で聞かせていただく!」


「お、お待ちいただきたい、ディラーム老! ジョルアン将軍は、いままさに誰の命令で動いていたかを告白しようとしていたところであったのです」


 クリスフィアはそのように述べたが、ディラーム老は小さく首を振っていた。


「その名は何としてでも明かしてもらわねばならんが、この場でぐずぐずしているわけにはいかん。ロネックのやつめは、血迷うと何をしでかすかわからんのでな。まずはそやつの身柄を確保して、王宮に連れ戻すのが先だ」


 兵士たちが、強い眼差しをクリスフィアに向けてくる。


「姫、どうか刀をお引きください。その者は、我らが連行いたします」


 クリスフィアは、刀を引かざるを得なかった。

 しかし最後に、ジョルアンへと囁きかけてみせる。


「聞いたであろう、ジョルアン将軍。あなたの部下も、妖魅に襲われることになったのだ。たとえ『裁きの塔』に幽閉されようとも、妖魅を退けることはできんぞ」


 ジョルアンは、呆けた表情のままだった。

 その両腕を、兵士たちが左右からつかみとる。ぐにゃりと脱力したジョルアンの身体は、軽々と持ち上げられることになった。


「よし。第三小隊が階段を封鎖している間に、表に連行せよ。くれぐれも、ロネックめに気取られるのではないぞ」


 残りの兵士たちが敬礼し、ジョルアンの身体を取り囲む。

 そのとき、ジョルアンが甲高い声を振り絞った。


「わ、わたしは、バウファの命令に従っただけだ! すべては、あやつの企みであったのだ! わたしは……わたしは、あやつにそそのかされたのだ!」


 クリスフィアは、愕然と立ちすくむことになった。

 兵士たちの間から、涙を流して声をあげているジョルアンの姿が垣間見えている。


「あいつはわたしに、元帥の座を与えようと持ちかけてきた! それでわたしは、ダリアスを襲うことになったのだ! あの日の夜、決して外部の人間を王宮に近づけてはならじと言われて……わたしは、その言葉に従っただけなのだ!」


「それは真実であるのだな、ジョルアンよ」


 ディラーム老が、憤怒の形相でジョルアンに詰め寄った。

 ジョルアンは幼子のように涙を流しながら、こくこくとうなずいている。


「その夜に、銀獅子宮は炎に包まれることになった! しかし、誓ってわたしは、そのようなことを知らされてはいなかったのだ! カノン王子やヴァルダヌスをそそのかして、前王らを弑したのも、きっとあやつの陰謀だ! わたしは……わたしは、何も知らされていなかった!」


「よし、わかった。後の申し開きは、王宮で聞く。クリスフィア姫も、それでよかろうな」


「……うむ。お願いする」


 泣きわめくジョルアンを取り囲んで、ディラーム老は厨を出ていく。何名かはその場の亡骸を調べるために居残っていたが、クリスフィアとギリル=ザザはもちろんディラーム老の後を追った。


「なんとか、最後まで言葉を聞くことができたな。まあ、証もないうちにその言葉を信ずることはできぬのであろうが……さきほどの言葉が真実だとすると、またちょっとややこしいことになりそうだな」


 回廊を歩きながら、ギリル=ザザがクリスフィアに耳打ちしてきた。

 クリスフィアは惑乱する心情をねじふせつつ、「うむ」とうなずいてみせる。


「ゼラ殿の主人であるバウファ神官長が敵方の人間であったとすると、またイリテウス殿が何やら騒いでしまいそうだ。……しかしその前に、その言葉が真実であるかを確かめねばなるまい」


「うむ。頭を使った戦いは、そちらにまかせよう。ホドゥレイル=スドラはなかなか頭が切れるので、きっと役に立つだろうさ」


 そう言って、ギリル=ザザはにやりと笑った。


「俺はロア=ファムとともに、旅を楽しんでくるとする。幸い、出発には遅れなかったようであるしな」


 表に出ると、太陽はだいぶ高くなりかけていた。ギリル=ザザとロア=ファムが王都を出立する中天は、もう目前であるようだ。


 ジョルアンの罪は、ついに暴かれた。しかし、前王らの死にジョルアンは関わっていないと言い張っている。それが真実であるのなら、クリスフィアたちは敵の前衛を切り崩したに過ぎなかった。


(しかしそれでも、大きな一歩であることに違いはない。どうやらダリアス殿らも無事であったようだし……戦いは、これからが本番だな)


 クリスフィアは、そのような思いを新たにした。

 天空に浮かんだ太陽神は、そんなクリスフィアを鼓舞するかのように、ぎらぎらと黄金色に燃えさかっていた。

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