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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第五章 神の下僕
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Ⅲ-Ⅴ 不和

2018.7/28 更新分 1/1

「さあ、答えてもらおう、アブーフの姫君よ! この俺に薄汚い陰謀を仕掛けてきたのは、あのジョルアンめであるのか?」


 その目をぎらぎらと輝かせながら、ロネックはクリスフィアに詰め寄ってきた。

 長身のクリスフィアよりも一回りは大きい、強面の大男である。フラウの身体を背中に庇いながら、クリスフィアは内心で歯噛みをするような思いであった。


(どうしてロネック将軍のもとに、そのような書状が届いたのだ? その話は、ダリアス殿からの返事が届くまではいったん棚上げにされたはずだ)


 そのように考えながら、クリスフィアは横目でティムトの姿をうかがった。

 ティムトもまた、わずかに目を細めながらクリスフィアたちのほうを見やっている。その表情から鑑みるに、クリスフィアが勇み足でそのような書状を届けたのではないかと疑っている様子だ。


(冗談ではない。わたしがロネック将軍にそれを伝えるならば、書状などを使う必要はないぞ。この口でじきじきに伝えれば済む話なのだからな)


 そんな思いを胸に、クリスフィアはそっと首を横に振ってみせた。

 すると、怒気で顔を真っ赤にしたロネックがいっそう詰め寄ってくる。


「いったい誰に目配せをしているのだ? 何でもかまわぬが、俺の問いには答えてもらうぞ、姫よ」


「……承知した。しかしその前に、今少し落ち着いてはもらえぬかな、ロネック将軍よ」


「これが落ち着いていられるか! どこの誰であろうが、俺に牙を剥こうとするやつは、この手で八つ裂きにしてくれるわ!」


 ロネックの咆哮が、室内の空気をびりびりと震わせた。

 しばし思い悩んでから、クリスフィアは「そうか」と息をつく。


「それでは、語らせていただこう。わたしは、ジョルアン将軍に疑いの目を向けていた。それは、まぎれもない事実だ」


「そうか、やはりあの生白い卑劣漢めが――!」


「いや、お待ちいただきたい。わたしはあくまで疑いの目を向けていただけであり、確証をつかんでいたわけではないのだ」


 クリスフィアは、すかさずロネックの言葉を断ち切ってみせた。

 ここに及んでは、こちらも手札をさらすしかないだろう。それでも、なるべく事を荒立てないように、言葉を選ぶ必要があった。


「これはまだロネック将軍に打ち明けていなかったが、あの夜にわたしたちは薬を盛られていたのだ。それでロネック将軍は、わたしの寝所で前後不覚となり、意識を失ってしまったわけだな」


「なに? ジョルアンめは偽の書状で俺を騙したばかりでなく、そのような悪さまで仕掛けていたというのか?」


「うむ。その薬を準備したのが例のオロルという薬師であり、そしてあやつはジョルアン将軍の命令でその薬を準備したのだと述べていたのだ。……しかし、そのような話を証もないままに信ずることはできなかったので、わたしはさらに詳しい話を聞くべく、二日前にまたあの薬師のもとを訪れることになったのだ」


 クリスフィアがそのように言葉を重ねると、ロネックは「なるほどな……」と底ごもる声でつぶやいた。


「この俺があのていどの酒で我を失うなどとは、合点がいかぬと思っていたのだ。まさか毒などを盛っていたとは……ますますあの小心者の卑劣漢に相応しい、薄汚い陰謀であったわけだな」


「お待ちいただきたい。それはあくまで、オロルなる薬師がそのように述べたてていたに過ぎんのだ。もしかしたら、何者かがロネック将軍とジョルアン将軍の間に不和の種をまこうとしているだけなのかもしれんぞ」


 つい先日にはクリスフィアたちがそうしようと目論んでいたはずなのに、いまはロネックの怒気をそらすために言葉を重ねる羽目になってしまっている。なんと皮肉な運命だろうと、クリスフィアは溜息のひとつもつきたい心境であった。


(しかし、ダリアス殿と連絡を取り合えるようになった今、余計な騒ぎは避けるべきであろう。ジョルアン将軍には、もっと大きな罪を贖ってもらわねばならんのだからな)


 そんなクリスフィアの心情も知らぬげに、ロネックは毒々しい笑みを浮かべている。


「証など不要だ。俺がちょいと締めあげてやれば、あやつは血反吐を吐きながら自らの罪を認めることとなろう。それでは邪魔をしたな、姫よ」


「いや、お待ちいただきたいと言っている。わたしの他に、この話を知る人間はいないはずなのだ。それなのに、どうしてロネック将軍のもとに書状などが届いたのだ? これは、何者かがまたもやロネック将軍を罠に嵌めようとしているのではないか?」


「罠に嵌める? 不埒者の正体を教えることが、どうして罠になるというのだ?」


「それが真実ではなく虚言であれば、大きな罠となろう。ロネック将軍とジョルアン将軍はいまや王都の左右の牙であるのだから、その関係が虚言によって乱されれば、王都に仇なす者の利となるはずだ」


 クリスフィアのこの言葉に、ロネックは「はん!」と鼻息を噴いた。


「俺とジョルアンめの間には、最初から絆など存在しない! ならば、あやつ本人が俺を陥れるために陰謀を仕掛けたと考えるほうが、まだしもありうる話であろうよ!」


「そうなのか? しかし、あなたがたはともに王都を守ってきた歴戦の勇士ではないか。それなのに、どうしてそのようにいがみあわなければならないのだ?」


「歴戦の勇士が、聞いて呆れるわ! あのジョルアンめは、ただ血筋と弁舌だけで十二獅子将の座を手中にし、いまだ戦場に足を運んだこともない懦弱者であるのだ! あやつに比べれば、俺のもとで訓練を終えたばかりの新兵のほうが、百倍も勇敢なことであろうよ!」


 そのように吠えながら、ロネックは悪意に満ちた笑い声を響かせた。


「俺がこの世でもっとも愚劣な人間だと見なしているのは、あのジョルアンめだ! あの懦弱者もそれをわきまえているからこそ、このような陰謀を仕掛けてきたのであろう! あやつは俺の部下に元帥の座を奪われることを、何より恐れているのだ!」


「……そうか。あなたがたは、最初から穏やかならぬ間柄であったというわけだな」


 クリスフィアは、その事実を心の中で噛みしめることになった。

 それならば、前王や他の十二獅子将たちを謀殺したのち、たちまち牙を剥き合うようになったのもうなずける話である。


(こうなってしまっては、ロネック将軍を止めることは難しい。ならば、こやつには好きなだけ暴れてもらい、その中で我らも活路を見出すのが最善であろう)


 そのように考えて、クリスフィアは再びティムトのほうを見た。

 ティムトはわずかに下顎を引くようにして、うなずいているように見える。おそらくは、クリスフィアの心中を察してくれたのだ。


「相分かった。ならばロネック将軍は、どうあってもジョルアン将軍を糾弾しようというのだな?」


「ああ。俺は薄汚い裏切り者を見逃してやるほど、寛容な人間ではないのでな」


「ならば、わたしも同行させていただきたい」


 背後のフラウが、ぐいぐいとクリスフィアの肩当てを引っ張っていた。

 しかし、このままロネックを野放しにしても、クリスフィアたちに得られるものはなさそうに思える。それに、激情に駆られたロネックにジョルアンを殺されては、元も子もなかった。


(ジョルアン将軍には、もっと大きな陰謀の真実を語ってもらわねばならんのだからな。オロルのように、みすみす失うわけにはいかんのだ)


 そうしてクリスフィアは、背後のフラウに微笑みかけてみせた。


「何も案ずることはない。わたしはしばしロネック将軍と行動をともにしようと思うので、フラウはこの場で待っていてくれ」


「でも、姫様……」


「あと数刻もしたら、ロア=ファムは王都を出ていってしまうのだぞ。せめてフラウだけでも、その姿を見送ってやるといい」


 すると、視界の隅で大柄な人影が立ち上がった。

 見ると、ギリル=ザザがふてぶてしい笑みを浮かべながら、クリスフィアを見返している。


「ならば、俺も同行させていただこう。残りの話は、ロア=ファムに聞いておいてもらえば不都合もあるまい」


 ロネックは、不穏に燃える目でそちらをにらみつけた。


「どうしてジェノスの狩人風情が首を突っ込もうというのだ。お前には何の関係もあるまい?」


「いや、そちらの姫君には俺の主人が目をかけておられるのでな。なるべく力になるようにと言いつけられているのだ」


「……口のきき方を知らん小僧だな。俺を誰だと思っているのだ?」


 ロネックの巨体から、じわりと殺気がにじみでる。

 それでもギリル=ザザは、不敵に笑っていた。


「礼を失していたなら、謝罪しよう。しかし、俺とて王国の民だ。王宮にそのような卑劣漢がひそんでいるというのなら、この目で真実を見極めたいと考えている。……きっと俺の主人も、同じように考えていることだろう」


 ギリル=ザザの主人は、侯爵家の第一子息である。いかに元帥の座にあるとはいえ、ロネックが軽んじられる相手ではないはずだった。

 ロネックは、野獣の形相で「ちっ」と舌を鳴らしている。


「ついてくるのはかまわんが、余計な手出しをしようものなら、お前も叛逆者と見なすぞ」


「ああ。俺の刀はジェノス侯爵家に、ひいては西の王国に捧げられている。決して王国に仇なすような真似はしないと誓おう」


 ロネックは憎々しげにギリル=ザザの姿をねめつけてから、きびすを返した。

 その後を追おうとするギリル=ザザに、ティムトが厳しい眼差しを向ける。


「ギリル=ザザ、出発は中天となります。それまでには、間違いなくお戻りください」


「承知した。話が長引くようなら、ジェイ=シンのやつでも呼びつけてやるさ」


 クリスフィアもその場にいる全員にうなずきかけてから、ロネックの後を追うことにした。

 扉を開くと、小姓が次の間の隅で縮こまっている。さらに回廊へと通じる扉を開くと、そこには武官の装束を纏った男たちがずらりと立ち並んでいた。


「元帥閣下、どうやらジョルアン将軍は、城下町に下りているようです」


「城下町だと? 行き先はわかっているのだろうな?」


「は、城下町に点在する、いずれかの兵舎でありましょう。いま、人をやって捜索しております」


 ロネックはひとつうなずくと、大股で回廊を闊歩し始めた。

 武官たちとともにその後を追いながら、クリスフィアは小声でこっそりギリル=ザザに呼びかける。


「ギリル=ザザよ、このような際にまで、わたしを守ってくれようというのか?」


「ああ。あなたは主人のお気に入りであるからな、クリスフィア」


 そう言って、ギリル=ザザはにやりと笑った。


「それに、ジョルアンという者をここで失うわけにはいかんのだろう? 頭を使うのが不得手な俺でも、それぐらいのことは察することができる」


「うむ。ロネック将軍のあの剣幕では、本当に血を見る騒ぎになってしまいそうだからな」


 クリスフィアがそのように答えると、ギリル=ザザはうろんげに眉をひそめた。


「あのロネックとかいう男やこの兵士たちが相手であれば、あなたの力だけでどうとでもできるはずだ。それよりも、用心すべきは妖魅の存在であろう? そうでなければ、俺もわざわざ名乗りをあげたりはしなかった」


「……そこまで考えを及ばせることができるのならば、頭を使うのが不得手とは言えまいな」


 クリスフィアたちは、かつて二人の証人を失っている。それは、十二獅子将のシーズと薬師オロルである。その両名は、どちらも妖魅の存在によって口封じをされてしまっていたのだった。


(敵は秘密を守るためならば、仲間の生命もためらいなく犠牲にするような輩であるのだ。もしかしたら……ロネック将軍に書状を届けたのも、敵方の人間なのではないだろうか?)


 クリスフィアは、最初からその一点を疑っていた。このような真似ができるのは、昨日の決起の会に参席した人間か、あるいはすべての真実を知る敵方の人間しか存在しないのである。


(イリテウス殿あたりが勇み足で動いたという可能性もあるだろう。しかし、ダリアス殿からの返事も待たずにこのような騒ぎを起こしても、我々の利になることはないはずだ。それならば、敵方の人間がロネック将軍の存在を利用して、ジョルアン将軍の口封じをしようとしている、と考えるほうが自然であるように思える)


 しかしそうなると、新たな疑問も生じてしまう。

 どうしてこの時期に、敵方の人間がそのような動きを見せたのか、という点である。


(もしかしたら、ダームにおいてジョルアン将軍の配下が返り討ちにあったことを知り、このような真似に及んだのだろうか。……しかし、我々もそれを確かな事実として知ったのは、昨日のことだ。敵方の人間も同時にそれを知ったということは……やはり、内通者の存在を疑わざるを得ないだろうな)


 もちろんクリスフィアは、仲間のことを信じている。少なくとも、決起の会に参席した人々が、そのような裏切りを働くとは考えていなかった。

 しかし昨日、ダリアスからの書状をゼラに届けたのは、その配下の人間である。ゼラの配下に裏切り者がひそんでいれば、ダリアスからの書状を盗み見ることも可能であるはずだった。


(それにまた、オロルもわたしたちが訪ねようとしたその夜に魂を返している。わたしたちの行動は、敵方の人間に見張られているのだと考えるべきなのであろう)


 考えれば考えるほど、敵の強大さを思い知らされてしまう。

 しかし、それはクリスフィアの武人としての魂をいっそう昂揚させる役割を果たしていた。


「……姫よ、お前たちには、俺と同じ車に乗ってもらうぞ」


 白牛宮を出て、城下町へと通ずる城門を目指しながら、ロネックはそのように述べてきた。


「俺の邪魔立てをするために先回りなどされたらたまらんからな。お前たちは、常に俺の目の届く場所にいてもらう」


「うむ、心得た。そのように取り計らっていただきたい」


 クリスフィアこそ、ロネックの手でジョルアンを謀殺されることを危惧していたのだから、その提案はもっけの幸いであった。

 クリスフィアのかたわらを歩きながら、ギリル=ザザはすました面持ちである。その姿をねめつけながら、ロネックは「おい」と凄んだ。


「お前もだぞ、ジェノスの狩人よ。侯爵家の従者だか何だか知らんが、俺の邪魔立てをすれば敵と見なさせてもらう」


 ギリル=ザザは表情ひとつ変えずに「承知した」と答えていた。

 ロネックはクリスフィアをも上回る豪傑やもしれないが、森辺の狩人とは比するべくもない。ロネックほどの剣士であればそれを察せぬはずはなかったが、その双眸には臆するところのない野獣のごとき火が灯ったままであった。


(このような荒くれ者でも、その胆力だけは認めざるをえまいな。ヴァルダヌスなき今、王都で一番の勇士はこのロネックであるのだろう)


 しかしまた、このロネックは敵方の人間と見なされている一人である。ロネックは、戦乱の騒ぎに乗じて二人もの十二獅子将を殺めたという疑いをかけられているのだ。


(しかし、そちらは証のある話ではないからな。実はこやつも潔白の身で、我々と手を携えられる同志となれれば、ずいぶん心強いのだが……真実は、奈辺にあるのであろうな)


 クリスフィアがそのようなことを考えている間に、城門へと到着していた。

 先行した武官たちが話をつけたらしく、すでに跳ね橋が下ろされている。そして、門の内側には何台ものトトスの車が準備されていた。

 さらに、甲冑を纏った兵士が急ぎ足でロネックに近づいてくる。


「元帥閣下、どうやらジョルアン将軍は、城下町の第二兵舎に向かったようです」


 さきほどの武官と同様に、この兵士もジョルアンに正しい敬称をつけようとはしなかった。ロネックは、獲物を見つけた肉食獣のごとき顔で笑っている。


「ふん。子飼いの衛兵どもに囲まれて、ふんぞり返っているのだろうな。……それでは、城下町の第二兵舎に向かう! 総員、乗車せよ!」


 まるで戦場のような号令である。城門を守る守衛たちは、いったい何事であるのかといぶかしげに目を細めていた。

 そんな守衛たちに見守られながら、クリスフィアとギリル=ザザも座席に乗り込む。これは元帥のためのトトス車であるはずであったが、余計な装飾などはいっさい見当たらず、実に質実な造りをしているようだった。


(まさか、このような形でジョルアン将軍を糾弾する羽目になろうとはな。……父なる西方神よ、どうか我らを正しき行く末に導きたまえ)


 クリスフィアが珍しくも神に祈りを捧げたとき、トトスの引く車は勢いよく動き始めた。

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