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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第五章 神の下僕
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Ⅳ-Ⅳ 反撃と迎撃

2018.6/30 更新分 1/1

「ティートよ、身体の具合はどうだ?」


 ダリアスがそのように述べながら客間に踏み込んでいくと、寝台に横たわっていたティートは弱々しげな声をあげながら身を起こそうとした。


「これは、ダリアス様……ようこそおいでくださいました……」


「おい、無茶をするな。ようやく意識が戻ったばかりで、まだ傷口はふさがりきっていないのだからな」


「は……しかし、ダリアス様をお守りしなければならない自分が、このようなお世話をかけてしまって……心より申し訳なく思っております……」


 このティートは、王都聖教団に籍を置く、ゼラの配下の人間であった。

 しかし、その証である装束や飾り物を外してしまえば、どこにでもいる若者に過ぎない。シーズに斬り伏せられて、十日ばかりも生死の境をさまよっていたティートは、もともと痩せ気味であった顔も無残にやつれ果てて、ほとんど頭蓋骨に生皮を張りつけたような面相になってしまっていた。


「俺のほうこそ、お前には世話になりっぱなしであったからな。その恩義を返す前に、お前が息絶えることにならなくて、俺は心から嬉しく思っているぞ」


 客間の椅子を寝台のほうに引き寄せて、ダリアスはその上に腰を落ち着けた。

 ティートは乾ききった唇を舌で湿しつつ、これだけは以前と変わらない茶色の明るい瞳でダリアスを見つめてくる。


「身体はまったく言うことをきかないのですが、頭だけは冴えわたっているように感じます……これもダリアス様が、貴重な薬をお分けくださったからなのでしょう……」


「うむ。中身も定かでない薬をお前に与えるのは心配であったのだがな。こうしてわずかでも力を取り戻せたのなら、何よりだ」


 言うまでもなく、それは謎の隠者トゥリハラから授かった薬の効果であった。

 あの不可思議な一室からダーム公爵邸に戻されたダリアスは、その足でティートの眠る客間に向かうことになったのである。


 そうしてティートに薬を与えたのが昨日の夕刻のことで、今日の朝、ティートはついに目を覚ますことになった。現在はすでに日も暮れかけており、薬を与えてから丸一日が経過したことになるが、ティートは見るたびに眼差しや声に生気が戻ってきているように感じられた。


「薬はまだいくらか残されているのだが、日に一粒以上は与えてはならんと聞いている。今日の分はもう与えてしまったので、しばらくは耐え忍んでくれ」


「いえ……そのように貴重な薬をこれ以上、わたくしなどに使ってはなりません……たとえわたくしの身がどうなろうとも、どうぞ捨て置きください……」


「そうはいかん。伝書の烏を操ることのできるお前は、俺にとってもトレイアス殿にとっても、いまや生命綱のようなものなのだからな」


 ダリアスがそのように述べたてると、ティートは力なく首を横に動かした。


「わたくしの仕事は、すでに果たされました……烏はトトスよりも速く伝書を伝えることができますため……いまごろは、ゼラ様のもとに伝書が届けられていることでしょう……」


「しかし、その返事を受け取るのには、またお前の力が必要であろうが?」


「いえ……さきほどお渡しした呼び子の笛さえ鳴らせば、烏を招くことはかないます……もはや、わたくしの存在など不要でありましょう……」


「そうだとしても、お前は俺の恩人だ。決して見捨てたりはしないから、何としてでも力を取り戻してくれ」


 ティートはその目に涙をためながら、弱々しく微笑んだようだった。

 そこで、客間の扉が外から叩かれる。


「お食事を準備いたしましたわ。入室してもよろしいでしょうか?」


 それは、トレイアスの侍女であるレィミアの声であった。

 ダリアスが了承の返事をすると、褐色の肢体をした艶やかなる娘が部屋に踏み入ってくる。その手には、陶磁の皿を載せた盆が掲げられていた。


「魚と野菜の煮汁を持ってきたわよ。魂を返したくなかったら、苦しくとも少しは口にすることね」


 見張りの衛兵の耳が及ばなくなるや、レィミアは貞淑なる侍女の仮面をかなぐり捨てる。ダリアスは苦笑を浮かべつつ、その盆を受け取った。


「まさか、お前が自ら運んでくれようとはな。ほう、これはなかなか美味そうだ」


「ふん。魚や野菜はすり潰してしまって、形も残っていないわよ。十日ぶりの食事では、これでも重たいぐらいでしょうね」


「うむ。どうだ、ティート? 咽喉を通りそうなら、食するがいい」


「はい……実はさきほどから、胃のあたりがじくじくと痛んでいたのです……これはきっと、空腹すぎて胃袋が悲鳴をあげているのでしょう……」


「それは、身体が回復してきた証だな。俺もこれまで、何度となく味わわされてきた苦しみだ」


 ダリアスは笑いながら、盆を卓の上に置いた。


「しかし、無理をして一気に食べるのではないぞ。このような煮汁なら心配もないだろうが、空腹のあまりに焼いたポイタンを胃袋に詰め込みまくって、そのまま魂を返してしまう人間もいるからな。身体の調子を見ながら、ゆっくりと口にするがいい」


「は……お気遣いをありがとうございます……」


「それでは、まず身を起こしてやらねばな。背中に手を入れるので、傷に響くようだったら言ってくれ」


「いえ、そんな……ダリアス様のお手をわずらわせるわけには……」


「このような際に、遠慮などするものではない。怪我人を介抱するのに、騎士も貴族もないぞ」


 そのように述べてから、ダリアスはレィミアのほうを振り返った。


「それで? お前が自ら訪ねてきたということは、また俺に何か文句をつけようという心づもりであるのか? しばらくは、ティートの面倒を見なくてはならないのだが」


「ふん。そんな武骨な手でいじくりまわしたら、あっという間に傷が開いてしまうわよ」


 しゃなりしゃなりと近づいてきたレィミアが、ティートの背に優美な指先を差し入れて、身を起こすのを助けてくれた。

 そのままティートの背を壁にもたれかからせると、ずれた毛布を足もとに掛けなおす。肩から胸もとまでに深い刀傷を負っているティートは、それを痛がる素振りも見せず、「ありがとうございます……」と微笑んでいた。


「すまんな。こういう際には、やはり女人の力が頼りになるものだ」


「ふん。本当なら、主様でない人間の身になど触れたくもないわよ」


 そんな風に悪態をつきながら、レィミアは食事の世話までしてくれた。

 魚醤の香りのする煮汁をすすったティートは、「ああ……」と切なげに息をもらしている。


「なんと美味なのでしょう……塩や魚や野菜の滋養が、身体のすみずみにまでしみわたっていくかのようです……」


「うむ。死の淵を覗いた人間こそが、もっとも生の喜びを噛みしめられるものなのかもしれんな」


 ダリアスは妙に安らいだ心地で、そのように答えていた。

 ティートとレィミアの姿を見ていると、ダリアス自身がラナにかいがいしく世話をされていた頃の記憶がよみがえってきてしまうのだ。あの頃のダリアスは、ティートにも劣らぬぐらい、弱り果てていたはずだった。


(何だかもうずいぶん昔のことのように思えてしまうが……あれからまだ、ふた月も経ってはいないのだな)


 そうしてギムとラナの家でもとの力を取り戻したダリアスは、デンの手引きで王宮に侵入する作戦を企てて――そのさなかに、ゼラと巡りあうことになったのである。


(あれはたしか、朱の月を十日ばかりも過ぎてからのことだったから……ゼラやティートと巡りあってからは、いまだにひと月も経ってはいないのか。まったく、信じられん話だな)


 王宮に侵入することをあきらめたダリアスは、そこからゼラやティートと行動をともにすることになった。しばらくはゼラの準備した隠れ家でまた雌伏の日々を余儀なくされ、その後にラナたちを救うために防衛兵団の兵士たちと刃を交えて――その末に、このダームまで逃亡することになったのだった。


 ダームに到着したのちも、世話になっていたエイラの神殿で騒ぎを起こしてしまい、クリスフィアに助けられて、ダーム公爵邸に踏み込み、そうして今度はシーズの死に立ち会うことになった。

 さらには王都からやってきた調査団とも刃を交えて、ようやくトレイアスを味方につけられたかと思ったら、今度はラナたちの身柄を失ってしまい、悲嘆に暮れていたところで、あのトゥリハラなる謎の隠者と邂逅することになった。これだけさまざまなことが起きて、いまだひと月も経っていないとは、呆れるばかりである。


(だけど俺は、ラナを失わずに済んだ。ティートも力を取り戻して、王都に伝書を飛ばすこともできた。あちらでは、クリスフィア姫がレイフォンとゼラの間を取りもってくれたはずだから、これで磐石だ。今度こそ、俺たちが反撃する番だぞ)


 ダリアスがそのようなことを考えている間に、ティートのささやかな食事は終了したようだった。

 レィミアの手によって寝台に横たえられたティートは、万感の思いの込められた息をついている。


「ああ……腹が満ちたら、また眠くなってきてしまいました……失礼ですが、少し休ませていただいてもかまわないでしょうか……?」


「何が失礼なものか。怪我人は眠るのが仕事だぞ。心ゆくまで休むがいい」


「ありがとうございます、ダリアス様……」


 ティートはまぶたを閉ざすと、そのまま動かなくなった。

 その姿を見届けてから、ダリアスはレィミアを振り返る。


「では、俺たちは席を外すか。力添えに感謝しているぞ、レィミアよ」


「待ちなさいよ。あたしは怪我人の世話をするために、わざわざこのような場所を訪れたのではないのよ?」


 レィミアは寝台と逆側の壁際まで引き下がると、指先でダリアスを招いてきた。

 ダリアスがそちらに近づいていくと、光の強い黒瞳が食い入るような視線を突きつけてくる。


「さあ、白状しなさい。あんたはいったい何があったのよ、剣士様?」


「何があった? 俺は昨晩から、ティートの介抱をしていただけだが……その力を借りて、王都に伝書を飛ばした姿は、お前とトレイアス殿も見届けているであろう?」


「ごまかさないでちょうだい。その少し前から、あんたは見違えるほどに明るい顔つきをしていたじゃない」


 レィミアは、鼻に皺を寄せて険悪な表情を作った。


「昨日、あたしと別れた後、あんたはどこで何をやっていたのよ? そもそも、あの薬はどこで手に入れてきたの? あんたは一歩もこの屋敷を出ていないはずよね?」


「そのように声を荒らげるものではない。ティートが目を覚ましてしまうではないか」


「……ごまかすな、と言っているのが聞こえなかったのかしら?」


 ダリアスは溜息をついてから、あらためてレィミアを見つめ返した。


「そうだな。俺はお前の言葉によって、本道に立ち返ることができた。そんなお前にすべてを包み隠すのは、あまりに不義理な行いであろう」


「当たり前じゃない。あんたが主様に隠れて何か悪さをしているのなら、誓ってその咽喉笛を噛み破ってやるわよ」


「何も悪さなどはしていない。俺はただ……ラナたちの居場所を突き止めることがかなったのだ」


 レィミアは、これ以上もなくうろんげに顔をしかめていた。


「どういうことよ? あんたがあたしと別れてから、再び姿を現すまで、一刻も経ってはいなかったでしょう? そんなわずかな間に、一歩も屋敷から出ないまま、どうやってあの小娘どもの居場所を突き止められたというの?」


「それはつまり……あの書き置きを記した人物と顔をあわせることができたのだ。ティートを癒したこの薬も、その人物から受け取ったということだな」


「……わからないわね」と、レィミアは言い捨てた。


「この屋敷を訪れる人間は、すべて武官や兵士たちに面通しをされているのよ? そして、あの時間に屋敷を訪れた人間はいないはずだわ」


「うむ。その人物は、鍵の掛けられた部屋からラナたちを救い出すような力を持っているのだ。その力を使って、今度は俺に会いに来てくれた、ということだな」


「……それはまさか、魔術の類いなの?」


 そう言って、レィミアはダリアスの胸もとに秀麗な形をした鼻を近づけると、獣のように匂いを嗅ぎ始めた。


「確かにあんたは、妙な空気を漂わせているような気がしたのよ。これは、魔術の残り香だったということ?」


「さすがはシムの血をひくレィミアだな。そのようなことを察知することができるのか」


「とぼけたことを言ってるんじゃないわよ。あんた……まさか、あの将軍様を殺した使い魔の主と手を組んだんじゃないでしょうね?」


 レィミアの黒い瞳が、ぎらりと物騒な光を放つ。


「やっぱりあの娘たちを敵方に捕らわれて……それを取り戻すために、トレイアス様を裏切ろうっていう魂胆なのかしら?」


「それは違う。その御仁は、魔なるものからラナたちを救い出してくれたのだ。確かにその御仁も妖しい力を使うようだが、俺は敵ではないと信じることにした」


「どうしてよ? このご時世に魔術を使えるなんて、そんなのは絶対にまともな人間じゃないわよ?」


「わかっている。しかし、その御仁はラナたちを大事にかくまってくれていたのだ。それに、ティートを癒す薬まで分け与えてくれた。ラナたちのことはともかく、ティートが回復したおかげで、俺たちは反撃に転ずることができるのだから、敵方の人間であれば、そのような真似をするはずがあるまい?」


 レィミアは張り詰めた胸の下で腕を組み、すくいあげるようにダリアスをねめつけてきた。


「ふん。あの娘どもが無事とわかったから、あんたはそうして力を取り戻すことができたというわけね。それはいかにもありそうな話だけど……でも、妖しげな魔術師なんかをすっかり信用しきっていることは見過ごせないわね」


「ならば、お前もその御仁と顔をあわせてみればどうだ? わけあって、あの御仁の素性を明かすことはできないのだが……このようなことで、お前やトレイアス殿の信頼を失うわけにはいかんからな。何とか、俺が頼み込んでみよう」


「ふん。そんな魔術師なんぞと対面するのは、まっぴら――」


 レィミアがそのように言いかけたところで、扉が激しく叩かれた。


「ダリアス殿はこちらですか!? 至急、お伝えしたいことがあります!」


 ダリアスはレィミアと視線を見交わしてから、扉のほうに駆けつけた。

 扉を開けると、ムンドルの配下である武官が顔を蒼白にして立ち尽くしている。


「へ、兵舎が敵に襲われました! 敵は――この世ならぬ、妖魅どもです!」


 雷のような衝撃が、ダリアスの全身を駆け巡っていた。

 しかしダリアスはすぐに我を取り戻して、武官のほうに詰め寄ってみせる。


「捕虜どもは無事であるのか!? あの指揮官であった百獅子長めは、絶対に失ってはならんのだ!」


「ム、ムンドル閣下が陣頭に立って、応戦しています! しかしあれは……に、人間の手に負えるような存在ではありません!」


「そのようなことはない。我らには、四大神の加護があるのだ」


 言いながら、ダリアスは長剣の柄をまさぐった。

 隠者トゥリハラの魔術によって、四大神の祝福を受けた剣である。


「トトスの準備をしろ! 俺が出向いて、その妖魅どもを斬り伏せてくれる! これ以上は、敵の好きにはさせんぞ!」

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