Ⅱ-Ⅳ 決起の会
2018.6/16 更新分 1/1
その日、王都の宮中では大変な騒ぎが巻き起こっていた。
その理由は、『賢者の塔』で薬師が殺害されるという事件が勃発したためである。
薬師というのは貴族ならぬ平民の身分であるものの、『賢者の塔』は数々の宮殿と同じく堅固なる石塀の中に存在する。貴族の住まう宮殿ほど警備が厳重でないとしても、現王のおわす黒羊宮と同じ敷地内で起きた事件であるのだから、これで騒ぎにならないはずがなかった。
なおかつ、薬師のオロルというのは、現王ベイギルスの従者をつとめていた人物であった。その日は体調が思わしくなかったとのことで、古巣である『賢者の塔』で身を休めていたところを、襲われたのだ。己の従者たる薬師の死に、ベイギルスは怒髪天を衝く勢いで怒りをあらわにしていた。
「なんとしてでも、犯人を探すのだ! その許されざるべき大罪人には、生まれてきたことを後悔するような罰を与えてくれよう!」
朝方には、レイフォンまでもが謁見の間に呼びつけられて、そのような怒声を拝聴する事態に至っていた。
「まあ、ベイギルス王はかつて、その薬師めに愛娘たるユリエラ姫の生命を救われたのだという話だからね。王になる前からの大事な腹心であったのだろうから、あれだけ怒るのも当然のことなのだろう」
金狼宮の執務室において、レイフォンはそのように述べてみせた。
その場には、かつてないほど大勢の人々が押し寄せている。レイフォンはその中で、仏頂面をさらしているクリスフィアのほうに目を向けてみた。
「それにしても、クリスフィア姫は災難であったね。ずいぶん長きに渡って尋問をされたそうだけれども、無事に釈放されて何よりだ」
「ふん。せっかく人目を忍んで『賢者の塔』を訪れたのに、これでは台無しだ。ゼラ殿にも、たいそうな迷惑をかけてしまったな」
「いえ……わたしはあくまで、クリスフィア姫に案内役を頼まれただけだと押し通しましたので……我々の繋がりを敵方に気取られることもないでしょう……」
そんな風に述べてから、祓魔官のゼラは陰気な視線をレイフォンのほうに向けてきた。
「しかし、わたしがこのような場に足を運んでいると知れたら、今度こそ危ういやもしれません……お話は、手短に済ませていただけますでしょうか……?」
「そうだね。それじゃあ、そろそろ始めようか」
レイフォンは、その場にひしめいているすべての人々を見回した。
その場には、十一名もの人間が立ち尽くしている。それも、なかなかに錚々たる顔ぶれであった。
「本日この場に集まっていただいたのは、我々が志を同じくする人間であるということを、おたがいに誓い合うためだ。我々は、一歩間違えたら叛逆罪に問われかねない大きな秘密を、共有し合うことになる。その覚悟のある人間だけが、この場に留まっていただきたい」
扉の外に出ようとする人間はいなかった。
レイフォンは、ひとつ息をついてから言葉を重ねる。
「では、初めて顔をあわせる相手もいなくはないはずなので、いまさらながらに全員の名前と身分を紹介させていただこう。序列などは関係なく、理解の及びやすい順番で紹介させていただくので、よろしくお願いしたい」
「ふふん。なかなか堂に入った演説だな。さすがは公爵家の若君だ、レイフォン殿」
「それは恐縮だね、クリスフィア姫。……王都でお過ごしの面々にはいまさら紹介の必要などないだろうが、私はヴェヘイム公爵家の第一子息、レイフォンだ。そして、こちらは私の従者であり参謀である、ティムトという。ティムトはヴェヘイム公爵家の傍流の血筋で、いまは従者の身に甘んじているものの、きわめて卓越した知見を有している。今後、ティムトの言葉は私の言葉と同一と思って聞いていただきたい」
ティムトは礼儀正しい無表情の下に、内心を隠してしまっていた。本来であれば、このように大勢の人間の前で才覚をひけらかしたくはないのだろう。しかし、運命をともにするのならば隠し事はひかえるべきだというクリスフィアの進言に従って、ついに仮面を外すことになってしまったのである。
(とはいえ、私の述べていた言葉がすべてティムトの受け売りだとまでは思われないだろうな)
そんな風に考えながら、レイフォンは視線を右手に差し向けた。
「そしてこちらは、第三遠征兵団の団長にして十二獅子将のディラーム老。および、第三遠征兵団の千獅子長となった、イリテウス殿だ。イリテウス殿は、それこそ今日になって初めて我々の秘密を知ることになった身であるので、いまだ激しく心をかき乱されていることだろう。それでも、王国セルヴァに正しき行く末をもたらすために、どうか力を尽くしてもらいたい」
ディラーム老のかたわらに控えていたイリテウスが、緊張しきった面持ちで一礼していた。
彼は、赤の月の災厄で前王らとともに魂を返した、十二獅子将アローンの遺児である。メルセウスたちを仲間に引き入れるのならば、彼にも父親の死の真相を告げるべきだとディラーム老が言いだして、この場に集められることになったのだった。
年齢は二十歳で、明るい褐色の髪を武人らしく短く切りそろえている。父親のアローンと同じように、実直で、誠実な気性をした若者だ。かつては第一遠征兵団の所属であり、多くの戦死者を出したグワラム戦役の生き残りでもあった。
「あと、そのかたわらに控えているのは、現在ディラーム老の預かりとなっている、ロア=ファムだ。彼は自由開拓民だが、ゆえあってディラーム老に身を寄せることになった。その経緯については、おいおい説明させていただくよ」
ロア=ファムは、仏頂面で頭を下げている。彼もまたクリスフィアと同様に、薬師オロルの遺骸を最初に発見した人間として、朝から尋問を受けていたのだ。
「そして、こちらは神官長バウファ殿の従者であられる、祓魔官のゼラ殿だ。ゼラ殿は、我々とはまた異なる道筋から、今回の一件に大きく関わることになった。バウファ殿は親王派の筆頭である人物であるので、ゼラ殿はその目を盗んでさまざまな仕事を受け持ってくれている。彼が我々の同志であるということは、特に内密に願いたい」
ゼラは、のろのろと頭を下げていた。
イリテウスなどは、まだゼラについての詳しい話を聞かされていないのだろう。どうしてこのように怪しげな男がまぎれているのかと、いくぶんうろんげにしている様子だ。
「次は、アブーフ侯爵家の第一息女である、クリスフィア姫だね。彼女は戴冠式の来賓として訪れた身でありながら、王都に渦巻く陰謀の存在を察知して、我々と志をともにすることになった。ええと、アブーフでは千獅子長に相当する立場であるのだったかな?」
「うむ。アブーフ騎士団第七大隊長の名を拝命している。この場に配下の兵士たちが一人として存在しないのが、無念なところだ」
そんな風に述べながら、クリスフィアは実にすがすがしげな面持ちをしていた。このような決起の会を開くべきだと言いだしたのは、彼女なのである。これだけ話が入り組んできて、ついには新たな死者までもが出てしまったのだから、同志の間ではすべての情報を共有するべきだ――というのが、彼女の主張であった。
ちなみに、侍女のフラウは隣の部屋で、ギムやデンの相手をしている。さしものクリスフィアも、彼女をこのような騒ぎに巻き込みたくはなかったのだろう。レイフォンたちは、事と次第によっては現王ベイギルスに刃を向けるもやむなしという、きわめて大それた行いに及ぼうとしているのである。
「そして最後に、ジェノス侯爵家の第一子息であるメルセウス殿に、その従者であるジェイ=シンと――」
「こちらはギリル=ザザで、こちらはホドゥレイル=スドラですね。この三名は僕の護衛役であると同時に、大事な友人たちでもあります。また、彼らは貴族ならぬ狩人の身でありますが、そちらのティムト殿やロア=ファム殿と同様に、かけがえのない同志として扱っていただけたら、幸いです」
普段通りの穏やかな笑みをたたえながら、メルセウスはそのように述べていた。
三名の狩人たちは、それぞれ異なる表情を浮かべつつ、無言でたたずんでいる。ジェイ=シンは仏頂面、ギリル=ザザは薄笑い、ホドゥレイル=スドラは無表情である。
これだけさまざまな身分の人間が集った場で、やはりもっとも異彩を放っているのは、この森辺の民たちであった。彼らはいちおう王国の領民という立場でありながら、自由開拓民のロア=ファムよりも強く野生の生命力といったものをみなぎらせていたのである。
真っ赤な蓬髪と青い瞳を持つジェイ=シンは、なかなか見目の整った若者だ。年齢は、たしか十七歳と聞いている。細身で、引き締まった身体つきをしており、彼自身が若い獣であるかのような印象であった。
褐色の髪を短く切りそろえたギリル=ザザも、年齢は同じぐらいなのだろう。ただ、ジェイ=シンよりは一回りも大きな体格をしており、いかにも勇猛そうな面がまえをしている。強く輝く双眸は、東の民にように漆黒だ。
最後のホドゥレイル=スドラは、非常な長身で、すらりとした体格をしている。他の二名よりは年長であるようで、いつも落ち着き払っているように見える。髪も瞳も褐色で、とても澄んだ眼差しをしており、首から上だけを見れば、まるで学士のような風情であった。
三人三様で、まったく似たところのない風貌であるが、ただ、その肌だけは東の民のように浅黒く、そして、静かな中に確かな力感をにじませているところは、共通している。彼らはギバという恐ろしい獣を狩る、狩人の一族であるのだった。
(ジェノスの擁するモルガの森で狩人として生きる、森辺の民か……しかも、モルガの山は大神アムスホルンの聖域であるという話だし……まったく、謎めいた一族だな)
ともあれ、これですべての人間の紹介が終わった。
それから真っ先に口を開いたのは、新参のイリテウスであった。
「レイフォン殿、僭越ながら、発言を許していただけますでしょうか?」
「うん、もちろん。このような場で王宮の礼儀を重んじても、詮無きことだからね。何でも遠慮なく発言しておくれよ」
「それでは、申し述べさせていただきます。……ディラーム将軍には朝方、この同志の輪に行方知れずの身とされていたダリアス将軍も含まれるのだと聞かされていたのですが、それは真実なのでしょうか?」
「うん、真実だよ。ダリアスと我々の間を繋いでくれたのは、祓魔官のゼラ殿とクリスフィア姫だ。ダリアスもまた、赤の月の陰謀に巻き込まれて、その身を危うくしてしまったようだが、それをゼラ殿に救われたのだという話だったね」
ゼラは一礼するだけで、何も答えようとしない。
その代わりに、クリスフィアが口を開いた。
「そうしてダリアス殿はゼラ殿の手引きでダーム公爵領に潜伏していたが、連絡役であるティートという人物が深手を負ってしまったため、孤立してしまったのだ。わたしはたまたまダーム公爵家でダリアス殿と巡りあうことができたが、ちょうど時を同じくして、王都に呼び戻されてしまってな。ダリアス殿が王都に戻るのは時期尚早ということで、しかたなしに行動を別にすることになったのだ」
そのように語ってから、クリスフィアはゼラのほうを向いた。
「なんとかダリアス殿と連絡を取り合う方法はないものだろうかな? ダリアス殿は、ジョルアン将軍が謀反人であることの生き証人であるのだろう? ゼラ殿が調べあげた事実とあわせて訴え出れば、いかな十二獅子将といえども言い逃れはできまい」
「それは……いささかならず、難しいように思います……現在、王都を出入りする人間は厳しく取り調べられますため、我々がダームに新たな使者などを送りつければ、たちまち敵方に動きを悟られてしまいましょう……」
「しかし、ダリアス殿を襲ったと見られる一団が、シーズ殿の死の真相を調べるなどという名目で、ダームにまで向かってしまったのであろう? ならば、一刻の猶予もないはずだ」
そう言って、クリスフィアは灰色の瞳を強くきらめかせた。
「本音を言えば、わたしはいますぐにでも刀を取って、ダームに駆けつけたい心境だ。みすみすダリアス殿の身柄を敵に渡すことなどはできんからな」
「短慮はなりませんよ、クリスフィア姫。そんな真似をしたら、平地に乱を起こすことにもなりかねません」
と、ティムトがすかさず声をあげた。
「ダームに向かった一団の消息が途絶えて、ジョルアン将軍が心を乱していることを、こちらは期待の材料と考えるべきです。ダリアス将軍がその一団を返り討ちにして、部隊長などを捕らえることができていれば、より確実にジョルアン将軍を追い詰められるはずです」
「しかしそれには、ダリアス殿と連絡を取り合う必要がある、というのであろう? それではけっきょく、堂々巡りではないか」
「こちらはこちらでさまざまな問題を抱えているのですから、まずは手の届く場所から片付けていくべきです。薬師のオロルという証人を失った今、僕たちはまた一歩、後退を余儀なくされてしまったのですからね」
すると今度は、ディラーム老が厳しい面持ちで発言した。
「その薬師めは、かつてクリスフィア姫にシムの毒を盛ったと証言していたそうだな。しかもそれが、ジョルアンめの指示であったとは……かえすがえすも、惜しい証人を失ってしまったものだ」
「はい。ですが、これはこちらが一手を打つ好機であるかもしれません。その薬師からもたらされた話を、ロネック将軍に打ち明けてしまってはいかがでしょうか?」
ティムトの発言に、その場にいる半数ぐらいの人間が驚いた顔をした。
驚いていないのは、あまり事情をわきまえていないイリテウスや、こまかい事情に頓着していない森辺の狩人たちである。すでに昨晩、ティムトからすべての事情を聞かされているメルセウスなどは、ちょっと楽しげにも見える顔で微笑んでいた。
「クリスフィア姫とロネック将軍は、とある夜にシムの媚薬を嗅がされてしまったそうですね。それを指示したのがジョルアン将軍であるという話でしたが……しかし、証人である薬師が魂を返してしまったのに、それをロネック将軍に信じていただくことがかなうのでしょうか?」
「ロネック将軍は、非常に激しやすい御方です。そのような話を聞かされれば、ジョルアン将軍を詰問せずにはいられないでしょう。まずはその一手をもって、敵方を攪乱したいと思います」
「ふむ。攪乱とは?」
「僕たちの見込みに間違いがなければ、ロネック将軍とジョルアン将軍はともに敵方の一味であるはずなのです。そうであるにも拘わらず、ジョルアン将軍がロネック将軍にそのような罠を仕掛けたということは、彼らにはもともと不和の種子があったということでしょう。前王を弑して思いのままの権勢を手に入れたジョルアン将軍が、さらなる欲を満たすためにロネック将軍を陥れようとしたのならば、これで彼らの絆を完全に断ち切ることができるかと思います」
「なるほど。しかし、ロネック将軍が陰謀に関わっているという証はまだないのですよね。陰謀に加担していたのはジョルアン将軍のみで、ロネック将軍がただの道化であったとしたら、どうなります?」
「その場合は、ロネック将軍がジョルアン将軍に正義の鉄槌を下してくれることでしょう。何にせよ、あの御方は自分に敵対する存在を許せないはずです」
そう言って、ティムトはクリスフィアのほうに視線を差し向けた。
「すでにクリスフィア姫は、ロネック将軍に偽の手紙を出した犯人を探していると告げています。その犯人をついに突き止めたと、ロネック将軍にお話ししてみてはいかがでしょうか?」
「ふむ。その際に、オロルの名を出してもよいのだろうかな?」
「もちろんです。昨晩も、その話を追及するために『賢者の塔』を訪れたのだと話せば、いっそう信憑性も増すことでしょう。そして、薬師が魂を返してしまった今となっては、ロネック将軍もジョルアン将軍本人を問い質すしかなくなるということです」
「ああ、そうか。あの薬師めが無事でいれば、ロネック将軍もまずそちらに向かってしまうだろうからな。そこで薬師が恐れをなして口をつぐんでしまえば、ロネック将軍もむやみにジョルアン将軍を責めることはできない、ということか」
クリスフィアは、感心したように口もとをほころばせた。
「さすがは策士たる従者殿だな。わたしなどが口をさしはさむのは僭越であったようだ」
「何を仰っているのですか。最初にこの策をロネック将軍に仕掛けたのは、クリスフィア姫でしょう?」
ティムトはとても不本意そうに唇をとがらせた。
ディラーム老は「いやいや」と愉快げに笑っている。
「しかし確かに、レイフォンもかくやという弁舌であったぞ。頭の切れる子供だとは思っていたが、まさかそこまでとはな。おぬしには人間を育てる才覚まで備わっていたのだな、レイフォンよ」
「いやあ、私などは、ティムトに習うことのほうが多いぐらいですよ」
ティムトの心情を慮って、レイフォンはそのように答えてみせた。事情を知らない人間であれば、レイフォンが謙遜しているのだと思ってくれることだろう。
「ただ、その薬師の死に関しては、どのように考えるべきなのだろうかな。やはり、口封じで殺されたと考えるのが妥当なのであろうか?」
「そうでしょうね。しかも、ロア=ファムとそちらのギリル=ザザは、『賢者の塔』で妖しげな気配を察知したのだという話ですよ」
レイフォンが水が向けると、ロア=ファムが「ああ」とうなずいた。
「ただし俺は、妖魅などというものと相対したことはない。ただ、人間とも獣とも異なる、薄気味の悪い気配を感じ取ったというだけの話だ」
「そうだな。俺もそいつに同意する。あのように不気味な気配は、モルガの森でも感じたことはないぞ」
ギリル=ザザは陽気に笑いながら、そのように述べたてた。
そのかたわらで、ジェイ=シンは眉をひそめている。
「俺が地の下の暗がりで出くわしたのは、まさしくこの世のものならぬ妖魅だったと思う。王都では、あのような妖魅がほいほい姿を現すのだろうか?」
「そんなことはないよ。私だって、あのようなものに出くわしたのは、初めてさ」
「しかし、そちらの姫君は、別の場所で同じような妖魅に出くわしたというのだろう?」
「うむ。ダーム公爵の邸宅において、シーズ殿の身を害した使い魔というのが、あれとよく似た気配を発していた。その場にいたレィミアという侍女めの話によると、シムに伝わる呪術で生み出された妖魅であるという話であったがな」
「シムの呪術か……しかし、姿かたちは異なっていたのだろう?」
「そうだな。わたしが見たのは、人間の赤子ぐらいの大きさをした、毛むくじゃらの妖魅だった。そいつに噛みつかれたシーズ殿は、あっという間に魂を返すことになってしまったのだ」
すると今度は、静かにたたずんでいたホドゥレイル=スドラが発言した。
「これはセルヴァの玉座を巡っての陰謀であると、俺は主人に聞かされている。そこでどうして、シムの呪術などが関わってくるのだろうか?」
「ああ、薬師のオロルというのは西の民だが、シムで薬の技を学んだという話だったのだよ。だから、その使い魔というやつも、オロルの準備したものなのではないかと疑っていたのだが、それを問い質す前に殺められてしまったんだ」
レイフォンが説明すると、若き狩人は「なるほど」とうなずいた。
「では、ジェイ=シンが討ち倒した妖魅というものも、シムの呪術で生み出されたものなのだろうか?」
「それは、わかりません。ただ、あの蛇の妖魅は禁忌の歴史書に記されていた蛇神ケットゥアの眷族と酷似した姿をしており……なおかつ、シムにおいては占星や呪術など、いにしえの技が多く伝えられているとされていますね」
ティムトが答えると、ホドゥレイル=スドラの目がそちらに向けられた。
「それではやはり、シムに連なる何者かが、このたびの陰謀に関わっているのだろうか? この王都に到着して以来、俺は東の民も、その血を継いでいるように見える人間も、まったく目にしていないのだが」
そのように述べる彼ら森辺の民こそ、シムの民さながらの浅黒い肌をしている。聞くところによると、森辺の民は遥かな昔にシムとジャガルの間に生まれた一族なのではないかという伝承が存在するのだという話であった。
そんなホドゥレイル=スドラの沈着なる眼差しを見返しつつ、ティムトは「ええ」とうなずいている。
「王都においては、いにしえの技を忌避する気風が強いのです。それは、前王カイロス陛下がそういう技を嫌っていたゆえなのですが……自然に、東の血を継ぐ人間が王宮内で重用されることがなくなってしまったのでしょうね」
前王カイロスは、長きに渡って王として君臨していた。その間に、王宮お抱えの占星師などはみんな追放されてしまったし、シムとの混血である人間も排斥されてしまったのだ。
「もっとも、この王都アルグラッドはあまりにもシムから遠いので、もともと東の血を継ぐ人間も数えるほどしかいなかったのだと聞いています。……それが、どうかなさいましたか?」
「いや。シムに連なる人間がいないのに、シムの技で騒ぎが起こるのはいぶかしいと思ったまでだ。主人のメルセウスに、思ったことは何でも発言してよいと言われたので口に出したが、余計な話であったのなら、詫びさせていただく」
ホドゥレイル=スドラは、あくまで沈着なたたずまいであった。
そのすらりとした長身を見返しながら、ティムトはわずかに目を細めている。
「そのことは、僕もいささか気にはなっていました。あの禁忌の歴史書には、大神アムスホルンの復活を願う『まつろわぬ民』について記されていましたが……読めば読むほど、それに合致するのは東の民であるのです」
「なに? 我々の敵は、シムにあるというのか? セルヴァで見かける東の民など、みんな害のない商人ばかりであるはずだぞ」
クリスフィアが心外そうに言いたてると、ティムトはそちらに気のない視線を向けた。
「何も、東の民が敵であると言っているわけではありません。『まつろわぬ民』が潜伏するならば、それに相応しい地はシムだと言っているのです。そもそも、シムに伝わるいにしえの技というのは、すべて大神アムスホルンの御世から伝わってきたものであるはずなのですからね。『まつろわぬ民』が秘密裡に呪術の技を磨き、保持するには、東の民の中にまぎれるのが一番安全であるように思います」
「ふむ。しかし、シムと強い縁を持っていたオロルは、真っ先に魂を返してしまったな。あやつ以外にも、シムと強い縁を持つ人間がいる、ということなのであろうか?」
「そうとでも考えないと、辻褄が合わないのですよね。オロル自身が妖魅に襲われたというのなら、それを操る何者かが存在したはずなのですから」
「ちょっと待っていただきたい」と、イリテウスが言葉をはさんだ。
「その『まつろわぬ民』というのは、何の話なのでしょうか? これは、前王や王太子らが魂を返すことになった、赤の月の災厄の真実を暴くための集いなのでしょう? 敵は、新王ベイギルスや、ジョルアンおよびロネック将軍なのではないのですか?」
「それに力を与えたのは何者か、というお話ですよ。これらの陰謀には、妖魅の存在が大きく関わっています。シーズ将軍を害したのが使い魔という妖魅であったというだけで、もはや切り離して考えることはできないのです。そして、新王や将軍たちに、妖魅を扱うことなどは決してかなわないでしょうから……いにしえの技を使う何者かが、裏で力を添えているはずなのです」
そう言って、ティムトは理知的に輝く瞳を半分だけまぶたに隠してしまった。
「とはいえ、僕がそのような結論に達したのは、つい昨日のことです。自らも妖魅と相対して、禁忌の歴史書を調べていく内に、僕はようやく真実の一端をつかめたように思います。僕たちは、おそらく……オロルという人物のことを、もっと重要視するべきだったのです。彼がこのたびの陰謀に関わっていると判明した時点で、その身を保護するべきでした」
誰もが覚悟の据わった面持ちで、ティムトの言葉を聞いている。
表に立つことを嫌うティムトがこのように衆目を集めるというのは、かつてなかったことである。レイフォンは非常な誇らしさを胸に、ティムトの姿を身守ることになった。
(このたびの陰謀を暴くのには、ティムトの力が欠かせぬはずだ。非才の身たる私にできるのは、ティムトのために道を切り開くことぐらいだろうな)
そんなレイフォンの心情も知らぬげに、ティムトは滔々と語り続けていた。
「そしてもう一点、これまで重要視されてこなかった話があります。それは、前王を弑したとされている第四王子カノンと、十二獅子将ヴァルダヌス将軍の存在です」
「ふむ。玉座を狙う何者かがこのような陰謀を仕掛けたというのなら、その両名もまた犠牲者に他ならなかったということですな。それは確かに、捨て置けぬ話です」
イリテウスの言葉に、ティムトは「はい」とうなずく。
「カノン王子とヴァルダヌス将軍も、陰謀に巻き込まれた身であったのでしょう。なおかつ僕は、その両名がまだ生きているのではないかと……燃えさかる銀獅子宮から脱出を果たして、どこかに身をひそめているのではないかと考えています」
その話は、すでに多かれ少なかれ、この場にいる全員に伝えられている。
しかしやっぱり、平常な気持ちで聞き流せる話ではないのだろう。十一名の同志が集ったその場には、これまで以上の緊迫しきった空気が張り詰め始めていた。