Ⅰ-Ⅳ 王子の決意
2018.6/9 更新分 1/1
ナーニャが水瓶の水で身を清めて、もとの装束に着替えを済ませたのち、一同はヤハウ=フェムの待つ謁見の間に引っ立てられることになった。
謁見の間には何十名ものマヒュドラの兵士が控えている。その中に、ゼッドとタウロ=ヨシュの姿を見出したリヴェルは、心から安堵することができた。
ゼッドもタウロ=ヨシュも、最後に見たときと同じ姿のままである。それに、大きな火傷を負ったゼッドの右腕には清潔な包帯が巻かれており、かつてマヒュドラの兵士たちに負わされた顔や頭の傷にも、きちんと治療がほどこされているようだった。
「やあ、ゼッド……それに、タウロ=ヨシュも……すっかり心配をかけてしまったね……見ての通り、僕も粗略には扱われていなかったよ……」
ヤハウ=フェムの前に立たされたナーニャは、まずそのような言葉を述べたてていた。
その姿を、ゼッドとタウロ=ヨシュはとても厳しい目つきで見返している。たとえ粗略に扱われていなかったとしても、ナーニャがいまだ力を取り戻せていないことは明白に過ぎた。
白銀の長い髪は後ろでゆったりと束ねられているだけであるので、そこからこぼれた毛先がやつれた頬にもつれかかっている。もともと陶磁器のように白い肌はいっそう血の気を失って、立っていることさえ辛そうな様子だ。
しかし、それだけ力を失っても、ナーニャはなおも美しかった。
いや、力を失っているからこそ、一種悽愴なまでの美しさが増しているのかもしれない。血涙石のごとき瞳を妖しくきらめかせながら、そこに立ち尽くしたナーニャの姿は、それこそ魔物のように美麗であるのだった。
「よくぞまいったな、まほうつかいのナーニャよ。おまえがたましいをかえさずにすんだのは、だれにとってもよろこばしいことだ」
玉座のように立派な椅子に座したヤハウ=フェムが、底ごもる声でそう言いたてた。
「おまえはひょうせつのようみどもをしりぞけ、われわれはおまえのなかまをきゃくじんとしてあつかった。あのよるにかわされたやくそくは、はたされたとみなしてもらおう」
「うん。あなたが約束を守ってくれて、心から嬉しく思っているよ、ヤハウ=フェム……ただ、僕はイフィウスたちにも危害を加えないようにお願いしたはずだよね……? 彼らも無事であるらしいとは聞いているけれど、その姿を見せてはくれないのかな……?」
ヤハウ=フェムは紫色の瞳を炯々と燃やしながら、配下の兵士に目配せをした。
奥側の扉の向こうに姿を消した兵士は、そこから見覚えのある人々を引き連れて戻ってくる。それは、イフィウスとベルタであった。
鼻と上唇の周囲だけを隠す奇妙な面をつけたイフィウスと、小柄でギーズの大鼠のような面相をしたベルタが、リヴェルたちのかたわらに立たされる。ナーニャはイフィウスに向かってやわらかく微笑みかけていたが、イフィウスの鋭い眼差しに変化はなかった。
「*****。********。……***********」
と、ヤハウ=フェムがふいに北の言葉で何かを告げる。
すると、兵士のひとりがベルタだけをヤハウ=フェムのかたわらに移動させた。
ベルタは緊迫しきった面持ちで、リヴェルたちの姿を見回してくる。
「ヤ、ヤハウ=フェム将軍は、わたしに通訳の仕事を果たせと仰られています。ただ、この場には将軍のみならず、西の言葉を解する人間が何人もいることを忘れるな、とのことです」
「わきまえているよ……話を聞き取るのに不自由はないんだろうけど、自分で西の言葉を発するのは疲れることなんだろうね……」
ナーニャは、にこりと微笑んだ。
ヤハウ=フェムは眉間に深い皺を刻んだまま、北の言葉でまくしたてる。
「ろ、牢獄を脱出した人間は数十名に及びましたが、その半数近くは、あのメフィラ=ネロと名乗った妖魅によって害されてしまいました。しかし、生き残った半数は、わたしやイフィウス殿とともに、今日まで手厚く遇されていました」
「うん。ヤハウ=フェムがきちんと約束を守ってくれたことには、心から感謝しているよ……」
「……本来であれば、脱獄をした囚人たちと、それを手引きしたわたしは、その場で首を刎ねられるべき身でありました。わたしたちの今後については、あなたの言葉ひとつにかかっています、魔法使いナーニャ」
脂汗を流しながら、ベルタはそのように言葉を重ねた。
彼はすでに、ナーニャやゼッドの正体をわきまえているのだ。きっと自身の安全よりも、セルヴァの貴人であるナーニャやゼッドやイフィウスの行く末こそを案じているのだろう。
そんなベルタをなだめるように微笑みながら、ナーニャは「うん」とうなずいた。
「わかっているよ……それは、あのメフィラ=ネロについてだろう……? 彼女を退けるには僕の力が必要だと、ヤハウ=フェムにはあの夜に告げているからね……今度はその約束を果たせ、というんだろう……?」
「は、はい……その前に、お前は何なのだ、と将軍を仰っています」
ベルタの声が、いっそうの惑乱と恐怖の響きを帯びる。
「メフィラ=ネロは、恐ろしい妖魅でした。しかし、彼女のもたらした災厄を退けたあなたは、それと同じぐらいの脅威に感じられます。まずは、あなたの正体を明かせと……将軍は、そのように仰っています」
それはきっと、ベルタ自身の疑問でもあるのだろう。
ベルタは、ナーニャの素性を知っている。しかし、セルヴァの第四王子であったナーニャが何故、あのような魔法を操ることができるのか。ある意味では、ヤハウ=フェム以上に、ベルタやイフィウスたちのほうが混乱の度合いは大きいはずだった。
「……僕の正体を知るということは、僕の凶運に巻き込まれるということだ。まずはその覚悟を固めてもらおうかな、ヤハウ=フェム……」
ヤハウ=フェムの双眸が、いっそう激しい炎を燃やした。
それを見返すナーニャの白皙には、妖しい笑みが浮かび始めている。
「そして、最初に言っておこう……僕の正体を知っているのは、この場でゼッドただひとりだ。リヴェルや、チチアや、タウロ=ヨシュにも、僕は僕の正体を明かしていなかった……僕は彼女たちのことをとても好ましく思っていたから、できるだけ自分の凶運に巻き込みたくないと考えていたんだよ……でも、メフィラ=ネロが現れたことによって、もうそんな気遣いも無駄になってしまったのさ……」
そこまで一息に語ってから、ナーニャは激しく咳き込んだ。
リヴェルは慌てて取りすがろうとしたが、背後に控えていた兵士に押さえられてしまう。ナーニャは力なく身を折りつつ、妖しく光る真紅の瞳でヤハウ=フェムを見つめた。
「失礼したね。まだまだ身体が言うことをきかなくてさ……よければ、リヴェルに身体を支えてもらってもかまわないかな? そうしたら、僕ももうちょっとはなめらかに喋ることができると思うよ……」
ヤハウ=フェムはしばらく黙りこくってから、北の言葉を短く発した。
兵士が丸太のような腕を引っ込めたので、リヴェルはナーニャのもとに駆けつける。防寒用の分厚い外套の上からでも、ナーニャの身体が火のような熱を宿しているのが感じられた。
「どうもありがとう……感謝するよ、ヤハウ=フェム……」
ナーニャの妖しい笑みが、ふっとあどけない微笑に変わる。
そして、その瞳はとても優しくリヴェルを見つめてきた。
「リヴェル、君もよく聞いていてね……僕の正体を知ってなお、リヴェルが怖がらずにいてくれるかどうか、僕は心配でたまらないんだけどさ……」
「何を聞かされても、ナーニャはナーニャです。わたしにとって大事なのは、ただその一点だけです」
リヴェルの肩に体重を預けながら、ナーニャはいっそう優しげに微笑んだ。
それから、ヤハウ=フェムに向きなおる。
「それじゃあ、打ち明けるよ。……僕たちはね、眠れる大神の力を発現させるための、器なんだ……」
「ね、眠れる大神の力……?」
ベルタが、震える声で反問する。
リヴェルはまたその笑みを妖しいものに変じながら、「うん」とうなずいた。
「それは王国の民たちが、アムスホルンと呼ぶ大神のことだ……そのアムスホルンを長きの眠りから解き放つために、どこかの誰かが僕やメフィラ=ネロに大いなる呪いをかけてくれたんだよ……」
ヤハウ=フェムが、北の言葉でがなり声をあげた。
死人のような顔色で立ち尽くしていたベルタが、慌てた様子でそれを通訳する。
「こ、言葉の意味がわかりません。父なるアムスホルンは四大神にその力を分け与えて、悠久の眠りについたのです。この世界は子たる四大神に継承されたのですから、アムスホルンが眠りから覚めることはありえません」
「そのようには考えていない人々が、この世には存在するということさ……マヒュドラではどうだか知らないけど、セルヴァにおいて、それは『まつろわぬ民』と呼ばれているそうだね……」
ヤハウ=フェムが、また大きな声で何かを述べた。
ベルタは、北の言葉でそれに応じている。
「ま、まつろわぬ民とは何かと、将軍が問い質されています。それは、許されざるべき邪神教団のことか、と……」
「ああ、なるほど。マヒュドラにも、邪神教団というのは存在するんだね……でも、それとはちょっとまた違う一派なんだよ……邪神教団が崇めるのは、蛇神ケットゥアなどを始めとする異形の神々だけど……まつろわぬ民が崇めているのは、あくまで大神アムスホルンなんだ。それで……その一派は、蛇神ケットゥアや猫神アメルィアこそがアムスホルンの眷族であり、四大神はアムスホルンに弓引く邪神であると言い張っているわけだね……」
ヤハウ=フェムが、ついに立ち上がってしまった。
周囲の兵士たちの間にも、不穏な気配が立ち込めてしまっている。その内の何名かは、北方神に許しを乞うようにその名を唱えているようだった。
「勘違いしないでほしいんだけど、何も僕自身がその一派である、というわけじゃないからね……? 僕はただ、そういう内容が記された書物を読んだだけなのさ……」
「そ、そのような話は、聞くだけで耳が穢れる。お前はいったい何を語るつもりなのだと、将軍は仰られています」
「だから、僕やメフィラ=ネロの正体についてだよ……僕たちは、その一派が大神を覚醒させるために作りあげた、呪いの道具であるわけさ……」
リヴェルにぴったりと身を寄せながら、ナーニャは笑いを含んだ声でそのように語っていた。
見ると、チチアは激しく唇を噛みながら、タウロ=ヨシュは周りの兵士たちに負けないぐらい険しい面持ちで、ナーニャの言葉を聞いている。
そんな中、ゼッドだけは無表情に、ナーニャの姿をじっと見つめていた。
「禁忌の歴史書に、その内容も記されていた……僕たちは、大神をこの世に降ろすための御子なんだ……僕たちが大神の力で四大王国を滅ぼせば、大神アムスホルンは復活する……事実はどうだかわからないけれど、そのように信じる一派がこの世には存在して……そして、その呪われた力を持つ大神の御子も、この世には存在する、ということだね……」
「し、しかし、炎は西方神セルヴァの力です! その炎を操るあなたが、どうして西方神に仇なす存在となってしまうのですか!?」
ベルタが大きな声をあげると、ヤハウ=フェムもまたがなりたてた。
きっといまのは、ベルタ自身の問いかけであったのだろう。ナーニャはゆらゆらと燃える妖しい眼差しでベルタのほうを見た。
「もともと四大神の持つ力は、父なるアムスホルンから継承されたものだとされているよね……禁忌の歴史書において、それは四大神がアムスホルンから奪った力だとされている……まあどちらにせよ、それはまったく意味合いの異なる力であるんだ……」
「い、意味合いの異なる力とは……?」
「四大神の支配する世界において、炎というのは現象に過ぎない……ラナの葉をこすることで生み出すことのできる、とても便利な道具だね……たとえおとぎ話において炎の精霊が登場したとしても、そんなものは存在しないと誰もが信じている……セルヴァにおいて炎が神聖とされているのも、それが人間の生活において欠かせぬ大事な存在であるためだ……炎の持つ神秘性というものは剥ぎ取られて、ただの道具と化してしまっている……そしてそれは、他の四大神の持つ、氷、風、大地の力に関しても、同じことなのだろう……」
ナーニャの言葉は、それ自体が呪いであるかのように、人々を脅かしていった。
しかしリヴェルはその胸もとにしっかりと取りすがり、ナーニャの身体を支えている。それが、リヴェルの決断であった。
「それに対して、アムスホルンの持つ力は、精霊の力であり、魔法の力だ……魔法の力で炎を灯すのに、ラナの葉や薪なんかは必要ない……炎の精霊に呼びかけて、その力を行使する……この世界が四大神に支配されるまでは、すべての人間が四つの力を自在に操っていた……と、禁忌の歴史書には、そのように綴られていたね……」
「では……あなたの力というのは……」
「うん、そうだよ……ただの現象と化してしまったこの世の炎を駆逐して、炎の精霊の力でこの世を満たす……僕は、そのための器なんだ……僕が炎を行使しているんじゃなく、炎の精霊が現出するために、僕という器が必要だということだね……」
ベルタは、がっくりとくずおれてしまった。
「何故なのです……? 何故、よりにもよって、あなたがそのような呪いをかけられてしまったのです……?」
「それはね、たぶん……偶々だったんだよ……」
ナーニャは、痛烈なまでに皮肉っぽく微笑んだ。
「おそらくは、僕の血筋なんて関係ない……僕は偶々、神の器に相応しい存在だったんだ……あのメフィラ=ネロだって、きっとそうなんだろう……僕たちは、神の器に仕立てあげるのに、偶々都合のいい感じに生まれついたというだけなんだよ……」
「そんな……そんな馬鹿げたことがあるのですか……?」
「うん……神の器となる人間には、いくつかの条件が存在するんだ……僕は偶々、その条件に合致してしまったんだね……まあ、それらの条件をすべて満たすために、まつろわぬ民も何らかの手を講じたんだろうけどさ……結果として、僕はこの世を滅ぼす呪具として作りあげられてしまったわけだね……」
ベルタが力なくうなだれてしまうと、ナーニャはヤハウ=フェムのほうに視線を差し向けた。
「ただし僕は、そんな凶運にあらがおうと決めていた……わけのわからぬ連中に運命を弄ばれるなんてまっぴらだったから、自分の運命から逃げ出そうと決意したんだ……だから、この魂を大神に捧げることなく、ぎりぎりのところで人間の形を保っている……僕が魂を捧げてしまったら、あのメフィラ=ネロのような妖魅に成り果ててしまう、ということだね……」
ヤハウ=フェムが、地鳴りのような声で、何かを述べた。
兵士に槍の柄で肩を小突かれて、ベルタが青ざめた顔を上げる。
「それで……あのメフィラ=ネロという妖魅は、何を為そうと目論んでいるのですか? あの妖魅は本当に、マヒュドラを滅ぼそうとしているのですか?」
「うん。それが、大神の御子の役割だからね……彼女はもう魂のありったけを大神に捧げてしまったようだよ……まあ、それが僕たちの、本来あるべき姿なのだからね……」
そのように述べながら、ナーニャはきゅっとリヴェルの身体を抱きすくめてきた。
そしてその目は、人間らしい情愛をたたえながら、ゼッドを見つめている。
「この現世を心から呪っている、というのも、神の器となるための条件のひとつなんだ……きっと彼女は最初から、この世を恨み抜いていたんだろう……だけど、僕は……ゼッドのおかげで、人間として生きることに希望を見出すことができた……ゼッドがいてくれたからこそ、僕は最後の最後で思い留まることができたんだ……もしもゼッドが僕のかたわらになかったら……きっと僕は、メフィラ=ネロよりも先に、おぞましい妖魅に化してしまっていただろうね……」
「では……あなたは王国を滅ぼそうとは考えていないのですね……?」
「うん……その後も僕は、リヴェルと出会うことができた……チチアとも、タウロ=ヨシュとも、イフィウスとも出会うことができた……彼らが生きるこの世界を滅ぼしたいとは、まったく思わない……だから僕は、神の器たる条件にひとつだけ当てはまらず、こうして人間の姿を保っていられるというわけさ……」
ナーニャの火のように熱い指先が、リヴェルの髪を優しく撫でていた。
その真紅の瞳には、慈愛の光があふれかえっている。
「ただし、それを喜んでばかりもいられない……神の器として不十分な僕は、精霊の力を十全に操ることができないんだ……だから、メフィラ=ネロと対決すれば、僕は確実に負けることになる……王国をも滅ぼすことのできる存在に、まだ半分ぐらいは人間のままである僕なんかが太刀打ちできるわけがない、ということだね……」
「そ、それではどうしたらいいのでしょう? 我々は、滅びを受け入れるしかないのでしょうか……?」
「そんなことはないよ……この世界の人間たちだって、まるきりの無力というわけじゃないんだからね……」
優しげであったナーニャの瞳に、今度は不敵な光が宿る。
「だから僕は、あなたがたに共闘を申し入れたい……四大神の子たるあなたがたと、魔法の力をいくばくかは操れる僕が、力を合わせて、凶運を退けるんだ……四大王国の繁栄を守るには、もはやその道しか残されていないと思うよ……?」
「きょうとう……われわれに、にしのたみであるおまえたちとてをとりあえ、というつもりか?」
ヤハウ=フェムが、自らの口で問うてきた。
ナーニャは「そうだよ……」と真紅の目を光らせる。
「本来であれば、すべての王国に共闘を持ちかけたいところだけど、このような話はなかなか信じてもらえないだろうからね……だから、メフィラ=ネロをその目で実際に見たあなたたちしか、立ち上がれる人間はいないんだ……ここでメフィラ=ネロを退けることができなかったら、遠からず四大王国は滅ぶことになるはずだよ……」
「よんだいおうこく……マヒュドラやセルヴァのみならず、シムやジャガルまでもか?」
「ああ、もちろんさ……メフィラ=ネロひとりでは、そこまでの仕事を果たすことはできないかもしれないけれど……神の器は、四体まで現出させることができるんだからね……シムやジャガルにおいても、まつろわぬ民たちは神の器を現出させるべく、奔走しているのだと思うよ……」
西の言葉を解する兵士たちが、いっそうどよめき始めた。
その中で、ナーニャはあくまでも淡々と言葉を重ねていく。
「僕もまさか、自分の他に神の器が現出されているなんて、これっぽっちも思ってはいなかったんだ……だから、僕が凶運から逃げ出して、ひとりの人間としてひっそり死んでいくことができれば、この世界は救われるんだと思っていた……でも、メフィラ=ネロが出てきた以上、風や大地の力を持つ御子が現れると考えるべきだろう……その前にメフィラ=ネロを滅ぼしておかないと……たぶん、すべてが手遅れになると思う……」
「…………」
「これは、王国の存亡を懸けた戦いなんだよ……あなたが僕の言葉を信じてくれないと、世界は滅ぶことになる……だから、どうか信じてほしい、ヤハウ=フェム……僕は、ゼッドやリヴェルたちの暮らすこの世界を守りたいと、心から願っているんだ……」
ナーニャの表情が、また変わっていた。
妖しい表情でも、あどけない表情でもない。慈愛にあふれた表情でも、悪戯小僧のような表情でもない。それは、崇高なる使命に挑む、若き王のごとき表情であるように思えてならなかった。
(ああ……やっぱりナーニャは、王子様なんだ。たとえ神殿に幽閉されて、王族の教育なんて受けていなくても……その身体には、王家の貴き血が流れているんだ)
そんな風に考えながら、リヴェルはナーニャの身体を強く抱きすくめた。
これほど力強く、気高い姿を見せながら、ナーニャの身体からは力が失われてしまっている。そのほっそりとした身体は、その内で荒れ狂う炎に蹂躙されまいと、懸命にこらえているかのように、小さく震えていたのだった。
(西方神よ、どうかナーニャをお救いください……あなたの子が、あなたの王国を守ろうとしているのです。これほど恐ろしい運命に見舞われながら、ナーニャは魂を懸けて立ち向かおうとしているのです)
リヴェルには、そんな風に祈ることしかできなかった。