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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第五章 神の下僕
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Ⅴ-Ⅲ 検分

2018.6/2 更新分 1/1

 荒野の進軍を開始した、黄の月の十八日の夕暮れ刻。

 セルヴァ最南の要所、ラッカスに到着したゼラドの軍は、そこでようやく進軍を止めることになった。


 太陽はすでに没しかけており、天空は茜色に染まっている。あちこちで火を起こす準備を始めながら、兵士たちの間にはこれまで以上の緊迫感がみなぎっていた。

 そうして偽王子シルファのもとに伝令役の兵士が遣わされてきたのは、進軍を止めてからたっぷり半刻ほどが過ぎたのちのことである。


「カノン王子殿下、タラムス将軍閣下がお呼びです。至急、我々にご同行をお願いいたします」


 伝令役の兵士は、その背後に十名もの兵士を引き連れていた。

 シルファのかたわらに控えていたエルヴィスは、厳しい眼差しでその兵士たちの姿を見回していく。


「タラムス将軍のお言葉とあれば、是非もない。護衛役として我らが同行することは認めていただけるのであろうな?」


「……旗本隊の同行を禁ずる、というご命令は受けておりません」


 エルヴィルは大きくうなずくと、三名の部下を呼び寄せた。

 そこで、メナ=ファムも名乗りをあげさせていただく。


「エルヴィル隊長さん、まさかあたしとプルートゥを置いていくつもりではないだろうね? あたしらは、どんな状況でも王子殿下のおそばを離れず、その身を守り抜くっていう使命をいただいているんだからさ」


「わかっている。しかし、タラムス将軍がそれを許さなかった場合は、文句など言いたてるのではないぞ?」


「ふん。本当にゼラドのお人らが王子殿下を大事に扱おうと思っているなら、そんな命令を下す理由もないはずだよね」


 メナ=ファムは、ゼラドで支給された金属の兜をかぶりながら、にっと不敵に笑ってみせた。

 シルファがトトスの車から降りると、黒豹のプルートゥも軽やかな身のこなしでついてくる。その優美で力強い姿を頼もしく思いつつ、メナ=ファムは御者台に声をかけておいた。


「それじゃあ、あたしらはちょいと行ってくるよ。いつでも車を動かせるように、準備しておきな」


「はい。お気をつけて、メナ=ファム、王子殿下」


 悠揚せまらぬラムルエルに見送られながら、一行は北の方角に足を向けた。

 偽王子の旗本隊は陣のほぼ中央に据えられていたので、どこまで進んでも周囲はゼラドの兵士だらけである。シルファの姿は護衛の兵士たちに取り囲まれていたので、そういった者たちの目にもほとんど留まっていないように思えた。


 シルファは特別に準備された、白と銀の甲冑に身を包んでいる。その美しい面は半ば兜の陰に隠されてしまっていたものの、純白の外套をなびかせたその姿は、王子に相応しい高貴さであった。


「……お待ちしておりましたぞ、カノン王子殿下」


 しばらく進むと、より兵士たちの密集した場所の中心で、タラムス将軍が待ちかまえていた。ジャガルとの混血で、小柄だが肉厚の身体をした、歴戦の戦士である。


「何用であろうか、タラムス将軍? もうラッカスは目と鼻の先なのであろう?」


「ええ。陣の最先端から城門までは、もはや二百歩の距離でありましょうな。それでさきほど使者をやって開門をうながしたのですが、あちら側は条件を突きつけてきました」


「条件?」


「はい。ゼラドの軍が本当にカノン王子殿下を擁しておられるのなら、その姿を見せよ――という条件ですな」


 タラムス将軍がそのように言い捨てると、エルヴィルが「馬鹿な」と反応した。


「いや、失礼。しかし、ラッカスの人間が王子殿下のお姿を見知っている道理はありません。姿を見せても、それが王子殿下だと見分けられる人間など存在しないはずです」


「果たして、そうなのだろうかな。あちらは、そうは言っていなかったようだが」


 タラムス将軍の緑色をした目が、探るようにエルヴィルを見返した。


「あちらからは、検分役の人間を差し向けてくるそうだ。その検分役の人間が、こちらの差し出した人間をカノン王子殿下と認めたそのときは、抵抗をせずに城門を開くと申し述べているのだ」


「いや、しかし、王子殿下のお姿を目にした人間など、王都でも数えるほどしか存在しなかったはずです。ラッカスのような辺境の区域に、そのような人間がいるわけは――」


「くどいな。もとより、このていどのことは想定済みであったはずだ」


 タラムス将軍の重々しい声音が、エルヴィルの言葉をさえぎった。


「ともあれ、その交渉に応じたのは、我が軍の最高司令官たるデミッド殿下であられる。おぬしたちは、己の役目を果たすがいい」


 エルヴィルは険しく眉をひそめつつ、拳ひとつぶんほども低い場所にあるタラムス将軍の顔をにらみ返した。


「……その検分役の人間とやらは、城門の外まで出向いてくるのですね?」


「うむ。こちらも護衛の兵士をつけるので、王子殿下の御身に危険が及ぶことはあるまい。旗本隊たるおぬしたちと、そこの侍女めも同行することを許そう」


 エルヴィルはぎらぎらと両目を燃やしながら、「了解しました」と言い捨てた。

 そこに、メナ=ファムがこっそり囁きかけてみせる。


「ねえ、プルートゥも同行が許されるかどうか、きちんと確認しておくれよ」


 すると、エルヴィルよりも先に、タラムス将軍のほうがメナ=ファムのことをにらみつけてきた。


「プルートゥというのは、そのシムのけだもののことか。同行させたいなら、好きにするがいい」


「おや、聞こえちまったかね。感謝いたしますよ、タラムス将軍様」


 タラムス将軍は仏頂面で、羽虫でも払うように手を振った。


「では、そちらの兵士たちと進むがいい。完全に日が暮れる前に、決着をつけよ」


 背後に控えていた十名ばかりの兵士たちが、あらためてメナ=ファムたちを取り囲んだ。

 それに背中を押されるようにして、一行はまた歩を進ませる。今度はこのまま陣の外にまで出て、検分役の人間とやらと相対しなくはならないのである。


(何だい、話が違うじゃないか。もしもあっちに第四王子のことをよく知る人間なんかが待ちかまえていたら、エルヴィルたちの悪巧みも木っ端微塵だ)


 そうなったら、ただちにセルヴァ軍との戦闘が開始されるのだろうか。

 また、そうなってしまった場合、ゼラドの軍は偽王子と判定されたシルファのことを、これまで通りに守ってくれるのだろうか。


(オータムでふんぞり返ってる大公様なんかは、シルファが本物でも偽物でもかまわないって物言いだったけど……タラムス将軍や、ちっとも姿を見せないボンクラ兄弟なんかは、内心でどう思っているんだろうね)


 とりあえず、タラムス将軍がシルファをゼラドに迎え入れることを嫌がっていた姿は、いまでもはっきりと覚えている。彼はおそらく、大公ベアルズとはまったく逆の意味で、シルファの素性などどうでもいい、と考えているのだろう。シルファが本物であろうと偽物であろうと、このように胡散臭い一団を味方に引き入れたくはない、と考えているのだ。


(だからあたしは、あの将軍様が嫌いになれないんだよね。このゼラドで唯一、まともな考え方をする御仁だと思えちまうからさ。……だけど、それはそれとして、あたしはシルファを守ることを最優先に考えなきゃいけないからねえ)


 ゼラドが準備した兵士は十名ていどで、エルヴィルを含む旗本隊は四名。あとは、メナ=ファムとプルートゥだけで、シルファの身を守らなければならないのだ。

 もしもこれがあちら側の罠であり、いきなり城門からラッカスの軍が押し寄せてきたら――そうとう剣呑な事態になってしまうことだろう。


(そのときは、とにかくゼラド軍のほうに逃げ戻るしかないか。あとは戦いのどさくさにまぎれて、ラムルエルと合流する。……まったく、初っ端から正念場だねえ)


 メナ=ファムがそのように考えたとき、「そこで止まれ!」という声が響いてきた。

 視線を上げると、もうラッカスの城壁が目の前に迫っている。人間の背よりも何倍も大きい、堅牢なる石塀である。石塀の上ではかがり火が焚かれており、甲冑を纏った兵士たちが慌ただしく行き来している影も見えた。


 背後を振り返れば、ゼラドの兵士たちの灯した火が、荒涼たる大地を埋め尽くさんばかりに点々と広がっている。たとえ石塀で守られていたとしても、これだけの軍勢を間近に迎えるというのは、いったいどのような心地であるのだろうか。


 そんなメナ=ファムの想念も余所に、奇妙な光景が目前で展開され始めた。

 石塀の上から、ひとりの人間がするすると降下してきたのである。

 それはどうやら、縄で吊るされた木の板か何かに乗っているようであった。


(へえ、たったひとりで、こっちに来るつもりかい)


 ならば、荒事に及んだ際は、その人物が真っ先に魂を返すことになるだろう。勇敢なのか無謀なのか、それとも何かの罠であるのか。メナ=ファムには、何とも判別のしようがなかった。


 そうして地面に降り立ったその人物は、おそれげもなくメナ=ファムたちのほうに近づいてきた。

 甲冑姿ではなく、ゆったりとした長衣を纏った若者である。腰には刀すら帯びておらず、その顔には穏やかな笑みさえたたえられていた。


「わたしはラッカスの領主ラザムの一子、ネリアンと申します。ご覧の通り、武器は帯びておりませんので、どうかご安心ください」


 こちらの一団から十歩ほど離れた場所で足を止めると、その若者がそんな風に声をあげた。


「あなたがたの進軍については、すでに東方の物見の塔より知らされておりました。あなたがたはセルヴァの第四王子カノン殿下を擁しておられるということでありましたが、それは真実なのでしょうか?」


「真実だ」と、エルヴィルが大きな声で応じた。

 その双眸は、やはり警戒心で燃えさかっている。


「そちらは領主の子息であるとのことだが、ラッカスに王子殿下のお姿を知る人間がいるとは考えられん。お前はいったい何をもって、検分の役を果たそうと考えているのだ?」


「失礼ですが、あなたはどなたでしょうか?」


「俺は王子殿下をお守りする旗本隊の隊長、エルヴィルだ。もともとは王国の兵士であったが、悪辣な手段をもって前王陛下を謀殺し、その罪をカノン王子殿下にかぶせた叛逆者ベイギルスを打倒するために、ゼラド大公国に身を寄せている」


「エルヴィル……なるほど、あなたが十二獅子将ヴァルダヌスの遺志を継いだという、かつての千獅子長であられるわけですね。それもまた、物見の塔から遣わされた使者に聞かされております」


 こちらの掲げた松明に照らされながら、ネリアンと名乗った若者はまだ静かに微笑んでいた。


「仰る通り、わたしはカノン王子殿下のお姿をこの目で拝見したことはありません。ですが、王都に招かれる機会は多かったので、王子殿下がどのようなお姿をしていたかはわきまえているつもりです」


「……そのような風聞を頼りに、王子殿下の御身を検分しようなどと言いたてたのか?」


「はい。王子殿下のお姿を目にした人間などほとんど存在しないのですから、致し方ありますまい。領主たる父ラザムも、わたしの提案を快く承諾してくれました」


 優雅にも見える仕草で、ネリアンは一礼した。


「わたしどもは、戦を好みません。あなたがたも、そうであるからこそ、このラッカスを訪れたのでしょう? 近在の領主が迎撃の決断を下す前に、このラッカスを突破できれば、西の主街道を制圧できる、と――わたしがあなたがたと同じ立場でも、同じように考えると思います」


「ならば、城門を開いて、我々を通すがいい。領民やその富を害することはないと、ゼラド軍の指揮官からもそのように伝えられているはずだ」


「はい、確かに。……しかしそれには、やはりゼラドの軍がカノン王子殿下を擁しているという確かな証が必要となることでしょう」


 ネリアンが、一歩だけこちらに近づいてきた。


「検分の役を果たさせていただきたく思います。カノン王子殿下は、どちらにおいででしょうか?」


 エルヴィルはしばらく逡巡してから、シルファを振り返った。

 シルファはうなずき、エルヴィルのかたわらに進み出る。もちろん、メナ=ファムとプルートゥも同じように歩を進めた。


「そちらが、カノン王子殿下ですか。……この暗さでは検分もかないませんので、貴き御身に今少し近づくことを許していただけますでしょうか?」


「好きにするがいい。ただし、おかしな真似をしたら、その場で魂を返すことになるぞ」


「わきまえております。また、そちらの御方が本物であれ偽物であれ、わたしには害する理由などありません」


 そのように述べながら、ネリアンはさらに近づいてきた。

 その足が刀の間合いに入ったところで、エルヴィルが「止まれ」と命じる。


「それ以上、近づく必要はあるまい。その場で、検分の役目を果たせ」


「それでは、兜を外していただけますか?」


 またエルヴィルはしばし思い悩んでから、シルファにうなずきかけた。

 シルファはゆったりとした仕草で、自分の兜に手をかけた。

 銀灰色の短い髪が、夜気にさらされる。

 その瞬間、ネリアンはわずかに目を見開いた。


「これは……なんと美しい……失礼ですが、もう一歩だけ近づくことをお許しください。この位置では、瞳の色を検分することがかないませぬゆえ……」


 エルヴィルは、左右に立ち並んだ旗本隊の兵士たちに目配せをした。


「ならば、その身の自由を封じさせてもらう。シムの毒でも扱う人間ならば、小さな針ひとつで人間を害せるはずだからな」


「ええ、かまいません。お好きなようになさってください」


 兵士のひとりがネリアンの背後に回り込み、その両腕を拘束した。

 残りの二名は刀を抜きつつ、ネリアンの真横に立つ。

 その準備が済んでから、シルファはゆっくりと歩を進めた。


 ネリアンの目は、食い入るようにシルファを見つめている。

 シルファは偽王子としての凛然たる表情で、それを見返していた。

 しばらくは、誰も口を開くこともなく――やがてその静寂が重苦しさを帯び始めたところで、ネリアンがようやく発言した。


「白銀の髪に、血の色の瞳、透き通るような白い肌……これはまさしく、風聞で聞く白膚症というものなのでしょう」


 ネリアンは力なく微笑みながら、エルヴィルのほうに向きなおった。


「もう十分です。検分の役目は果たされました」


 エルヴィルはシルファを下がらせて、その身を背中でかばってから、兵士たちに合図を送った。ネリアンを解放した兵士たちは、素早くもとの位置に戻る。


「そして、男とも女ともつかぬ、魔性の美貌……わたしが王都にて伝え聞いたカノン王子殿下の容貌と、はっきり一致するようです」


「ならば、こちらの御方がカノン王子殿下その人であられると認めるのだな?」


「はい、認めましょう」


 そう言って、ネリアンはまた微笑した。


「それではわたしは領内に戻り、城門を開くように命じます。しかし、ゼラドの軍を同胞として迎えることはできませんし、また、数万から成る軍勢を休ませる場所など準備することはかないません」


「わかっている。そのまま領内を通過させてもらえれば、それで十分だ。こちらにしてみても、ラッカスを占領する理由はない。この地を占領したところで、いずれはセルヴァの軍に四方を囲まれてしまうのだからな」


「はい。日中の狼煙を受けて、王都からはすでに迎撃の命令が下されています。それでも近在の領主たちが動かないのは……真偽が知れぬ内に、セルヴァ王家を名乗る御方に弓を引くことはできないと考えたゆえでしょう」


 そうしてネリアンは、さきほどよりもうやうやしげに見える仕草で一礼した。


「あなたがたの進軍を許すことによって、ラッカスはきわめて苦しい立場に追い込まれることになるかと思います。その罪をすすぐために、いずれはあなたがたに刃を向けることになるやもしれませんが……この夜は、第四王子カノン殿下に頭を垂れることをお約束いたしましょう」


「では、そのように取り計らってもらいたい」


「承知いたしました」


 ネリアンは、ふわりときびすを返した。

 その姿が薄闇の向こうに隠れるのを待とうともせずに、エルヴィルも素早く身をひるがえす。


「我々は王子殿下の御身をお守りするので、タラムス将軍への報告はお任せする。さあ、急ぐぞ」


「何だい。話は丸く収まったんじゃないのかい?」


「あの者が本心を語っていたとは限るまい。城門が開いても、そこから迎撃の軍が繰り出されるやもしれんのだから、それに備えなければならんのだ」


「なるほど。あんたは、そう考えるのかい」


 しかしメナ=ファムは、ネリアンが虚言を吐いたとは思っていなかった。少なくとも、シルファの美しさに魅了され、心から敬服していたことだけは、確かであろうと思う。シルファを偽物だと断じたのならば、彼があのような表情や態度を垣間見せるとは思えなかった。


(まあ確かに、シルファは本物の王子様みたいに美しくて凛々しいからね。これじゃあ、騙されても仕方がないさ)


 そうしてメナ=ファムたちがゼラド軍の本隊のところにまで至ったとき、重々しい音色をたてて城門が開かれ始めた。

 城壁に、黒い口がぽっかりと空いている。しかし、そこから軍勢が押し寄せてくることはなかった。


(とりあえず、今日は血を見ずに済みそうだね)


 そんな思いを胸に、メナ=ファムは兵士たちをかきわけるようにして押し進んだ。

 兜をかぶりなおしたシルファは凛々しい偽王子の面持ちであったが、その瞳にも安堵の光がくるめいているように思えてならなかった。

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