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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第五章 神の下僕
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Ⅴ-Ⅱ 荒野の進軍

2018.4/28 更新分 1/1

 黄の月の十八日。

 早朝にダムロスの城を出立したゼラドの軍勢は、不毛の荒野を北に駆けていた。


 メナ=ファムとシルファはラムルエルの操るトトス車の中であり、そのトトス車は数万から成るゼラドの軍勢に四方を囲まれている。窓の帳を開いてみても、そこから見えるのはトトスにまたがった兵士たちの姿ばかりであった。


 聞くところによると、丸一日はこの荒野が続くらしい。

 地図の区分でいえば、ここもすでに王国セルヴァの領土であるのだが、作物も育たない不毛の大地であるために、人間が暮らしたりはしていないのだそうだ。


「ま、そもそもゼラドってのは、王都を追放された王族が打ち立てた国だって話だったもんね。もともとは、まともに住めるような場所じゃなかったってこった」


 それでもゼラドが発展したのは、不毛な大地の奥底に鉱山を発見できたためである。

 その鉱山で採掘した成果をジャガルに売り渡して、ゼラドは発展した。遠方の河川から用水路を引いて、六つの町から成る大公国を建立せしめたのだ。


「それで満足しとけばいいのに、どうして王国を乗っ取ろうなんて考えたんだかねえ。トトスで半月もかかる場所にいる連中に喧嘩を売ろうだなんて、まったく馬鹿げてるじゃないか」


「そうですね。……しかしきっと大公家の人間というのは、自分たちを追放したセルヴァ王家に復讐を果たすために、ここまでの執念を燃やすことができたのでしょう。その執念がなかったら、そもそもゼラドを発展させることさえできなかったのかもしれません」


「だけどそいつは、もう百年も昔の話なんだろう? そんな大昔の恨みのために生命を懸けようだなんて、あたしには理解できないね」


 そのように述べてから、メナ=ファムはシルファに笑いかけてみせた。


「ま、あたしに理解できようとできなかろうと、もう戦は始まっちまったんだ。余計なことは考えずに、生き延びるために力を尽くすべきなんだろうね」


 ゼラドの軍勢がセルヴァの領土に足を踏み入れた。その時点で、それはもう宣戦布告を果たしたのと同じ意味であるのだと、メナ=ファムは聞かされていた。


 この近辺に町らしい町は存在しないが、ゼラド軍を監視するための物見の塔とやらが存在するらしいのだ。その物見の塔から上げられる狼煙によって、ゼラド軍の動きは王都にまで伝えられる。そして、ゼラドと王都の間に存在する領地においても、迎撃の体勢が整えられるのだという話であった。


「早ければ、今日の夕刻には辺境貴族どもの軍が横合いから襲いかかってくるかもしれん。そのつもりで、覚悟を固めておけ」


 昨晩、ダムロスの城の寝所において、ラギスはそのように言っていた。


「そうして辺境貴族どもが足止めをしている間に、王都から大軍が派遣されて、頃合いの土地に陣を張ることになる。この十数年は、その繰り返しであったのだ」


「ふん。今回はそうならない、とでも言いたげな口ぶりだね」


 メナ=ファムがそのように反問してみせると、ラギスはふてぶてしく笑ったものだった。


「それは、第四王子カノンの威光がどこまでの力を持つかにかかっている。辺境の地方領主どもが素直に道を開ければ、ずいぶん楽に軍を進めることができるのだが……さて、どうなることだろうな」


 シルファは、真剣な面持ちでその言葉を聞いていた。

 そして今も、真剣きわまりない面持ちで座している。黒豹のプルートゥをかたわらに侍らせて、荷台の隅に設えられた申し訳ていどの席に座しながら、シルファは床の一点を見つめていた。

 車の帳を閉めたメナ=ファムは、もう一度そちらに笑いかけてみせる。


「今から気を張ったって、しかたないだろ? いざというときのために力を溜めておきなよ、シルファ」


「ええ、それはわかっているのですが……いっそのこと、わたしが矢面に立ちたい心地です」


「ふん。自分に騙された人間が生命を落とすよりは、自分の生命を危険にさらしたほうが楽だって話かい? あんたは自分から辛い道に足を踏み入れたんだから、いまさら泣き言を抜かしたって始まらないさ」


 メナ=ファムはシルファのもとまで歩み寄ると、その華奢な肩に手を置いて、間近から顔を覗き込んでみせた。


「何があろうと、あたしが一緒だ。敵兵に首を刎ねられるときも、神の裁きで魂を砕かれるときも、あたしが一緒にいてやるよ。だから、心配しなさんな」


 シルファは何とも言えない面持ちで、メナ=ファムの顔を見返していた。

 その血の色の透けた青灰色の瞳にも、さまざまな感情が渦巻いているように思える。ただ、不安や悲しみといった感情よりも、希望や喜びのほうが上回っているように、メナ=ファムには感じられてやまなかった。


 メナ=ファムはシルファと運命をともにすると誓い、シルファはそれを受け入れてくれたのだ。

 真っ当な人間としての幸福を捨て去ったことによって、二人の心は強く結び合わされた。メナ=ファムは、そう信じていた。


(やれやれ、何だか伴侶でも娶った心地だね)


 そんな風に考えながら、メナ=ファムはシルファのかたわらに腰を下ろした。


 そうしてしばらくは、何の変化も見られないままに時間が過ぎ去っていった。

 ときおり行軍が止められてトトスを休ませる他には、何も起きない。そのたびに、旗本隊の兵士がシルファの様子を見に訪れたが、その口からも特別な話が語られることはなかった。


 ちょっとした変事が勃発したのは、中天を過ぎた頃合いである。

 御者台のほうに設置された小窓が開かれて、ラムルエルがそれを教えてくれたのだ。


「王子殿下、メナ=ファム、狼煙、上がりました」


「狼煙? つまりは、セルヴァの軍に見つかったってことだね」


 メナ=ファムは小窓に駆け寄って、外套の頭巾に包まれたラムルエルの後頭部をにらみつけた。


「それで? 敵が近づいてきた気配はないのかい?」


「はい。セルヴァの軍、動くとしたら、これからでしょう」


 いよいよこの近在の人間たちにも、ゼラド軍の動きが周知されたのである。

 腰に下げた半月刀の柄をさすりながら、メナ=ファムは「ふふん」と笑ってみせた。


「ついに、戦だねえ。そんなもん、ひとつも楽しみにはしてなかったけど……何だかんだで、血がたぎってくるもんだ」


「そうですか。私、実感、ありません」


 ラムルエルの声は、相変わらず平静なままだった。

 まあ、感情を表すことを恥と考えるシムの民なのである。また、数十名の傭兵に囲まれても平然としていたラムルエルであるので、この先どのような変転に見舞われようとも、彼が取り乱す姿を目にする機会は訪れないのかもしれなかった。


 ともあれ、メナ=ファムはこれまで以上の昂ぶりを胸に、荷台で揺られることになった。

 しかしそれからも、敵襲の声が届けられることはなかった。


 一刻が過ぎ、二刻が過ぎ、ついには太陽が西の方向に大きく傾きかけても、ゼラド軍の足が止められる事態には至らなかったのだった。


「何だい、ずいぶんな肩透かしじゃないか。夕方には近所の連中が襲いかかってくるんじゃなかったのかい?」


 何度目かの休憩の折、シルファのもとを訪れたのがエルヴィルであったため、メナ=ファムはそのように問うてみた。

 革の水筒で咽喉を潤してから、エルヴィルは厳しく輝く瞳をメナ=ファムに向けてくる。


「その代わりに、物見の塔に走らせていた兵士たちが無事に戻った。上手くいけば、このまま目的の場所まで辿り着けるかもしれん」


「あん? 兵士たちってのは、何の話さ? そんな話、あたしらは聞いた覚えがないよ」


「……この一軍にはセルヴァの第四王子カノン殿下が加わっているという話を告げるために、旗本隊の兵士を物見の塔まで走らせたのだ。それが即座に討ち取られなかったということは、物見の塔の連中も迂闊に手は出せないと考えた、ということだろう」


 メナ=ファムは、少なからず呆れることになった。


「それはつまり、敵陣に使者を走らせたってことかい? よくもまあ、無事に戻ってこられたもんだね!」


「しかし、それを伝えなければ、王子殿下を同行させた意味がないだろう。これも辺境貴族どもの動きを掣肘するための、戦略だ」


 荷台の上からエルヴィルを見下ろしていたシルファは、偽王子としての凛然とした声音で言った。


「それで、使者として走らせた兵士たちは、確かに無事に戻ったのだな?」


「はい。二名の兵士を送ったのですが、どちらも無事に戻りました。矢を射かけられることも、後を追われることもなかったそうです」


 エルヴィルもまた、忠実なる騎士の面持ちでそう答えていた。


「これで近隣の区域にも、物見の塔から伝令が回されることでしょう。あとは、辺境区域の領主どもがその言葉をどのように受け止めるかです」


 そのとき、新たな人影がこちらに近づいてきた。

 旗本隊ではなく、ゼラド軍の甲冑を纏った、それはラギスであった。


「つつしんでご報告いたします。近在の領地から迎撃の軍勢が差し向けられた気配もありませんので、我らは予定通り、このまま北西に進軍いたします」


「うむ。ラッカスという領地を目指す、ということだな?」


「はい。ラッカスもまた、セルヴァの国境を守る要所でありますが……貴族の存在しない自治領区であり、戦を忌避する気風にあります。連中が大人しく我々を通せば、他の砦から派遣される軍勢よりも早く、西の主街道を制することがかなうでしょう」


 そのように述べてから、ラギスは不敵に黒い双眸を輝かせた。


「どうやら王都の連中は、カノン王子について何の布告も回してはいなかったようですな。王子の名を僭称する叛逆者が、ゼラドを味方につけて進軍する恐れがあり――とでも布告しておけば、この近隣の領主どももためらうことなく軍を動かせたでしょうに。つくづく王都の連中は、後手に回るのを好んでいるようです」


「そうか。有利にことが進んでいるのならば、何よりだ」


「……きっと西方神も、正しき王に国が治められることを望んでおられるのでしょう」


 野心にまみれた顔でそのように述べたててから、ラギスは早々に立ち去っていった。

 そうしてエルヴィルも自分の場所に戻り、また進軍である。

 荷車の振動に身をゆだねながら、メナ=ファムは息をついてみせた。


「何だかよくわからないけど、話は順調に進んでるみたいだね。ゼラドのほうが利口なのか、王都の連中が間抜けなのか、あたしにはさっぱりわからないけどさ」


「そうですね。でも、血を流すことなく進むことができるのなら、それが何よりです」


 シルファはそのように述べていたが、メナ=ファムは肩透かしを食らったような心地のままだった。

 また、今日という日を無事に過ごすことができたとしても、いつかは必ず血が流されることが決定されている。ならば、問題が先送りにされるだけで、大して変わりはないように思えてしまった。


(こうして普通に進んでいけば、半月で王都に到着するって話だったよな。あたしらがオータムを出たのは黄の月の十五日だから、今日で四日目――あと十日とちょっとで、王都に到着しちまうってことだ)


 そして王都の人間は、本日ゼラド軍の動きを知ったことになる。

 すぐさまあちらが出陣すれば、真ん中の五日後ぐらいにぶつかりあうことになるのだろうが――しかし、ゼラドは軍を編成するのに、ずいぶん長い時間をかけていた。常日頃から準備を進めていたのだとしても、やはり数万から成る軍勢を動かすというのは、大ごとであるのだろう。


(まあ、こっちにとって都合がいいなら、文句をつける筋合いはないけどさ。だけど、もしかして……王都の連中が間抜けぞろいで、エルヴィルやラギスの悪巧みがまんまと成功しちまうってこともありえるのかねえ)


 その悪巧みが成功したあかつきには、シルファがセルヴァの王となってしまうのだ。

 それからすぐにラギスへと王位を継承するとしても、その後は王妃となって、世継ぎを産むことになる。メナ=ファムとしては、そのような企みが実現するなどとは、毛ほども信じていなかったのだった。


(まあいいか。そのときは、王妃様の侍女にでも何でもなってやるよ)


 メナ=ファムは考えるのを放棄して、シルファにそっと寄り添った。

 メナ=ファムとプルートゥにはさまれて、シルファは穏やかに微笑んでいる。


 そうしてゼラドの軍は、いずれの敵兵とも遭遇しないまま、セルヴァの自治領区ラッカスを目前に迎えたのだった。

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