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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第五章 神の下僕
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Ⅰ-Ⅱ 取り引き

2018.3/31 更新分 1/1

 野獣のように濁った咆哮をあげながら、イフィウスが長剣を振りかざした。

 その斬撃で首を刎ね飛ばされた妖魅が、石畳の上にぐしゃりと墜落する。とたんにそのおぞましい肉体は黒い塵と化して、この世から消滅した。


「素晴らしい剣技だね。その調子で、なんとか道を切り開いておくれよ」


 ナーニャが気安い口調で述べると同時に、新たな妖魅が三体同時に飛びかかってくる。

 その内の一体は頭を屈めてやりすごし、二体目の胴体を斬り払い、三体目は剣の柄で殴打する。その濁った咆哮とは裏腹に、イフィウスの剣技は舞踏のように優美であった。

 顔面を殴打されて地に落ちた妖魅に、イフィウスが長剣を振り下ろす。そうして頭を砕かれると、その妖魅も霧散し果てた。


「うん、鍛えた鋼には妖魅を退ける力が宿るものだからね。このていどの妖魅なら、君の剣技で何とかなりそうだ」


「……じがじ、ごいづらのがらだはごおりのようにがだい。ごれぼどのがずをあいでにじでいだら、いずれがたながおれでじまいぞうだ」


 三人の周囲には、無数と思える青い鬼火が燃えていた。

 特に、遠くでごうごうと燃える赤いかがり火との間には、おびただしい数の眼光が瞬いている。これだけの数の妖魅をすべて斬り払うことなど、どのような剣士でも可能であるとは思えなかった。


「それでも、進むしか道はない。そろそろ背後の生ける屍たちも追いついてくる頃だろうからね」


「……ゼルヴァよ、あなたのぢゅうじづなるごにぢからをあだえだまえ」


 そのように念じるや、イフィウスは頭から妖魅の群れに突っ込んでいった。

 たちまち群がってくる不気味な妖魅どもを、鋼の長剣で凪ぎ払う。それは確かに、ゼッドにも匹敵するのではないかと思えるほどの剣技であった。


 しかしやっぱり、多勢に無勢である。どれほどの妖魅を撃退しても、なかなか前進することはかなわない。それどころか、相手の猛威に圧されてじりじりと後退を余儀なくされるほどであった。


「まずいな。せめてゼッドかタウロ=ヨシュでもいてくれれば――」


 そのように言いかけた瞬間、ナーニャはいきなりリヴェルの手を引いてきた。

「きゃあ!」と転びそうになったリヴェルの頭上を、冷たい風圧が吹き抜けていく。


 半ば無意識に後方を振り返ったリヴェルは、慄然と立ちすくむことになった。

 氷雪に覆われたマヒュドラの兵士が、青く光る双眸でリヴェルたちを見下ろしていたのだ。


「ちぇっ、やっぱり追いつかれちゃったか」


 生ける屍と化してしまったマヒュドラ兵は、一体だけではない。その背後の闇にも、青い鬼火がいくつも浮かびあがっていた。


「イフィウス、新手だよ。これ以上は後退できないから、そのつもりでね」


 ナーニャがそのように呼びかけたが、返ってくるのは長剣が妖魅を斬り払う硬質の音色のみであった。

 その間にも、生ける屍たちはのろのろと近づいてきている。


「しかたない。やっぱり僕も、犠牲を払うしかないようだね」


 言いざまに、ナーニャがふわりと腕をのばした。

 その手の平が、生ける屍の腹にぴたりと当てられる。

 その瞬間、生ける屍の巨体が、豪炎に包まれた。

 が、炎は一瞬で消え失せてしまう。

 そうして炎が消えると同時に、生ける屍は切り倒された大木のごとく、横合いに倒れ込んだ。


「ナ、ナーニャ、いったい何を……?」


「ふふん。ほんのちょっぴり、火神の力を借りたのさ」


 ナーニャの顔や手の甲に、赤い紋様が浮かびあがっている。

 その真紅の瞳も、炎のように燃えあがっていた。


「ただし、無から炎を生み出すというのは、この世の摂理に逆らう行いだ。こんな真似を続けていたら、僕はこの一晩で火神に魂を喰らい尽くされてしまうだろう」


「だ、駄目です! 人として生きることをあきらめないでください!」


「あきらめていないよ。そうじゃなかったら、この場にいる妖魅どもをいっぺんに焼き払っていたところさ」


 顔中に不気味な紋様を浮かばせて、その瞳を妖しく瞬かせながら、ナーニャはにこりと微笑んだ。


「最後の最後まで、僕は人として生きるためにあがいてみようと思う。リヴェルが僕のために発してくれた言葉を、決して無意味なものにはしない」


 新たな生ける屍が、のそりと近づいてきた。

 ナーニャはさきほどと同じ動きで、その巨体を炎に包み込む。

 そのたびに、ナーニャの肌に浮かびあがった紋様は炎のようにゆらめいた。

 まるで、ナーニャ自身も炎に包まれているかのようだ。

 リヴェルは、ナーニャが人ならぬものにじわじわと変容していくさまを見せつけられているかのような心地であった。


(それで……魂を火神に喰い尽くされてしまったら、ナーニャもあんな怪物になってしまうというの?)


 メフィラ=ネロを頭に埋め込まれた氷雪の巨人は、闇の向こうで不動のままであった。

 日が完全に没してしまったため、その輪郭すらもがすでに定かではない。


(嫌だ……わたしはナーニャが怪物になる姿なんて見たくない!)


 リヴェルは全身で、ナーニャの腕に取りすがった。

 新たな敵に向かって足を踏み出そうとしていたナーニャは、びっくりした様子でリヴェルを見下ろしてくる。


「どうしたの? リヴェルは何も心配しなくていいよ」


「いえ! ナーニャももう、無理はなさらないでください! ナーニャと一緒なら、わたしは魂を返すことも恐れません!」


「わかっているよ。だから僕も、こうして懸命にあがいているんじゃないか」


 ナーニャはまたあどけなく微笑んだ。

 その瞳は爛々と燃えているのに、とても優しげで温かい微笑みである。


「僕もリヴェルやゼッドとともに、人として生きていきたい。決してこの身を邪神に捧げたりはしないよ。もしも邪神が僕の魂を喰らい尽くしてしまいそうになったら……そのときは、僕は自分の手でこの身を浄化の炎で焼き滅ぼすつもりだ」


「ナーニャ……」


「でも、その限界が訪れるまで、僕はあきらめない。僕が人として生き抜くために、この邪悪な力を利用してやるのさ」


 そのとき、「ガノンおうじ!」というイフィウスの声が響きわたった。


「あれをみよ! わだじだぢは、どぢらをめざずべぎなのだ?」


 振り返ると、あらぬ方向から火の手があがっていた。

 かがり火を正面とすると、右手の方向である。そちらにゆらゆらと赤い火が揺れて、怒号のような声も響いてきていた。


「あれは……マヒュドラの軍か。さすがに彼らも全滅したわけではなかったようだね」


 ナーニャの笑みが、ふてぶてしいものに変わった。


「彼らもきっと、妖魅と交戦しているのだろう。だったら、そちらのほうが手っ取り早い。あのていどの松明の火でも、妖魅を浄化するには十分さ」


「よじ、わだじにづづげ!」


 イフィウスが手近の妖魅を斬り伏せてから、進路を転じた。

 ナーニャに手を引かれながら、リヴェルも走り出す。

 たちまち動きの素早い妖魅どもが横合いから飛びかかってきたが、それらはすべてイフィウスが撃退してくれていた。生ける屍たちのほうは、足が遅いので追いすがってくることもかなわない。


 そうして進むと、騒乱の気配がぐんぐんと近づいてきた。

 マヒュドラの兵士たちが相手取っているのは、妖魅どもであるようだ。高く掲げられた松明の下で、不気味な影が踊っている。


 指揮官と思しき人影が何事かをがなりたてている様子であるが、北の言葉であるために内容はわからない。

 鋼の長剣や戦斧が振りかざされて、無数の妖魅どもを次々と撃退しているようだった。


 それらの影が、いよいよ間近に迫ってくる。

 そして――兵士たちの決死の形相までもが見て取れるぐらい距離が縮まったとき、もっとも手前で掲げられていた松明から、突如として炎の竜が生まれ出た。


 炎の竜は、まっすぐリヴェルたちのほうに突き進んでくる。

 そして、頭上に飛び上がっていた妖魅の一体を、その真紅の顎で噛み砕いた。


 この世ならぬ怪異の現出に、マヒュドラの兵士たちがおののきの声をあげている。

 その間に、炎の竜は渦を巻きながら、こちらに向かってこようとしていた妖魅どもを貪欲に喰らい尽くしていった。


「イフィウス! 松明を僕に!」


 走りながら、ナーニャは叫んだ。

 先頭を走っていたイフィウスは、眼前の妖魅を斬り払ってから、マヒュドラの兵士につかみかかる。

 その兵士も半ば自失の状態にあったので、イフィウスに松明をもぎ取られても、いっかな抵抗する素振りを見せなかった。

 イフィウスが無言で松明を差し出すと、ナーニャは妖しい笑顔でそれを受け取った。


「さあ、これでようやく反撃だ」


 ナーニャは横合いに向きなおり、その手の松明を突き出した。

 炎の濁流が幾筋も生まれ出て、妖魅どもを焼き尽くしていく。あれほど恐ろしげであった妖魅どもは、その炎に触れるだけで瞬く内に霧散していった。


「なんだ、これは……いったい、なにがおきているのだ……?」


 慄然としたうめき声が、背後から聞こえてくる。

 振り返ると、そこに立ち尽くしているのは、グワラム軍の総指揮官たるヤハウ=フェムであった。兜を失い、額から血を流してはいるものの、先陣を切って妖魅どもを相手取っていた様子である。


「この妖魅を浄化するには、僕の炎が必要だ。どうか邪魔立てはしないようにお願いするよ」


 そう言って、ナーニャは唇を吊り上げた。


「というか、うかうかと僕に近づかないようにね。この炎は、僕のことしか避けてはくれないからさ」


 言いながら、ナーニャはゆっくりと前進し始めた。

 その先にあるのは、最初に目指していたかがり火である。

 かがり火との間に群がっていた妖魅どもは、ナーニャが前進するたびに次々と浄化されていった。


 そのとき――ずしんと、重苦しい衝撃が大地を揺るがした。

 マヒュドラの兵士たちが、また惑乱した声をあげる。

 頭のてっぺんにメフィラ=ネロを生やした氷雪の巨人が、こちらに足を踏み出してきたのだ。


 ナーニャはかまわず、前進し続けた。

 その手を握ったリヴェルも同じように歩を進めており、イフィウスもマヒュドラの兵士たちを牽制しつつ、追従している。


 ナーニャがかがり火に近づくと、そこからも炎の濁流が生まれ出て、周囲の妖魅どもをのきなみ焼き滅ぼした。

 そして、それらの炎に、氷雪の巨人の姿がぼんやりと照らし出されていた。


「ふん……ずいぶん小賢しい真似をしてくれるね、火神の御子」


 嘲弄に満ちたメフィラ=ネロの声が、高い位置から降ってくる。

 松明を高々と振りかざしながら、ナーニャはそちらを見上げやった。


「僕の炎がそちらに向かわないということは、君に害意はないということなのかな」


「当たり前じゃないか。同じ大神の御子が殺し合うのは禁忌だろう?」


「ふん。君の生み出した妖魅には、そんな配慮も感じられなかったけどね」


「そりゃあ、あんたが人間のふりなんかをしているからさ。あんたはいつになったらその魂を大神に捧げるつもりなんだい?」


「それにはさっきも答えただろう? 僕は神々の抗争なんかに興味はないんだよ」


 メフィラ=ネロは、押し黙った。

 その姿はあまりの高みにあるために、燃えさかる炎にも照らされることはない。


「ああ、なんて腹立たしいやつなんだろう……許されるなら、このままあんたを踏み潰しちまいたいところだよ」


「どうぞ好きにすればいい。今度はその足を溶かしてあげることも可能だろうからね」


「……あたしとあんたが争えば、ともに滅ぶことになる。あんたなんかのために、せっかくの力を失うのは御免だね」


 氷雪の巨人が一歩、後ずさった。


「しかたない。十日間だけ、あんたに猶予をやるよ。十日の間に、この地から消え失せな。あとは、好きな場所で野垂れ死ねばいい」


「ふうん。君はあくまで、このグワラムを滅ぼそうという心づもりなのかな?」


「ああ。あたしの力を試すのに、こんなにうってつけの場所はないからね。ここを潰したら、お次はマヒュドラの王都を氷漬けにしてやるつもりさ」


 そうしてメフィラ=ネロは、咽喉をのけぞらして笑ったようだった。


「あとは気が向いたら、あんたの代わりにセルヴァの王都も潰してやるよ。そうして最後はすべての王国が滅ぶことになるんだから、あんたがどこに逃げたって同じことさ」


「そうか。まあ、邪神に魂を捧げた君には、そうするしか道は残されていないのだろうね」


 ナーニャは松明を掲げたまま、いくぶん切なげに微笑んだ。


「僕も僕にとって最善の道を探すことにするよ。君とは二度と顔をあわせないほうが、おたがいにとって幸いなんだろうけど……この大陸にある限り、それは望みようもない未来なのだろうね」


 メフィラ=ネロは何も答えず、ナーニャから遠ざかっていった。

 その巨大な姿が、闇の向こうに溶けていく。それが完全に見えなくなるまで、ナーニャは彫像のように無言で立ち尽くしていた。


「まったく厄介なことになってしまったな。他の御子まで現れたとなると、もう平穏な生活なんて望むべくもないのかもしれないよ」


 そのように述べながら、ナーニャは後方を振り返った。


「さて、ヤハウ=フェム……よかったら、僕と取り引きをしてもらえないかな?」


 同じ方向を見たリヴェルは、愕然と立ちすくむことになった。

 炎で浄化された妖魅の代わりに、何百というマヒュドラの兵士たちが周囲を取り囲んでいたのだ。

 その中から、長剣を携えたヤハウ=フェムがずいっと進み出てくる。


「たわけたことをぬかすな、ばけものめ。あのようにほのおをあやつるおまえは、にんげんならぬかいぶつだ」


「それは別に否定しないけどさ。でもこれは、まともな人間の手には余る事態なんじゃないのかな?」


 そう言って、ナーニャは妖しく微笑んだ。


「さっき喋っていたメフィラ=ネロという娘が、このたびの災厄の正体だ。彼女の引き連れてきた氷雪の巨人や妖魅たちは、ひとまず撤退してくれたようだね」


「…………」


「ただし、彼女の魔法で生ける屍と化した気の毒な人々は、今でもグワラムの民を脅かしていることだろう。その魂を浄化するには炎が必要なんだけど、君たちだけでそれを成し遂げることができるのかな?」


「…………」


「そこで、取り引きだ。グワラムを救うのに手を貸すから、僕と仲間の安全を保証してほしい。……あ、僕と、イフィウスの仲間の安全をね」


「ふざけるな。だれがおまえのようなばけものととりひきなど――」


「では、このまま生ける屍の好きにさせておくのかな? 放っておいたら、一晩でグワラムの全住民は皆殺しにされてしまうと思うけどね。……そうして生ける屍に殺められた人間もまた、同じような妖魅に変じてしまうのだろうからさ」


 ヤハウ=フェムの周囲に控える兵士たちが、恐怖の表情で北方神の名を唱えていた。

 ヤハウ=フェムは、紫色の双眸を燃やしながら、ナーニャの笑顔をねめつけている。


「それに、メフィラ=ネロは十日後にまたやってくると言っていたね。彼女の正体を知る僕から、助言を欲しいとは思わないのかな? まあ、グワラムを捨ててマヒュドラに逃げ帰るつもりなら、それでもいいかもしれないけれど……でも、彼女はマヒュドラの王都にまで向かうつもりだと言っていたのだから、けっきょくいずれは刃を交えることになるのだろうね」


 そう言って、ナーニャはくすくすと笑い声をたてた。


「さあ、好きな道を選ぶといい。僕と取り引きをするか、僕の敵となるか……言っておくけど、僕の炎は妖魅でも人間でも相手を選ぶことはないからね」

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