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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第五章 神の下僕
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Ⅴ-Ⅰ ダムロスの城

2018.3/24 更新分 1/1

 ゼラドの都オータムを出立してから、三日――王都アルグラッドに侵攻せんとするゼラドの一軍は、ダムロスなる領地の城に到着していた。


 このダムロスは、ゼラド大公国の版図において最北端に位置する領地である。王国セルヴァとの国境であるために、その城砦の堅固さは首都オータムにも匹敵するという話であった。


 そのダムロス城のとある一室で、メナ=ファムたちは身体を休めている。

 ともにいるのは、偽王子カノンことシルファと、東の商人ラムルエル、そして黒豹のプルートゥである。メナ=ファムたちは甲冑と外套を脱ぎ捨てて、ひさかたぶりのまともな寝所で大いにくつろいでいた。


「やあれやれ。壁に囲まれた部屋ってのはいいもんだね。ここだったら、寝てる最中に羽虫に悩まされることもないだろうよ」


 メナ=ファムが寝台の上で身体をのばしながらそのように述べてみせると、シルファはうっすらと笑いながら「うむ」とうなずいた。

 四方は石の壁であるが、どこに覗き見や盗み聞きの仕掛けがあるかもわからないため、偽王子の真似事をやめるわけにもいかないのだ。それを気の毒に思いつつ、メナ=ファムはラムルエルのほうに目を向けた。


「ね、あんたもそう思うだろ? あんなぺらぺらの天幕とかいうやつの中じゃあ、なかなかくつろげないよねえ?」


「いえ。私、草原の民です。草原の民、天幕、暮らしています。べつだん、不自由、感じません」


「ああ、そうかい。だったら城の中庭にでも、天幕を張らせてもらったらどうだい?」


「私、王子殿下、ともにあります。王子殿下、天幕、移りますか?」


「いや、わたしは遠慮しておこう」


 隣の寝台で膝を抱えたシルファが、ラムルエルに微笑みを返す。

 声や口調は偽王子のそれであるが、表情はやわらかい。自分の正体を知るこの顔ぶれだけで過ごす時間は、シルファにとってかけがえのないものであるはずなのだ。


「それにまあ、明日からは嫌でも毎日天幕で過ごさなきゃならないんだからね。この領地を一歩でも出たら、そこから先は敵陣ってやつなんだろうからさ」


「うむ。いよいよセルヴァの領地に踏み入るのだな。メナ=ファムもラムルエルも、決して油断のないようにな」


「ああ、一命にかえても王子殿下をお守りしてさしあげますよ、だ」


 このように不穏な話題に及んでも、シルファはむやみに暗い顔をしないようになった。シルファもシルファなりに、覚悟が決まってきたのだろう。

 それを心強く思うべきなのか、不憫に思うべきなのか、いささか心を決めかねながら、メナ=ファムは身を起こす。


「それにしても、エルヴィルはちっとも顔を出さないね。また軍議とやらに呼び出されてるのかねえ」


「そうかもしれん。セルヴァの地理を知るエルヴィルの存在は、ゼラドにとっても有用であろうからな」


「ふん。こんなに平和だと、これから戦争を仕掛けるんだってことを忘れちまいそうだね。エルヴィルたちは、ずっと張り詰めた顔をしてるけどさ」


「……王国の民でありながらゼラドの軍として王都に攻め入ろうというのだから、エルヴィルたち旗本隊の心中は察してあまりある」


 そう言って、シルファがはかなげに微笑んだとき、部屋の扉が外から叩かれた。

 メナ=ファムはラムルエルを制しつつ立ち上がり、扉の前まで進み出る。


「どちらさんだい? 名前を名乗りな」


「第一連隊長ラギスと、旗本隊長エルヴィルだ」


 メナ=ファムはひとつ肩をすくめてから、扉を開いた。

 名乗った通りの両名が、甲冑を脱いだ平服姿で立ちはだかっている。メナ=ファムが身を引くと、まずはラギスが室内に踏み込んできた。


「おくつろぎ中に失礼いたします、カノン王子。ご報告したいお話があったので、参上つかまつりました」


「うむ。何用であろうか?」


 シルファが答えている間にエルヴィルも入室して、扉を閉める。とたんに、ラギスはにやりと笑った。


「よし、扉さえ閉めれば、もう取りつくろう必要もないぞ。この部屋には、覗き穴も伝声管も存在はしないからな」


「そうかい。そいつは、けっこうなことだ」


 メナ=ファムは二人の若者を追い抜かして、シルファのかたわらに立ちはだかった。反対の側では、プルートゥが静かに二人を見返している。


「お前たちと顔をあわせるのも、三日ぶりだな。何も不自由はなかったか?」


「ああ、おかげさまでね。まあ、しんどくなるのはこれからなんだろうけどさ」


「うむ。それでも明日からすぐに戦端が開かれるという事態には至るまい。……辺境区域の領主どもが、むやみに襲いかかってこなければな」


 明日からはセルヴァの辺境区域を越えて、王都アルグラッドを目指す。その区域を支配する貴族たちがゼラドの進軍に対してどのような動きを見せるか、それはそのときにならなければ不明であるという話であった。


「ともあれ、王都の軍勢にいまだ動きはないようだ。俺がセルヴァの王であれば、カノン王子がゼラドに連れ去られたと聞いた時点で、軍の編成を始めていたところだがな。新しいセルヴァの王や将軍たちは、つくづく無能ぞろいであるらしい」


「ふうん? でも、あちらさんが簡単には動かないだろうってのも、計算の内って話じゃなかったっけ?」


「ああ。あやつらは赤の月に、グワラムで痛い目を見たばかりであるからな。本来であれば、もう数ヵ月ぐらいはじっくり力を蓄えたかったことだろう。……運はゼラドに向いている、ということだ」


 ラギスは手近な椅子を引き寄せて、腰を下ろした。

 その肩ごしにエルヴィルを見たシルファは、心配そうに眉をひそめる。


「エルヴィル、どうしたのですか? 何か思い悩んでいるようなお顔ですが……」


「うむ? いや、何でもない。……ちょっとおかしな話を聞かされてしまい、頭の整理ができていないだけだ」


「おかしな話……?」


 ますます心配げな顔をするシルファに「ああ」と笑いかけたのは、ラギスのほうだった。


「俺たちは今までタラムス将軍のところで軍議に励んでいたのだがな、その場でおかしな話を聞かされたのだ。まあ、お前たちに話したところで何のことやらわからぬであろうが、いちおう耳に入れておかねばなるまい」


「何だい、ずいぶんもったいぶるじゃないか。王都で何か動きでもあったってのかい?」


「王都ではない。グワラムだ。かつてマヒュドラに奪われた領地であるグワラムの城が、火の手に包まれたらしい」


 確かにメナ=ファムには、何のことやらさっぱりわからなかった。

 シルファも同じ気持ちであるのだろう。銀灰色の髪を揺らして、小首を傾げている。

 そこで、影のようにひっそりとたたずんでいたラムルエルが口を開いた。


「グワラム、赤の月、戦い、終わったばかりであるのに、火の手、包まれたのですか? その戦い、マヒュドラ、勝利したはずです」


「ほう。東の民であるお前が、グワラムの情勢についてわきまえているのか?」


「はい。グワラム、戦い、行われるとき、北の街道、使えません。アブーフやタンティの軍勢、移動するためです。東の商人、グワラムの情勢、大事なのです」


「なるほどな。まあ、お前が不審に思うのも無理はない。赤の月に大きな戦いを終えたばかりのグワラムが火の手に包まれることなど、本来であればありえない話であるからな。……しかもそれは、半月も前の出来事であったのだ」


「半月? ってことは……黄の月の頭ぐらいかい」


「ああ。正確には、黄の月の三日。ちょうど俺たちがおたがいの内心をさらけ出して、手を組むと決断した頃の話だな。その日に王都では、戴冠式の前祝いというものが行われていたそうだが……その際に、グワラムの異変が狼煙で伝えられたそうだ」


 そう言って、ラギスは自分の手の平に拳を打ち込んだ。


「その話は俺たちがオータムを出立する前から伝えられていたらしいが、俺には知らされていなかった。どうせタラムスのやつめが俺をのけものにしていたのだろう。まったく、つまらぬ真似をするやつだ」


「それで? グワラムって領地があたしらとどう関わってくるんだい? あたしも名前ぐらいは聞いたことあるけど、そいつはゼラドの反対側、北の果ての領地じゃなかったっけ?」


「ああ。マヒュドラとセルヴァの境にある領地なのだから、北の果ても果てだ。そのような場所で変事が生じるというのは、ますます俺たちにとっては僥倖だったな」


 黒い瞳に野心の炎を燃やしながら、ラギスが唇を吊り上げる。


「どのような理由にせよ、グワラムが火の手に包まれては、王都の連中も安穏とはしていられないだろう。騒ぎが大きくなればなるほど、俺たちにとっては有利に働く。これも西方神の思し召しなのかもな」


「しかしわからないのは、グワラムが火の手に包まれた理由だ。セルヴァの軍は赤の月の戦役を終えたばかりで、とうていグワラムを急襲する力など残されていないはずなのだからな」


 エルヴィルが言うと、ラギスは「はん」とせせら笑った。


「だからそれはセルヴァの軍と関わりのない戦火であった、という話だったではないか。王都の連中も、わけがわからずに騒ぐばかりであったようだ、とな」


「わけがわからないのは、俺も同じだ。グワラムに攻め入ろうとする勢力などセルヴァにしか存在しないはずなのに、グワラムは火の手に包まれた。どこかから、グワラムを狙う謎の大軍が降って湧いたとでもいうのか?」


「それこそ、俺の知ったことではないな。おおかた、欲を出したシムの軍勢が横合いから手を出したのではないか?」


 ラギスの言葉に、ラムルエルは「いえ」と首を振った。


「シム、グワラムを攻める、理由、ありません。セルヴァ、マヒュドラ、どちらも友であるのです」


「ふん。セルヴァの友であるジャガルなどは、俺たちゼラドの人間にけっこうな力を貸してくれているがな」


「それは、ジャガルとゼラド、近いためです。シムとグワラム、とても遠いです。また、マヒュドラを裏切り、セルヴァに力を貸す理由、ありません」


 エルヴィルも、不明瞭な面持ちで「うむ」とうなずいている。


「シムの領内でグワラムともっとも近在に住まうのは、山の民たるゲルドの一族であろうが……やつらがグワラムに進軍するとしたら、どうしてもアブーフやタンティの領地を突っ切ることになる。そのような事態が生じればすぐに狼煙で知らされるのだから、シムの軍勢が王都の預かり知らぬところでグワラムを襲うことなどは不可能であるはずだ」


「そのように頭を悩ませたところで、答えが見つかるわけではあるまい。俺たちにとっては都合のいい変事であったのだから、西方神に感謝の祈りを捧げればそれで十分だ」


 ラギスは、ひとりで陽気であった。

 ただし、獲物を前にした肉食獣のごとき陽気さである。


「俺たちは、俺たちの都合だけを考えておけばいい。……それにな、グワラムの変事ばかりでなく、王都では何やら別の騒ぎも持ちあがっている様子だぞ」


「別の騒ぎ?」


「ああ。これは、俺が飼っている間諜が届けてきた情報であるのだが……現在の王都は、半分がた内紛の状態にあるそうだ」


「内紛とは、どういうことだ? まさか……誰かが新王を、討ったのか?」


 エルヴィルが顔色を変えて詰め寄ると、ラギスは「いやいや」と首を振った。


「新王ベイギルスは、相変わらず玉座にふんぞり返っているらしい。しかし、その重臣の一人に大罪の疑いをかけられただとか何だとか……あちらでも、欲得にまみれた勢力争いが生じている様子なのだ」


「勢力争い……しかし王都には、もはや新王に与する人間しか残されていないはずだ。少なくとも、十二獅子将においてはな」


 エルヴィルの双眸にも、激しい炎が灯っていく。ラギスの有する野心の炎とはまったく異なる、無念の炎である。


「ああ、十二獅子将というのは、半分ばかりが首をすげ替えられることになったのだという話だったな。しかし、残された半数というのは、本当に全員が新王派であるのか?」


「……それは以前にも伝えたはずだ。十二獅子将の内の五名は、五大公爵家の騎士団長であり、王都に身を置いていないため、派閥というものには属していない。そして、王都に身を置く七名の内、前王派であった五名がことごとく失われたのだと……俺は、そのように聞いている」


「ふむ。しかし、その五名の内の一名は十二獅子将に返り咲いたという話が間諜から届けられていたな。たしか名前は……ディラーム、だったか」


 エルヴィルは、無念に燃える瞳をまぶたの裏に隠した。


「ディラーム元帥は……ヴァルダヌス将軍が父のように慕っていた相手だ。しかし、それなりのご老齢である上に、銀獅子宮の倒壊に巻き込まれたという話であったのだから……かつての力を完全に取り戻せたわけではないのだろう」


「しかしそれでも、十二獅子将として返り咲くことができたのは幸いだ。俺たちにとっては、新王派に与する人間はのきなみ潰すべき敵であるのだからな」


 ラギスは、いよいよ野獣のように笑った。


「そのディラームとやらが、このたびの戦で俺たちの前に立ちはだからないことを祈ろうではないか。俺がセルヴァの王となったときに、十二獅子将がお前ひとりというのは、あまりに無用心であろうからな」


 ラギスが王となったあかつきには、エルヴィルを新たな十二獅子将に任命するという約定が果たされていたのだ。

 そのような未来が、本当に訪れるのか。メナ=ファムにはまったく想像もつかなかったが、大人しく口をつぐんでおくことにした。


(大鰐を狩る前に皮を剥ぐ算段を立てたって、意味はないからね。あたしが一番に考えなきゃいけないのは……このシルファを守り抜くことだ)


 そのように考えながら、メナ=ファムはこっそりシルファの様子をうかがった。

 シルファはひたすら心配そうに、エルヴィルの姿を見つめているばかりであった。

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