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アムスホルン大陸記  作者: EDA
第五章 神の下僕
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Ⅱ-Ⅰ 発覚

2018.3/3 更新分 1/1

「さて。それじゃあちょっと、状況を整理してみようか」


 白牛宮の執務室において、革張りの長椅子に腰かけたレイフォンは、正面に座ったティムトの顔を見つめながら、そう言った。

 二人の間に置かれた卓の上では、シムから取り寄せたギギの茶が香ばしい芳香をたちのぼらせている。これは強烈に苦い茶であったが、砂糖とカロンの乳で甘さを加えて飲むのがレイフォンの流儀であった。


「今日はべつだん目新しい出来事も起きていないのに、いったい何を整理しようというのです?」


 分厚いの書類の束に目を通しながら、ティムトはそっけなく応じてくる。ギギの茶の杯に手をのばしつつ、レイフォンは苦笑してみせた。


「私はもう、昨日から混乱しっぱなしなんだよ。いい加減に頭の中身がこんがらがりそうだから、ここでいったん状況を整理させてほしいんだ」


「はあ、まあ、どうぞご自由に」


「それじゃあ、まず昨日の件から。……グワラムが戦火に包まれたというのは、いったいどういうことなのだろうね?」


 昨日行われた戴冠式の前祝いにおいて、その報は突如として届けられた。それは、舞踏の間に集まっていたすべての人間にはかり知れないほどの驚きを与えてやまなかったのである。

 が、ティムトは書面から目を上げようともしなかった。


「昨日もお伝えした通り、現時点では何もわかりませんよ。グワラムの近在の領地から、使者が到着するのを待つしかないでしょう」


「でも、ティムトはとんでもないことを言っていたじゃないか。それは、四大王国とは異なる勢力による侵攻なのじゃないか、なんてさ」


「現時点では、それがもっとも整合性のある答えであるように思える、というだけのことです。アブーフやタンティの領主が勝手に軍を動かすとは思えませんし、また、勝手に軍を動かしたところで、王都からの援軍もないままにグワラムをそこまで追い詰めることはできません。それで、シムやジャガルにはグワラムを襲撃する理由もないし、秘密裡に進軍する行路すら存在しないとなれば、四大王国以外の勢力を疑うしかないでしょう?」


「だから、その勢力とは何なのか、という話さ。このアムスホルンには、四大王国の他にそれだけの軍事力を持つ勢力なんて存在しないだろう?」


「それは、僕にもわかりません。ただ、グワラムの西側には地図にも載らない辺境の暗黒地帯が存在しますからね。そこに秘密の勢力が隠れ潜んでいたのかもしれませんよ」


「暗黒地帯と言っても、自由開拓民ぐらいは住んでいるんじゃないのかな? ……まさか、その自由開拓民が、四大王国に牙を剥いたとでも言うつもりかい?」


「わかりませんよ。現在の情報だけでは、何を考えても仮説の域を出ないのですから」


 レイフォンは、どうにも釈然としなかった。

 仮にティムトの言うような勢力が存在するとして、グワラムを急襲する理由がさっぱりわからないのである。

 グワラムは、もう何年も前に、マヒュドラに占拠されてしまったセルヴァの領地であった。そこには万を数えるマヒュドラ軍が駐在しているはずであるし、何かあればマヒュドラ本国からさらなる軍勢が派遣される。領地を奪還せんというセルヴァの他に、グワラムを襲う理由を持つ勢力など想像することも難しいのだった。


「わかったよ。ティムトがわからないという案件について私が頭を悩ませても意味はないだろう。それじゃあ、お次は……やっぱり、ダームかな。トレイアス殿やダリアスなんかは、無事なのだろうか?」


 それもまた、昨日の祝宴のさなかに届けられた報だった。

 ただしそれは、ゼラからもたらされた、秘密の報告だ。十二獅子将シーズの死を調査するという名目で派遣された一団が、いつの間にかジョルアンの支配下にある防衛兵団の人間に入れ替えられていた、という案件である。


 かつて、王都においてダリアスを襲ったのはジョルアンの配下である、というところまでは、すでに調べがついている。第二防衛兵団の第三部隊所属、第四中隊の二百名が、ジョルアンの命令で動く秘密の部隊であったのだ。


 その秘密の部隊の半数、百名ていどの兵士たちが、ダームに向かったのだという。それが朱の月の二十九日の話であったから、もうその一団がダームに到着してから三日は過ぎているはずだった。


「そちらからも、何ら報告は届けられていません。まあ、表向きはシーズ将軍の死の調査ということになっているのですから、三日ぐらい王都に報告がなくとも、おかしいことはありませんけれどね」


「ううん、そもそもジョルアンは、何のためにその部隊をダームに派遣したのだろうね? 調査隊の顔ぶれをこっそり入れ替えたということは、やはり邪なたくらみが存在するのだろう?」


「そんなものは、いくらでも想像できますよ。そもそもシーズ将軍というのは敵方の間諜であったのですから、その死の真相を探るというだけでも、ジョルアン将軍にとっては重要な話になるのでしょうし」


「ああ、そうか。それに、ダリアスがダーム公爵邸に潜んでいるという話は、まだ敵方にも漏れてはいないはず、という話だったね。それなら、そこまで気をもむ必要はないのかな」


「いや、笑って見過ごせる話ではないでしょう。シーズ将軍は、クリスフィア姫とダリアス将軍に正体を暴かれた上で暗殺されてしまったのですから。その死の真相を暴かれるだけで、こちらは後手を踏むことになってしまいます」


 そのように述べながら、ティムトは深刻ぶった様子もなく、仕事を続けている。


「ただ、僕が気になるのは、昨日のジョルアン将軍の様子ですね」


「ああ。なんだかずいぶんと心を乱していた様子だったんだって?」


「はい。何か大きな懸念に悩まされている様子でした。もしかしたら、ダームに向かわせた調査団一行が、返り討ちにでもあったのかもしれませんね」


「返り討ち? いくらダリアスでも、百名の兵士を一人で退けることはできないだろう?」


「ダリアス将軍ではなくて、ダーム公爵トレイアス卿ですよ。そもそもシーズ将軍はトレイアス卿を見張るための間諜であり、その事実もすでにクリスフィア姫たちから知らされているという話なのですからね」


 そしてクリスフィアとダリアスは、そんなトレイアスを仲間陣営に引き入れるべく、説得を続けていたという話なのである。

 その説得が功を奏して、トレイアスが悪辣なる兵士たちを退けることがかなったというのなら、こちらにとっては吉報だ。


「でも、トレイアス殿が動かせるのは、ダーム騎士団だよね。ダーム騎士団が王都の兵士たちと争ってしまったりすれば、それはもう内紛じゃないか。だったら、それこそ王都に急報が告げられるはずだろう?」


「調査団を全滅させれば、王都にその急報を伝える人間もいなくなります。そうして連絡が途絶えたからこそ、ジョルアン将軍はあそこまで心を乱しているのではないか……と、僕は期待しているのですけれどね」


「ふうん? ずいぶん物騒なことを言うのだね。ティムトは、争いを望んでいるのかい?」


「好きで争いを望んでいるわけではありません。でも、こんな騒ぎにでもならない限り、あのトレイアス卿が王都に楯突くことはなかったでしょうからね」


 そのように述べながら、ティムトは手探りでギギ茶の杯をつかみ取った。ティムトもこの希少な茶をとても好んでいるのだ。

 そうして熱い茶をひと口すすってから、ティムトはさらに言葉を重ねる。


「正直に言って、クリスフィア姫がトレイアス卿に事情を打ち明けたと聞いたときは、目がくらみました。一歩間違えれば、それが引き金となって、トレイアス卿が敵方につく恐れさえありましたからね。あの御方はご自身の身を守ることを第一に考えるはずですから、すべてを知った上で敵方についてしまう公算は非常に高かったはずです」


「だったら、どうしてトレイアス殿が調査団と争うことになるのかな? シーズの死の真相が露見したところで、トレイアス殿には何の不都合もないだろう?」


「何を言っているのですか。最初にシーズ将軍が間諜であると突き止めたのは、クリスフィア姫やダリアス将軍ではなく、トレイアス卿の侍女であったのでしょう? すべての真相が明かされてしまったら、トレイアス卿も知らぬ存ぜぬを通すことはできなくなるのですよ」


「ああ、そうか。しかもシーズは、ゼラ殿の従者であるティートという人物を斬り捨てたことによって、正体が露見してしまったのだよね。うん、こういう話を、私は整理したかったんだよ」


 そのティートという人物は、ダリアスの潜伏活動を支援するために、ゼラが準備した人間であるのだ。そのティートがダーム公爵家の内情を探っていることに気づいたシーズが、暗殺を企てて、失敗した。そういう顛末であるのだった。


「でも、すべての真相を知っているのは、ごく限られた人間だけなのだよね。クリスフィア姫と、ダリアスと、トレイアス殿と……後はその、トレイアス殿の侍女か。だったら調査団に何を嗅ぎ回られても、ごまかすことは可能なんじゃないのかな?」


「そうですね。ダリアス将軍が上手く立ち回って、トレイアス卿と調査団を争わせた、という可能性もありますが……それよりも、僕はジョルアン将軍がトレイアス卿の暗殺をたくらんでいたのではないか、と推測しています」


「トレイアス殿を暗殺? どうしてまた?」


「もちろん、シーズ将軍を殺めたのはトレイアス卿である、という話をでっちあげるためにですよ。シーズ将軍の死の真相を暴きたてるよりも、そのほうが手っ取り早いですからね」


 実に恐ろしいことを言いながら、ティムトは杯を卓に戻した。


「間諜であったシーズ将軍が害された時点で、敵方の人間はトレイアス卿のことを疑ったことでしょう。もしかしたら、シーズ将軍の口から都合の悪い話が露見してしまったかもしれない、と危ぶんだのかもしれません。それならば、死人に口なしということで、トレイアス卿を処分してしまうのが得策でしょう?」


「トレイアス卿を処分って、彼は仮にもダーム公爵家の当主だよ? そんな大貴族を、証もない罪で処断することはできないよ」


「だから、暗殺するのです。ひとたび罪人として捕縛してしまえば、後はどうとでもできますからね。僕が敵方の人間であったなら、王都に連行する途中でトレイアス卿が逃亡をはかったという名目で斬り捨てていたと思います」


 書面をめくりながら、ティムトは静かな声でそのように述べる。


「しかし、トレイアス卿も、決して愚鈍な御方ではありません。ご自身に危険が迫っていると感じれば、ためらわずに刀を取ることでしょう。調査団がおかしな動きを見せた時点で叛逆の決断を下したとしても、僕は驚きません」


「叛逆か……王都から派遣された兵士たちを返り討ちにしたら、それはもちろん叛逆罪と見なされてしまうよね」


「ええ。ですが、トレイアス卿もみすみす滅びの運命を受け入れはしないでしょう。どのように荒っぽい手を使ったとしても、自分の側に罪はなかったと証すために、あらゆる手段を尽くすはずです」


 そこでティムトは、小さく溜息をついた。


「だから僕は、一刻も早くトレイアス卿と連絡をつけたいと願っているのですが……現在の王都は、非常に出入りが厳しくなってしまっていますからね。どの城門も監視されてしまっているので、迂闊に使者を飛ばすこともできません」


「トレイアス卿と連絡をつけて、どうするんだい? 何か策でも授けようというのかな?」


「はい。あちらにはダリアス将軍もいるのですから、上手くやれば大きな手を指せるはずなのです。ジョルアン将軍を失脚させることで、敵の牙城を崩せるかもしれません」


「ふむ。ついにジョルアンを糾弾するのか。まあ、彼が大罪人であることは、もはや火を見るよりも明らかだからね」


「ええ。だけど、やり方を間違えれば、ジョルアン将軍の裏に潜んでいる敵の首魁を逃すことになってしまいます。だから僕も、このままでは迂闊に動けないのですよ」


 ジョルアンは、赤の月の災厄の夜に、ダリアスを襲わせている。ならば、前王を失うことになった災厄そのものにも加担している公算が高かったが、そちらに関してはまだ何の証も出てはいないのだ。


「まったく、厄介な話だよね。……これで、さらには偽王子とゼラド大公国についても頭を悩ませなくてはならないわけだし」


「そちらには、まだいくぶんのゆとりがありますよ。ゼラド大公国が王都に侵攻を始めるとしても、その準備には長い時間がかかるはずですからね。早くとも、黄の月の半ばぐらいのことでしょう」


「ふむ。そういえば、ティムトはすでに何か手を打ったのだという話だったよね。私から受け取った銀貨は、いったい何につかったのかな?」


「ゼラドの軍が通りそうな行路に、罠をまいておいたのです。どれかひとつでも引っかかれば、いずれは有利にことを進められるかもしれません」


 そこでティムトは、もうひとたび溜息をついた。


「ただ、ひとつ心配なのは、グワラムの情勢です。もしも王都からグワラムに出兵することになり、その指揮官にディラーム将軍が選ばれてしまうと、僕たちは武力の要を失ってしまうことになります」


「グワラムに出兵か……そんな可能性もありうるのだろうか?」


「グワラムの状況次第では、十分にありうるでしょう。唯一の救いは、ゼラド軍がすでに出兵の準備を始めていることでしょうかね。この状況では、新王もそうそう王都の守りを手薄にする気にはなれないでしょうし」


「うん。アルグラッドの軍は、まだ前回のグワラム戦役の痛手を引きずったままだろうからね。この状況でグワラムとゼラドの両方を相手取ろうというのは、あまりに無謀だよ。グワラムのほうには、アブーフやタンティの軍勢のみ差し向けられるのじゃないだろうか?」


「僕もそのように願っています。まあ、ディラーム将軍のもとには、ロア=ファムの存在もありますからね。偽王子との交渉役として、ディラーム将軍はゼラド方面の相手をできるように手を回すつもりでいますよ」


 何だかんだと言いながら、ティムトは水面下で最善の策を講じているのだ。

 だから、レイフォンがことさら頭を悩ませる必要はないのかもしれないが――レイフォンとしても、少しぐらいはティムトと苦労を分かち合いたかったのだった。


「とりあえず、現在の情勢はそんなところなのかな……ああそうそう、クリスフィア姫がオロルという薬師から奪い取ってきた、例の魔道書というやつはどうなったのかな?」


「魔道書ではなく、歴史書ですよ。ただし、四大王国の建立以前の歴史が記された、禁忌の歴史書ですけれどね」


「禁忌の歴史書か。ティムトはもう、その中身をあらためたのだろう?」


「ざっと目を通しただけですよ。あれをきちんと検分しようと思ったら、軽く十日はかかってしまうでしょうからね。そんな時間は、とうてい捻出できそうにありません」


 そこまで言ってから、ティムトはようやく書面から顔を上げた。

 が、レイフォンのほうを見ようとはせずに、指先で目の周辺をもみほぐしている。さすがに疲れが溜まってきたのだろう。


「ティムトも少し休んだらどうだい? 朝から働きづめなのだろう?」


「……いったい僕が、どなたの代わりにこのような仕事を果たしているのだと思っているのですか?」


「うん。だからどんなに仕事を遅らせたって、私が無能とそしられるだけのことだ。そのようなことのために、ティムトが身を削る必要はないよ」


 レイフォンは本心からそう言ったのであるが、返ってきたのは格別に大きな溜息ばかりであった。

 どのような仕事でも、ティムトは全力で取り組まなくては気の済まない性分なのである。


「ええと、それでティムトは、どのような仕事を肩代わりしてくれているのかな? そっちの書面は、戴冠式についてだよね」


「あとは、銀獅子宮の再建の進捗状況についてです。いささか人手が不足気味で、予定よりも遅れてしまっているのですよ。それに今朝がたは、何やら落盤の事故があったそうですし――」


 不機嫌そうな声で言いながら、ティムトは一枚書面をめくった。

 その淡い色合いをした目が、いぶかしそうに細められる。


「どうしたんだい? 何か問題でも?」


 ティムトは答えず、書面を卓の上に放り出して、壁際に設置された棚のほうに近づいていった。

 棚の戸を開けて、そこから取り出した大きな図面を、執務の卓のほうに広げる。レイフォンは少し心配になり、自分もそちらに足を運ぶことにした。


「そんなに血相を変えて、どうしたのさ? それは……かつての銀獅子宮の見取り図だね」


「やっぱり、何も記載されていない……だけど、記載されていないのが、当たり前か。そのようなものは、秘密にしておかないと意味を為さないんだ」


 レイフォンの声など聞こえていないかのように、ティムトはぶつぶつとつぶやいている。

 レイフォンは、いよいよ心配になってきてしまった。


「秘密というのは、何の話かな? 秘密の通路でも発見されたとか?」


「ええ、その通りです。ようやく王宮の基礎ができあがったところで、地盤が崩れたという報告がありました。銀獅子宮の地下に秘密の通路があって、それが崩落したようだ、という話であったのです」


「なるほど。まあ、恐れ多くも国王陛下のおわしていた銀獅子宮であるからね。有事に備えて秘密の通路が造られていたとしても、不思議はないだろう」


 そして、そのようなものの存在が、見取り図に記されているわけもない。秘密の通路というものは、秘密であることに意味があるのだ。


「だけど、そのせいでまた再建の工事が遅れてしまうのか。まあ、我々に責任のあることでもないし、そこまで気にする必要はないと思うよ」


「再建の工事など、どうでもいいのです。問題は、秘密の通路が存在した場所です」


 そう言って、ティムトは強く光る瞳をレイフォンに向けてきた。


「その秘密の通路は、国王の寝所に造られていたようである、という報告であったのですよ」


「ふうん。まあ、それもおかしな話ではないんじゃないのかな? 国王陛下がこっそり逃亡しようとするならば、寝所が一番都合がいいように思えるしね」


「……レイフォン様、まだおわかりにならないのですか? 国王の寝所といえば、前王がカノン王子とヴァルダヌス将軍に謀殺されたとされている場所なのですよ?」


 それでもレイフォンには、ティムトが心を乱している理由がわからなかった。

 ティムトは焦れったそうな面持ちで、軽く足を踏み鳴らしている。


「銀獅子宮を包んだ炎も、その寝所が出どころだとされています。ゆえに、カノン王子らが助かる可能性はわずかも残されていない、ということになっていましたが……秘密の通路などというものが出てきたら、その話さえもがくつがえされてしまうではないですか」


「ええ? まさかティムトは、カノン王子とヴァルダヌスがその通路を使って脱出したのではないか、と言っているのかい?」


 それはあまりに、突拍子のない話であった。


「いや、まあ、ありえない話ではないんだろうけど……それじゃあまさか、ゼラド大公国に落ちのびた一行が、本物のカノン王子であったとか? そういえば、その一行にはかつてヴァルダヌスの配下であったエルヴィルという人物も加わっているのだよね」


「いえ、そちらはやはり偽物なのだと思います。王都を追放された千獅子長だけならばいざ知らず、ヴァルダヌス将軍までもが加担していたのなら、その名を明るみにしない理由はありませんからね。セルヴァ随一の剣士であり、十二獅子将の一人でもあったヴァルダヌス将軍の名を出せば、もっと容易く傭兵をかき集めることができたはずでしょう」


「だったら、本物のカノン王子とヴァルダヌスはどこにいるというのさ? ……まあ、二人が生きていると決まったわけではないけどさ」


「それがわかれば、苦労はありません。……でも……」


「でも、何だい?」


「……カノン王子が王国セルヴァを捨てて出奔したならば、それは四大王国ならぬ勢力に位置づけることができるかもしれませんね」


 レイフォンは、思わず言葉を失ってしまった。

 ティムトは、力なく首を横に振っている。


「いえ、何も証のある話ではありません。とにかく、その秘密の通路というものを調べましょう。そこに何かの証が残されていれば……少なくとも、カノン王子とヴァルダヌス将軍の生存だけは確認できるかもしれません」


「よ、よし。それじゃあ、どうすればいいのかな? 誰をそちらに向かわせればいいのだろう?」


「誰を、ではありませんよ。再建工事の責任者はどなただと思っているのですか? あの場所に堂々と踏み入ることが許される人間は、ごく限られているのです」


 今度は、レイフォンが溜息をつく番であった。

 ティムトは常にない性急さで、外出の準備を整え始めている。


「とはいえ、僕たち二人だけでは、あまりに無用心です。クリスフィア姫やロア=ファムは、現在どちらなのですか?」


「よくわからないけれど、ディラーム老のところか、メルセウス殿のところなのじゃないのかな。クリスフィア姫は、すっかりあの若君にご執心のようだし」


「それでは、急ぎましょう」


 レイフォンの手もとに、外出用の外套が差し出されてくる。

 レイフォンは新たにわきあがってきた溜息を呑み下しつつ、それを受け取るしかなかった。

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