殉職からの召喚 3
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風が強く吹き始めた。
大和が吸っていた煙草の火は既にフィルターギリギリまで迫っている。
彼が思考していた時間は割と短かったらしく、煙草の火が手元に迫った熱さによって、彼は現実へと引き戻された。
煙草はフィルターギリギリまで吸うと、何となく味が不味くなる。
大和は煙草を地面に押し付けて、火を消すと、吸殻を携帯灰皿に押し込んだ。
残る煙草は後14本くらいか。
買った当初より軽くなった煙草の箱を覗き込むと、大和は溜息を吐いて立ち上がる。
行く宛などないが、今はただ生きる為に歩かなければならない。
そう思い、歩き出そうとした時だった。
彼の目線の先、距離にすると凡そ1キロくらいだろうか、何やら複数の黒い影が蠢いているのが見えた。
更に目を凝らして見てみると、それはある一つの影を追い掛けるかのように、こちらに迫って来ている。
「…あれは… 何だろ。よく見えないけど、こっちに向かってる?」
大和の鼓動が早くなる。
もしこの世界に住まう生物、もっと言えば人であるなら、初のコンタクトになり、大和の今後を左右する重大なイベントになる。
ここはこちらも影に向かって進み、接触するのが妥当であろうが、大和はその逸る気持ちをぐっと抑え、思考した。
少なくとも、自分を迎えに来た使者では無いのは当たり前だ。
そうなると、自分に危害を加える存在であると仮定するべきだろう。
そうでなくても、何が起きるかも想像がつかないし、こちらの住人がどんな言葉を使うかも分からない。
下手に声をかけて、痛い目を見るのは御免だ。
どこかに隠れて様子を伺おう。
大和はそう決心すると、さっきまで自分が座っていた岩の影に隠れた。
そして、帯革の右側に装着していた拳銃入れの蓋を開くと、ゆっくりと拳銃を引き抜いた。
黒く鈍く光るその拳銃は【ニューナンブM60】と言う日本警察が制式採用する回転式拳銃だった。
装填弾数は5発で、欧米の警察官が装備する自動式拳銃に比べれば、威力や弾数は劣るものの、それでも人を殺傷するには充分な威力は持ち合わせており、そして何よりも、大和が警察官を拝命してからずっと使ってきた拳銃だったので、信頼性は充分だった。
大和はその拳銃の弾倉を改める。
弾は5発、しっかりと装填されていた。
そして次に、拳銃の撃鉄部分にはめ込まれた【安全ゴム】と言う暴発防止の役目があるゴムの塊を外し、右のポケットにしまった。
これでいつでも射撃は出来る。
そう意識した瞬間、大和の右手に汗がブワッと湧いて出てきた。
それに伴い、鼓動も更に加速する。
俺は一体、こんな訳のわからない世界で何やってんだ。
ふと大和の脳裏に、そんな自嘲めいた思いが過る。
それもそうだ。
元いた世界では実戦で抜いたことさえない拳銃を握り、岩陰に隠れているのだ。
これ程までに滑稽なこともない。
しかしそれ以上に、大和の心は恐怖に苛まれた。
もし、あれが野盗か何かで、俺の命を狙ってきたらどうする。
いくら拳銃を持っていたとしても、俺は撃てるのだろうか。
いや、撃てたとしても、それは命を奪うことに繋がるだろう。
撃てたとしても、外れたら、俺はきっと殺されるだろう。
そんな考えが、一瞬で大和に湧いて出てくる。
そうしている間にも影との距離は更に縮まり、その姿が明らかになってきた。
「…馬に乗った人か。…いや、待て。先頭の奴が後ろの奴らに追われてる?」
大和の目には、黒や白と言った馬に跨り、駆けてくる集団が見え、そしてその集団の先頭、白い馬に乗った者が明らかに追われてる風だった。
そこに、最初は微かだったが、人の叫び声などが聴こえてくる。
馬に乗った集団は遂に、大和の眼前にまで到達した。
ドドドという地響きが彼の空腹になった腹を揺さぶり、立ち上った土煙が視界を奪う。
馬の集団の速度は落ちることなく、大和の目の前を通過して行く。
その瞬間、大和は持てる動体視力で集団を凝視した。
集団の数は全部で6騎。
内、逃げているであろう者は一騎で残りは追手だった。
追手達は口々に何かを叫びながら、前を走る者を追い掛け、前を行く者は身を低く屈めている。
集団はあっという間に遠ざかって行った。
大和はそこで一気に体の力を抜いた。
一先ず、さっき自分が予測した最悪の状態にはならなかった。
異世界の住人とコンタクトをとる、ということは出来なかったが、あの集団の様子を見る限りでは、会話すること等は難しいだろう。
そんなことを考えつつ、大和はその場にズルリと座り込んでしまった。
「一体何だったんだ?あれは。やっぱり野盗か何かが、誰かを襲っていたのか?」
そう考えるのが自然だった。
あの集団の様子は尋常ではなかったし、レースや追いかけっこに興じている様子でもなかった。
大和はいよいよ、ここが元いた世界ではないということを理解する。
この広大な丘陵に放り出されてから、しばらく彷徨ったが、心のどこかで、まだ夢を見ているのではないかと疑っていたのだ。
周囲の景色は地球のそれと全く変わらないし、空を飛ぶ鳥や地を這う虫、朝日が昇って日が沈む。
何ら変わりはなかった。
しかし、さっきの集団を見たことで、ここがもう元の世界、平和な日本ではないのだと直感的に感じた。
「…夢なら醒めてくれ、頼むよ。」
大和は軽い絶望を感じ、その場に膝を抱いて座り込む。
思考が停止する。
いや、思考が現実に追いつかなくて、止めるしか方法がないのだ。
それに、ずっと歩き続けた疲労からか、激しい睡魔が大和を襲う。
ここで寝るの得策ではないだろうが、少しだけ。
うたた寝程度なら大丈夫だろう。
そう思い、大和は目を閉じた。