祠と猫缶と油揚げ
花岡実紗が持ってきた狐の祠の話に興味を示した秋月鞠。
彼女は祠の調査探偵をあっさりと引き受けてしまったわけで。
つまりその場にいた暇な晴佳の出番なわけで。
工藤晴佳は半ば無理やり引きずられるような形で、件の祠に鞠と共にやってきていた。
* * *
「ここが噂の狐の祠、ね」
「なにもいませんけどね」
鞠と二人、とりあえず祠周辺を見渡し、祠の中も軽く覗いてみたが特に変わったところは見受けられず。子猫も狐もいなかった。しんと静まり返る祠を前に鞠は腰に手を当てて思案顔。
「そうね…、急に見知らぬ私たちが来たらそりゃ子猫たちも出てこないわよね」
「まあそうですね。……鞠さんなんか見えたりしないんですか?霊、とか」
もちろんいて欲しくないがとりあえず聞いてみた晴佳に鞠は肩をすくめる。
「全然。なーんにも見えないわ。でも、さっきまでここに何かいた気配はある。おそらくは子猫たちね。きっと私たちの気配を感じ取って隠れたのよ」
なるほど。幽霊はいないのか。晴佳はひとまずほっとする。この調子で狐も子供たちの勘違い、とかそういうオチだと嬉しい。そうであって欲しい。
「まあ、こういうことだろうと思ってちゃんと用意してきたわよ」
希望的観測に縋る晴佳をよそに鞠はそういうとバッグから猫缶を取り出した。いつの間にそんなもの用意したんだこの人は。晴佳が呆気にとられていると鞠が魅惑的にウインクした。
「これくらい探偵の基本よ、覚えておきなさい」
いやだから、いつのまに買ったんだ。引きずってこられた晴佳は事務所からここまでずっと鞠と一緒だった。
鞠は猫缶を開けると祠の前にそっと置く。そしてその隣には油揚げ。
「……油揚げも用意していたんですか」
「もちろん。そもそも私たちの目的は子猫じゃなくて狐なんだから」
そう言いながら鞠はそっと祠から離れる。晴佳も鞠に引っ張られつつ離れた。
* * *
実紗の話の子供たちのように木陰からこっそり祠の様子を伺う鞠と晴佳。
気分はさながら探偵……いや今はまさに本物の探偵だった。
一体全体、どうして真剣にこんなことやっているんだろう、と思いつつもでも浮気調査よりマシだな、となんだか複雑な晴佳である。
こうして10分ほどたった頃、祠に動きが見られた。
「あ!」
晴佳が思わず小さく声を上げると鞠にシーッと怒られた。
祠に現れたのである。
狐が。
「(鞠さん、狐が!)」
「(油揚げに釣られたわね)」
どこからどうみても狐なその生物は猫缶には目もくれず油揚げに飛びついた。文字通り、飛びついた。狐が油揚げ好きだなんて、フィクションだとばかり思っていた晴佳だがその食いつきように思わずおお、と感動してしまった。狐と、油揚げ。なかなか良い画だ。日本の美を感じる。
晴佳が普段あまり目にしない狐についつい目を奪われていると、知らぬ間に鞠が祠の方に向かっていた。狐に思考が奪われている間にあっというまに祠の前だ。彼女はそのまま狐の前に静かにしゃがんでじっと見つめる。
あまりにも大胆なその行動に晴佳は肝を冷やしたが、美味しそうに油揚げを頬張る狐は驚くべきことに彼女に気づいていないらしい。野生動物にあるまじき鈍さだ。そこは普通気づくだろう。
「(ちょっと、ハルヨシ、あなたもこっち来なさいな。可愛いから)」
口パクで晴佳を呼ぶ鞠に晴佳も抜き足差し足狐に近づいた。
晴佳が狐の前に到着してもやはり気づかない。いまだ美味しそうに油揚げをお召し上がり中である。ぶっちゃけ、可愛い。癒される。この可愛さに免じて、こんなところに狐がいる不思議に目をつぶってやってもいい。そう思えるほど目に優しい光景だった。
晴佳が狐に癒されていると、鞠がおもむろに狐に手を伸ばした。
「!」
鞠の手が狐の頭をそっと撫でると、びくりと狐の体が跳ねる。そして、恐る恐るというように、ゆっくりと顔をあげた。人間のような動きだ。
「やだ、可愛い」
鞠と狐の目が合う。程なくして狐の目は晴佳にも向けられる。
目が合うと、ぱちりと瞬きをした。
「あなた、シカさんの知り合いだったりするのかしら?」
じっと見つめながら鞠が狐に問いかける。どういうことだかさっぱりわけがわからない晴佳だったが、狐の方はそうではないようで。ぱちりと瞬きをするとすっと鞠の手から逃れるように体を離した。
「鞠さん?一体どういう…」
晴佳の問いかけに鞠は片目を閉じてみせるのみ。仕方なくそれ以上の質問は諦め晴佳は狐の方に注目した。
狐は鞠をじっと見つめる。
「あなた、シカさんの知り合いなのね」
鞠の言葉に狐の目が一瞬光った、ように見えた。
「如何にも」
随分長く感じられた沈黙を破り、狐が口を開いた。
狐が、口を、開いた。
嘘だろう、晴佳が信じられないとばかりに鞠を見たが打って変わって彼女は平然としている。どころか、口元には笑さえ浮かべていた。え、マジで?嘘だろう?
「その『シカさん』が、鹿原幹であってるならね」
それはまるで、声変わりを終えたばかりの少年のような声だった。




