依頼人と祠の噂
「狐の祠か……興味深いわね」
怪奇現象調査探偵事務所の一室にて。
工藤晴佳の隣に座る妙齢の女性が腕を組みながらふっ、と笑った。
* * *
時間は少し遡ること約三時間前。
例のごとく大学で暇を持て余していた晴佳のスマホが振動した。メールだ。差出人は大学の先輩であり、最近晴佳がバイトすることになった怪奇事務所の人間であり、その原因でもある木藤夏一だった。
「怪奇事務所に来い…?」
メールの内容は、「暇だったら事務所に顔出しといで。自分はこれから仕事でしばらく出かけるからついでに留守番もよろしく」。
留守番もよろしく、って…。まあ暇ですけれど。晴佳は渋い顔でスマホを鞄に入れると腰を上げた。
仕方ない。行きますか、怪奇事務所。なんだかんだで従ってしまうのが晴佳なのである。
* * *
怪奇事務所にやってきた晴佳。夏一に留守番を頼まれたのでてっきり誰もいないのかと思っていたが一人、妙齢の女性がソファに腰掛けていた。艶やかな黒髪の美女だ。
晴佳の視線に気づいた彼女が振り向いた。
「あら、もしかしてキミはハルヨシくん?」
「はい、そうですけど…」
うわ、すごい美女…。魅惑的な微笑みにドギマギする晴佳。彼のそんな様子に美女はくすりと笑みをこぼす。
「可愛い。私は秋月鞠。怪奇事務所の人間よ。キミの先輩ね。よろしく」
「工藤晴佳です。こちらこそお願いします」
「やだ、そんなに堅くならないで。もっと気軽に、ね。同じ職場の仲間なんだから」
晴佳を上から下までじっくり眺めくすくす笑う美女、秋月鞠。晴佳はなんだか居心地が悪くて思わず目をそらした。
「それにしても、本当に後ろにいるのねえ。栞さんだっけ?ナツから聞いてたけど」
ああ、栞さん。この人にも見えているのか…当然か、怪奇事務所の人間だもんな。晴佳はなんとなしに自分の背後を振り返ってみるがやはり何も見えない、感じない。本当にそこに栞さんはいるのだろうか。…いるんだろうなあ。
「でもキミ見えないんでしょう?霊とか妖怪とか。背後にずっと霊がいるってどんな感じって聞きたかったんだけど」
「残念ながら、全く何も感じませんよ。見えないし聞こえないし。メールとか電話とかがなかったらまず信じないでしょうね。栞さんの存在」
「ああ、無言電話とか来るんですってね。よくもまあ平気だったものね。普通そんな心霊現象気味悪くってたまらないと思うけど」
鞠は面白そうに晴佳を見ている。
「そりゃ最初は気味悪かったです。でもずっと続くと感覚が麻痺してくるというか…。気持ち悪いですけどすごい迷惑ってほど大量に来るわけでもないし。そんな困るわけでもなくて。気付いたらもはや日常っていうか」
そう。栞さんからの白紙のメールと無言電話は定期的に来るものの、それは日常生活を邪魔しない程度のささやかなもので。それ以上の何かがあるわけでもなく。今では栞さんは晴佳の生活にすっかり溶け込んでいた。たまにメールが来なくなるとちょっと心配になるレベルで。
「さすが、シカさんの見込んだ人間ね。なるほど面白いじゃない」
楽しそうな様子ですね、鞠さん。俺は面白くないですが。晴佳は微妙な表情で鞠を見つめた。
それにしても、「シカさん」って…。この人の方が年上っぽいけど実はあの人結構年上だったりするのだろうか。
「そもそも霊がとり憑くでもなく静かに背後にいるっていうのが驚きよね。意味不明ね。しかも見た感じ恨んでるとか呪ってるとかじゃなくて守ってる、いや見守ってる…見つめている?なんか……一体何したのキミ。よっぽど気に入られているみたいよ」
それがまるで思い当たらないのだ。栞さんが死んだのが最近だったとして、栞なんて名前の知り合い、幼稚園とか小学校とか過去の記憶を遡っても見つからないし。もっと昔に死んでいたならばますます晴佳の背後にいる理由がわからない。
どういうことだ栞さん。何者だ栞さん。
「まあ、栞さん結構美人よねえ」
「へ?」
「美人よ美人。ま、私には及ばないけど。キミも隅に置けないわね。ふふ」
そう言って楽しそうに笑う美女。
美人なの?栞さん。後ろを振り返ってみるが、まあ見えないものは見えない。でもまあ、うん。うれしい。ほら、やっぱり美人かそうじゃないかっていったら美人の方がいいに決まってる。幽霊でも。見えないけど。俺だって男ですもの。はい。
そんな調子でしばらく二人で談笑―――といっても笑っているのは鞠ばかりだったが――していたら事務所に来客が。
ドアを開ける音に目を向けると晴佳と同年代と思われる女性の姿が目に入った。
「すみません、ここが怪奇現象調査探偵事務所だと聞いてきたんですけど…」
恐る恐るといった様子で訪ねてきた彼女に鞠がにこやかに対応する。
「ええ、そうです。怪奇現象調査探偵事務所です。お仕事のご依頼でしょうか?」
「はい、ちょっと相談が」
「では、奥でお話を伺います。こちらへどうぞ」
鞠が女性を奥の部屋に案内していく。晴佳はどうしようかと迷ったが鞠の目がついてこいと言っているので仕方なく二人について奥の部屋に向かった。厄介事の匂いがする…。
* * *
「私は怪奇現象調査探偵事務所所員、秋月鞠と申します。こちらは助手のえー…」
「工藤晴佳です」
やってきた依頼人の女性を奥の部屋へと通し話を始める鞠。
晴佳は助手扱いのようである。
「それで、ご依頼でしたね。先にお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい。花岡実紗です」
依頼人は見た感じ晴佳と同年代。落ち着いた茶髪のおとなしめの普通の女子大生風。
やはり怪奇現象調査探偵事務所などという怪しげな事務所に抵抗感やら不安感があったのか入ってくるのも恐る恐るという感じだったが、応対したのが綺麗な女性だったのがよかったのか不安が少し和らいだようだ。
「それで、どういったご依頼でしょうか」
「うちの近所の話なんですけど…」
花岡実紗が話しだした内容はこうである。
実紗の住む家の近所には少し大きな祠がある。古くはあるがそれだけで、町の人も特に気にとめないなんの変哲もない祠だった。しかしこのところ子供たちの間である噂が広まり始めた。祠には狐の神様が住んでいる、と。
その祠辺りには少し前から野良の子猫が住み着いていた。子供たちは子猫に会いによく祠に足を運んでいた。なかなか警戒心の強い子猫は子供たちには近づかなかったが、子供たちはクッキーやチョコレートを子猫にと祠に置いていった。後で見てみると置いていったお菓子はなくなっている。子供たちは子猫が食べたのだと喜びまたお菓子を持ってくる。
ある日子供たちがお菓子を祠に置いていったあと、陰からそっと様子を見てみるとそこには子猫と、もう一匹猫ではない動物がいた。狐だ。驚いた子供たちだが、そのまま様子を伺っていると、その狐は子供たちが置いていったお菓子を子猫から遠ざけるとなにやらごそごそどこからともなく引っ張り出して子猫の前に出した。猫缶だった。狐は器用に猫缶を開けると猫にやり、自分は子供たちが置いていったお菓子を頬張り始めたのだった。
「狐が、猫缶を?」
花岡実紗の話に晴佳は眉をひそめた。ありえない。狐が猫缶ってなんだよ。どっから持ってきた。どうやって開ける。そもそもそうそう狐がいるもんか。
「狐が猫缶を開けて子猫に食べさせたそうです」
「へえ…。子猫にチョコとかよくないものね。優しい狐だわ」
優しい狐ってのんきに言ってるけど、いや、ありえないでしょう。ねえ!
いろいろ納得のいかない晴佳だったが、花岡実紗は話を続ける。
「それで、子供たち、今度はお菓子じゃなくて油揚げを持っていったんですって」
「油揚げ…狐の大好物ってやつね」
「はい。実際の狐が油揚げを食べるかどうかはわかりませんが…、その狐は食べたそうです。お菓子の時よりもずっと美味しそうに。うれしそうに」
狐に油揚げか…。晴佳は頭に思い浮かべてみるが、やはり納得がいかない。狐って…。
「それからは子供たち祠に行くときは油揚げを持って行っているんですって。豆腐屋さんが不思議がっていました。最近子供たちがよく買いに来る、って」
「狐の神様…」
「はい。今では狐の祠って呼ばれています」
「狐の祠か……興味深いわね」
そう言うと鞠はこれ以上ないくらい魅惑的に微笑むと晴佳を見つめ、そして花岡実紗を見据えた。
え、嫌な予感。
「我が怪奇現象調査探偵事務所がその祠、調査いたしましょう」
今日は初午ですね。油揚げは美味しいです。




