第8話
「でも俺、練習着なんてもってないですよ」
「なに?今日からいっしょに練習するって言うとったやろうが。・・・じゃあしょうんなか(しかたがない)。ちょっと待っちょれ」
そういうと、その部員、梶山治は監督の方へ走っていった。
そして二言三言会話をした後、監督がこう言った。
「練習着がないんなら今日は練習せんでよか。でもせっかく来たとやけん、ピッチングは見せてもらうぞ。動きやすか服装ばしちょるけんね。まあ、ちょっと肩ば温めちょけ。梶山、キャッチボールばしてやれ」
「はい」
梶山は早速部室からグローブを持ってきて、一虎に渡した。
「ほら、キャッチボールばするぞ」
「はあ」
一虎は仕方なくグローブをはめた。
左利き用のグローブを。
「まあ、一虎君がグラウンドに入って、キャッチボールばはじめたよ」
駐車場で道子が驚きの声を上げた。
「もしかしたら、竜一君と間違われているんじゃないだろうか。ほら、左手で投げている。さしずめ、期待のルーキーの腕前を拝見しようってとこだろうな」
雅彦はニコニコしながら見ている。
「あなた、竜一君と勘違いされているんなら、わけを話してやめさせた方がいいんじゃない。左手で投げるなんて。竜一君ががっかりされてしまうに違いないわ」
洋子は心配そうに雅彦の目を見つめた。
「でも見ものだぞ。トラは小学生の時から左でもよく投げている。ほら、練習試合が1日に2試合あるときなんか、2試合目は右肩に負担をかけないように左で投げていたじゃないか。あいつ、結構器用なんだよな。」
「そうはいっても、最近は左で投げているところ見たことがないわよ。ねえ、大丈夫かしら」
「ははは。そんな心配することじゃないだろ。ちょっと投げてみせるだけだよ」
雅彦だけでなく、道子も興味津津という顔をしている。
「どうだ、肩は温まったか?」
「はい、大体は」
「よし」
梶山はノックを続けている監督へ向けて大きな声を発した。
「監督、肩が温まったみたいなので、そろそろどうでしょうか」
「よし、いいだろう。じゃあみんな、こっちに集まれ!」
野村監督は全員を集合させた。
誰もがそわそわしている。
ずっとこの時を待っていたようだ。
「金沢、受けてやれ」
「はい」
金沢は3年生の正捕手。
眉毛が太く体格はがっちりしている。
「遠慮しないで思いっきり投げていいぞ。」
「はい」
一虎は勢いよく返事をするとマウンドへ軽く走った。
途中、駐車場の雅彦達の方を見て笑みを浮かべた。
(父さんが笑っている。今の俺と同じでワクワクしているんだ)
金沢がホームベースの後ろに座ってミットを構えた。
「ストレート、いきます。」
一虎が振りかぶって投げた。
パン!
ボールがミットに収まると、おお~という声が回りから沸き起こった。
「次カーブ、いきます。」
もう一度振りかぶる。
パン。
またもおお~という声が回りから聞こえた。
「俺が構えているミットめがけて投げてみろ。まずストレートだ。」
金沢はコントロールをチェックするようだ。
右打者のインコース低めに構える。
一虎が投げた。
パン!
高さはよかったがコースが甘く入った。
「次、カーブ」
今度は右打者のアウトコース低めにミットを構えている。
一虎が投げた。
パパン!
ボールはワンバウンドしてミットに収まった。
その後5球金沢の指示通りに一虎は投げた。
「どうだ金沢。」
終始無表情の金沢に野村監督が尋ねた。
「今日はコントロールがいまいちみたいですけど、球は結構速いです。カーブの曲がりもまあまあ。中学生としてはすごいと思います。」
「うん、そうだな。よし、黒瀬君、今日はもういいぞ。明日からは練習着を持ってこいよ。さあ、他のみんなも元に戻ってノックの続き・・・・ん?どうした黒瀬君、もういいんだぞ?」
一虎はマウンドから降りようとせず、右手にはめていたグローブをはずし、右肩をぐるぐるとまわし始めた。
「おい、黒瀬君、もう・・・」
「俺は」
野村監督の言葉を遮るように一虎が凛とした声で続けた。
「俺は黒瀬ではありません。金沢先輩、すみませんが構えていただけませんか」
金沢は有無を言わせないような一虎の雰囲気に眉をひそめながら、もう一度ミットを構えた。
グローブをプレートの横において一虎が大きく振りかぶる。
(ん?なんかさっきよりも迫力があるな。しかも・・・!)
「おっ、ぐ・・・」
思わずもれた金沢の驚きの声。
パン!!
大きな音とともにボールがミットに吸い込まれた。
一瞬の静寂。
続いてうお~という低い声がみなの口から洩れる。
「右・・・、聞き腕は右だった!」
金沢はぽかんと口を開け、信じられないものを見るかのように、マウンドの一虎をじっと見つめ続けた。