第88話 「“慣れていく世界”と、定義されない関係」
■夜道・帰路
居酒屋を出たあとの街は、急に現実へ戻ったように静かだった。
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ネオンの光。
車の音にコンビニの音。
遠くの駅のアナウンス。
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さっきまでの“異常な空気”は、もうどこにもない。
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しかし、颯太と桜井桃華――そして“斉藤もも”の間だけには、その余韻がまだ残っていた。
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■ももの提案
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歩きながら、ももがふと口を開く。
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「ねぇ」
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颯太が横を見る。
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「もう少しだけ、飲み直さない?」
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その言い方は軽い。
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だが内容は完全に“日常の延長”ではない。
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颯太は少しだけ間を置く。
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「家でか?」
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ももは小さく頷く。
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「うん。今日ちょっと、外が騒がしすぎたから」
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その言葉には、疲れと安心が混ざっていた。
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■帰宅
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マンションの玄関。
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鍵が回る音。
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「ただいま」
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「おかえり」
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いつも通りのやり取り。
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だがその“いつも通り”は、少しずつ形を変えている。
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■部屋の空気
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リビングの明かりが灯る。
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外の喧騒とは完全に切り離された空間。
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ここだけは、まだ“二人の世界”だった。
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ももはバッグを置くと、すぐに振り返る。
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■切り替えの瞬間
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ゆっくりと、眼鏡を外す。
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カチリ。
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その音だけで空気が変わる。
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桜井桃華から、“斉藤もも”へ。
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しかし今夜は、その変化に説明はない。
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■距離の消失
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ももは一歩近づく。
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颯太は止まらない。
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当然のように、その距離を受け入れる。
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■キス
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ももは颯太の唇に触れる。
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それは一瞬のようでいて、長い。
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濃く、静かで、迷いがない。
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外での“騒ぎ”をすべて切り離すようなキスだった。
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■余韻
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唇が離れたあとも、
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ももはすぐには動かない。
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颯太の胸元に軽く寄りかかる。
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呼吸が少しずつ落ち着いていく。
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■小さな言葉
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ももが小さく言う。
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「今日は、これでいいや」
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颯太は短く返す。
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「そうだな」
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■崩れない日常
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テレビもついていない。
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スマホも見ない。
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ただ静かな部屋。
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外ではまだ“斉藤もも”が語られている。
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でもここでは、
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ただの“二人の夜”が続いている。
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■眠りへ
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ももはそのままソファに身を預ける。
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目を閉じる。
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自然な動作。
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まるで、最初からそこが寝床だったように。
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■颯太の視線
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颯太はその様子を見ながら思う。
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(外と内の差が、もう意味を持たなくなってきてるな)
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■締め
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部屋の明かりは少しだけ落とされる。
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静けさが戻る。
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ももは眠りに落ちる直前、小さく呟く。
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「……普通って、やっぱよくわかんないね」
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颯太はそっと答える。
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「今のでいいんじゃないか」
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その言葉とともに、
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夜は静かに閉じていく。
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