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名乗り           :約3000文字 :昔

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/04/16

 むかしむかし、ある昼下がりのこと。空はよく晴れ、陽射しが柔らかく庭を照らし、縁側の向こうで木々が風にそよいでいる。葉と葉が触れ合うかすかな音が、静けさの中にゆったりと溶け込んでいた。

 そんなのどかな折、一人の男がご隠居の家を訪ねてきた。


「ご隠居さん! ご隠居さん!」


「なんだい、ガラガラ戸を開けたと思ったら、バタバタと上がり込んでガタガタ抜かして」


「まだガタガタは抜かしてねえよ、ご隠居さあん」


 土間の埃を巻き上げるような勢いで遠慮なく上がり込んできた男。猫撫で声を出し、畳に膝をついてずりずりとにじり寄る。縁側に座るご隠居は片方の眉をぴくりと上げ、胡散臭げに目を細めた。


「どうせこれから抜かすんだろう。なんだい、その甘ったるい声は。また金かい?」


「いやいや、そんなんじゃねえって。……実はよ、ちょいと相談に乗ってもらいてえことがあんだよ」


「相談ねえ。どうせ大したことじゃないんだろう。もったいぶらずにさっさと言いな」


 ご隠居は気のない調子で煙管に火をつけ、すうっと一吸いした。庭へ向き直り、景色を眺めながら紫煙を細く吐き出す。一方、男は大げさに頭を振った。


「いやいや、大事なことなんだって! あのよ……おれ、名乗りってのがほしいんだよ」


「名乗り……? それってあれかい。『やあやあ、我こそは』ってやつかい?」


 ご隠居はゆっくりと男のほうへ顔を向けた。


「そう! まさにそれだよ! 『やあやあ、我こそは修羅を歩みし武の者。一太刀にて、汝の命預かり申す。 名乗り申す――』ってな具合のな。格好いいだろ? なあ、一緒に決めておくれよ」


「まったく、何に影響されたんだか。そんなもん考えていったいどうするつもりなんだい」


「そりゃ、ここぞってときに名乗るのさ! そうすりゃ、風が吹くってもんだろ?」


「賭場の話か。まったく、借りた金を返しもしないで……。吹くにしたって、どうせ向かい風だよ」


「まあまあ、それはそれ。ほら、いくつか考えてきたんだ。これぞってやつを選んでおくれよ」


「まったく、人の話を聞きやしないんだから。まあいい、好きにしな」


 ご隠居は深いため息をついた。


「じゃあ、いくぞ……。『やあやあ、我こそは! 修羅の道を歩みし賭けの者。賽の一振りにて、汝の金預かり申す。嗚呼、仏をも――』」


「ちょいと待ちな」


「なんだいご隠居。いいところでさ。最後まで聞いてくれよ」


「いやあ、全然だめだね」


 ご隠居は首を横に振った。


「魂がこもってないよ。大方、どこかで聞いたのを真似しただけだろ? そもそも、考えてきたってのがいけない」


「そんなこと言われてもよお、どうすりゃいいんだよ?」


「思いついたまま言えばいいんだよ。頭じゃなく腹の底から出すのさ。それが魂の叫びってやつだよ」


「なるほどなあ……」


 男は腕を組み、うんうんと頷いた。


「よーし、じゃあ即興でいくぞ……」


 男は大きく息を吸い込み、胸を張った。


「『やあやあ、我こそは幾多のスキャンダルが浮かびながらもすべて黒く塗りつぶし、長きにわたり国のてっぺんに君臨せし者。汝ら友の命、預かり申す。金を行き渡らせ、絶対に捕まらないようにすると誓おう。まあまあ、祝辞を送るから仲良くしてくださいよ。お壺姉さん。名乗り申す、元内閣総――』」


「ちょ、ちょっと待った!」


「なんだい、ご隠居。もう少しで締まるところだったのに」


「いや、すきゃんだる? お前さん、何を言ってんだい?」


 ご隠居は目を瞬かせて訊ねた。男は照れくさそうに笑い、ぽりぽりと頭を掻いた。


「いやあ、勢いで言ったからよ。自分でもわかんねえや。もう一回やれって言われても無理だな」


「じゃあ、意味がないじゃないか」


「ほら、そこはご隠居さんが覚えておいてくれよ。じゃあ、もう一回いくぞお」


「やれやれ。覚えやすいものにしておくれよ」


 ご隠居は呆れたようにため息をついた。対照的に男は気合を入れるように「よし」と呟き、大きく息を吸い込んだ。


「『やあやあ、我こそはお笑い界の頂点に君臨せし者。他人のスキャンダルには潔く認めて謝れ、記者会見を開くべきだとふんぞり返り、鼻を膨らませてのたまうも、いざ己が槍を突きつけられるや雲隠れ。汝ら後輩たち、アテンドせよ。記憶にない。証拠を見せてよ。じゃないと“全部その通りです”なんて認められないよ。名乗り申す――』」


「だから、ちょっと待った!」


「もう、またかい」


「だから、その“すきゃんだる”ってのは何なんだい?」


「さあなあ。わからねえけどよ、うまそうな響きだし、たぶん好物とか酒のつまみみてえなもんじゃねえかな。……おっ、また浮かんできたぞ……」


「まったく……。よく考えもせずに、あまり適当なことばかり口にするもんじゃないよ」


「ご隠居さんが思いつくままに言えって言ったんじゃねえか」


「いや、だからってね……」


「あ゛あ゛あ゛、おほん」


 男はわざとらしく喉を鳴らし、背筋をぴんと伸ばした。


「『やあやあ、我こそは元人気男性アイドルグループに所属せし者。若い女を自宅に呼び寄せては同意もなしに迫り、むしゃぶりつく。ああ、純粋無垢な少年時代の面影はどこへやら。その心に暗い影を落としたのは誰の陰茎か。誰のせい。酒のせい。名乗り申す――』」


「だから、お待ちよ! またわけのわからんことを言い出したね……。いったい誰のことを言ってるんだい?」


「誰って、おれに決まってるだろ。おれの名乗りなんだからさ」


「そうなのかねえ……。どうもそんな気はせんけど。なんだか聞いてるこっちが不安になってきたよ」


「さあさあ、次だ次!」


 男は鼻息を荒くし、勢いよく手を振った。


「『やあやあ、我こそは大御所司会者。番組中に女を物色、女子アナと接触。七光りの息子は泥棒。葬儀中に泥棒被害。これを因果応報とはさすがに言いませんよ。手をすりすり合わせて合掌。我こそは――』」


「待ちなって! それ、絶対にあんたのことじゃないだろう」


「そうかい? 自分じゃよくわかんねえなあ。これまでどこかで聞いた話が、なんとなく浮かび上がってきてるのかもしれねえなあ」


「あんた、狐か何かに取り憑かれているんじゃないのかい? なんだか寒気がしてきたよ……」


「まあまあ、いいからいいから。どれか一つ、いいやつを決めておくれよ。ほら、いくぞお」


「ひい……」


「『やあやあ、我こそは一世を風靡した名女優。天真爛漫自由奔放。不倫したっていいじゃない。恋は止まらない、まさに暴走車――』」

「『やあやあ、我こそは――大麻、コカイン、タンジェント。麻薬やろうが芸さえあれば復帰――』」

「『やあやあ、我こそは歌舞伎役者。酒飲んで暴れようが、女の髪を掴もうが、親を殺そうが――』」


 と、男は堰を切ったように言葉を次々と吐き出し続けた。調子に乗り、声はどんどん大きくなり、縁側の静けさを押しつぶした。

 それを聞かされ続けたご隠居は、ぐったりと疲れ果ててしまった。畳みに手をつき、肩で息をしている。一方の男は、思いつく限りをぶちまけて満足げな様子。子供のように目をきらきらと輝かせ、ご隠居に迫った。


「どうだい、ご隠居。おれにふさわしい口上はあったかい?」


「……念のために聞くけどね」


 ご隠居はゆっくりと顔を上げ、男をじっと見つめた。


「特定の誰かを思い浮かべて喋っていたわけじゃないんだろうね? もし、その人のことを好いている人がいたら相当怒るよ」


「だから、思いつくままに口にしてただけだってば」


「まあ……人間なんて似たり寄ったりだしね。あんたが言ったような人間が、この先何人出てきてもおかしくはないか……」


「んなことどうでもいいからさ、どれがよかった?」


 男は身を乗り出し、期待に満ちた目で詰め寄る。ご隠居はしばらく黙り込み、やがて深いため息をついた。


「……どれにするにせよ」


 一呼吸おいて、ご隠居は静かに言った。


「名乗らんほうがいいよ」

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― 新着の感想 ―
 どんどん賭博から離れていきましたねえ。そして、世の中には博打より不穏な背徳ややらかしが多いのでしょうか。 真偽などを深く知るには、少々怖い驚きに満ちたお話でした。
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