消えた場所
人は一生に一度だけ、自分の名前を失くす。 それは死ではないし、呪いでもない。 ただ、ある日ふと、自分を呼ぶ声に振り返れなくなるだけだ。
ユイは地図屋だった。 正確には、「名前を失くした場所」を描く地図屋。 人が名前を失くすと、その名前は世界のどこかへ落ちる。 丘、路地、森の奥、もう誰も訪れない海岸。 名前は“場所”になり、そこで静かに眠る。 「……ここだね」 ユイはペン先で、何もない原野に小さな印をつけた。 風が吹くと、草がざわめき、かすかに誰かの呼び声が聞こえた気がした。 その瞬間、ユイは思う。 ――もし自分の名前が失われたら、どんな場所になるのだろう、と。 その答えを、彼女はまだ知らない。
人は一生に一度だけ、自分の名前を失くす。
それは死ではないし、呪いでもない。
ただ、ある日ふと、自分を呼ぶ声に振り返れなくなるだけだ。
ユイは地図屋だった。
正確には、「名前を失くした場所」を描く地図屋。
人が名前を失くすと、その名前は世界のどこかへ落ちる。
丘、路地、森の奥、もう誰も訪れない海岸。
名前は“場所”になり、そこで静かに眠る。
「……ここだね」
ユイはペン先で、何もない原野に小さな印をつけた。
風が吹くと、草がざわめき、かすかに誰かの呼び声が聞こえた気がした。
その瞬間、ユイは思う。
――もし自分の名前が失われたら、どんな場所になるのだろう、と。
その答えを、彼女はまだ知らない。
第1話:消えた場所
「その場所は、もう無いんです」
依頼人の男は、地図の上を指差しながら言った。
そこには、ユイが数年前に描いたはずの印があった。
「名前を失くした場所は、消えません」
ユイは静かに答えた。
「でも……消えたんだ。地形ごと」
地図と現実が食い違う。
それは、この仕事であってはならないことだった。
ユイは、鞄を持ち上げる。
地図屋としてではなく、一人の人間として。
――これは、ただの測量じゃない。
世界そのものが、嘘をついている。




