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倭国の王 〜少女卑弥呼の物語〜  作者: 稲戸
第一章 阿斯訶備の乱
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第5話 薗の戦い

 出雲に入ったアシカビは、そのと呼ばれる地まで来たとき、異変を感じて馬を止めた。


 前方に数名の兵の姿が見える。


 幸いにして軍勢ではないようだが油断はできないと警戒しながら少しずつ近づき、アシカビはあっと驚きの声をあげた。


 その集団の先頭にいたのはアシカビの良く知る人物、トコタチであった。


「ああ、トコタチではないか。もしや俺に力を貸してくれるためここで待っていたのではないか?」


 アシカビはすっかり警戒を解いて、さらに馬を寄せた。


「……残念だが、そうではない。俺がここに来たのはお前を討てとトヨクモ王の下命を果たすためだ。よくものこのこと姿を現したものだな」


 トコタチが馬上で剣を抜き、アシカビに向けて突き出した。


「……待て、トコタチよ。暴虐の王の所業はお前も知ってのとおりだ。あの男はすっかり変わってしまった。お前はどうしてそれに諾々としているのだ。まさかお前も加担しているのではあるまいな」


「無論そうではない。だが自らの利権のためにトヨクモ王に嬉々として従う者があるのも事実。トヨクモ王はそういった自分に靡く者を全土に張り巡らせて、地位が脅かされぬよう巧妙な仕組みを作ったのだ。自分に反する者は直ちに見つけ出しこれを排除する。お前の企みが露呈したのも無理からぬことだ」


 アシカビが眦をきっと上げて黙れと吠えた。


「そんなものがどうしたっ。お前と俺が組めば、敵無しだ。たとえ暴虐の王がどんな罠を張ろうとも、全て打ち破れるに違いない。さあ、今すぐ俺と王を打ち倒しに行こうぞ」


「わからぬ奴め。それが無理だと言っている。あの王がむざむざ討たれるようなことはありえん。もう多くの民を人質とする準備をしていることだろう。お前をここで止めねば、高天原は戦火にまみれ、多くの無益な血が流れることになるのだ。断じて許すわけにはいかん」


「そうか。わかりあえないのは残念だが、俺にも義憤に燃える多くの兵が、そしてその後ろには虐政に涙する民がいるのだ。ここで引き返すことはできない。お前を斬ってでも通させてもらうぞ」


 アシカビが決意を新たにしながら剣を抜いた。トコタチもそれに応じる構えを見せる。


「アシカビ。ここで観念すれば、お前の首一つでどうにか王に取り成してみせよう。どうだ神妙にしないか」

「ふんっ、今さらそんなことができるかっ。ここでお前を斬り、王への手土産にしてやろうぞ」


 アシカビが威勢のいい言葉とともに斬りかかった。それに応酬するトコタチ。そのまま二人は馬上で激しく斬り合った。


 勢いのついた大刀が唸りを上げて乱れ飛び、どちらが勝つか見当もつかない。実力は拮抗しているようだった。


「何をやっている。トコタチ隊長に加勢するぞ」


 そのとき、それまで後ろに控えていたトコタチ旗下の兵が大声でわらわらと飛び出してきた。


 トコタチは手勢だけでなく、討伐の先発隊を控えさせて陣を張り、ここで待ち受けていたのだった。


「むむ。相手も軍勢であったか。下手に深入りはできない。一旦戻って軍を整えよう」


 形勢不利と見たアシカビは、馬を返し自軍に戻った。


 倭紀によればこの時点でアシカビの兵一千に対し、トコタチの兵は八百ほどであったという。


 ここで戦は避けられないと見た両者は海岸線に近い平原で向かい合った。もう後のないアシカビは皆に奮起を促すと、直ちに総攻撃の号令を発した。


「悪逆無道の王、必ず俺たちの手で打倒するぞ。狙うはただトコタチの首一つ。皆の者、行けえっ」


 アシカビ軍が動き出したのを見たトコタチが、すぐさま天津兵に檄を飛ばす。


「無用な戦を起こし、高天原を火の海にしようとする反逆者どもだ。一兵たりとも通してはならぬっ」


 互いに譲れぬ両軍の先端が今まさに火花を散らして激突した。


 後に地名を取って「薗の戦い」と呼称される合戦がここに幕を開けたのである。


 アシカビは、自身とウイジの二手に兵を分け、両側からやや挟撃するような形で攻め立てた。


 総兵が決死の覚悟となったアシカビ軍は、凄まじい勢いでトコタチ軍の前線を崩しにかかった。


 傷つくを厭わず、倒れるを恐れず。ただ前へ。


「倒れた者は置いていけ。振り返らず、進め」


 これに対しトコタチは陣を円形に組み、堅守の構えで迎え撃った。


 崩れそうになれば後ろの者がすかさず前に出る。何としても中心のトコタチに到達させてはならぬと、決死の攻防が続いた。


 戦いの序盤は、アシカビ軍の鬼気迫る猛攻にじりじりと天津軍が圧される展開であった。


 天津軍の一部が浮き足立つと、そこへアシカビらが突出して、さらに陣の深部へと突き崩しにかかる。


「この機を逃すな。一気に決着をつけるぞ。俺が出る。皆、後に続け」


 獅子奮迅の勢いで次から次へと眼前の兵を薙ぎ倒すアシカビを見て、トコタチ陣営に動揺が走る。


「敵の勢いが止まりません。トコタチ隊長、このままでは崩されてしまいます」

「さすがはアシカビだ。ああ見えて戦の何たるかをよく理解している。だが少し気が逸りすぎたな」


 トコタチが手を前に掲げ、次の号令を出すと、よく鍛錬された外周の兵が突然せり出して、突出したアシカビの背後を取るよう動き出した。


 アシカビを後続の兵と分断することが目的である。アシカビが敵中に孤立すればたちまち撃破されてしまうだろう。


「隊長が危ない。何としても助け出せ」


 焦りを感じたアシカビ軍が一点に集中して押し寄せ、両軍は騒然として混乱状態に陥った。


 これ以上は遊軍が増えてかえって指揮が取れなくなると判断したアシカビは一時後退した。


 両軍に平静さが戻る。


 その後トコタチ軍はともすれば突出して先行しがちなアシカビへ兵を集中し、攻撃の起点を潰すことを執拗に繰り返した。


 焦りを隠せないアシカビを逆手に取った巧妙な作戦であるが、それはトコタチ軍の練度が高く一糸乱れぬ動きがあってこそ可能な戦法であった。


 攻め手を欠いたアシカビ軍は精彩を欠き、合戦は徐々に膠着状態へと移行した。


 ――そして、そのときはやってきた。


 にわかにトコタチ軍の一部が活況を呈し始める。


 息せき切って走ってきた兵士がその場に膝をつき叫ぶような大声で報告した。


「トコタチ隊長。煙が立ちましたっ」


「来たか。総員、敵の別動隊に向けて進軍せよ」


 トコタチの号令を受け、全軍がウイジに向けて一斉に動き出した。その不可解な動きにアシカビ軍に少なからぬ動揺が走る。


「ウイジ副長、どういうことですか。敵兵の全員がこちらに向かってきます」


「ええい、うろたえるでない。アシカビ様が敵後背を突くまで死力を尽くして持ち堪えよっ」


 ウイジの言葉どおり、アシカビ側に背を向けて戦うことはトコタチ軍にとって大きな隙となる。


 この機を逃さじとアシカビが総攻撃をかけようとしたそのとき、全軍にただならぬ衝撃が走る。


「アシカビ隊長、大変です。天津軍の援軍が現れました。まっすぐこちらに向かってきます」


 アシカビは、鬨の声を上げながら背後にみるみる迫る天津軍の姿を、馬上から呆然とした表情でただ眺めていた。


「トコタチ軍副官サツチ(狭槌)、参戦する。皆の者、天津に楯突く賊軍を掃討せよ」


 援軍の先頭に立っていたのは、サツチと名乗る涼やかな顔をした若き副官だった。


 生涯一度も笑わなかったという逸話さえ残る、冷静沈着な男である。ただ、その任務遂行能力は非常に高かったと倭紀にも評されており、実際に、先行したトコタチ軍をはるかに上回る早さで進軍したこのサツチの援軍がなければ、勝負の趨勢はどうなっていたかわからなかった。


「……もはや、これまでか」


 絶体絶命の窮地にアシカビは天を仰ぎ、ぎりと歯噛みした。アシカビ軍に、もはやこの挟撃を押し返せるだけの余力は残されてはいない。


 皆の者、すまぬ。


 暴虐の王を打倒するとの悲願、果たすことはできなかった。


 一方、トコタチ軍の猛攻を受けたウイジの一団もその命運は尽きる寸前であった。


 払っても払っても尽きせず現れる敵兵に次々と討ち取られ、もはや数名がかろうじて生き残っているに過ぎない。ウイジが抑えられぬ怒りを込めてぎりと歯噛みした。


「暴虐の手先なれど、その力侮りがたし。このウイジも、もうここまでかと。アシカビ様が来られるまで持ち堪えられず、痛惜の限りにございます」


 ――前線で槍を振るい続けた総身には、大小の傷と返り血が混然となって付着し、敵のものか、自分のものか、もはや判別もつかない。


 痛みも疲れも極限に達していた。だがアシカビ様の行く末も知らずして倒れるわけにはゆかぬ。


 アシカビ様っ、どこにおられるかっ。


 痛切なる意志を持って前方を見たウイジの視界に、敵の増援と戦うアシカビ軍の姿が映る。ウイジは滂沱のごとく涙を流して慨嘆した。


「ぬ、う。やはり援軍が。アシカビ様。窮地に駆けつけることもできぬ我が身をお許しください」


 ――私はここで息絶えるでしょう。


 ですが、アシカビ様。あなたは生き残るのです。


 偉大なる先王の血を引くあなた様が生き残りさえすれば、それを灯として後に続く者が必ず現れるはず。ここで果てさせてはいけない。


 どうか、どうかお逃げください。ウイジは渾身の力を込めて屹立した。


「スイジいぃっ、聞こえるかあああっ。お前はアシカビ様を守り、疾く逃げよおぉ。決して死なせてはならんぞ。よいなあっ。及ばずながらこの父は、この者どもを引き留めてみせる」


 声を限りにして叫ぶウイジを両脇の兵士がさっと固めた。


「わかってますよ、副長。その最後の務め、我々もお供します」

「ああ、ウイジ副長、我らの武人の誇りってやつを、目にもの見せてやりましょう」


 ウイジが両の目をぐっと手の甲で拭い、そうよなお主らと豪快に笑い飛ばすと、槍を構えてかっと前方を見据えた。


「さあ、暴虐に与する雑兵どもよ。刮目して見よ。我の恥なき戦いを末代までの語り草にするがよいわ。ぐ、ぬおおおおっ。皆の者ぉ、行くぞ。ついて参れええっ」


 ウイジが槍を突き出して敵兵の真ん中へと駆けていく。


 ――アシカビ様、もうお別れにございます。


 あなた様と最後に戦場を駆け抜けたこと、何よりの誇りでございました。ウイジは頬を涙で濡らしながらも、その顔には笑みが浮かんでいた。


 アシカビ様、どうか、どうかご武運を。


「ぬうん。枯れたりと言えど、元は天津軍一番隊の隊長を務めたこのウイジ。そのような惰弱な腕ではこの私を貫くことなどできんぞおっ。どうしたっ、もっと腰に力を入れてかかってくるがよい」

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