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倭国の王 〜少女卑弥呼の物語〜  作者: 稲戸
終章 語り継がれた夢
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第39話 優しい王

 こうして廣田の戦いは終わった。


 自らの敗北を認めたイザナギは、これ以上の抗争は望むところでないとして、ヒメに王位を譲り、自らは身を引くことを公言した。


 軍事面での精神的支柱を失った邪馬台国に、もはや戦う理由も気概も残されていなかった。


 邪馬台国はヒメの支配を受け入れ、これによりヒメは倭のほぼ全土を平定することとなった。


 ここに長く続いた倭国大乱は名実ともに終結した。悲惨な暗黒の地であった倭を、平和と安寧という光があまねく照らしたのである。 


 卑弥呼、天津、邪馬台の三国を統べる女王となったヒメはそれらを併合して新しい邪馬台国とし、自らの名を国名であったヒミコ(卑弥呼)と改めた。


 それはあえて両方の名を残すことでお互いの遺恨をなるべく残さないようにしようとするヒメなりの配慮であった。


 当時の人々に「王の中の王」とまで称された女王卑弥呼の統治は公正で徳の高いものだった。


 人々は積年の憎しみを流し合い、そのわだかまりを捨てて皆これに服した。人々の顔には笑顔が溢れ、皆が心から望んでいた豊かな生活を謳歌した。


 人々は感謝と畏敬の念を込めて、心優しく偉大な王、卑弥呼と邪馬台国の名を決して忘れることなく語り継いだ。



 ――そして。


 倭国大乱を彩った巨星が今、落ちようとしていた。


 かつての邪馬台国の王イザナギは国の併合があって以来、大和の地で静養していたが、薬石効なく一層衰弱が激しくなった。あの最後の戦いでまさに命を全て焼き尽くしていたのだった。


 いよいよ近づいたその最期を看取ろうと昔の臣が続々と集まってくる。皆の忸怩たる思いを代表するようにカグツチがそっと涙を拭った。


「イザナギ様、我らが至らぬばかりに悲願を成せず申し訳ありません」


 だがイザナギはそれを咎めることなく、全てを達観したような顔でただ静かに笑った。


「お前たちが気にすることはない。全ては統一に目が眩んだ俺の過ちだ。今にして思えばワタツミやオモカネが身を挺して諫めてくれていたのに、俺は省みることもなかった」


 イザナギの後悔を聞いた諸将らが少しばかり複雑な顔をした。真の和平と倭の統一を信じ戦ったあの日々までも過ちと断じられることはそう簡単に受け入れられることではなかったのだ。


 その思いを見て取ったイザナギは、その場にいた者を一人ずつ名を呼んで労るようにじっとその顔を見た。


「よく今まで尽くしてくれた。礼を言うぞ。俺は自分の理念を追っているうちに、一番大切な倭に生きる人々の心を忘れ去っていたのだ。だから敗れた。今になってそれがわかる。ヒメ王が、気づかせて、くれた……のだ」


 絞り出すように紡がれるその声は、覇王と称していた頃と違いひどく弱々しかった。だがイザナギは死力を尽くして大切なことを伝えようとしている。皆は一言も聞き漏らすまいと、必死で耳を傾けた。


「皆の者、俺と同じようにヒメ王を守り立てて、よりよい国を作ってほしい。それが俺の最後の願いである」


 イザナギが口の端を緩めてそっと目を閉じる。


「お前たちと出会えて、本当に、よかった。もう、思い残すことは……ない」


 かつての邪馬台国の王イザナギは、昔の臣に見守られながら静かに亡くなった。


 峻険で知られるその顔は、しかし最後は誰も見たことがないほど穏やかであったと倭紀は伝える。



 野盗のたむろする拠点があると聞いたタケルがその地に行ってみると、人の気配を感じないほどに静かであった。


 不審に思ったタケルであったが、何やら悶絶する声が聞こえた気がして裏へと回ってみた。


 するとそこには多数の悪党が無造作に横たわり、皆が体のどこかを押さえて唸っているのであった。おそらく素手で打ちのめされたのであろう。誰の仕業であるか、タケルの脳裏に瞬時に浮かび上がる人物は一人しかいなかった。


 どうかと思いその中心に目を向けると、細身ながら逞しい男が悪党の顎を持ち上げて屹立しているのが見えた。予想は的中していた。


 タケルは見覚えのあるその男の名を呼ぶ。


「スサノオ。久方ぶりだな」


 スサノオはタケルに一瞥をくれると、わずかに鼻を鳴らした。


「おう、タケルじゃないか。一歩遅かったようだな」


 スサノオが悪党を無造作に投げ捨てた。悪党は苦悶の表情を浮かべながらその場にごろりと転がる。


「用は済ませた。じゃあな。俺は行くぜ」


 スサノオは悪党を一人で掃討したというのに、まるで軽く食事を済ませた程度の気楽な口調でそう言うと、ひらりと馬に跨がった。


「待てっ、スサノオっ」


 タケルはそのまま去ろうとするスサノオの後ろ姿に向けて叫んだ。ここで行かせればきっと自分の心にしこりが残る。そういう何か確信めいたものがあったのだ。


「お前はっ、どうして後悔していないっ」

「はぁ? 後悔って何だよ」


 問われたスサノオが頭だけで振り向いた。タケルは馬に飛び乗ると、急いでスサノオの隣へと寄せた。


「お前は本当にそれでいいのか。何度もヒメ様の命を救い、卑弥呼の立役者となったお前が裏切り者と謗られてっ。怒りはないのか。このまま終わるつもりかっ」


 タケルに捲し立てられたスサノオが、さも面倒そうに頭を掻いた。


「んなこと言われてもよ。別に俺は誰も恨んじゃねえよ。過ぎたことだ。誰がどう言おうが知ったことじゃない」

「世人のことじゃない。ヒメ様に対してだ」

「……ヒメに? どういうことだよ」

「お前の抱えた気持ちがあるだろう。思いを遂げるとはいかずとも、そのわだかまりを、せめて申し開きしたくはないのか」

「……あぁ、そうだな。いや、やはり俺にもう未練はない。十分さ」


 必死で食い下がるタケルにスサノオは軽く首を振って断った。


「ヒメは、あいつは皆に慕われる王として立派に生きている。途中で俺とは歩く道が違ったんだ。俺にできることはもうないし、今さら顔を出すつもりもない」


 飄々とした何でもないような顔で答えるスサノオ。消えぬ懊悩を抱えて生きていたのは自分だけだったのかもしれない。そんなことを思いながらタケルはふうとため息を吐いた。


 顔を上げたとき、スサノオがおもむろに尋ねた。


「ところでタケル、なぜ今そんなことを聞く。もしかしてヒメが俺を探せと言ったのか?」

「いや、違う。私が聞きたかった。ヒメ様にはしばらく会っていない。私はもう仕官を止めた」


 タケルの言にスサノオの目が少し開かれた。


「ほぉ、それは意外だ。お前のような根っからの武人がな。何があった?」

「そうだな。あえて言うなら、お前を見つけて文句を言ってやりたかった」

「はぁ? 俺に何を言うことがある」


 口を尖らせてタケルの言葉に反発するスサノオ。


「本当に疲れたんだぞ。お前は頼れる将としてよく慕われていたからな。お前一人を悪者にして私が残ったことを根に持った者も多くいた。ああ、一人残った私がどんな大変な目に遭ったか」

「ぶっ。ははは」


 そこで突然スサノオが噴き出した。


「はっはっは。こりゃあいい。俺にそんなつまらんことを言うために武官を止めるなぞ最高に馬鹿な奴だな。ははは」


 屈託なく笑う様子に毒気を抜かれたタケルの頬にも自然と笑みがこぼれてくる。


「ふふ。あはは」

「ははは。はあっはっは」


 倭国大乱きっての豪傑と謳われる二人は目を見合わせ、腹の底から笑い出した。


 自分にもわかっている。もう全て終わったことだ。新しい生き方をすると決めただろう。


 ややあってタケルが清々した顔を上げる。


「それで、お前はこれからどうする気だ?」

「別に。何も考えちゃねえよ。寄る辺もなくふらふらするだけさ」


 予想どおりの返答だった。だがやはりそれが一番スサノオらしいとタケルは思った。このどこまでも気ままで奔放な男は誰にも縛られはしない。


「そうか。ではまたどこかで会うかもしれないな」

「ああ、かもな」


 過ぎたことを考えていても始まらない。時間は常に流れていく。生きるということは前へ。ただ前へ進むしかないのだ。たとえ歩みが遅くとも。


 そのとき急に何かに気づいた様子でスサノオがはっとタケルの顔を向いた。


「ああ、いつぞやお前に迷惑かけちまったことを、詫びるのを忘れていたな」

「言われるようなことじゃない。宇佐のお返しですよ」

「そうか。貸し借りはなしか。じゃあ、またな」


 スサノオが軽く付き出した手のひらにタケルが打ち合わせると、ぱあんと乾いた音が辺りに響き渡った。

次回最終話「はるかな空へ」

明日投稿予定です。

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