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倭国の王 〜少女卑弥呼の物語〜  作者: 稲戸
第一章 阿斯訶備の乱
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第4話 組野へ

 鎮圧を名目として兵営から出兵したアシカビは、組野の村がある石見いわみで一時駐留したと倭紀に記されている。


 石見は出雲の各地から西へと至る道がそこで一気に合流するような軍事上の要所であった。


 駐留の主な目的は、各地から供出される兵や糧食、武具などを集めることにあった。アシカビ軍はうだるような蒸し暑さのなか、簡素な野営陣を張り、軍を整えた。


 およそ二千に達したアシカビの兵は、数日の内に組野の村に到着した。


 外堀を隙間なく包囲した大軍を前に組野の村人たちが降伏やむなしと見たのであろう。さしたる軍事的抵抗もなく村の正門がゆっくりと開かれる。


 アシカビは、ウイジと今回が初陣となるその長子スイジの二名を連れて村に入ると全軍に伝えた。


 馬に跨ったアシカビの後を、ウイジ親子がついて歩く。


 この当時、馬は一般的なものではなかったが、その隊の大将だけが旗印として馬に乗るというのが天津軍の慣習であった。


 村へと足を踏み入れた三人が見たものは、予想さえしていなかった惨憺たる有り様であった。


 ウイジがうっと声を詰まらせる。


 取り立てか、凶作によるものか。深刻な飢餓によりほとんどの者が手足は棒のように細く、頬がこけ、目が落ち窪んでいた。


 髪は無造作に伸びたまま異臭を放ち、服もぼろきれのようになった布をかろうじて纏っているような状況だった。さらに衰弱が進んだ者は、もはや動くことすらままならぬ様子であった。


 これでは抵抗などしたくてもできるまい。


 先に小さな赤子を抱く母が見えた。だが赤子に血の気はない。おそらくもう息絶えているのだろう。


 母は心を失った瞳で、ただ虚空を眺め続けている。子の死を受け入れられずにいるその姿はあまりに悲しく、寂しかった。


「許せねえよ、こんなの、ひどすぎるぜ」

 スイジが怒りに震えた声で誰にともなく呟いた。


「……うむ。よもや、これほどまでとはな」

 それにウイジが同意した。


 ウイジの顔には少しでも早く塗炭の苦しみに喘ぐ民を救わねばならぬとの決意がありありと見てとれた。


 村の中央付近まで進むと、数人の男が膝を地につけてひれ伏していた。それと察したアシカビが中央の若者に尋ねる。


「お前が乱を起こしたウマシか?」

「相違ありません。此度は私怨にかられ、死をもっても償いきれない大逆を犯しました。ですが、無関係である村の者だけは何とか助命せねばとこうして生きていた次第です。どうか寛大なる処遇を賜りますよう、何卒お願い申し上げます」


 ウマシが涙ながらに懇願すると、他の男たちも皆をお助けくださいと頭を地に擦りつけながら身を震わせた。アシカビは、それにああと軽く応じた。


「経緯は聞いている。そなたらの処遇は後にしよう。まずは地方官が存命かを確認したい。どこにいるのか」


 ウマシが神妙な顔でこくりと頷き、高床の建物まで案内した。


 アシカビが扉をばんと勢いよく開くと、中には見張りの男二人と、小太りな体を縄で厳重に縛られたハコクニの姿があった。


 ハコクニが醜悪な笑みを浮かべて体をぐねぐねと動かしながら、鼻をふんと鳴らす。


「おお、アシカビ。遅かったではないか。この者どもは愚昧にも天津の地方官であるこの儂に手をかけようとしたのだ。これは許されざることだぞ。さあ、アシカビよ。早くこの天津に害なす汚らわしい虫けらどもを一匹残らず始末するのだ」


「……ふん。それは人の言葉か。何を言っているか聞こえんな」


 アシカビが吐き捨てるようにそう言うと、鋭く前方を見据え、剣を握ったままハコクニにつかつかと歩み寄った。


「おい、待て。何だその目は。まさか私に刃向かおうと。一体どうなるかわかって、おい、やめろ……ぶばっ」


 一閃。


 アシカビが剣を鋭く振り下ろし、ハコクニに斬りつけた。

 

 ハコクニは信じられないとばかりに目を見開き、口をぱくぱくと動かすと、血を噴き出しながらそのまま息絶えた。


「……汚らわしい虫けらは、お前だよ」


 アシカビは侮蔑の念から一度軽く嘆息すると、決意を込めた瞳で振り返った。


「見よ。暴虐の王放逸せしめれば、かような奸物が跋扈し民を貪るのだ。天津の凋落もはや度し難し。我らが揺るぎなき武人の誇りにかけて、これらを駆逐してみせん」


 倭紀に記された最初の戦い、「阿斯訶備アシカビの乱」はこの高らかな宣言により幕が切って落とされたのである。


「さあ、新しく炊き上がったぞ。まだ食っていない者から並べ」


 スイジたちアシカビ旗下の兵士が、村の少し開けた場所で炊き出しを行った。食に窮していた村人のため、軍の食料を供出したのである。


 アシカビの度量の広さに触れた村人は皆感涙に咽んだと倭紀は伝える。


 時を同じくして、村の中央にある建物には主だった者が集まり、緊急の軍議が行われた。


 そのまま高天原に乗り込んで王を滅する案も検討されたが、採択には至らなかった。ただ正面から短期決戦に挑めば、数で上回る天津軍が有利である。いたずらに壊滅するような危険を冒すことはできない。


 結果としてウイジが提案した、多くの村に蜂起するよう持ちかけ、主に防衛でもって戦おうという案で方策が固まった。


 アシカビが当初抱いていた腹案もおよそそういったものであった。


 王に不満を持つ村は多い。反乱が各地に広まれば、討伐の兵も分散されることになる。王も必ず手を焼くであろう。そこで反転する機会を見い出そうというものである。


 早速アシカビはウマシたち村人と自軍の兵を複数に分け、交渉に向かわせたが、これが想定以上に難航することとなった。


 この当時はまだ、強大な天津に楯突けば、決して王が容赦しないであろうという恐怖が根強く残っていた。虐政であっても生きているほうがましだと、突如判断を迫られれば村としてはそういう結論に至らざるを得なかった。


 いっそ説得という迂遠な方法ではなく、村ごと兵力で制圧すればよかったかもしれないが、暴虐の打破を名目とした軍が安易に恐喝という手法に出るわけにもいかず、アシカビは苦境に立たされた。


 そうして二日が経過したとき、野営を続けていたアシカビ軍に、息せき切った伝令が駆け込んできた。


「大変ですっ。突然現れた討伐の兵と組野の村が交戦に入りました。……我が軍と村人は迎え撃つ暇さえなく、全滅した模様っ」


 突然の悲報にアシカビ軍は色めき立った。馬鹿な。早すぎる。


 出雲から討伐軍を編成し、石見に到達するまでどう考えても数日の猶予があるはず。まさか反乱の前から軍を向かわせていたというのか。


 焦るアシカビは麾下の兵を急ぎ召集し、組野へ向けて進軍した。


 たとえ詭計であってもいい。嘘であってくれ。


 一縷の望みを抱きながら村へ到着したアシカビだが、待ち受けていたのは焼け崩れて煙を上げる村の、変わり果てた姿だった。


 村人たちも守備の兵も皆巻き込まれて物言わぬ骸へとその姿を変えていた。あまりにも冷酷無比な仕打ちにアシカビは言葉もなく立ちすくむ。


 用心深いトヨクモは、アシカビが全軍を動員した時点で、早くもそれと察知していたのであった。


 この時点でアシカビに従っていたおよそ一千名ほどの兵は、拠点を失い敵中に孤立することとなった。


 討伐兵は既に全土を巡っていることだろう。見つかれば直ちに掃討されるのは必定であった。


 あたら無為に命を散らすわけにはいかない。アシカビにできることは、この場で軍を解散し、一人でも多く生き残るよう取り計らうことより他に考えられなかった。


「悪逆なる王を弑し、弱き民を救わんとする我らが悲願はここに潰えた。全ては俺の不徳の致すところである。皆の者、少しでも逃げて生きながらえよ。それが俺の最後の望みである」


 アシカビが苦渋に身を震わせながら皆の前で頭を下げると、ウイジが平伏したまま、すっと面を上げた。


「ふふ。ははは、あっはっはっは」

 ウイジが突然大声で笑い出した。人目も憚らず、おかしくて堪らないといった様子なのである。


「どうした、ウイジ。事成らずして、ついに気でも触れたのか」


「ははは。これが笑わずにいられますか。アシカビ様、何と惰弱なことを。まだ何一つ終わってなどおりません。私は何度も申し上げたはず。怯懦で逃げ出すような者は、誇りある武人ではありませんと。逃げよなどと命を受けて素直に従う我らとお思いか?」


 アシカビがうっと声を詰まらせた。ウイジが断固たる眼差しでアシカビに訴えかける。


「アシカビ様。どうか我々を見くびらないでいただきたい。命を惜しむ者であれば、とうに逃げておりまする。ここに集いしは皆、アシカビ様と志を一つにし、何があっても付き従うと覚悟を決めた真の武人ばかり。この程度でいささかも揺らぐことなどありませぬ。最後の一兵まで暴虐の王打倒のため戦ってみせましょう」


「アシカビ隊長っ。このまま皆で高天原に乗り込みましょう。我ら一同死力を尽くせば成し遂げられぬとも限りません。何の遠慮がありますか。さあ隊長、ご命令を」


「そうだ、行こうぜ隊長。このままやられっぱなしで黙ってられるかよ。組野の村人も、俺たちの輩も皆暴虐の王に殺された。どうせ今から逃げたって助かりはしねえ。だったら、思いっきり戦って死んだほうがよっぽどいいぜ」


 その場の誰もが口々にその決意を示した。全兵がおおと鬨の声をあげると、それは山をも割らんばかりのうねりとなった。


「わかった。もう何も言わぬ。俺はこれより最後の戦いに向かう。ついてくる者は勝手にするがよい」


 こうして千名の勇士たちは被虐の民救うべしとの一心に燃え、高天原を目指し出立した。

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