第35話 天津王の即位
目立たぬよう、わずかな手兵を連れてヒメは高天原に入った。
直ちにトヨクモ王の死去と、即位する新しい王の報が全土に知らされる。
天津の王位は、大陸に倣って禅譲という形式が取られることとなった。まずはトコタチが王位を継ぎ、それをヒメに譲るのである。
荘厳な王宮に比してひどく質素な即位儀礼が行われ、ここに第五代天津常立王と、第六代天津日女王がほぼ同時に誕生した。
即位の後、トコタチとヒメは並んで高天原の民衆の前に姿を現した。
人々の多くは疲弊と諦観の入り交じったうつろな表情であった。長く続いた恐怖と虐政の時代は人々にこんなにも大きな影を落としていたのだ。
ヒメは皆に向け、切に訴えかけた。
「……高天原の、天津の皆さん。私たちは長く厳しい冬の時代を生きました。誰もが奪われ、奪い、傷つけ殺し合いました。私もこの戦乱の中で、とても大切な人を失いました。戦乱は、全てを奪っていきます。ほんのささやかな幸せも。夢も。笑顔も。全部。……だからもう、こんな悲しいことは止めましょう。誰かをどんなに恨んでも、誰かをどんなに傷つけても、得られるものなんて何もない。だから皆で取り戻しましょう。暴虐な王に奪われたものを。愛しい家族を。生きる希望を。あたたかい笑顔を。天津や、卑弥呼など関係ありません。もう誰も傷つけ合うことのない、優しい国を、皆で作りましょう」
ヒメの必死な思いを聞いた者は皆、心を打たれ涙した。一部で快哉を上げる者がいると、それは次々と広がり、大きなうねりとなった。それはしばらく止みそうもなかったが、ヒメが大きく手を挙げ、それを制した。新たな王の誕生に皆は期待し歓喜に満ち溢れた。
一方、この動きを知ったイザナギは激怒した。眦を吊り上げ、口からはふうふうと怒気が漏れる。
「卑弥呼と天津が組んだだと。なぜだ。なぜどいつもこいつも俺に刃向かおうとする。今すぐ無駄な抵抗を止めて降伏するよう使者を出せ。戦いを嫌だと言いながら、なお戦いが続くのは自分たちのせいだとなぜわからぬ」
早速使者により届けられたイザナギの要求を聞いて、ヒメは憂慮のため息を吐いた。
「イザナギ王、……今になってそんなことを。すみませんが帰って次のように伝えていただけますか」
そう言うとヒメは使者に決然とした目を向けた。
「今すぐお互いに手を取り戦を止めるおつもりならば、いつでもお受けする所存です。ですがイザナギ王はそうではないのでしょう。己の野心のために天津を、卑弥呼を、筑紫の諸国を征服し、なお己の意に従わぬ者に刃を向けようとなさっている。ならば我らも不本意ながら戦を受けて立つよりありません」
国同士の共存を考えるヒメと一国による支配を考えるイザナギ。異なる理念を持つ両者は互いの総力をかけて最終決戦に挑むこととなった。
共存か、支配か。戦をなくすという方向性は同じだとしても、その二つには大きな隔たりが歴然として存在するのだった。決してわかり合えないことを悟ったイザナギはぎりと歯噛みする。
「何を愚かな。国を残せば、今は和してもいずれの争乱の種となるのは必至。倭を統一することこそ真の和平だとなぜわからぬ」
イザナギが長い息を吐き、ぐっと拳を握った。
「まあよい。いずれは天下のため、戦わねばならぬ相手には変わりない。我が覇道に立ち塞がるならば、二国まとめて潰してやるまでのこと」
天津の奥深くまで攻め込んでいた邪馬台国だったが、戦線を広げすぎたことが仇となって、各地で卑弥呼と天津、そして筑紫諸国からなる混成軍の挟撃を受けて苦しむこととなった。
特に影響が大きかったのが、伊予島の北部を制圧されたために、そこで侵入経路が分断されて遠隔地での二正面作戦を強いられたことだった。
イザナギは出雲の攻略を一旦断念し、針間に各地からの兵を集結させ再度の侵攻に向けて立て直しを図った。自らの死が迫っていることを予感するイザナギにとって、都に戻り次の機会を窺うだけの余裕はなかった。
成否に関わらず今回の遠征をもって最後にする。それがイザナギの覚悟であった。
イザナギは目標を高天原に定め、防御が手薄なうちに総攻撃をかけるよう全軍に通知した。倭国大乱の時期を通じて唯一無二の都であり、心理的にも実質的にも天津の象徴である。一度に趨勢を決めるならそこしかない。
一方、それを阻止せんとする卑弥呼、天津、筑紫諸国の連合軍も続々と針間に入った。ヒメも全土の防衛と後事をタケルに託し、自ら出陣した。
天津に引き入れての縦深陣も検討されたが、速攻を得意とする邪馬台軍が高天原に到達すれば、甚大な被害は避けられない。天津に入る手前で死守することで意見が固まった。
この時点でお互いにほぼ持てる最大限の兵力を投入していた。ここで負ければもう後はない。
邪馬台が天下を征するか、卑弥呼がそれを阻むか、倭の行く末を決める最大にして最後の決戦が今まさに行われようとしていた。
倭紀によると、この時点で集結した兵は邪馬台国一万、卑弥呼連合軍九千ほどであったという。
そしてヒメとイザナギ互いの本隊が違いに見えるほどに接近し緊迫の度合いを増した尖兵同士がついにぶつかり合った。
当時廣田と呼ばれた地であり、これを「廣田の戦い」と称したと倭紀には記されている。




