第34話 悲痛なる願い
天津からトコタチなる者が至急かつ内密の面会を求めていると聞き、ヒメは驚きを隠せなかった。
トコタチと言えば天津軍の最高位にある武将であることぐらいはヒメも当然知っている。しかしそのような重職にある者がわざわざ敵国へ出向くなど通常考えられることではない。
それほどまでに重大なことが起きたに違いない。ヒメは人払いをしたうえで、小部屋へ通すよう申し伝えた。
ヒメと側近数人が待機していると、ほどなく長身でいかにも武人然とした厳めしい男が姿を現した。スイジによると間違いなくトコタチ本人であるらしい。トコタチはヒメの前で一礼すると、その場に膝をついた。
「お初にお目にかかります。ヒメ王。何分至急の用向きにて、突然の非礼をお詫びいたします」
「お気になさることはありません。何か余程の事情がおありのことと察しますが」
「ええ、これはまだ内密にしておることですが、第四代天津トヨクモ王がご逝去なされました」
「ああ、そうでしたか」
それはヒメが密かに推察していたことだったので、今さら特段の驚きはしなかった。ただ、名高い暴虐の王として倭を戦乱の地におとしいれた元凶とも言える人物が亡くなったことで、確実に一つの時代が終焉するのだろうと、何か感慨めいたものがヒメの心に去来した。
「それでは次の王を定めなければなりませんね」
トコタチは頭を下げて、そのとおりですと首肯した。
「まさにその件でお願いしたき儀があってまいった次第です。我々は先代トヨクモ王に代わる次の天津王としてヒメ王様を擁立すべきとの結論に相成りました。どうか受諾してはいただけませんか」
「な、少し待ってください。それはどういうことですか?」
予想をはるかに超える申し入れにヒメは動揺し、思わず声を震わせた。冷静を保つためヒメは一度大きく息を吸う。
「私が天津の王にとは、一体どのような所存でしょうか。戯言にさえ聞こえますが」
トコタチがいたって厳粛な顔で、決して戯言ではありませんと否定した。
「包み隠さず申し上げますと、天津は戦乱と虐政が長年続いたせいで民も兵も完全に疲弊し、もはや戦うべき力は満足に残っておりません。彼我の戦力を見るに、今、仮に私が王を継いだとしても、早晩邪馬台国に滅ぼされるに違いありません。天津を守る術があるならば、卑弥呼のお力を借りて結託してこれを押し留めるより他はないのです」
「なるほど。話はわかりました。ですが私たちは以前邪馬台国と和睦をしたにも関わらず、ひどい裏切りをされた経験があります。これが一時のものでないとどうして信じられますか。まして天津の兵は残虐をもって諸国に知られているではありませんか」
トコタチを疑うというわけではなかったが、国全体となるとわからない。長く天津と対峙してきたヒメの深い苦悩は容易に霧消するものと思えなかった。
「これまで蛮行を繰り返してきた天津が何を言うかとお思いでしょうが、卑弥呼侵攻を指揮した私が誓って申し上げます。我らは暴虐の王に命を捨てて戦えと言われ、それに逆らうことができなかったのです。お互い憎み合い、血を流すことを、天津の兵が、民がっ、心から望んだわけではないのです。暴虐の王なき今、天津にかつての覇権を取り戻し、他国を侵略せんなどと考える者は、もうおりませぬ」
トコタチが居住まいを正し、深々と頭を下げた。そして固い決意を込めた目でヒメを仰ぎ見る。
「ヒメ王、積年の怨恨あることは承知の上で、伏してお願い申し上げます。邪馬台国のイザナギ王は天津に完全なる服従を求め各地から兵を進軍させております。このまま高天原に戦火が及べば、多くの民が犠牲になることは避けられないでしょう。ですが今天津にいるのは長きの虐政に疲れ果て、戦乱に怯える哀れな者どもばかりにございます。どうか、天津の民をお救いください。どうか、どうかっ」
真に国を思い懇願するトコタチの姿はヒメの胸を打つものがあった。しかしヒメにはまだ逡巡があってトコタチに返答できずにいた。
「私にそのような大役が果たして務まるものでしょうか」
そこに今までじっと話を聞いていたスイジが口を開いた。
「トコタチは、俺の親父や敬愛する隊長の命を奪った憎らしい武人だ。だが、そんな俺でさえこの男の心根のまっすぐなところは認めざるをえない。本心から民を救いたいと思う気持ちに嘘偽りがないからこうして頭を下げているのはお前もわかるだろう。それなら、お前の答えはもう出ているのじゃないか。伊曽でお前が大軍に立ち向かったとき、初めから勝算があったとでも言うつもりか?」
スイジの一言にはっとしたヒメは即座に決意を固めた。こんなこと、あまりに簡単で、最初から迷う必要などないことだった。
「傷ついている者がいれば、苦しんでいる者がいれば、馬鹿みたいに突っ込んでいくのがお前なんだろう。なら、俺が背中を押してやる。さあ、行けよ」
「ふふ。そうでした。そうですね。参りましょう、天津へ」
トコタチがはっと面を上げる。ヒメはその揺るぎなき瞳でしっかりと頷いた。
「民を救うのに理由などいりませんから」
ヒメはそう言うと、トコタチへ向けて手を差し伸べた。
「さあ、お立ちください、トコタチ様。ついにこの時が来ました。二人で終わらせましょう。長く続いた倭の、全ての、戦いを」
完結に合わせて過去投稿分も見直ししていきたいと思っています。(文章や内容に大きな変更はありません)
なので、しばらく1日1投稿を予定しています。




