第32話 反乱
この年、卑弥呼国と邪馬台国、そして天津国という倭に鼎立した三勢力は、それぞれに根幹から国を揺るがしかねない災難に見舞われた。
まず卑弥呼国に起きた災難は、反乱であった。
始めは一部の兵が小さな暴動を起こしたに過ぎなかったが、次第にそれが各地に伝播し、ヒメたちが鎮圧に追われる事態にまで発展した。
このようになった背景として、天津と邪馬台の同時侵攻による被害が甚大であり容易に回復できなかったこと、またその戦いの恩賞について十全に得られなかったと一部の兵士たちに不満がくすぶっていたことなどが挙げられる。
だが、中でも倭紀が最大の要因として指摘したのは、兵の中枢を担うスサノオとタケル両軍の従来からの齟齬であった。
卑弥呼軍では全く違う両大将の気質がそのまま兵士へ浸透していた経緯もあり、両軍ともに互いの指揮下に入ることを忌避する傾向は確かにあった。
そんな折、ヒメがタケルを大将軍として全軍の指揮を任ずるという噂がまことしやかに流れ出したのである。
これまでは軍令の要であったオモカネが全体をうまく取り持ってきたのであるが、ヒメだけで戦略面を統括することの困難さが次第に顕在化しているのは事実であった。
噂の出所は願望も含まれていたかもしれないが、それを否定する者と肯定する者の両者で全軍が硬直化していった。ヒメは噂の鎮静化を図ったが、一度噴出した不信感は容易には解消できなかった。
反乱者に対して苛烈な措置をためらう卑弥呼の対応も相まって、ついに事態は考えうる限り最悪の展開を迎えた。
建国の一人にして最強の将、スサノオが反乱軍の頭目として立った。そして自らが自軍を率い、都へ攻め入ったのだ。
それはヒメのみならず、卑弥呼全土に計り知れない衝撃を与えた。
もちろんスサノオは始めから国家の転覆を企てていたわけではなく、単にヒメとの仲介を嘆願される形で関わったのであるが、どちらも収められない不満から次第に兵の統制が効かなくなり、最後には巻き添えとなる形で担ぎ出されたのだった。
スサノオ個人にもヒメと齟齬があったと噂はあるが、ともあれスサノオが卑弥呼において並びなき武勲を有する英雄であったにもかかわらず、最終的に反逆者として後世に印象を残したことは非常に残念だったと倭紀も嘆じている。
いよいよスサノオ率いる大軍が都の目前まで迫ってくると、多くの民衆が恐怖で色を失った。
スサノオの尋常ならざる破壊力は卑弥呼のみならず倭の誰もが知るところである。下手に立ち向かえば殺される。最悪最強の将を前に無謀な戦いを挑む者などあろうはずもなく、その荒ぶる姿を見ただけで皆散り散りに逃げていくのであった。
ヒメも万一の事態に備え、弓矢を持って迎撃の体制を整えた。いざとなれば自ら射抜くことも辞さない構えである。
そこへ名乗り出たのが忠義の士にて武芸百般の将タケルだった。
「知ってのとおり、スサノオの武勇は並外れたものです。僭越ながら私を置いて他に相手になる者はいないでしょう。これから行ってスサノオを征伐してまいります」
だがヒメは即座にはこれを肯じえなかった。
「しかし、タケルの身に万一のことがあれば、私だけでなくこの国の終わりとなりましょう。簡単には行かせられませんよ」
さらに王宮では緊急で軍議が開かれたが、門を閉めて弓矢で対峙するより有効な案は出なかった。
ちょうどそのとき、ヒメに門衛から伝令が入る。邪馬台国の重鎮、スイジが謁見を求めているとのことだった。
一体何があったのか、大侵攻のこともあり、ヒメは邪馬台国に対して警戒を隠せなかったが、他ならぬスイジのことでもあり、ヒメは会うことにした。
「……スイジ様。お久しぶりです。わざわざお越しいただくとは邪馬台がどのような用向きでしょうか」
ヒメの堅苦しい様子を見たスイジが薄く苦笑めいた表情を浮かべると、ひらひらと手を振った。
「そう険しい顔をするな。俺はもう邪馬台とは決別してきたのだ。今ここにいるのは、スイジと名乗るただの一人の男だ」
ヒメはほっと一息吐くと、表情を崩した。
「ああそうでしたか。失礼いたしました。それにしてもスイジ様は誰もが知る邪馬台国の建国以来の重鎮。それを辞するとはよほどの理由がおありなのでしょうか?」
スイジが眉根を寄せて軽く首を振る。
「理由も何も、今の邪馬台国に俺がいる意味はない。ワタツミが亡くなり、邪馬台国は大きく変わった。今のイザナギは誰の言葉も受け入れぬ。俺のことも煙たいのだろうな、もう会おうとすらしなくなった」
「ああ、そんなことが」
「宿敵である天津へ行く道理などあるはずもない。それより俺はお前が優しい国と言った行く末を見届けたいと思う。どうか俺も卑弥呼に加わらせてはもらえないか」
ヒメは大きく首肯した。
「それは願ってもない話です。私が国を作り、オモカネ様らに会えたのも元を辿ればスイジ様の尽力あってのこと。卑弥呼にとっても大恩のある御仁です。私に断る理由などあろうはずもありません」
ヒメが改めて深く頭を下げる。スイジも一度礼をしてからヒメに向き直った。
「さて、手土産というわけではないが、スサノオの不始末、俺が落とし前をつけてやろうと思う。あいつにはまだ借りがあったしな」
「……それは大変有難いことですが、私は対応を決めかねているのです。スイジ様、今の状況をどうご覧になりますか?」
「あいつの性分は野生の獣だ。兵を率いたり、軍律に縛られて生きるような奴ではない。窮屈な檻に我慢の限界がきたらしいな」
ヒメが目を閉じて嘆息した。
「やはりそうですか。スサノオには酷なことをしてしまいました」
ヒメが自戒の念を漏らすと、スイジが重々しく頷いた。
「明日、俺たちが邪馬台と通じるふりをして門を開ける。奴を通してやれ」
「スイジ様を疑うわけではありませんが、大丈夫でしょうか。もし本当に心変わりをしていたら」
「ふん。俺もだてに長く武人と接してきたわけではない。多少のつてもある。奴とはもう直接会って腹づもりを聞いてきた」
「……っ! スサノオはっ、スサノオは何と?」
「面倒を起こした。俺がけじめをつけたいと、そう言っていたな」
「うぅっ、スサノオっ」
ヒメは堪えることができず、大粒の涙を流した。
「……私のせいなのに。私が至らなかったのに。その悪意を一身に受けようとして。……ごめんなさい。スサノオ」
次の日、突如現れたスイジと一部の邪馬台兵により都の門が開けられた。その隙を縫ってスサノオが単騎これを突破する。
王宮の前、これを見たタケルはすぐさま馬を駆って出撃した。
タケルはスサノオの傍まで進むと、何の躊躇もなく斬りかかる。多少不意をついた一撃であったが、スサノオは難なくこれを受け止めた。
「やはりタケル、お前が来たか」
「逆賊スサノオめ。ここで成敗してくれる。覚悟しろ」
二人は渾身の力で数合斬り結んだ。両名ともに当代きっての豪傑である。この程度の応酬で容易に決着がつくものとも思えなかった。
ここに電光の如く舞い戻ったスイジが一閃、スサノオの馬の腿を裂いた。いななきを上げて暴れる馬に堪らずスサノオが飛び下りた。
その機を逃さじと、タケルとスイジがスサノオを囲んだ。
「二人に一人じゃ分が悪いぞ。観念したらどうだ。スサノオ」
迫るスイジを一瞥し、スサノオが口元を拭った。
「ふん。俺がこの程度で負けられるかよ。それっ」
大上段から大きく跳躍しタケルへと切りかかるスサノオ。だがタケルの一瞬の突きがそれを上回った。スサノオが激しい勢いでどうと倒れ込む。
身動きもしないスサノオをタケルが抱え上げ、皆の前で勝ち鬨を挙げる。
「逆賊の頭、スサノオを討ち取ったり」
都中にどうと歓声が湧き上がり、止むことはなかった。
スサノオを失った反乱軍は孤立し、見る間に解散した。ヒメはこの一連の騒動について、スサノオにほぼその責任を負わせる形で幕引きを図った。
また、ヒメはこれまで命をかけて戦ってきた兵士が十分に報いられなかったことも今回の発端になったことを省みて、今後の恩賞などを約束し、軍の不信や不満を和らげることに尽力した。
間もなく卑弥呼軍はタケルを統括とし、スイジがそれを助けるという形で一新された。
邪馬台国の最古参にして歴戦の勇士であるスイジが軍門をともにすることの意味は決して小さいことではなかった。長く前線で兵を率いてきたスイジは兵の何たるかを知り抜いていた。
スイジはスサノオという最強の将を失い、瓦解しかかっていた卑弥呼軍をよく統率し、立ち直らせてみせたと倭紀に記されている。




