第31話 夜明け
「たとい相見えずとも、我は叫ばん」
オモカネ様が言えなくてずっと心奥に秘め続けた言葉を。
生きていればあなたに聞いて欲しかった言葉を。
「ああっ、あっ、う。うあああっ」
ヒメ、わかるよ。聞きたいのよね。
心が叫んでいるのよね。
最愛の人が何としてもあなたに伝えようとしたその言葉を。
教えてあげる。それが生きるってことよ。
さあ、これで最後、受け取りなさい。
「我、ただ請い願う」
宙高く舞い上がったウズメがふわりと着地してうなだれたままその動きを止めた。
一瞬世界が静寂に包まれる。
ウズメの艶やかな口元が開き、その言葉を
――紡ぐ。
『天照らす 君とともに 在らんことを』
――がたん。
――戸が、わずかに開く。
――今こそっ。
人知れず戸の前に控えていたタヂカラがすかさず奥に手を入れ――その人物を引きずり出した。
涙で顔を濡らし、ふらついた足取りで皆の前に姿を現したのは、行方を暗ませていた卑弥呼王、ヒメだった。
「み、見ろ。ヒメ様がそこに」
「生きて、おられたのか。しかしどうしてそんな所に」
突然の卑弥呼の王の登場にざわざわと静かな驚愕と困惑がその場に走る。
誰もが注視する中、ヒメがよたよたと二、三歩前に出て、近くに控えていたフトダマを呼び寄せた。
「フトダマ様……馬を」
指示を受け素早く馬を用意したフトダマが、しかし怪訝な顔で尋ねる。
「ヒメ様。馬をどうしようというのですか?」
「……行かなきゃ。みんなを、助けに」
「無理です。そんなお体で。どうかお休みになってください」
ヒメは制止する声も聞かず馬に飛び乗り、そのまま疾走した。
ヒメはただひたすらに駆けた。
衰弱しきった体は全く言うことを聞こうとしなかった。
だが、こうしてはいられないとの焦燥がそれをはるかに上回った。
許せない。
ただその気持ちだけがヒメの内奥を熱くじりじりと焼いた。
「……すもんか。絶対に、渡すもんかああっ」
ヒメは虚空に吠えた。
流れ出す涙を手のひらで一気に拭い、きっと前方を見据える。
私がオモカネ様と一緒に作り上げたこの国を。
優しくて笑顔の溢れるこの国を、卑怯な奴らに絶対に渡したりなどしない。
オモカネ様が最後に伝えてくれた。
私はこの長く続く暗澹の世を照らすたった一つの灯火なのだと。
たとえどんなことがあろうとも、民に寄り添うことを考えなさいと。
オモカネ様も確かに私と一緒にいることを望んでいた。それが叶えられなかったことは、本当に残念でならない。
でも大丈夫。
オモカネ様はいつもそばにいる。
目を閉じれば私の心の中に一緒にいてくださる。
もう何も心配ない。
「私は守るっ。この国を、みんなを。一人残らずっ」
ヒメは前方を凝視し、助けを待つ人々のことを思った。
「私はもう絶対に、見捨てたりしない」
遠い稜線からほの白い暁光が漏れ出して、瑠璃色の世界を少しずつ染め上げていた。
間もなく夜が明けるのだ。
――私は天照らす光となろう。
私が深く昏い絶望に打ちひしがれて動けなくなっていたとき、オモカネ様が光となって、進むべき道を明るく示してくださったように。
今度は私が先に進もう。
暗闇に悩み戸惑う皆の行く末を照らそう。
私は生きていく。たとえあなたのいない世でも。
だからどうか見ていてください。
「私はもう迷ったりしない。諦めたりしない」
前方に行く手を阻む天津の兵が見える。
ヒメはしっかと手綱を握り、決然として村の救出に向かった。
「私は卑弥呼の王、ヒメ。あなたたちは必ず助けます。だから諦めないで。待っていてください」
王が帰還したという事実に鼓舞された卑弥呼軍は、各地で反転攻勢に打って出た。
ヒメは兵法と「鬼道」の巧みな操兵術により次々と領地を取り戻し、ついに天津軍を残らず筑紫島から追い出すことに成功したのである。
伊世に設置した仮王宮へと戻ってきたヒメは一人欄干に手をかけて、澄みわたる空に浮かぶ月をただ眺めていた。
頬を撫でる夜風がさわさわと髪を揺らす。
ふと人の気配を感じたので振り向くと、背後にツクヨミが立っていた。
元々線の細い雰囲気だったが、近ごろはますます憔悴しているようで少し目がうつろになっていた。
オモカネの後継として政務を担うこととなったが、有能すぎた前任との落差は埋めるべくもない。日々の苦悩が、外見からもありありと見て取れた。
ツクヨミが隣に立って同じように欄干に手をかける。
「ツクヨミ。あなたが大変なのはわかるけれど、少し寝たほうがいいよ。倒れてしまったら意味がないもの」
「まだ大丈夫だよ。姉さんこそ、まだ起きてたの?」
「うん、休もうとしたんだけど、どうしても眠れなくてね」
ヒメが儚げな目で在りし日々を思い出しながら欄干をそっとさすった。
「ほんの少し前だったの。ちょうどこの場所で、私がここにいて、オモカネ様が隣で優しく笑っていた」
ヒメが悲痛な顔で何とか笑おうとした。
「私ね、ずっと夢を見ていたの。オモカネ様と二人、大陸に渡り穏やかに暮らす夢を」
ヒメの頬を冷たい涙が伝った。
「だけどそれは叶わないの。もう二度と」
ついに我慢の限界に達したヒメが、堰を切ったように泣きじゃくる。すかさずツクヨミがヒメの肩をぐっと抱いた。
「オモカネ様、オモ、カネさ、ま。うああ」
「泣いていい。姉さん。泣いていいんだ」
王としての夢とは違う、だけどどうしても叶えたかった夢。
二人が一緒にいたいと強く願っても時代がそれを許さなかった。
ツクヨミは子供のように泣きじゃくるヒメの涙を隠すようにそっと頭を抱き止めた。




