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倭国の王 〜少女卑弥呼の物語〜  作者: 稲戸
第五章 閉ざされた光
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第30話 最期の謡い

 ――そして、満を持して謡いが始まった。


 かがり火に照らされて薄紅の衣装と艶やかな髪飾りを付けたウズメが場に現れると、一同は水を打ったようにしんと静まり返った。


 凛として端麗な顔立ちと相まって、その姿は息を呑むほどの優雅さを備えていた。ウズメの品のいい唇がすっと開かれる。


「月煌々として闇を射し、影静かに海に揺らぐ」


 その玲瓏な声を夜空に響かせながら、ウズメが白く細い指先を虚空に泳がせた。


 謡いは続く。その艶やかな衣装が宙を舞えば人々は感歎し、情感込めた歌声が心にしみ入れば皆は涙した。


「志ありて故郷を離れ、ただ人心の安からんを願う」


 佳境を迎え皆の期待がいや増しになってきたそのとき、精根も尽きよとばかりに踊るウズメの動きが不意に止まった。


 どうしたことかと訝しむ人々の前に、さあさあと大きな声を出しながら両手を打ち鳴らすコヤネが現れた。


「今日はすっかり夜も更けてしまいましたから、ここまでとさせていただきます。明日は、さらに大きな宴としますから、お集まりの皆様どうか心待ちにしていただきたい」


 居合わせた人々は宴会など開いているような状況でもないだろうという疑念と明日もウズメの舞が見られるという期待を半分ずつ抱きながら複雑な顔を浮かべてそれぞれに散っていった。


 次の日、フトダマやコヤネは卑弥呼の各地からさらなる人や食料を寄せ集めるべく、休む間もなく働いた。此度の宴だけは絶対に成功させねばならない。


 事情を知らぬ者には抵抗を諦めて今生最後の祭りをするのだと簡単に説明されたが、天津が目前まで迫っている状況では、あながち間違っているとも言えなかった。目論見が外れれば、必ずこの国は終わる。


 多くの者が村へ流入する中に、駆けつけたツクヨミの姿もあった。ツクヨミは宴の準備に奔走するウズメの姿を見かけて、声をかけた。


「ウズメさん。姉さんの様子はどうですか?」

「……もう何日も建物に籠もったきり、ずっと飲まず食わずのようね。私も前まで行ってみたけれど、何の物音もしなかった」


 無理に感情を抑えて答えるウズメの心奥を読み取って、ツクヨミが沈痛な表情で目を伏せた。


 ヒメは思い出のあるこの村へと密かに逃げ込んでいたのである。


 しかし心身が衰弱した状態で皆の前に出れば、混乱と失望を助長させるだろうとして、一部の者を除きその事実は隠匿されていた。


「いろいろありがとうございます、ウズメさん。でも、ひょっとしたら姉さんは、もう……」


 そこでウズメが少し寂しそうにふっと笑顔を見せた。


「うん。そうかもね。だけど私は今できることを精一杯頑張るつもり。だってそうしなきゃ私たちに望みを繋いで亡くなったオモカネ様に顔向けできないでしょ」


 ツクヨミが一度頷くと、ぐっと拳を握り、ヒメの籠る建物に目を遣った。


「そうですよね。本当に最後の最後まで諦めちゃいけないんですよね。絶対に」


 大きな土器がぐつぐつと煮えているのを見たウズメが、額に汗を流したままそれをかき回し、ツクヨミに振り向いた。


「ああ、ツクヨミ、あなたも少し手伝ってくれる? 数が多くて追いつかないから」


 ツクヨミはすぐにウズメの横に立ち、二人は急いで土器の火加減を調整した。ウズメが流れる汗を拭って、一息吐いた。


「そう言えば、ねえ、ツクヨミ。覚えてる? 何年か前の祭りのとき、私とヒメとツクヨミで米が炊けるのを見ていてさ」

「覚えてるよ。姉さん待ちきれないって、まだ固いのにぼりぼり齧ってたよね」


 二人は顔を見合わせて同時に笑い出した。


「あっはっは。ほら、あの子ああ見えてそそっかしい所あるからさ」


 心なしかウズメの瞳が少し潤んでいた。ウズメが指でさっと目じりを拭うと、何度も頷いた。


「もし、もしもだけど、もうヒメが先に逝ってしまってたんならさ。送ってあげようよ、この宴で」


 ウズメが声を詰まらせながら、優しく微笑んだ。


「もうずっと卑弥呼の王として、みんなのために、必死で頑張ってきたんだよ。せめてこれぐらい最後にしてあげたって悪くないじゃない、ね」


 ツクヨミがウズメの手を取って力強く頷いた。


「そうですよね。きっとそうですよ。姉さんは誰かを悲しませるために戦ったんじゃない。今日はみんなで楽しい宴にしましょう。最後は笑顔で終わるんだ」


 再び日の光が沈み始め、辺りがぼんやりと薄暗くなってきた頃、盛大な宴が始まった。


 これを限りとばかりに出された数多くのご馳走を前にして、飲む者、食う者、思い出話に花を咲かせる者、それぞれが思い思いに人生最後の時を過ごした。

 中には乱痴気騒ぎを起こす者もいたが、誰も咎めはしない。どうせこれで終わりなんだ。好きなようにすればいい。


 宴は進み、昨晩と同じようにウズメが登場した。きらびやかな衣装に身を包んだその姿に、昨日見た者も、初めて見た者も等しく目を奪われた。


 痛いほどの静寂。


 ウズメは透きとおる夜空へ向けて手を伸ばした。


 ヒメ。聞こえる? 


 たとえ空の上からでもいい。


 聞いて、私の歌を。一度きり。


 これで最後。どこにいたって届けてみせる。


 ヒメ。私はあなたに頑張れなんて言いたいんじゃない。


 あなたはもう精一杯背負ってきたんだから。


 本当は誰よりも傷つきやすい心なのに必死で前を向いて戦ってきたんだから。


 もうあなたが歩きたくないと言ったって責めることなんてできないよ。


 だけど、せめて。オモカネ様の思いだけは。


 最後に残したその言葉だけはあなたに伝えたいの。


 だからどうか届いて。お願い。


 遠い故郷を離れ、ヒメと出会い、ただ人々の幸せを願って国を作ってきたこと。オモカネの切なる思いを乗せて、澄んだ空気の中をウズメの歌声が響く。


 心の込もったその調べは、内容のわからない者にさえ涙を誘った。


「月夜、涙に濡れる君を見て、ただ静かに詠う」


 そのときだった。


「あああああっ」


 突然、どこからか絹を裂くような絶叫が響き渡った。ウズメは声の正体を瞬時に悟った。


 ああ、ヒメ、生きているのね。


 そこにいるのね。今すぐにでも飛び出して抱き締めてあげたい。


 でも、決して手を止めてはいけない。


 ヒメが、聞こえているのなら。


 どうしようもない暗闇の淵でもがき苦しんでいるのなら。


 私は届ける。絶対に。


 もう動けなくなっても構いはしない。声を、出せっ。


「我、たとえ死せりとも願わん」


 それは、もう二度と生きて帰れはしないと覚悟したオモカネが最後に残した悲痛の言葉だった。


 二日にわたって踊ったウズメの疲労は限界に来ていた。だが、それでもウズメは最後の力を振り絞り、息一つ乱すことなく踊り続ける。

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