第29話 絶望の中で
オモカネ死去と邪馬台国撤退の報は、昼夜を継いで来た伝令によりヒメの元へ伝えられた。
訃報に接したヒメの顔面は一気に蒼白になり歯の根も合わぬほどわなわなと全身が震え出した。
「嘘、嘘でしょう。オモカネ様が死んだって。私を置いて。そんなはずない。だって約束したもの。ずっと一緒にいるって」
ヒメが目を覆い、何度も何度も首を振った。
「だって約束したもの。大陸に連れていってくれるって。どうしてっ、オモカネ様。あなたがいたから、私は頑張れた、のにっ。私一人じゃ……もう何も、できないよ」
大粒の涙を流しながらヒメが前方へ震える手を伸ばした。
「い……や、嫌ぁ。オモカネ、様、ああっ。私を置いていかないで」
ヒメがうわ言のように何度もオモカネの名を呼びながらよろよろと歩き出した。
――オモカネ様のいない世に生きていたって、もう何の意味もない。
「ヒメ様。どこへ行かれるのですか」
生気のない顔のままよろよろと馬に跨がったヒメに臣下が問いかけたが、何の反応もない。
「もういい。疲れた」
ヒメはそう小さく言い残すと、そのままどこかへと走り去った。
皆の必死の捜索にもかかわらず、その後ヒメの姿を見た者は誰もいなかった。
消息は完全に途絶えてしまったのである。
卑弥呼のまさに根幹であるヒメとオモカネを同時に失った卑弥呼軍は、指揮系統が成り立たず混乱の極みに陥った。
スサノオたちの奮起により一部で持ちこたえはしたものの、満足に戦えなくなった軍はもはや死に体であり、ほぼ全域で潰走を続けながら筑紫島のさらに奥へと散っていった。
守備兵を失った村の末路は、さらに苛烈であった。
見せしめと称して、天津兵の残虐極まりない仕打ちが、そこかしこで繰り広げられたのである。卑弥呼では根絶やしとなった村が次々と焼き尽くされ、民の怨嗟と慟哭の声は日夜途切れることもなく続いた。
そして今、この村も例外ではない。暴虐なる天津の大軍が迫っていると聞き、住人の不安と焦燥はもはや限界に達していた。
固く閉ざされた門を見て嘆息しながらイシコリがタマオヤに問うた。
「こんなことをせず早く降伏するほうがよいのでは。下手に抵抗などすればどんな目に遭わされるかわかったものではありません」
だがタマオヤは節くれだった手を額に当て、ゆっくりと首を振った。
「止めたほうがいい。同じように考えた村が次々と天津を引き入れて皆殺しにされたと聞く。絶対に門を開けるべきではない」
イシコリが苦渋に満ちた目をタマオヤに向けた。
「では、私たちはこのまま来もしない助けを待ちながら、ここに籠っているしかないのでしょうか?」
「残念ながらそのとおりだ。他には何もできはしない」
「詮ないことですね」
大人同士の悲痛な会話を聞いたナシメが、身を震わせて涙を流しながらイシコリに尋ねた。
「ねえ、ヒメ王様はどこに行っちゃったの? 皆を守ってくれるって言ったのに」
イシコリはナシメをぎゅっと強く抱き締めた。
「あの人のことを悪く言ってはいけません。きっと何か理由があるのですよ」
「嫌だよ。まだ死にたくないよ。ううっ。うあああっ」
ナシメの悲痛な叫びはただ虚空へと吸い込まれて消えていった。口には出さねどイシコリは切に願う。
「ヒメ様。どこへ行かれたのですか。ヒメさまああっ」
卑弥呼の全ての村は固く門を閉ざし、民はただ暴虐なる兵が姿を見せないことを願うしかない。
全ての望みは絶たれ、卑弥呼の人々の心にはただ先の見えない暗澹だけが満ちたと倭紀は伝える。
日向のとある村。
コヤネの先導により、ウズメとタヂカラが到着したときにはもうすっかり夕刻となっていた。寂然とした西日がほんのりと赤みを帯びて村全体を染め上げている。
コヤネはずっと不安げな表情をしたまま待ち構えていたフトダマを見つけると、馬から降りて、ほっと安堵の息を漏らした。
「いやあ、危ない危ない。天津の手はすぐそこまで及んでいますね。ここはまだ無事なようで何よりでした」
しかしフトダマは何度か首を振ると深いため息を吐いた。
「ですが、それもいつまで保つか。いつ何時ここに天津が来るやもしれないと思うと気が気でもありませんよ。もしそうなったら我らの最後の望みも絶たれてしまうのですから」
「ええ、ええ。わかっています。とにかく急ぎましょう」
そこでウズメが少し緊張した面持ちで一度周りを見渡した。
「ときにフトダマ様、準備のほうは整っておりますか?」
「もちろんです。私に集められる限りの食べ物、酒などを用意しました。人目につかぬよう運ぶのが大変だったので、潤沢というわけにはいきませんが」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。では私も早速準備に取りかかります」
ウズメが足早に去っていく後ろ姿を見たコヤネが、手を打ち鳴らしてフトダマを促した。
「さあ、こうしている間もありませんよ。早く人を呼んでくるのです。始めましょうか。オモカネ様がその最後に命をかけて我らに託した秘策を。オモカネ様は私たちにこう仰いました。『もし私が戻らなければ宴を開いてください。それもできるだけ大きな宴を』とね」
そうしてとっぷりと日が暮れた頃、突然に宴会が開かれた。
意図もわからず集められ、最初は狼狽を隠せなかった人々も、ずらりと並べられた料理を前にして次第に浮かれ騒ぎ始めた。
どうせもうこれで終わりなんだ。最後ぐらい楽しんでもいいじゃないか。宴が進むにつれ次第に皆も刹那的、享楽的になり、一同の会話にも笑いが混じるようになった。




