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第3話 武人の誇り

 初夏の折り、天津軍の兵営において、厳然たる表情を崩さぬまま闊歩する壮年の男がいた。背筋を確と伸ばし、その歩調には全くの乱れがない。


 男の名はウイジ(宇比地)。


 まさに謹厳実直を絵に描いたような、堅苦しい武人であり、先王ムスビの代には近侍兵の隊長を務めた経歴を持っている。


 ウイジは、新兵舎の建設のため丸太の切り出しに精を出している数人の若い兵士たちの前で歩みを止めると、姿勢を正して屹立した。


 視線の先には一人の青年の姿があった。


 アシカビである。


 長身で精悍な顔つき。細身な体格ながらも、その全身には硬くしなやかな筋肉がしっかりとついていた。


 腰に佩いた大きな鉄製の大刀たちには多数の玉飾りが吊り下げられており、一見して立派な身分であることがわかる。


 アシカビは若い兵士と丸太の上で何やら哄笑しながら作業を手伝っていた。


 アシカビは、高官ながら常に気さくな態度で旗下の兵士によく慕われていた。


「アシカビ様。お迎えに上がりました。火急の件にございます。急ぎ戻られますよう」

「おお、ウイジ副長ではないか。ははは。また火急と言いながら武人の心得とやらを延々と説くつもりであろう?」


 その手は食わぬとばかりに満面の笑みを浮かべるアシカビを厳しく見据え、ウイジは嘆息した。


「む。私はアシカビ様のためを思い具申しているのです。常々申し上げているとおり、武人を統帥する者、誇りを持ち、おのずから垂範たらねばなりません。かように怯懦に逃げ回る姿を見せていては、まともに軍を率いられるとは思いませんな、アシカビ様」


 壮年の男がそう諫めると、アシカビがぐっと声を詰まらせて、観念したように首を振った。


「ああ、わかったわかった。うるさい奴だ。戻る。ウイジよ、そのような怖い顔でにらむでない」


 その長身を縮こませながら悄然としてウイジの後を歩くアシカビの姿を見て、その場にいた兵士たちはただ顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。


 陣営の中心、一際大きな高床の建物がアシカビの本拠である。奥の一室、帳の向こう側で二人は向かい合って座った。


 アシカビは片膝に手をかけて気怠そうにしているものの、その眼光は毅然として、先の軽薄な様子とはまるで別人のように違っていた。


 王に不実を疑われぬため浅薄を装ってはいても、その実この男の内奥には誰よりも熱くたぎるような武人の血が流れていることをウイジは元より深く理解していた。


「……また出兵の伝令だろう。今度はどこだ?」


 ウイジが膝立ちのまま、眉根を寄せた。

「ハコクニ(葉木国)という地方官をご存じでしょう。先日、組野くむのの村で上納の上増しを申しつけたところ、これ以上は無理であると嘆願されたとか。それに逆上した地方官は、村長とその娘など数人を家に押し込め、そのまま火をつけました。中にいた者は皆、炎に巻かれて亡くなったようです」


 アシカビが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、ちっと舌打ちした。


「耐えかねた村人はウマシ(宇摩志)なる者を先頭にハコクニ様を拘束し、そのまま立てこもっているとか」

「……もうよい。わかった。王が逆らう者は皆殺しにしろと、そう言ってきたわけだろう」


 アシカビが吐き捨てるように言うと、ウイジがやり切れないとばかりに左右に首を振って、はあとため息を吐いた。


「かのウマシなる者、齢十七と聞き及んでおります。焼かれた娘と結ばれるはずであったとか。その奪われた苦しみ、いかほどのものだったことか」


 その無念を察するように、ウイジはぎりと歯噛みする。


「私が先王にお仕えしていた頃、私は天津の兵であることを誇りに思っておりました。王の威光は天下に満ちて、民の顔には笑顔が浮かんでおりました。ですが、今の天津兵は暴虐たる王の意のままに人々を威圧する賊徒に成り果てたのです。いつしか民は我々が近づけば、涙に震え、怯えたような目を向けるようになりました」


 ウイジが慨嘆に堪えない様子で、ぐっと目を閉じた。


「このような弱き民を守ることこそ、我が武人としての誇りであったというのに。今はその刃でもって民の命を奪わねばならぬとはっ。どうして、どうしてこのような……」


 ウイジの両目から止めどなく涙が流れ出す。


 うつむいた頭から、雫がぽたりぽたりと落ちて床を濡らした。アシカビがそっと目を閉じて嘆息する。


「すまぬ。あの者を擁立したこの俺の過ちだ」

「いえ、アシカビ様。あの才気溢れる若君がこのように変節なさるとは、誰にも思わぬことでございました」


 お互いの間に長い沈黙が訪れる。


 ウイジは手のひらで涙をぐっと拭い、鼻をすすった。しばらく沈思の態であったアシカビが、やがて重々しく口を開いた。


「……いたずらに機を窺ってばかりでは制されるだろう。いや、違うな。これ以上あの者を看過することは、この俺がもう我慢ならぬ」


 ウイジが確認のため面を上げると、アシカビがああと確固たる意思を込めてこくりと頷いた。


「ウイジ、全軍を出すぞ」

「……承知しました。直ちに召し集めいたします」


 アシカビの軍は、常駐の兵と村から供出される兵を全て合わせると、二千名ほどとなる。その全力でもって挑まねばならぬ相手を想起してウイジが全身を震わせた。


「はは。ウイジのような歴戦の武人でも震えることがあるのか」

「否にございます。耐え難き忍従を経て、時まさに至れりと、歓喜にうち震えているのでございます」

「それは頼もしいな。さあ、行くぞ」


 ――アシカビがその場にすっと立った。いかな理由があろうとも虐政に耐えかね喘ぐ民を皆殺しにするなど、武人の誇りにかけて断じて受けられぬ。


 諸悪の根幹たる王を弑逆する。これは俺にしかできぬ使命である。


「本望にございます。このウイジ、身命を賭してアシカビ様にお仕えする覚悟なれば」


 ウイジは、熱くなった目頭をそっと押さえると、恭しく頭を下げた。

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