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倭国の王 〜少女卑弥呼の物語〜  作者: 稲戸
第五章 閉ざされた光
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第26話 覇王の道

 卑弥呼と和睦し、これを機に天津へ大攻勢をかけるかと思われた邪馬台国であったが、突然に起きた深刻な事態により全ての外征を取り止めるに至った。


 ワタツミの病衰である。


 建国以来、その卓越した知見により軍政の要となっていたワタツミが不治の病を患ったとして出仕ができなくなったことは、当初予想したよりずっと多くの弊害を引き起こした。


 兵糧の滞りや刑罰の恣意的な執行、地方官の不正やそれに伴う民の反乱などそれを数え上げればきりがない。


 元々邪馬台国は、軍事に偏重した国策を取ってきたことや領土を急拡大して民心が安定していなかったことにより政情基盤が脆弱であったことは倭紀においても度々指摘されていたところであるが、それはそうした諸問題を全て絶妙な政治手腕で取り持ってきたワタツミの存在がいかに大きいかと逆説的に語っているものでもあった。


 イザナギは国内体制を引き締めるなどして急場をしのいだが、いよいよワタツミが危ないらしいとの一報を受け、急遽イザナギはワタツミの家宅を来訪した。


 王が直接臣下を訪ねるのはもちろん異例なことであったが、ワタツミは動くこともままならないし、またそんなことを言っている場合でもない。


 ワタツミは立ち上がることすらできなくなって以降、ずっと帳を下ろしたまま伏せており、調子がよいときだけ小使が間に立って人と会っているとのことだった。


 それは王であるイザナギですら例外ではなかった。ワタツミは顔を見せようとしない。


 出てきた小使に様子を尋ねると、先生は今起きていらっしゃいますと返答がある。


 イザナギは家中に入ると帳の前に座り、奥に向かって声をかけた。


「調子はどうだ。ワタツミ」

「イザナギ様。ありがとうございます。今日はこのように調子を戻しておりますが、もう長くはないようです」


 か細くしわがれた声がイザナギの耳に届く。イザナギは図らずも嘆息を漏らした。


「お前ほどの賢明さをもってしても、病の治し方はわからんのか?」

「生き死にだけは人智でどうにもならぬもの。私とて例外ではございません」

「そうか」


 イザナギは短く答えてそっと目を閉じた。


 イザナギも愚問であると自覚はしていたが、ワタツミは邪馬台国に欠かせぬ人材であるのみならず、ともに倭の統一を夢見て国を立ち上げた盟友でもある。いよいよとなるとその喪失感は計り知れないものだった。


「ワタツミよ。近々邪馬台国は総力をもって天津へ出兵する。お前は見られないかもしれないが、二人で作ったこの邪馬台国が倭を平定し、天下を取る日はそう遠くないぞ」

「……イザナギ王。不遜ながら、あなたが天下をお取りになることはないでしょう」


 それを聞いたイザナギのこめかみがひくひくと脈動した。


「はて。聞き違いであろうか。我に天下を取ることはできないと言わなかったか?」

「いいえ、聞き違いではございません」


 倭の統一を悲願とするイザナギにとって、たとえ盟友のワタツミであってもそれは聞き捨てならぬことであった。ふつふつと沸き上がる怒気を込めながら、イザナギが帳の向こうをにらみつけた。


「理由を言わねば承知せぬぞ、ワタツミ。天下を取れと言ったのは、他ならぬお前だ。倭を統一し争いをなくすため尽力しますと誓った言葉を忘れたか」

「いいえ。忘れません。あの頃は天津が猛威を振るい、民を虐げておりましたゆえ、私もそのように考えておりました。ですが、今は違います。イザナギ王は天津を征した後、その力の矛先を卑弥呼へと、さらには筑紫諸国に向けるおつもりでしょう」

「当然のことだ。争いは国同士で生じる。国を残せば後世いずれ戦いの火種となるだろう。だから真の和平は統一した国によってのみ為しうると、お前もそのようなことを言っていたではないか」


「ええ、ですが今の卑弥呼国に無理に支配を迫ったところで素直に平伏するとは思われません。ヒメ王は温厚な人柄でよく民に慕われておりますし、それを軍政ともに明敏なオモカネがしっかりと支えておりますから磐石です。これからもさらに国は富み、兵も民も力をつけることでしょう。いかな戦の才をお持ちのイザナギ様であろうと、これを相手に勝利できるものとは思われません」

「何を馬鹿なことを。あの者たちは我らと戦う気はないと言ったぞ。それともあれは謀りだったのか?」

「いえ、あるいは本心からの言葉だったと思われます。ですがそれは争いもなく、卑弥呼と和して対等に並び立つならばということであり、野心のままに従えられるということではありません」

「対等だと?」


 イザナギの声に怒気が込められる。


「卑弥呼など邪馬台に比べ兵も領地も取るに足らない小国ではないか。対等などおこがましいにも程がある」

「なりません。卑弥呼はよき国です。無理に押さえつけなどすれば、ヒメ王に心服する民がたとえ争ってでも国を守ろうとすることでしょう」

「いいだろう。立ち向かってくる気ならば、力をつける前に全て蹴散らしてくれる」

「イザナギ王、もうこれ以上卑弥呼と、無辜なる民と戦ってはなりません」

「もうよい。口を慎め、ワタツミ。誰が何と言おうと、俺は覇道を進み天下を統一する。天津を滅ぼしてその先、卑弥呼など一捻りにしてくれるわ」

「なりません」

「くどいっ。臣下の分際で何様のつもりだっ。ワタツミ」


 怒りにまかせてイザナギが眼前の帳を引っ張った。


 はらりと帳が床に落ちる。


 はっとしたワタツミが疱瘡に爛れた顔を両腕で覆い隠す。


「……どうか私の姿を見ないでいただけますか」

「ワタツミよ。俺は覇王だ。妨げとなるものは誰であろうと、潰す」

「イザナギ王、なりません。無益な戦いをなさるべきではありません」

「……もう二度と会うことはないだろう。その醜い姿を俺の前に見せるでないぞ」


 踵を返し立ち去るイザナギ。ワタツミが身を起こし必死で手を伸ばすが、決して届きはしなかった。


「お待ちください。イザナギ王、イザナギおおうっ」


 ほどなくワタツミはこの世を去った。


 なおその死については国内外への影響を考えて、しばらくの間隠蔽されたと倭紀は伝える。

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