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倭国の王 〜少女卑弥呼の物語〜  作者: 稲戸
第四章 望郷
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第23話 武人の本懐

 タケルはその卓越した槍さばきにより他の兵を一切寄せつけることはない。多数の軍勢に取り囲まれてもまだその命を繋いでいた。


 だが度重なる攻撃により配下の兵のほとんどは失われ、背後には濁流の川がごうごうと唸っていた。もはや逃げることすらまかりならぬ状況である。


 タケルの端正な顔に諦観の笑みがふっと浮かんだ。


「どうやらここで最後となりそうだな」


 決死の覚悟とともにタケルが槍を構えて前方を見据えた。


「せめて後世の笑い種にならぬ戦いをしてみせようか」


 勝敗は兵家の常なれば、力及ばず果てることに今さら不足のあるはずもない。


 ただ一つ心残りであることは、主君の無事を確かめられぬことであった。


 思えば主君に忠義を尽くし、その命を守ることを武人の本懐としてずっと戦い続けてきたのに、ここぞと言うときは主君と常に引き離されていることは何とも皮肉な巡り合わせなことだ。


 そのとき、夢か現か、タケルの耳に主君たるヒメの張り裂けるがごとき声が届いた。


「タケル、タケルうっ」

「ヒ……メ、様?」


 呆然と呟くタケルの眼前。伊都国軍がにわかに騒然とし始めた。


「卑弥呼の王が来たぞ。手分けして討ち取れえっ」


 朦朧とした意識の中、その声だけが明瞭に聞き取れた。


 まさかヒメ様がここに。


 この向こうにおられるというのか。


 夢などではない。


「ヒメ様あああっ」


 タケルは力の限り吠え、群がる敵に向けて飛び込んだ。


「ヒメ様っ、今、そちらにまいります。ええい、退け、退けいっ、邪魔立てするならば、ただでは済まさぬぞ」


 今度こそ、お守りするのだ。同じ過ちを繰り返してなるものか。


 タケルは夢中で槍を振るいながら倒しても倒しても尽きせぬ敵兵を薙ぎ倒し、猛然と進んだ。


 その姿はまさに獅子奮迅。


 が、やはり人の身には違いない。先日からの疲れも間違いなくその身を蝕んでいた。


 タケルはやがて全身に大小の傷を負い、動きが鈍り始めた。


「いや、まだだ。この程度で倒れはせぬぞ」


 タケルは自ら腹に刺さった槍を引き抜き、その場に投げ捨てた。流れ出す血に全身が震い、一度片膝をつく。


「武人とはっ」


 歯をぎりぎりと食い縛りながら、なおも立ち上がった。ここで死んでなるものか。


「守るべきもののためならばっ、足がある限り立たねばならぬ」


 もう体が言うことを聞かない。戦い続けた手は痺れ、目が霞む。だが決して槍は離さない。


「手がある限り槍を振るわねばならぬ。民のため、主君のため、そして我が誇りのため最後まで屈しはしない。我が武人の勇姿その目に焼きつけよっ」


 タケルが気炎を吐いて突破した囲いの先、刮目して見ると、霞んだ視界に馬に跨がった黒髪の女性が目に入った。


「おおおおおっ。ヒ、メ様っ」


 我が王が、現に今、そこにおられる。


 だが馬にもすでに十重二十重の囲いができていた。無念なり。またしても間に合わぬのか。


 何度同じ過ちを繰り返すのかと必死に伸ばした腕の向こう。ヒメの後ろで大剣が閃き、瞬く間に群がる雑兵どもを打ち倒した。


 瞬時にタケルは悟った。こんな無法な芸当ができるのは、この世にあいつ一人を置いて他にはいまい。


 お前もいるのだな。最強の男、スサノオ。


「何も問題ねえ。そのまま突っ切れ、ヒメっ」

「わかってる。行くよ」


 ヒメが颯爽と駆け寄り、馬上から手を伸ばしてきた。タケルはその細い手のひらをしっかりと受け止める。


「ヒメ様っ。よくぞご無事で」


 タケルの必死の呼びかけに対し、ヒメが薄く涙に濡れた瞳を開けて微笑んだ。


「ああ、タケルもっ、よく生きていましたね。よかった」


 ヒメとスサノオがひらりと馬から飛び降りると、タケルは万感の思いを込めてため息を吐いた。


「敵陣に王自ら乗り込むとは。何と、無茶をなさるお方だ」

「すみません。ですがタケルの命が危ないと聞き、いてもたってもいられなくなったものですから」

「お気持ちは感謝いたしますが、あなたの御身に何かあれば、私のみでなく全ての民が悲痛な思いをすることになるのです。どうかご自重いただきたい」


 タケルはそう言うとヒメを後ろに下がらせた。


「ヒメ様はそこにおいでください。私が必ずやお守りいたします」


 タケルが気を張ったが、膝が自然に崩れ落ちた。立つことさえままならぬほど体力は限界に達していた。


 スサノオの口元にふっと薄い笑顔が浮かぶ。


「後は俺が引き受ける。そこでお前はしばらく休んでな」

「すまん。恩に着る」


 スサノオと互いに手の平を打ち鳴らし合ったタケル。その目には自然と涙が浮かんでいた。


 安堵とともにタケルは急速に力が抜けていくのを感じた。


 ほどなく現れたスサノオ隊の急襲に不意を突かれた伊都国軍は、たちまち瓦解し、大敗北を喫した。


 オモカネが豊日軍と急ぎ講和し、ヒメの元へ少し遅れてやって来た。オモカネはヒメの無事を見ると、ほっと胸を撫で下ろす。


「タケル様の救援に伊都国軍の撃退。スサノオ隊の、予想をはるかに上回る大成果でした。ただヒメ様を危険に犯したのは私の不徳ではあります。手放しでは喜べませんね」

「ですが、タケル様が本当に生死の境でした。ああでもしなければ、助けられなかった」


 自軍のみでは勝ち目もないと判断した豊日軍は兵を退き、ここに宇佐の戦いは卑弥呼の完全な勝利で幕が下りた。


 戦後に行われた論功行賞において、オモカネが一番に推したのがスサノオだった。


「スサノオ様は一兵の損失もなく火国を退けたうえ、ヒメ様とともにタケル様を救援し、伊都軍を撃破するのに大きく貢献しました。宇佐の戦いに勝利できたのは、スサノオ様の活躍に尽きると言っても過言ではありますまい」

「いいえ、待ってください」


 だがヒメは安易に首を縦には振らず、それに異論を唱えた。


「私はスサノオにただ待っているよう命じたのです。それを無視し、勝手に一人で勝負を挑んだのですよ。一つ間違えば軍全体が瓦解するところでした。この独断専行は見過ごせません」

「何だよ。勝ったんだからそれでいいじゃないか。それに勝手に飛び出すのはお前が言えた口じゃないだろう。俺を責めるのは筋違いじゃないか?」


 スサノオはヒメが一人で伊都軍に向かっていった事実を指摘した。無謀はお互い様だと言っているのである。


 もちろん建国以前の間柄であるスサノオとの間にも形式的な主従関係は成立しているのだが、それを持ち出して一方的に責めるのは確かに理不尽なことではあった。


「確かに私も無茶だったかもしれないけど、でもスサノオも兵を率いる将なんだから、もっとそれなりの振る舞いをっ」

「うるせえな。知ってるだろう。俺は命令するのもされるのも苦手なんだ。将が何だ。一兵卒にしてくれたほうが気が楽でいいぜ」


 スサノオの口ぶりは一見粗忽だが、確かに筋は通っている。ヒメは何も言い返すことができなかった。


「ずっと前から言ってるだろう。戦功なんて面倒なものはいらねえ。じゃあな」


 スサノオは言うだけ言うとその場を飛び出した。


 その様子を見たヒメが首を垂れて嘆息した。


「スサノオは一体どうしたのでしょう。昔は私に対してあんなふうに突っかかるようなことはなかったのですが」


 ヒメとスサノオの間に、このところ微妙なすきま風が吹き始めているのを感じてはいたが、ヒメにはどうしてよいかわからなかった。


 一方兵舎を出たスサノオは一人、苛立ちを隠しもせずに舌打ちした。


 実のところスサノオはヒメの姿を見る度に自分の心が荒んでいくのを自覚していた。


 もやもやとした黒い感情の澱がどこからか湧き出てきて、すぐに自分の心を覆い隠してしまう。


 少し前まではあの笑顔がすぐそばにあったのに。


 俺だけのものだった。


 俺がずっと守ってやっていたのに。


 本当の俺の戦う理由が、いつの間にかどんどん遠くへ行っちまう。


 今はもうどんなに手柄を挙げたところで何にもなりはしない。


 わかってる。あの笑顔はもう二度と俺の手には届かないということも。


「ちっ、面白くねえ。……俺は誰のために戦ってるんだ」


 スサノオは拳を握り歯噛みをすると、邪念を振り払うように何度か首を振り、虚空に向けて大きくため息を吐いた。

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