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倭国の王 〜少女卑弥呼の物語〜  作者: 稲戸
第三章 卑弥呼立国、そして
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第17話 卑弥呼の村

 次の日、ヒメたちはスイジに一人の男を紹介された。


 フトダマ(太玉)と名乗る、スイジの古くからの知己らしい。


「本来であれば、俺もお前たちに同行したいところだが、暴虐の王に勝手をさせるわけにもいかんからな。お前らはこの男について行け。行く末に必ず役に立ってくれることだろう」


 そう語るスイジは、今までのどこか険のある厳しい目つきではなく、吹っ切れたような和やかな表情であった。


「スイジさん。今まで本当にありがとうございました」

「それは俺も同じだ。これから苦難もあるだろうが、どうか息災でな」


 こうして四名は新天地に向けて旅立った。


 フトダマに目的地を尋ねると、筑紫島へ行くのだと言う。ヒメは驚きを禁じ得なかった。


 いくら世情に疎いヒメでも、筑紫島は最初に天津に反旗を翻した地であることぐらい知っている。古くから争いが絶えず、現在も覇権を巡って戦いが続いているらしい。


 ヒメの望む行き先とはむしろ真逆ではないかとヒメは疑念を持った。


「筑紫島ですか、それは何かの間違いではありませんか?」

「スイジ様からは、『始まりの地』でコヤネ(児屋)に会うよう言いつかりました。コヤネは我々とともにアシカビ様の下で戦った同志であり、彼の地には私も足を運んでおります。ですから間違いではありません」


「そうですか。しかし、『始まりの地』とは一体……?」

「筑紫島には、大陸から来た高い知識を持った者が古来より多く住んでいる地があるのです。天下の賢人にして三傑でもあるワタツミ様もその一人であり、スイジ様がイザナギ様とワタツミ様を引き合わせたことが邪馬台国の発端となったことから、我々はそこを『始まりの地』と呼ぶようになったのです」

「そうだったのですか。しかし、私などがそこへ行ってどうしようというのでしょう」

「さあ、そこまではわかりかねます。何かスイジ様に思うところがあったのでしょうが」


 そうしてようやく辿りついた「始まりの地」は、しかしフトダマが語った様相とはまるで異なったものであった。


 野生の草木が乱雑に茂るなかに、風雪さえしのげるかという朽ちた家屋が数軒見えるだけの寂れた地だったのである。


 コヤネはおろか果たして人が居住しているかさえ疑わしかった。


「本当にここで間違いないのでしょうか」

「ううむ。そのはずですが……」


 あまりの凋落ぶりにフトダマも確信が持てない様子で口ごもった。


「どこかに場所を移して住んでいるのかもしれませんね」

「そうかもしれません。ひとまず調べてみましょうか」


 手前に見える、茅葺の屋根が今にも落ちそうな縦穴式住居に入ると、ことりと物音がする。それは人の気配だった。


 薄暗がりのなか、節くれだった老爺と壮年の女性、そしてその男児が見えた。老爺がゆっくりと面を上げる。


「どなた様かな?」

「やあ、これは失敬。私どもはコヤネなる知己を尋ねておるのですが、ご老人、何かご存知ではありませんか」


 フトダマが尋ねると、老爺は記憶を辿るようにああと頷いた。


「間違いありません。コヤネ様は確かにここにおられました。ですが、随分昔に出ていかれてからは、居場所はおろか生きておられるかどうかすら私どもは存じ上げません」


 老爺がゆっくりと目を閉じ、やるせない気持ちを吐き出すように長く嘆息した。フトダマが老爺に向かい、深く頭を下げる。


「いや、それは仕方のないこと。お答えいただき深く感謝します。ああ、ではやはりここが『始まりの地』でしたか」


 見る影もなくなったその姿にフトダマは慨嘆を禁じえないのであった。


「それにしても、どうしてこのようなことに。この地には知恵者も多く、固い守りもあったでしょう。こうも容易く凋落するものとは思えませんが」


 なおも訝しむフトダマに、老爺が肩を落としてそっと嘆息した。


「スイジ様らがこの地の守りに目を光らせていた頃は、それは盛況なものでした。その乱世らしからぬ栄華の姿は、ほら、目を閉じても浮かんでくるようにございます。ですが、まさにそれが災いしました」


 老爺が悲痛に歪ませた顔を両手で覆った。


「この地の知恵者を、有り余る財を、最新の武器を、諸国がこぞって奪いに来たのでございます。一度や二度の襲撃ならば、耐えられもしましょうが、周りは敵ばかり、幾年もにわたって攻められ続けますと、武器食料は底を尽き、堅牢な堀もすっかり崩れて敗北やむなきに至ったのでございます」

「むう。そうだったのですか」

「多くここに住んでいた大陸からの知恵者たちも、ある者は屈服し、ある者は抵抗して命を奪われ、ある者は散り散りになって逃げ出すなどしてもう誰一人として残ってはおりません。この地にわずかに残っておるのは、殺す価値すらなしとして捨て置かれた私どものみ。今や荒れ果てた田を耕す者とておらず、かろうじて木の根などを食してその日を凌いでいるに過ぎない日々なのです」


 見ると床には草や木の根などを齧った残滓がいくつか散らばっており、老爺の言が決して誇張などではないことを窺わせた。


 感極まったのか老爺がおいおいと泣き出すと、女性と男児もつられたように泣き始めた。


「あなたたちはわからないでしょうが、今、大陸でもひどい戦乱の嵐が起きておりましてな。我らただ戦火を逃れようとの一心で故郷を捨て海を渡り、安住の地を求めてこの倭まで辿りついたのです。それなのに、ここでさらなる戦に見舞われて家族や同胞の命を次々に奪われるなど、どうしてこのようなことに、ああ」


 涙ながらに切々と語られる身の上話を聞いていたヒメは、気持ちが推し量られて、同じようにはらはらと涙を流した。


「私も同じです。戦乱で故郷を追われ、もう戻ることすらできません。こんな戦いさえなければ、あの楽しかった日々が今も続いていただろうと考えると涙を抑えることができません」


 ヒメと老爺は互いの境遇と身の不幸を嘆き合った。


 しかし、そのうちにヒメは漠然としていた自分の考えが次第に一つに収斂していくのを感じていたのだった。


「お聞きください。私は、優しい国を、争いのない笑顔の国を作ろうと思い立ち、この地を訪ねたのです」


 ヒメがここに来た経緯を説明すると、老爺がおおと感嘆の声を上げた。


「優しい国、ああ、それはとても尊いことです」

「そして今、はっきりとわかりました。私が作りたい優しい国は、あなたたちのような戦いで涙に濡れる弱い者たちを、決して見捨てない国なのだと。どうか私たちとともに行きませんか?」


 すると老爺が驚きで一瞬目を丸くしてから、それはいけませんと首を振った。


「国作りという立派な考えをお持ちのところ、私たちのような知恵も力もない者がついて行っても、ただ足手まといになるばかりです。お止しになったほうがよろしい」


 だがヒメは涙を流しながら何を仰いますかと首を振った。


「私も一緒です。知恵や力なんて何もありません。己の無力に泣くただの村娘に過ぎないのです。ですが、いえ、だからこそ助け合いましょう。ただ生き延びるために。何も遠慮することなどありませんよ」


 ヒメが老爺と女性の手を取ると、二人ともに感涙に咽んだ。


「わかりました。このままここに留まって明日をも知れぬ命を繋いだとて、先は暗闇があるばかり。ならば、あなたが作る優しい国に、私たちもご一緒させていただきましょう。村の者もきっと同じ思いのはず」

「ええ、是非作りましょう。私たちの優しい国を」


 涙ながらにヒメは老爺の手を取って、決意を新たにするのだった。


 なお、老爺の名は玉祖命タマオヤ、女性は伊斯許イシコリ、男児は難升米ナシメであるとヒメは後に聞いた。

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