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倭国の王 〜少女卑弥呼の物語〜  作者: 稲戸
第三章 卑弥呼立国、そして
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第15話 決意

 それから半年ほどが過ぎた。


 ヒメたちが邪馬台国に入ってほどなく、葦原国は滅びた。王への不満などから内部分裂を起こし、天津を引き入れるような形であっけなく自壊したと倭紀は伝える。


 一方、邪馬台国は天津が葦原へ注力している隙に海を越え、さらに西へと大侵攻をかけた。


 驚異の進軍で瞬く間に領土を急拡大させた邪馬台国は、やがて大和やまとなる地に王都を構え、天下に覇を唱え始めた。


 倭国大乱勃発以来、混沌とし続けた倭は、いよいよ天津と邪馬台という二強国の対立へとその大局を移しつつあった。


 だがそれは決して戦乱の終わりが見えてきたことを意味するわけではない。


 争いはまた新たな争いを生み出した。それはあたかも染みが広がっていくように、飽くこともなく多くの者を次々と惨憺たる血の渦に巻き込みながら、なお止むことはなかったのである。


 祖国が滅び、しばらく悲嘆に暮れていたヒメもまた、その流れに全く無縁ではいられなかった。


 葦原を併呑した天津は、邪馬台の勢ますます盛んになるを阻止せんと、大軍を率いて手薄となった伊予への進出を始めたのである。


 いよいよ隣接する村が天津に包囲され、暴虐の王に連なる兵を眼前に迎えると、伊曽での惨劇が嫌でも脳裏に浮かんでくる。


 ヒメは食事さえ喉を通らないほど不安な毎日を過ごしていた。

 

 そのようなある日、立ち寄ったスイジから村の皆への呼び出しがあった。ヒメたちは多少の懸念を抱きつつも広場へ集合した。


「聞いてはいるだろうが、近隣の村が天津に攻められた。間もなくこの村も交戦に入るだろう。まずは天津の背後を突く後詰めとして、ここで救援の部隊を作りたい。動ける者には加わってもらうので、準備をしておいてくれ」


 悪い予感は的中した。広場を出てすぐに、ヒメは体を震わせながら悔しさと悲しさで大粒の涙を流した。


 まただ。どうしていつも戦いは私を放っておいてくれないんだろう。


 ともすればこれまで必死で押さえてきた感情が溢れそうになるのを、ヒメはぐっと唇を噛んで堪えた。


「ねえ、ツクヨミ。あなたは邪馬台国の兵士じゃないでしょう。スイジさんの言っていた天津との戦いに参加するつもりなんてないよね」

「それは加わりたくはないけど、でもそのうちこの村も戦いになると言っていたし、無関係ではいられなんじゃないかな」

「そんな。ツクヨミが巻き込まれて、命を奪われたら私嫌だよ。大切なたった一人の家族だもん。スイジさんの命令でも聞くことなんてない。この村なんて放っといて逃げよう」


 ヒメの必死の訴えに対し、ツクヨミが困惑したような顔をした。


「でも、逃げようったってどこへだよ。倭のどこに行っても戦いはある。もうどの村も余裕なんてないんだ。急に行っても受け入れてくれるかどうか」

「そうかもしれないけど、でもっ、すぐそこで戦いが始まっているのよ。また目の前で人が死んじゃっていくのよ。ツクヨミだって今までろくに戦ったことないくせに、こんな危ない所へ残ったらどうなるか」


 ヒメは涙を溢れ出させながら、その場にがくりと膝をついた。


「もう、戦いは嫌なのっ。見たくもない。ねえ、どこかに戦いのない国はないのかな」

「残念だが、それはないと思うぜ。戦わなきゃ、国として生き残れないだろ」


 スサノオがにべもなく言うと、ヒメは両手で顔を覆った。


「ああ、もうずっと戦乱、戦乱ばっかり。どうしてよっ。こんな馬鹿みたいなことを皆いつまで続けるの?」

「仕方ないだろ。王が続ける限り終わらねえんだよ」

「だけど私が言ったって止めてなんてくれないじゃない」


 ああ、どうしてこんな時代に生まれてしまったの。


 もう争いなんて見たくない。


 戦いは何もかも奪っていく。


 家族も、笑顔も全部。


 自分に何ができるのだろう? 


 どうすればいいのだろう?


 誰か教えて。


 ヒメは何かを掴もうとするように、震える手を前方に向けて伸ばした。


「悔しいな。もし、私が王だったら、こんな馬鹿な戦いなんてすぐに止めてやるのに」


 そのとき。


 深い漆黒の闇に一縷の光が差し込んだ。


 ヒメはその儚い輝きを決して惑わぬよう、絶やさぬよう慎重に手繰り寄せる。


「……もし私が王だったら」


 私が王だったら?


 そうだ。


「……どうして今までそれに気がつかなかったのだろう」


 ツクヨミとスサノオはヒメの言葉の意味がわからずに、目を見合わせた。


 たとえどんな厳冬の中でも春の息吹が眠っているように。


 どんな闇夜にも明日の光がきっと差すように。


 希望はある。どんな絶望の中にでも。


 だから決して捨てちゃいけないんだ。


 ヒメは、ある決意とともにきっと前を見据えながら立ち上がった。


「作ればいいのよ。国を。ないのだったら、自分たちで。戦いのない、優しい国を」


 ヒメは決意に燃えた瞳で兵舎に向けて引き返した。


 ツクヨミとスサノオは呆気に取られたようにもう一度顔を見合わせたのだった。


 慌ただしく配下の兵へ指示を出していたスイジは、三人の姿を見ると少し表情を崩し、その場に座るよう皆を促した。


「私は本当に戦いが嫌なんです。ツクヨミたちを戦いに巻き込むなら、私はもう邪馬台国から出ていこうと思います」


 ヒメはスイジの顔を見るや、いきなりそう切り出した。


「もちろん出ていくのは構わないが、その後どうするつもりだ」


「どこかで国を作ろうと思います。自分たちだけの小さな国を」


「ううむ。だが今だ各地に野盗や戦乱の類は尽きないぞ。結局は下手に巻き込まれて命を落とすだけじゃないか?」


 ヒメが一大決心をしたにも関わらず、ぞんざいな物言いをするスイジを見て、ヒメは少し鼻白んだ。


 だが、そこでスサノオがいいやと力強く断言する。


「おい、ヒメ。そう心配するな。俺も行く。俺がヒメを守ってやるよ」


 得意げな顔をするスサノオを見て、スイジがそっとため息を吐いた。


「スサノオ、お前ほどの強さがあれば、天下に比類なき武勲を手にすることもできるだろう。その誰もが渇望する力を持ちながら、なぜあたら捨てるような真似をする。お前はここに残れ。イザナギ王には相応の待遇を図るよう話をつけておこう」


 まだ若干未練の捨てきれない様子のスイジに対し、スサノオが軽く舌打ちした。


「またその話かよ。元から俺は武勲なんざ全く興味はねえし、まして必要のない村を見捨てるような邪馬台のやり口も気に入らねえ。邪馬台と天津で勝手に潰し合ってろよ。俺がどちらかに命を預けるつもりはねえ」


 スサノオは建国の一人である重鎮に向かってもぞんざいな物言いは変わらなかった。スイジはスサノオの指摘に何も言い返すことができず、ただ渋い顔をした。


「なら武人のはしくれとして聞いておきたい。何があればお前は動く。何のためなら、お前は戦う」

「あぁ、そりゃ、勘だな」

「勘……だと?」

「俺はヒメを見て、こいつは何か違うと感じた。だから、ついていきゃ面白いもんが見られると思って一緒にいる。そのヒメが何かしでかそうと言い出したんだぜ。俺が見に行かない理由がないだろ」


 口調こそ飄々としていたが、そこには強い意志が内包されていた。改めてスサノオを翻意させることはできないと悟ったスイジは、軽く頷いた。


「もういい。お前の考えはよくわかった。好きにするがいい。それにしてもヒメ。国を作ると言っても何かあてはあるのか?」


 ヒメへと話を向けたスイジ。その口調からは、スイジなりの懸念が感じられた。


「いいえ。何もありません。ただできるだけ遠くへ行こうと思います。誰も住んでいないような地でも構いません。戦いのないずっと遠くの地で。争うこともなく、ただ静かに生きていこうと思います。秋になれば、笑顔で収穫を迎え、皆で食事を分かち合う。私が作りたいのは、そんな小さくて優しい国なんです」


 淡々とではあるが、切なるヒメの願いを聞いていたスイジの様子が突然険しいものとなった。何かおかしいことを言ったのではないかとヒメの表情が曇る。だがスイジはヒメに目もくれず、ただ何事かをぶつぶつと呟き始めた。


「優しい国。聞いたことがあるような。どこだ」


 そこで突然スイジが血の気を失い、ああと叫ぶ。ヒメはびくりと身を震わせた。


「……そうか。隊長だ。どうして今までそんな大事なことを俺は忘れていた?」


 青ざめた顔でふうふうと呼気を荒くして額を手で押さえ始めたスイジ。余程のことに違いないとヒメは心配になった。


「あの、ご気分が悪いようですが、大丈夫でしょうか。私が何か失礼なことを言ったのでは」


「いや、違う。俺のことだ。だが気持ちを落ち着けたい。しばらく一人にしてくれないか。明日また来てくれ。必ずお前たちに伝えたいことがあるから」


 スイジが絞り出すようにそう言った。


 ヒメたちは事情はわからぬものの、ここは憚るべきだと察してすぐに退出した。


 人払いをして、誰もいなくなった高床の建物。


 床にぽたりと雫が落ちた。


 スイジが声を押し殺して一人咽び泣いていた。


 スイジは今胸中にはっきりと思い出していた。


 敬愛するアシカビからいつか聞いた、優しい王の話。


 アシカビを、父を奪った天津への憎悪に駆られ、戦い続けるうちにスイジはいつしか忘れ去っていた。


 アシカビがスイジに託した切なる思いさえも。


「優しい王。ああ、アシカビ隊長、すみません。俺、ずっと、隊長の願いを。一番大事なことを忘れていました」


 自責の念に駆られたスイジが、膝からがくりと崩れ落ちた。


 スイジはそのまま動く様子もない。


 その場にはかすかな嗚咽の音だけがしばらく響いていた。

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