第14話 存亡の時
首尾よくタジカラの仲間に邂逅できたヒメとツクヨミは、彼らの助けをかりて葦原国にある別の村へ身を寄せた。
伊世の安否が気になるヒメは、しばらく不安で胸が潰されそうな日々が続いた。
そんな折、唐突に背後から「ここにいたのか。探したぞ」などと男の声が聞こえたものだから、天津の追っ手でも来たのかと、ヒメの体が恐怖で自然と強張った。
だがその声は、「おぉい、お前。ヒメだろう。どうしたんだよ?」などとどこか鷹揚で聞き覚えのあるような口調だったので振り向くと、あの最強の男、スサノオがそこに立っていたのだった。
「どうして、あなたがここに?」
「いやぁ、伊世の村が天津に攻め込まれたって聞いたからな。お前らが無事か気になって。それで村の者に聞いたら先に逃げたって言うじゃないか。だからこうやって手当たり次第に探してたわけよ」
「ええっ、ちょっと待って。伊世の村にどうやって入ったの? あれから村はどうなったの? 皆は無事なの? ねえっ!」
「ああ、そんないっぺんに聞かれてもよ。ま、夜にこうちょちょっと柵をよじ登ってだな。とりあえず村は降伏して皆も無事らしいぜ」
「ああっ、よかったあ」
ともすれば自分の命以上に村の皆の無事が気になっていたヒメにとって、それは何よりの朗報だった。
安堵のあまりヒメは顔を両手で覆いその場に泣き崩れた。
前よりずっとひどい暮らしにはなるだろうが、生きていてくれればそれでいい。生きてさえいれば。望みはあるのだから。
なお、奇しくもこの伊世の降伏には、当のスサノオもその遠因となっていた。
倭紀によると伊曽で手痛い目にあった天津は、そのまま邪馬台と葦原に挟撃されるのを警戒して早期の妥結を図ったという。
その他、天津が葦原の中に前線基地を作る目論見があったこと、突然のことで葦原の判断が間に合わなかったことなども理由にあるとされるが、いずれにせよ二人には知る由もないことだった。
「それで、どうしてあなたがついて来るのよ」
しばらくしてようやく気持ちを落ち着けたヒメが戻ろうとすると、さも当然と言わんばかりにスサノオが横に並んで歩き出すのだった。
「いやあ、何の考えもなしに来ちまったからな。邪馬台に戻っても息苦しそうだし、だからと言って他に行く当てがあるわけもなし。次の行き先が決まるまで、しばらくお前たちといさせてくれよ。ははは」
何とも奔放な男である。ヒメは何か言ってやろうとスサノオを見たが、屈託もなく笑う姿に、ヒメも毒気を抜かれたような気になってため息を一つ吐いたのだった。
さて、伊世を拠点として大がかりに軍備増強を済ませた天津の葦原侵攻は、いよいよ本格的に開始された。
屈強でよく訓練された兵士たちが次々と領内へ送り込まれる。圧倒的大軍の前に嬰児の手を捻るがごとく容易に屈すると思われた葦原であったが、この難局に対しツヌグイ王の取った戦略は意外にも徹底抗戦であった。
全ての村人を堀と柵の内側に籠らせ、天津を追い払うよう命じたのである。
血眼になって襲いかかってくる天津兵に向けて葦原の人々は柵の上から手製の矢や石などあらゆる手段で応戦した。
これには当然天津も黙ってはいない。抵抗のあった村に対しては、容赦ない殺戮でもってこれに応じた。
太古の昔より安寧を謳歌していた葦原は、一転して目を覆わんばかりの屍山血河の地へと姿を変えた。
昼夜絶えずして悲痛なる声が天にこだまし、かつて人が住んだ村は次々と酸鼻極まる赤色に染め上げられていったのである。
このままでは葦原の人々が残らず殺されてしまう。そう感じたヒメはもう居ても立ってもいられないほどの焦燥に駆られた。
「決めた。私、王に話してくる。葦原が天津と戦ったって勝てるはずなんてないのに。もうこれ以上は無駄に人が死ぬだけじゃない。黙って見てなんていられない。行こう、ツクヨミ」
一度思い立ったら止められないのがヒメの性分でもある。
「ようし。じゃあ俺もついて行ってやる」
二人につられるようにスサノオがさっと身を起こした。ヒメが少し驚いたような目を向けると、スサノオが軽く鼻を鳴らした。
「ま、もちろん俺は葦原がどうなろうが知ったことじゃないが、お前らだけで王都まで行くんじゃ、すぐに天津の奴らにやられちまうぞ。見ちゃいられねえからな」
「ありがとう、スサノオ。そうしてくれると本当に助かる」
ヒメが素直に感謝の意を示すと、スサノオが少し照れたような顔をした。そうして三人は無事に王都にたどり着いたのだった。
伊曽で随行していた兵士から、その功績が伝えられていたこともあり、ヒメたちの謁見は意外とすんなり許可された。
ツヌグイ王の前に出ると、ヒメは切々と民の窮状を訴えた。
「私は伊世の村、ヒメと申します。ツヌグイ王、天津は鉄の鎧で石も弓も弾き、しかも大軍で襲いかかってきます。兵士でもない私たちが戦っても、勝ち目なんてありません。何の意味もなく殺されてしまうだけです。お願いです。今すぐ戦いを止めてください」
「何を言うか。まだわが国には堀がある。柵もある。十分な蓄えもある。まだまだ戦えるはずだ。相手が大軍で来ると言うのなら、兵糧が減るのも早かろう。冬になれば勝手に引き揚げるのじゃないか」
ツヌグイが煩わしそうにヒメの訴えを退けた。だがヒメはなおも食い下がる。
「そんなことを言っている間に、もういくつもの村が滅ぼされているんです。そんな悠長に待っていたら、葦原の人が死に絶えてしまうじゃないですか。こんな無駄な抵抗を止めて、天津に降伏するべきです。皆が死ぬより苦しくても生きる途を選ぶほうが絶対にいいっ。伊世のようにっ」
「ええい、もうよいっ。お前ごときが偉そうに国を語るな。これ以上話すことなどない。誰かこいつらをつまみ出せ」
ついに業を煮やした王の命を聞いて、侍従の兵士がすかさずヒメに駆け寄ってきた。そしてぐっとヒメの肩を掴む。
「ツヌグイ王っ、聞いてくださいっ、このままじゃ、みんながっ」
不安に怯える人々のことを思い、涙ながらに必死で訴えるヒメ。
どんと兵士に突き飛ばされ、その場に転びそうになったが、その寸前にスサノオが後ろからしっかりと受け止めた。スサノオがヒメの目を見て、強く首を横に振った。
「行くぜ、ヒメ。もうわかったろう。こんな奴にいくら言ったって無駄だ。これ以上いたら俺は本気で暴れちまう」
戦いを止めることができず悄然としたまま半ば二人に引きずられるようにして村へと戻ってきたヒメは、部屋の隅にうずくまり、いつまでもすすり泣いていた。無力感に苛まれたヒメが膝を抱えたまま、ぐっと唇を噛む。
「ぐ、ううっ、悔しいよ。どうして人はみんな殺し合うの? 私は目の前で人が死んでいくのを止めたいのに。どんなに私が叫んでも、誰も聞いてくれない。私じゃ何もできない。私は間違ってるの? 嫌だ。もう嫌だよ、ううう」
両手で顔を覆い、ヒメが体を震わせた。
それを見たスサノオがやや大仰にふうとため息を吐く。
「なあヒメよ。お前は別に間違ったことを言ったわけじゃないと思うぜ。少なくとも俺にはお前の皆を助けたいって熱意が伝わってきたぞ。だがな、所詮弱い奴が何を言おうと、王が聞かなきゃそれで終わりなんだよ」
「う、……ううっ。そんな、あんまりだよう、じゃあ私にはもう何もできないの? ぐすっ」
「ああ、もうそんなに泣くなよ。こうなったら、ヒメよ。気は進まねえが、ここは一つスイジの力を借りるってのはどうだ?」
「え、それはどういうこと?」
ヒメが泣き腫らした顔を少し上げて目をしばたたかせるると、スサノオがああと力強く頷いた。
「スイジが言ってたぜ。お前らには恩があるからって。頼み込んだら葦原国を助ける兵を出してくれるかもしれない。お前一人が言ったところで聞きゃしねえかもしれないが、俺も一緒に頭を下げてやるよ」
希望の光が差し込んだヒメの顔が一気に明るくなる。ヒメは決意を込めて頷いた。
「うん、行こう。葦原の人たちが助かるなら、私何だってする」
こうして三人は葦原を出国し邪馬台へと向かった。
ヒメたちが来ると聞いたスイジから案内が派遣されたこともあり、一行は苦もなく邪馬台の村に到着する。
見るとスイジが自ら村の入口まで出迎えに来ていた。
ヒメは再会の挨拶もそこそこにスイジに必死で懇願する。
「スイジさんっ。どうか葦原国を助ける兵を出していただけませんか? このままでは葦原の人たちが皆天津軍に殺されてしまいます。スイジさんだけが頼りなんです。お願いします」
それを聞いたスイジが深刻そうに眉をゆがめた。
「俺はかねてから天津に尽きせぬ恨みを持っていたし、スサノオにも恩がある。頼まれずともこの機に兵を出したい気持ちはやまやまだ。だがな、イザナギ王は守りに最低限の兵を残し、邪馬台の戦力のほとんどを西に向けた。ここにはもう天津の背後を突くだけの兵はいない。残念だが力にはなれないな」
「そんな、じゃあどうにもならないんですか。何か他に葦原の人たちの命を助ける方法はっ」
「ないな。葦原が選んだことだ。もう諦めるしかない」
「ううっ、うっ、あああああぁっ」
双眸から涙を溢れさせながら、ヒメがその場に突っ伏した。絶望で立ち上がれないヒメの背中を見ながら、スイジがそっと声をかけた。
「気休めにもならぬだろうが、この村には伊曽でお前たちに命を救われた者も多くいる。皆こころよく迎えてくれるはずだ。留まりたいだけ留まっていればいいぞ」




