第11話 守りたい命
こうしてヒメたち援軍は、取るものも取りあえずぞろぞろと伊曽を出た村人たちに付き従う形で出立した。
そして次の日。
スイジはどうも天津軍の様子がおかしいと配下からの報告を受け、眉根を寄せた。
意図はわからないが、この道の先で天津が兵を展開させているという。
邪馬台国は天津が伊曽を占拠すればそのまま葦原へ進むものだと想定していたため、これを撃破するための十分な兵力は用意していなかった。
伊曽の村は既に占拠されたと報告を受けている。結果としてスイジたちは前後を敵に挟まれたような恰好となった。
「仕方ないな。余計な交戦は避けたい。南へ迂回して邪馬台へ戻る道を探ろう」
やむなく伊曽の民は、進路を変えてぞろぞろと歩き出した。
明瞭な説明はなくともおよその状況を察した村人の顔には、次第に疲労と不安の色が浮かんでくる。
大人の足に無理に追いつこうと足早に歩く幼子が音を上げて母にすがった。
「ね、ねえ。疲れたよう」
「頑張って歩きなさい。暴虐の王に捕まったらみんな殺されちゃうのよ」
幼子がひいっと顔を強張らせた。その場の皆が今できることは、ただただ生き延びることを信じて歩き続けることだけだった。
だが、状況はさらに悪化の一途を辿った。
次から次へと天津の兵が送り込まれ、さらに道を塞ごうとしているのだという。
もはや天津の意図は明白だった。伊曽の民を包囲して殲滅する気だ。
だが、何のために?
イザナギもスイジも合理的思考の持ち主だったので、かえってこうした理外のことに足をすくわれることがあったのだった。
このとき天津の司令官はマガツイ(禍津日)といった。
倭紀によれば、この包囲殲滅は邪馬台の気を削ぐことを主目的とし、あわよくば救援の兵をおびき寄せ、単純な消耗戦に引きずり込もうとするものであった。
トヨクモ王直接の指示によるものであったようだが、マガツイ自身もなかなかに残忍な性分であり、救援が来ないことをおよそ知っていながらなお民衆を虐殺することに何の躊躇もなかったようである。
「どちらにせよ、生き延びたければ突破するしかない、というわけだな」
前方に群がる天津兵を見て、強行突破の覚悟を決めたスイジが憎々しげに呟いた。
「もう迷っている暇はない。俺たちが突破口を開けてくる。お前たちは後からついて来るのだ、いいな」
スイジたちが残っていた邪馬台軍を引き連れて、道の先にいる天津軍を排除するため出撃した。
「何もせずただ帰ってくればいいって聞いてたのに。ああ、どうしてこんなことに。王に言われたあのとき素直に帰ってりゃよかったんだ」
いつの間にか逃げる機会を失って、すっかり意気消沈したツクヨミが天を仰いで慨嘆した。
「でも私たちだけ逃げるわけにはいかなかったでしょ。今、スイジさんが逃げ道を作ってくれてる。きっと大丈夫よ」
だが、そんなヒメの願いもむなしく、必死で先を急ぐ伊曽の民に天津軍の本隊が追いついた。
金属片を繋ぎ合わせた鎧と長槍で武装した天津の兵が次々と現れ、無防備な民に後ろから襲いかかったのである。
倭紀によれば、このとき天津兵の数はおよそ千名ほどであったという。
半狂乱となった村人たちが、「逃げろぉ」だの「助けて」だの口々に叫びながら蜘蛛の子を散らすようにわらわらと逃げ惑う。
だが先回りした兵が取り囲むように進路を塞いで、逃げようとする者をさらに槍で突き刺すのだった。絹を裂くような悲鳴と絶叫が入り乱れ、辺りはまさに阿鼻叫喚の様相と化した。
今、ヒメの目の前。
歯の根も合わぬほど震えながら、足から血を流す女の子がいた。
痛みで満足に歩けないのだろう。ゆっくりとヒメに近づきながら震える手を伸ばした。
「お姉ちゃん。痛いよ。助け……て。母様も、そこで。動けないの」
見ると母親が地にうずくまって逃げられない様子だった。そこへ恐ろしい形相をした敵兵が刀を振り上げて少女の背後に迫る。
「あああっ、どうかっ、この子の命だけはっ。お願いします。助けて」
母親が涙ながらに懇願するも敵兵は高く刀を振り上げた。
止めてぇと母親の絹を裂くような絶叫が響く。死に怯える少女の顔が悲痛に歪んだ。
――絶対に、させるもんか。
「うああああああっ」
ヒメは大声で叫びながら剣を持って天津兵にぶんと斬りかかった。
だがヒメのなまくらな腕では宙を切るだけで相手に届きすらしない。
「何だ。お前は」
「あ、あなたたちっ。こんな小さな子の命を奪って、それが一体何になるっていうの。この子らがあなたたちに何をしたっていうのよ。何の武器も持たない人たちを狙うなんて、この卑怯者っ」
「ええい、うるさい奴だな。これは戦いだ。殺せと言われたから、殺すんだよ。邪魔するならまずはお前からやってやる」
「許さない。こんな乱暴なこと絶対に許さないんだから。うわあああっ」
ヒメはぶんぶんと滅茶苦茶に剣を振り回しながら、天津兵たちに立ち向かう。
だが、逆に肩口を槍で突かれ、どっと地面に転がった。
駄目だ。私じゃ止められないよ。
どうして私には力がないのだろう。
力が、欲しいよ。
皆を守れる力がっ。
目の前で誰かが傷つけられている。
命を奪われている。
なのに、私はただじっと見ているしかできないんだ。
ヒメは悔しさと怒りで双眸から涙を流しながら傷口を押さえた。指の間から漏れ出す血で手がすぐに真っ赤になる。
ヒメは気力を振り絞りよろよろと起き上がった。
女の子がぼろぼろと涙を流しながら、傷ついた足でヒメにすがり、必死で制止しようと服を掴んだ。
「もういいよ。お姉ちゃん、お願いもう止めて。これ以上はお姉ちゃんが殺されちゃう」
「はあ、はあっ。大丈夫。お姉ちゃんが皆をきっと守ってあげるから。こんな悪い奴らに絶対負けたりしない。行くよっ」
肩の激痛を精一杯我慢しながら剣を握り締めたヒメであったが、既に周りは兵に取り囲まれていた。
敵兵が一斉に得物を振り上げるのが見える。
――ああ、もう駄目だ。ここで死ぬんだ。ヒメは命を覚悟してぎゅっと目を閉じた。




