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たまゆらのかたへ  ~ 和歌のひとひら  作者: くろっこ


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19/19

19 生ひ立たむ 縁の余響の帖

「さて、琴江さんから聞いているとは思いますが、我の身は長くはないでしょう。事を穏やかにしておきとう存じます」

「そうですな」

 何も知らなければ何事かと思うが、『源氏物語』の「若紫」の展開を知っているから何を言いたいかはわかる。


「お茶をお持ちいたしました」

 襖の向こうから聞き覚えがある声がした。『こひのいとま』の中で知っている登場人物は限られている。常葉ときはさんや夕瑶ゆうようさんは別の物語の登場人物だし、他界している。だから、それ以外の誰かのはずだ。

 襖が開き、湯気の立つ茶碗が四つ並べられた盆を差し入れたのは・・。山吹色の小袖に鈴蘭のかんざし、犬の足跡を模した根付を下げた女性だった。間違いない。

犬君いぬきさん!」

「香澄さん、お久しぶりです」

 そのやり取りを聞いて、緋奈が首をかしげ、琴江が眉を上げる。尚之は何事かと二人を見つめた。

「えっ? 犬君を知っているの?」

「信濃の国からいらっしゃったのに知り合いだったのですか?」

 今、初対面のはずなのに思わず名前を呼んだから、緋奈ちゃんと琴江さんを驚かせてしまった。

「もしや、雑仕女ぞうしめの客人だったのかのう」

 犬君さんが雑仕女? 確か源氏物語では、犬君は後の紫の上である若紫と遊んでいた女童だったはずだ。あれ? 図書館の司書は源氏物語の犬君と同一人物だったの? つまり、源氏物語の犬君が、図書館の司書の犬君さんになって、雑仕女の犬君さんに? ころころと役柄を変えての登場か。

「いえ、犬君さんがここにいらっしゃるとは知りませんでした」

「雑仕女の知り合いが真白の木札を拾って届けてくれるとは、偶然の縁か」

 これ以上、犬君さんとの関係性を問われると、返答に窮する。ここは犬君さんから借りた『こひのいとま』の物語の中なのですなどと言ったら、頭がおかしいと思われる。そうかといって、自分で変な設定を考えれば、矛盾点が出て来て破綻する。

「大切なお話ですよね。そちらを続けて下さい」



「尚之殿、改めて緋奈を頼みます」

「琴江の姪であり、真白さんの子ですから、我が子のように育てます。緋奈ちゃんもわかってくれるね?」

「尚之さまも、琴江さまも優しくて好きだよ。でも、ここを離れたくない」

「年頃になれば、礼儀や読み書き、所作を学ぶ環境が必要になるの。それが寺では難しいのよ。ここに来たければ時々連れて来てあげるから」

 緋奈は顔を曇らせ、尼さんの顔を見る。

「尼さま、私はここで勉強する。いっぱい勉強するよ。それに私がいないと薬を貰いにに行く人がいないいよね?」

 緋奈が声を震わせて尼さんにすがるように頼むが、月影尼、尚之、琴江は既に緋奈を託すことを決断しており、頼める大人はいない。

「薬は心配ない。雑仕女もいるし、代わりの者を頼んでもいいのじゃ。我は緋奈が貴族の娘として成長してくれることの方がよっぽど嬉しいし、緋奈の母、真白もそう願っているだろう」

「おばあちゃんは私がいなくても寂しくないの?」

「寂しいさ。緋奈の顔を見られる毎日が楽しいし、境内から声が聞こえるだけでも嬉しいくらいだから。でも、今は我の幸せよりも、将来の緋奈の幸せを優先すべきなのじゃ」

 反論しても無駄だと悟ったのか緋奈は香澄の方を向いた。

「香澄さん、ちょっと縁側で二人きりになりたい」

「うん。皆さん、緋奈ちゃんと少しだけおいとまさせて下さい」

「よろしく頼みます」

 尚之さんは私に敬語を使わなくていいのに、貴族だと疑っていないから敬語なのだろう。



 2人で縁側に来た。物語の部外者である私に頼るのは違うとは思うけれど、突き放すのはもっと違う。秋の昼前は日差しも風も物憂げだ。春であれば同じ話をしても違ったのかもしれない。

「私、どこで暮らすのがいいかな。名前はどうしたらいいかな。お母さんに相談したいのにお母さんがいないんだよ」

 私は大人たちの代弁をするつもりはないから、私の考えを伝えたい。

「私は思うんだ。自分の親戚だろうと家族であろうと言うことに従う必要はない。でも、他人の意見でも聞く必要はある。さっきの話に戻すと、尼さん、尚之さん、琴江さんの意見は、まず受け入れた上で、緋奈ちゃんが自分で判断すべきだよ。そうしないと、何かあったら、あの時に誰かから言われたからだと思ってしまう。誰かの責任するのは楽だけれど、卑怯な生き方だと思う」

「香澄さんだったらどうする?」

「うん、そういう風に意見を聞くのはいいこと。でもね、ちょっと待って。意見を聞くことの他にも大切なことがあるの」

「聞くこと以外に大切なこと?」

「自分の意見を持つということだよ。話し合いは、お互いに意見を出し合って進めるの。誰かの意見を聞いて、それが良いとか悪いとか思うのも悪くはないよ。でもさ、『私はこう思うけれど、あなたはどう思う?』という方が楽しいんじゃないかな」

「そう・・かもしれない」

「それなら、緋奈ちゃんは家と名前を自分で考えて。一度に同時に考えなくていい。まず暮らす場所から考えて」

 私は教育が大切で引き取られた方が良いと思う。しかし、それは「緋奈ちゃんのために」と言ったところで、大人たち3人と同じ意見になる。緋奈ちゃんは、大人たちの圧力から解放されるために私を縁側に呼んだ。それなら私が大人と同じ意見を述べたら逃げ場をなくしてしまう。

 よく見ていなかったけれど、縁側の廊下は古いのに綺麗だ。犬君さん、あるいは緋奈ちゃんが毎日掃除しているのかな。縁側に置かれた靴脱ぎ石は、ここから緋奈ちゃんが何度も出入りしたのかな。風が笹を鳴らす音、柿が落ち葉の上に落ちる音、どれもが風流だ。緋奈ちゃんが慣れ親しんだ寺を離れたくない気持ちもわかる。


「香澄さん、決めた!」

 縁側に来るまで曇っていた緋奈ちゃんが笑顔になった。さて、緋奈ちゃんの意見を聞こう。そう思った時のことだった。

「尚之様をお待たせしていますので、そろそろお部屋へ」

「はい」

 犬君さんが呼びに来た。私が貴族だと思われていても、尚之さんも貴族だ。あまり待たせるのは失礼である。「もう少し時間を下さい」とは言い出しにくい。


 縁側から立ち上がった。

「どう決めたのかな?」

「それは部屋で話すよ。ふふふ」

 えっ・・。尼さん、尚之さん、琴江さんは、私が緋奈ちゃんを説得してくれると思って送り出しただろう。それに大人が思っているからではなく、緋奈ちゃんにとって教育環境が整っている方がいい。緋奈ちゃんの意見は尊重したいけれど、「ここにいることにした」では困る。


「香澄さん、『こひのいとま』を楽しめていますか?」

「はい、おかげさまで。犬君さんには感謝しています。ただ、「限りとて」も「心あてに」も恋の和歌が登場したのに、「生ひ立たむ」は恋の和歌が登場せずに終わりそうな気がします」

「作者は偉大な方ですから心配ご無用です」

 偉大な方か。そう言えば、作者の名前を見ていなかった。戻ったら確認してみよう。他に何冊も書いている人かもしれない。


「犬君は、香澄さんとどこで知り合ったの?」

「緋奈さまは香澄さんとお寺の外で知り合ったでしょう? 私もお寺の外ですよ。ですよね?」

「はい」

 お寺の外と言うか、本の外の世界なのだが。



 部屋へ戻ると、尼さん、尚之さん、琴江さんも、結論を早く知りたいのか、緋奈さんと私の表情を交互に見て結論を探ろうとしているようだ。笑顔の緋奈ちゃんと対照的に不安な私を見ても結論はわからないだろう。あれ? 見ようによっては、ここに残ることに決めた緋奈ちゃんと説得できなかった私に見えるかもしれない。

「おなかすいた。尚之さま待たせてごめんなさい」

「いや、大切なことだからいいよ。さあ食事にしようか」

 知りたいはずの結論を聞かないのか。もしかすると、食事前の悶着を避ける作戦か。おかずこと、小田和吉君が言っていた。「夕食前に親と喧嘩したら夕食を抜いてやるんだ。親が困るだろう?」と。親は困らない。「冷えたご飯は朝に食べさせてやれ」で終わる。朝食も拒否したら給食まで絶食になる。自分が空腹で困るだけだ。しかも朝食を拒否したら、夕食で24時間前のご飯になる。

 いずれにせよ、私と縁側へ行ってしまった緋奈ちゃんが戻って来たのに再び3人で問い詰めれば、百害あって一利なしだ。ご飯はいつでもおいしく食べた方がいい。



 膳が運ばれて来た。黒漆の椀、灰釉かいゆうの小皿、木製の飯椀が並び、寺の質素な食事ながらも、貴族を迎えるための品格がある。

 全員に膳が揃うと、月影尼が静かに頷いた。それが食事開始の合図であり、尚之、琴江、緋奈、千紗の4人も箸に手を伸ばした。

 ただ、一人、香澄だけが違った。手を合わせて、小さいながらもはっきりと声を出した。

「いただきます」

 その瞬間、部屋の空気が止まった。皆が一斉に香澄を見る。緋奈は目を丸くし、琴江は驚きに眉を上げ、尚之は箸を持ったまま動きを止めた。


「香澄さん、今の何?」

 緋奈が首をかしげながら尋ねた。

「えっ? いただきますを言わないの?」

 隣にいた千紗がうなずいた。もしかすると、この時代では言わないのか? それともこの世界では言わないのか?

「食べ物をいただく前には、命をくれたものへの感謝、畑で育ててくれた人への感謝、運んでくれた人への感謝、料理を作ってくれた人への感謝、そういうたくさんの感謝の気持ちを込めて言う言葉なんだよ」

「へえ。信濃国の人は言うの?」

「普通は言うけれど、言わない人もいるよ」

「そうか・・」


 月影尼は深く感心したように2度頷いた。

「良い言葉じゃ。食をいただくということの本質を、よう心得ておる」

「なるほど、いただく前に感謝をする。素晴らしいことです」

 尚之は、敬意を持ち、自分よりも格上の貴族としての育ちの違いを実感した。



 白和えは、豆腐に青菜が映え、胡麻の香りがほのかに漂う。煮物は、里芋、牛蒡、人参の彩りに、だし汁の照りが加わっている。香の物は、薄切りの大根に柚子の皮が添えられ、噛むと小さな音がした後に口をさっぱりとさせる。ご飯は、蒸したての湯気が立ち、米粒がふっくらと立ち上がっている。黒漆の椀のふたを開けると、昆布と椎茸の出汁の香りが広がる。口に含むと、塩気は控えめで、旨味がゆっくりと広がった。

 食事の時に話さないのがマナーなのか、みんな黙々と食べている。いただきますと言ったことは受け入れてもらえたけれど、黙って食べるマナーなのに話したらマナー違反だと思われる。私も黙って食べよう。


 緋奈が先に箸を置き、他の者は食べ続けている。

「香澄さん、食べ終わった時にも挨拶があるの?」

 口の中にあるものを飲み込んだ。

「うん、あるよ。食べ終えた時に言うから待っていてね」

「うん」

 黙って食べるのがマナーであれば、今は話せない。


 私が食べ終えるのを待っている。それは理解できても、緋奈ちゃんにチラチラと見られていると食べにくい。あれ? 他の3人からも時々見られているような気がする。

 でも、私は自意識過剰な人間ではない。きっと気のせいだ。食事の挨拶は、当然のこととしてしただけで、私は食事のマナーに詳しいわけではない。期待されても困るのだから。



「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでしたと言うんだ」

 今か今かと待ち構えていた緋奈ちゃんには、私が言う瞬間にしっかりと聞こえた。

「うん。そうだよ。感謝をする意味ね」

「感謝なら食べる前に言ったよね」

「うん。いただきますも感謝だけれど、ごちそうさまは少し違って、感謝に加えて、食べ物を無駄にせずにいただいたことを意味するんだよ」

「それなら、食べる前が『いただきます』で、食べた後が『いただきました』でもいいよね」

 そう来たか。子供らしいと言えば子供らしいけれど・・。

「それも近いと思うよ。でも、『いただきました』は食べ終わったという報告に聞こえないかな? ごちそうさまでしたには、おいしくいただけてありがとうという意味が含まれるからね。もちろん、食べる前においしそうに見えても、本当においしいかどうかは食べないとわからないよね。それでおいしいと思ったからこそ『ごちそう』という言葉が出てくるんだ」

「ふうん」


「それなら、もし、おいしくなかった時には、どう言うのですか?」

 まさか尚之さんから、子供のような質問をされると思わなかった。でも、「いただきます」に感心したからこその質問なのだろう。

「おいしくなかった時でも『ごちそうさま』と言います。料理を作るのは大変でしょう? おいしくなるように頑張ってくれたはずだし、違う挨拶をして『おいしくなかった』と伝えるのは感じが悪いですよね? だから、感謝の意味で『ごちそうさま』です」

「感謝の心を大切にしているのですね」


「香澄さんは料理を作るのが大変だと知っているのですか? 貴族の娘なのに台所へ入るのですか?」

 今度は琴江さんか。貴族の娘なのには余計だけれど、否定しても始まらないから聞き流そう。

「時々、母の料理の手伝いをします。緋奈ちゃんもお手伝いするのではありませんか?」

「尼さまの寺は小さいから、私も緋奈も手伝いますが、私よりも身分が上の貴族が台所に入るのは想像できません」

「尚之殿は、我をもっと立派な寺へと提案してくれたのじゃが、40歳を過ぎて死後の安寧を願って仏門に入ることを考えれば、社会的な身分の放棄こそ俗世との決別だと考えてな。それで琴江と緋奈に手間をかけさせたら元もないのじゃがな」

「尼さま、そういう意味で言ったのでは・・」

「わかっておる。いずれにせよ、身分や年齢に関わらず、台所を知るのは大切なことじゃ。作る側の手間や苦労を知っておれば、自然と思いやりも生まれ、食をいただく心も変わろう」


「『いただきます』と『ごちそうさま』。私も使う」

 緋奈が笑顔で言うと、やわらかな微笑みが月影尼、尚之、琴江に波及し、皆の距離をひとつに縮めた。

 ただひとり香澄だけは、緋奈が出した結論が気になって、言葉には出さないが、落ち着かない気配があった。千紗はその香澄を楽しげに見つめていた。

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