17 生ひ立たむ 託された名の帖
木札が大切なものであるとわかったものの、誰も肝心な部分を教えてくれない。もう木札は放置だ。「生ひ立たむ」で重要なアイテムであっても、教えてくれないものをどうしろと言うのだ。木札は持つだけにして、次の展開を待とう。
「千紗、村へ戻ろうか」
「うん。村で木札の持ち主を探すんだね」
「探さないよ」
「えっ?」
「だって、祠へ行く前に聞いても誰も知らなかったよね。村の誰かは知っていると思うけれど、その誰か1人を探すために村中を聞いて回るなんて嫌だよ。しかも、その労力が報われるのは書いた人が現在もいたらの話で、いなかったら骨折り損だよ」
「でも、探したくならない?」
「ならない」
「探した方がいいと思うよ」
あぁ、千紗は、物語の進行上、探して欲しいのか。でも、探さないぞ。
あれ? もしかすると、原作者批判でなくても、探さないと、物語の進行を妨げる行動として何か落ちてきたりするのだろうか。それは困る。その前に探さずに済む代案を出さないと。
「あっ!」
「あ?」
「探す必要はない」
「どうして?」
「今回中心となる登場人物は寺にいた人たちだよね。その人たちに聞けば判明するよ」
「うぁ~・・」
千紗から冷たい目で見られた。予備知識なしでここへ来たら予測できなかったが、『こひのいとま』の外の世界から来たのだから、この展開は読める。それを「ずるい」と思われても困る。
「寺に直行する!」
「香澄が行きたいなら止めない」
行きたいなら止めない? 行っても無駄という意味か。もしかして不在とか? それなら待っていればいいだけの話だ。
立ち話をしている女性が見える。モブが情報をくれる可能性もあるから、少しゆっくりと歩こう。
「尼さま、最近、咳が酷いらしいわよ」
あの寺の尼さんだろう。「若紫」を考えれば、この先の展開はわかる。朝は咳を一度もしていなかったから、咳が出るのは夜や食事の時かな。
「あの子が薬を受け取りに行くのをさっき見かけたわ」
「まだ幼いのに偉いわね」
行くのを見かけたなら、帰って来る時に声をかけても良さそうだ。でも、どちらへ行ったのかわからない。私が質問する前から会話していることから、質問してもまともな返答は戻って来ないだろう。結局、寺へ行くしかないか。
「千紗、緋奈ちゃんに飴玉をあげようと思っていたけれど、『知らない人から物を貰って食べたらいけない』と言われているかな?」
「言われてないよ。人との接触は身元がはっきりとした人だけだから」
「そうか。安全を気にしなくていいのは楽だね」
「でも、何も気にしなくていいわけではないよ」
「安全以外に気にすることなんてあるの?」
「穢れそうな日には外出や行動を避ける物忌みがあったり、悪い方角を避けて遠回りする方違えがあったり・・。そういう禁忌を気にするんだよ」
「現代の日本よりも大変そうだね」
山へと入って、しばらくすると籠を抱えた女の子が前を歩いているのが見えた。緋奈ちゃんだ。「受け取りに行くのを」と言っていたのは、正確に言えば、「受け取りに行って来たのを」という意味か。日本語は正しく使って欲しい。
「ほら、こちらへ来たのは間違いではなかったよ」
「どうだろうね」
千紗は往生際が悪いな。緋奈ちゃんと会えたのだから正解だよ。
「ちょっと止まってくれる?」
緋奈が驚いたように振り返った。背後から話す声は聞こえていたが、話していた時よりも大きな声での呼びかけは明らかに自分に対してのもので、知らない声の人から呼びかけられるとは思っていなかったのだ。
「私は香澄で、この子は千紗。お寺へ行く途中なんだ」
緋奈ちゃんにとって、私たちは初対面。名前は呼ばないし、薬の件も知らないという流れで話す。
「そうなの? 私は緋奈。お寺に住んでいるから一緒に行こうよ」
寺にはいろいろな人が来るのだろう。緋奈ちゃんの方から誘ってくれた。
「緋奈ちゃんは一人でお出かけして来たの?」
「うん。尼さまが咳をするから、お薬を貰って来たの」
「そうか。一人でお使いなんて偉いね。飴玉を持っているから1つあげるよ」
「飴玉?」
「水あめは知ってる?」
「うん。喉が痛い時に舐めるよ」
「その水あめのように甘いけれど、硬くてゆっくりと口の中で溶けるんだよ」
そう言いながら3つ出して見せた。
「光ってる!」
飴玉は光っていないが、包装が太陽で光った。
「1つは緋奈ちゃんに、1つは千紗に・・。あと1つは尼さまのお土産にして」
「えっ? お土産にしてもいいの?」
「うん。いいよ。私の分は家にあるから」
「ありがとう!」
3つあれば3人で食べると思っただろう。でも、尼さんが咳をしているなら、のど飴ではないけれど、喉が楽になるかもしれない。尼さんも孫が貰ったものを確認できた方が安心するに違いない。
緋奈ちゃんに2つ渡してから、千紗に渡した。緋奈ちゃんは1つを籠に入れ、もう1つを持ったまま、千紗を見ている。
「これはね、こうして開けて食べるんだよ」
千紗が緋奈ちゃんに教えた。そうか。食べ方がわからなかったのか。
「わかった」
千紗の真似をして開けようとした。
「待って。そのまま開けると下に落ちるかもしれないから開けてあげる」
「ありがとう」
「手を出して」
「うん」
差し出した緋奈ちゃんの手に飴を出す。本当は、手を洗っていないから、口に直接入れてあげるという選択もあったが、未知のものをいきなり口に入れるのは抵抗がありそうだから手に出した。
緋奈ちゃんは、手を動かして観察した後に口の中に入れた。
「甘い。こんなの初めて!」
「嚙まないで舐めてね」
「うん。噛んだらもったいないもん」
「香澄、これ甘くておいしい。また持って来て」
「千紗は開け方を知っていたから食べたことがあると思った」
「知識として知っていたけれど、食べたのは初めてだよ」
「あっ! あまり立ち止まって遅くなると心配するかもしれないから歩こうか」
「うん」
寺の山門が近づいて来た。途中で木札について尋ねたが、手掛かりは得られなかった。子供に尋ねる内容ではなかった。
「尼さま、奥で休んでいるの。案内するね」
寺が近づいたのが嬉しいのか、緋奈ちゃんが走り出した。
「ちょっと待って。走ると危ないよ。急がなくてもいいから」
「うん、それならゆっくりと来て」
走って行ってしまった。
「『案内するね』と言って、先に行ってしまったね」
「奥で休んでいる尼さんを呼んで来るのかも」
「朝は縁側で話していたけれど、薬を貰いに行けないほど具合が悪いんだよね。そこまでしてくれなくても・・。千紗、走ろう!」
「うん」
「ただいま」
「戻ったのね。お薬は?」
先に走られても子供の足だ。すぐに追いつく。縁側にいた緋奈が琴江から呼び止められる様子が見えた。
「ちゃんと貰って来た。いつも行っているから大丈夫だよ。ほら」
籠の中身が見えるように差し出した。
琴江さんが私たちの方を向くと、緋奈ちゃんが私たちの方を振り返った。
「香澄さんと千紗さん。お寺に用だから案内したの」
「緋奈と一緒に? ありがとうございます。私は琴江と申します」
大人から見れば、子供が案内したのではなく、子供が連れて来てもらったと考えるものだ。
「尋ねたいことがあって伺う途中で、緋奈ちゃんと会いました」
「そうだったのですか」
「香澄さんから飴玉を貰ったんだよ。光ってて、甘くて、美味しくて・・。おばあちゃんの分も貰った」
私たちには「尼さま」と言っていたのに、この女性には「おばあちゃん」と言っている。この人が琴江で、亡くなった娘が琴奈、やはり緋奈ちゃんは琴奈ちゃんの妹か。
「飴玉?」
千紗が言ったように甘味と言えば水あめで、飴玉を知らないようだ。緋奈ちゃんが飴玉を見せる。
「ほら。これ」
「えっ、これは何ですか?」
中身よりも個包装が気になるか。緋奈ちゃんではなく、私に尋ねた。
「これを破いて出してなめるんだよ」
緋奈ちゃんが答えてしまった。
「珍しいお菓子をありがとうございます。尼さまもきっと喜びます。奥におりますので案内します」
「休んでいると伺いましたが、お会いしても大丈夫でしょうか?」
「ええ、どうぞご心配なく。今日は体調が落ち着いていますし、お薬も届きましたから」
「尼さま、優しいよ」
体調が落ち着いたのは事実だろう。でも、会わずに済むなら会わない方がいいのかな。寺に関係するなら尼さんだけれど、私が知りたいのは木札だ。玄関に入る前に尋ねてみよう。
「こちらへ伺った用件というのは、この木札についてご存じないかと思ったからです」
「木札・・ですか?」
香澄が木札を差し出すと、琴江は両手で受け取った。
「川で拾った後、何人かに尋ねたり、祠へ行って来たりしても、よくわからなくて・・」
「この字は・・」
琴江が小さく息をついた。
「妹の真白が書いた字に似ています。払いの癖が・・」
「真白さん?」
「ええ。私の妹で、緋奈の母です。尼さまなら、もっとわかるかもしれません」
尼さんには琴江さんと真白さんという娘がいて、琴江さんの子が琴奈ちゃんで、真白さんの子が緋奈ちゃんか。そして、琴奈ちゃんと真白さんが亡くなっていると。
玄関を入ると、遠くから咳をしているのが聞こえた。そのまま、琴江さんと緋奈ちゃんの案内で奥の部屋へ進む。
部屋の前で琴江が声をかける
「緋奈が薬を貰って帰る途中で会った方が、拾った木札について知りたいそうです。今、お会いになれますか?」
「構わぬ。少し休んでおっただけじゃ。通してやりなさい」
琴江は香澄に静かに頷き、香澄は頬を緩めて頷き返した。琴江が襖を開けると、室内は薬草の匂いと古い紙の匂いが混じり、障子越しに柔らかな光が差し込んでいる。月影尼は布団の上で上体を起こしていた。
琴江は介助に手慣れているようで、背当ての布団を手早く整えて尼の背に置いた。尼は背当てに寄り掛かり、小さく息を吐いた。
「この方が楽でしょう」
「ありがとう」
「尼さま、お薬はここに置くね」
「緋奈も、ありがとう」
「香澄さんと千紗さん。途中で会ったの」
話せる状態になったので、名乗ろうとしたら緋奈ちゃんが紹介してくれた。
「香澄です。休んでいらっしゃったところにお邪魔してしまい、すみません」
香澄は深く頭を下げた。
「朝からすることが多くて、体力が続かなくて横になっていただけじゃ。心配はいらん。私は月影。まぁ、月影尼と呼ばれることはなく、尼さまと呼ばれているがの」
かすれた声であるが、心配させないようにか笑顔を見せた。
「実は、この木札が川を流れて来まして、何か大切なものではないかと思って拾ったのです。それで、祠にいた方に尋ねたら祠の木札のようですが、それ以上は何も教えてくれなくて・・。せめて祠に奉納すべきか、川に流すべきかだけでも教えてくれれば助かったのですけれど」
尼さんが木札に視線を移した。
「これ、真白の字に似ているような気がします。そう思いませんか?」
尼さんは、木札を受け取ると目から離し、筆跡を確認するように目を凝らした。そして、木札の裏面も見た。裏面は私も見たけれど、文字らしきものはなかった。
「間違いなく、真白じゃ。これを真白が書いた時に隣にいた」
「お母さんの字なの?」
「そうじゃ。緋奈のお母さんの字じゃ」
緋奈ちゃんが覗き込む。
「これは、元はどういう言葉だったのですか? 差し支えなければ教えて下さい」
「澄める水のごとく・・・。子の道よ、清くあれと・・」
緋奈ちゃんの人生について書いたのか。
「おぬしがここへ来たのは偶然ではあるまい。真白のこと、緋奈のことを話そう」
そう言った後、近くにあった湯呑茶碗の水で喉を潤した。
「我には娘が2人おった。ひとりは琴江。もうひとりは真白。琴江には琴奈という娘がいた。琴の音が好きな子だった。真白は琴奈の『奈』を気に入り、緋奈と名付けた。しかし、琴奈が逝き、緋奈という名が琴江の胸に痛みを呼び起こすのを真白は恐れた。だから、緋奈を幼名とし、自らの『真』を添えて『真澄』とすることを考えたのじゃ」
「奈を使っていいかと尋ねられたことはありますが、改名については知りませんでした」
「我が止めた。琴江には琴江の痛みがある。それを真白が思いやるのはわかる。だが、琴江には姉として母としての重さがある。それに真白にも母としての重さがある。幼名を改名すること自体は珍しくないが、姉を思って我が子の名を変えるのはいかがなものかと。名とは、人を縛るものでも解き放つものでもあり、託すものでもある」
「託すもの?」
「まだ緋奈には難しいやもしれぬ。お父さんは強い生命力を願って『緋』を選んだ。緋は赤よりも深く鮮やかな色だ。お母さんは優しく周囲と調和できるように『奈』を選んだ。だから、緋奈という名は、父と母の思いが託されておるのじゃ」
「緋奈という名前は気に入っているよ。名前を変えないといけないの?」
「ほら、そういうことじゃ。名前は変えても変えなくてもよい。我は緋奈の母にも、そう言った。琴江はどう思う?」
「真白が私のためだけに改名させるなら不要です。ただ、真澄は、琴奈の影響で考えた名でありつつ、琴奈の『奈』の影響を受けずに考えた名でもあります。そう考えると私にはどちらが良いとは言えません」
「だから、保留にさせた」
「それで、この木札は何のために書いたのですか?」
「真白の具合が悪くなった時のことじゃった。『神様に緋奈か真白か決めてもらう』と言っておったが、自分の命が長くはないと悟って木札に残したのかもしれぬ」
「でも、母上がいるでしょうに」
私の前では「尼さま」と言っていたのに、慌てたのか「母上」という言葉が出た。
「真白が自分の命を悟った時に、この我の命が長く続くと思うものか? 一寸先は闇と思ったのじゃろう」
「おばあちゃん、お薬を飲めば大丈夫なんだよね?」
琴江さんの影響か緋奈ちゃんまで「尼さま」と言わなくなった。
「緋奈の声と薬があれば、いつまでも元気でいるつもりじゃ」
「あれ? でも、木札は祠にあったものなのに。なぜ川を流れて来たのですか?」
「木札は、放置すれば際限なく増えてしまう。古いものは川に流すのじゃ」
「残しておくべき木札を流されたら意味が・・」
「間違えて流したのじゃろう。あいつも年を取ったからな」
「そういう経緯でしたか・・」
あの祠を掃除していた高齢の男性は、尼さんから聞いていたのに間違えて処分してしまったのか。男性は、木札を返すか流すかは私が決めるようにと言った。私が流すと言ったらどうしたのだろうか。流れて来たものを拾うくらいだから、流すはずがないと思っていたのだろうか。私の手に渡ったことで願いが巡り始めたとも言っていたし・・。
「尼さま。香澄さんから飴玉を貰ったの。もう私は食べてすごくおいしかった。尼さまの分も貰ったから舐めて」
「飴玉? 聞いたことがないな」
緋奈ちゃんから左手で受け取り、右手の人差し指と親指で持って、向きを変えて見ている。
「おいしかったなら、我の分もやろう」
「だめ! これは尼さまの分。尼さまは咳が出るから舐めて」
「それなら失礼して」
個包装を開けようとしたけれど、ギザギザの方ではないから開けられない。
「私が開けるから手を出して」
緋奈ちゃんは私がして見せたように開けて、尼さんの手に出した。
「ほぅ、そう開けるのか。手の上に置けるとは・・。都で売られているのか?」
「いえ、私の家の近くで買いました」
「貴重なものじゃな。ありがたくいただこう」
「どう?」
「いつまでも舐めていられそうじゃ」
「そうだよ。ゆっくりと溶けるの。喉に良さそうだよ」
「そうじゃな」
私が飴玉を持って来たのは、子供を喜ばせる目的であったから、のど飴ではない。のど飴を持って来た方が良かったか。
森川健康堂のプロポリスキャンディーだと好き嫌いがわかれるけれど、川口製菓のだいこんしょうがのど飴だったら、苦くないし、原材料的にも、この世界の人にも受け入れられそうだ。プロポリスのど飴として舐めやすいものもある。信州蜂蜜本舗のものだ。でもあれは、スーパーで見かけない。私が知ったのは、季節の挨拶のギフトセットに入っていたからだ。
「そう言えば、おぬしはかすみと言ったな。どういう漢字じゃ?」
「香りにさんずいの澄みで、かすみです」
「ほぅ、木札の『真澄』のうち、消えないでいた『澄』と同じか。何かの縁かもしれんな」
尼さんを見ていた緋奈ちゃんの視線が木札へ移った。
「尼さま、私、緋奈という名前を気に入っていて、変えるつもりはなかったけれど・・、やはりもう一度考えてみるね」
「そうしてくれ。緋奈が決めることだ。誰かのために無理をする必要はない」
「緋奈がそう思うなら、それでいい。急ぐことではないよ」
尼の言葉に、琴江も言葉を続けた。
「もうすぐ昼時になります。私の夫も参ります。よろしければ一緒に昼食をどうですか?」
「ありがとうございます。是非ご一緒させてください」
「お招きありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
私が寺へ向かおうとした時に千紗は難色を示したけれど、トントン拍子に話が進んでいる。やはり寺へ直行して正解だったではないか。




